甘き任務と、完璧なる演出
ライブ前のレッスン。
また新曲の振り付けが始まった。
偽物のアイドルだと気づかれないため、という表向きの理由があれど、それを理由に手を抜かないのは、実に殊勝な姿勢だと思う。
私、黄昏にとってダンスは未だ未踏の領域だが、それでもなんとか皆に食らいつけるくらいにはなった。少なくとも、人前で見劣りしない程度には。
汗を拭きながら、刹那が口を開いた。
「この後、事務所集合な」
その一言で、空気が変わる。ふむ、どうやら任務のようだ。
事務所に戻ると、次回のライブの話が出た。
二週間後、西新宿のライブハウスにて、新曲のお披露目と——玲の誕生日イベント。
「誕生日イベント…?」
我々のような存在には、“誕生日”などという概念はない。だから、一瞬何のことか理解が追いつかなかった。柩も同じく、きょとんとしている。
「なるほど、アイドルだからな。そういう行事をやるのか」
ようやく理解し、柩が淡々と呟いた。
「僕は君たちとは違って、戸籍あるからね。ちゃんとした誕生日もあるんだよ? あ、ちなみに次の誕生日は、黄昏だから」
玲がにこにこしながら、さらっと爆弾を落とす。
「ライブ前、俺と刹那、それに玲は任務で三日間不在になる」
透がスッと話に入ってきた。そのクールな声色に、私は自然と身構える。任務の話だ。
「黄昏、お前に託す。ライブ当日、ケーキを準備してくれ。ファンとの交流にも使う、大事な要素だ。苺のデコレーションが映えるだろう」
「苺、了解した」
「柩、お前はその日、二番待機だったな。何かあればフォローしてやれ」
「了解した」
“アイドル任務”を一人任されるのは、これが初めて。
けれど、任されたからには、ただやるのではない。
完璧にこなして見せよう。
それが、忍の誇り——黄昏の信条だ。
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かつて、要人警護の任務でホテルの厨房に潜入したことがある。
任務によっては、護衛対象の食事に毒が混入しないよう、自ら作る必要があった。
つまり——料理の腕には、それなりの自信がある。
透が私にケーキ任務を任せたのは、おそらくその情報を把握していたからだろう。
観察力が鋭い男だ。
まず、要となる素材は「苺」。
誕生日ケーキの象徴であり、視覚と味覚の要だ。
甘すぎず、ほどよい酸味を持つ苺。
それを選ぶなら、豊洲市場に出向くのが正解だ。プロ御用達の青果店なら確実に理想の苺が手に入る。
次に、生クリームとバター。
クリームには北海道産、搾りたての生乳から作られるフレッシュなタイプを選ぶ。
この時期なら、牛が食べている牧草も青く、乳の風味が爽やかに仕上がる。
バターは、発酵タイプの無塩。深みのある味が決め手だ。
そして小麦粉。
海外製も悪くないが、今回は国産、北海道開発の製菓用薄力粉に決定。
愛国心を込めるのも、忍びアイドルらしい演出になる。
素材を一通り揃えた私は、ふと手を止める。
——ただケーキを作るだけでいいのか?
それでは、ただの「裏方」だ。
アイドルとして、何かもう一手が必要なのではないか。
そう考えた私は、ダンスレッスン後、柩に相談を持ちかけた。
「なあ、柩。聞きたいことがある」
「……任務か?」
「いや、ケーキだ」
「……ケーキか」
柩は目を伏せて少しだけ黙った後、頷いた。
「俺には、黄昏のような料理スキルはない。ただ、確かに——ただ作るだけなら、任務としては普通すぎるな」
「だろう? アイドルとして、何か“魅せる”要素が必要な気がしてきた」
「どこで作るつもりなんだ?」
「本部の厨房か、レンタルキッチンの予定だ」
「なるほどな……それなら、SNSで告知してみたらどうだ」
「告知?」
「ああ。“これからケーキを作ります”って、アイドルらしく。ファンの期待感を煽るのも一つの戦略だ」
「……なるほど。そうだ、“ライブキッチン”などはどうだろう。作る様子をそのまま配信する形で」
「ライブキッチン……?」
柩はその言葉を繰り返すと、なぜか影に潜んでしまった。
気づけば、姿がどこにもない。
「さすが“黒”。見事な影遁の術だが……なぜ今、隠れた?」
「……すまん。“ライブキッチン”という光景が頭に浮かんで、寒気がした」
「どんな想像をしたんだよ」
私は思わず苦笑した。だが、それだけ“表に出る”というのは、我々にとって馴染みのない行為なのだ。
けれど、だからこそやる価値がある。
人前で“魅せる”。それが、今の私の任務なのだから。
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私は、SNSで告知することにした。
場所は新宿。事前に予約しておいたレンタルキッチンスタジオを使用する。
照明も整っており、映像映えもする。
忍びの任務とは正反対の「見せる」空間だが、今の私には必要な場だ。
しかし、ただ作る様子を見せるだけで十分だろうか?
……いいや、どうせライブ当日なのだ。
ファンの熱気も最高潮に達しているはず。
ならば、その熱に少しでも応える手段があってもいい。
「味見」——それも演出の一部になるのでは?
そう考えた私は、方針を変更した。
“ゲリラライブキッチン”として、当日告知を出すことにしたのだ。
「本日、玲の誕生日ケーキを作ります。
場所は新宿某所。ライブ前の一時間だけ。
運が良ければ、味見できるかもしれません」
そんな言葉を添えて投稿ボタンを押したとき、ほんの少しだけ胸が高鳴った。
——私は、いま“見せる側”にいるのだ。
かつて任務のためだけに身を潜めていたこの身が、
今は、人を喜ばせるために存在している。
アイドルとは何か。まだ完全に理解したわけではない。
だが、今日の行動には確かに“それ”に近づいた感触があった。
小さく、だが確かな自己肯定感が、心に灯った気がした。
当日、新宿某所──レンタルキッチンスタジオにて。
白を基調としたキッチンに、いつの間にか十数人の来訪者が集まっていた。
想像を遥かに上回る人数。だが、それに怯むほど、今の私は柔ではない。
配信のカメラが点き、ライブが始まる。
その瞬間から、私の“任務”が本格的に始まった。
「迅くん、ケーキ作れるの?」
「エプロン姿かわいすぎてむり〜!」
「たっそんの指先、職人すぎる!」
たっそん…?新しい呼び方だ。いや、コードネームがこう崩されるとは。
少し面食らいつつも、笑いを堪える。
手元は止めない。
私の仕事は、あくまで“誕生日ケーキを完璧に作ること”。
だが、今日はそれだけではないと、もう分かっていた。
人波の中に、あの車椅子の少女がいた。以前、ライブ会場で視線を交わした子だ。
彼女の友人たちと一緒に、笑顔でこちらを見ている。
「実はこう見えて、昔、任務……いや、アルバイトでホテルの厨房に入ってたことがあって。フランス人のパティシエに直接教えてもらったんです」
「え、すごい」「まじ?」「ほんとに迅くん多才〜!」
「ちゃんと調理師の資格も持ってるので、衛生面はご安心を」
車椅子を押していた女性が笑いながら返す。
「そんなに警戒してないよ〜。マジメか〜!」
笑いが起きる。
なんだろう。これは、忍びの任務では絶対に得られない空気だ。
ほんの少し、自信というものが胸に宿るのを感じる。
目の前に置かれた、チョコレートプレートが目に入った。
(せっかくこんなに集まってくれたんだ。ただ見せるだけではもったいない)
ふと、ある提案が口をついて出る。
「皆さん、大きいチョコプレートを作るんで、チョコペンでメッセージを書いてみませんか?玲への誕生日祝いとして──想いを直接届けましょう」
「きゃー!」「ナイスアイデア!」「推し活の鏡!迅くん!」
「ちなみに…一度、任務…アルバイトで海外のショコラティエにも入ったことあります」
「もうそれは完全にプロでしょ!」
冗談交じりのやりとりに、スタジオは一層あたたかくなる。
みんなでチョコペンでメッセージを書く。私はみんなのフォローに。
車椅子の少女の手伝いをしてほんわかとした空気が流れる。
慎重に温度を保ったケーキは、無事に完成。
切り分けて試食してもらうと──
「うまっ!」
「ふわっふわ…」
「完全に店出せるレベル!」
ファンの驚きと笑顔に、胸の奥がじんわりと温かくなる。
これが“成功”というものか。
人を喜ばせることが、こんなにも心を満たすとは。
私・黄昏、この任務もやり遂げられると確認した。
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一方、その頃──
ライブハウス 控え室前。
「いやー、思ったより時間かかったなぁ〜!」
背筋を伸ばしながら、大きく伸びをする刹那。
「やっと……やっとスマホ帰ってきた〜〜」
その隣で、玲がスマートフォンを頬にすりすりしている。
「スマホ中毒という言葉は知っているが……お前はそれを凌駕しているな」
透が冷静にツッコミを入れるが、玲はまったく気にせずスマホに夢中だ。
三人が控え室に入ると、奥のソファでじっと画面を見つめる柩の姿があった。
その視線の先、スマホ画面には何やら配信動画が流れている。
「ん? 珍しいじゃん、柩が配信動画なんて見てるの」
刹那が肩越しに覗き込む。玲も興味を惹かれて顔を寄せた。
「えっ……これ、黄昏じゃない?」
画面には、白いキッチンで手際よく苺を切る黄昏の姿。
しかも、周囲にはファンらしき女の子たちが何人も──楽しげな声が響いていた。
「なになに? ケーキ作ってる? え、ファンもいるじゃん!?」
玲がスマホを奪う勢いで画面を覗き込む。
「うむ。これは黄昏が、ケーキを作る様子をライブ配信しているんだ。
しかも、ファンとの交流も同時に行うという……なかなかの完成度だ」
柩は至って真面目な口調で言う。
「……いやいやいや、違う違う違う」
刹那が思わず手を振った。
「いや、それじゃなくてさ」
玲も目を見開いて言葉を継ぐ。
「ケーキ、買ってくるだけでよかったんだよ!?」
柩は一瞬「?」という顔をしたあと、少しだけ瞬きをする。
「……そうなのか?」
「いや〜〜ワッハッハッハハハ!! さすが黄昏ちゃん!やるわ〜〜!!」
刹那が腹を抱えて笑い出す。
「そもそも、地下アイドルのバースデーイベントにここまで力入れる奴いるか!?って話!」
冷静だったはずの透が、珍しく声を張ってツッコミを入れた。
「……フッ」
玲がスマホを見つめながら小さく笑う。
「でもさ、やっぱ……推せるよね、たっそん。あれはズルい」
画面の中では、ファンと一緒にチョコペンでデコレーションする黄昏の姿。
真剣で、でもどこか嬉しそうな表情を浮かべていた。
ライブ前の静かな控え室に、彼の配信動画の笑い声とケーキの甘い予感が、じんわりと広がっていくのだった──。
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ライブ当日──
西新宿 ライブハウス
熱気に包まれたステージ。
新曲が始まると同時に、客席から大きな歓声が上がる。
玲がセンターで笑顔を弾けさせる。
刹那が跳ねるように踊り、透は静かに完璧なステップで会場の空気を締める。
柩と黄昏も、それぞれの持ち味を生かしながら、息のあったフォーメーションを描いていく。
ステージの終盤。いよいよバースデーイベントの時間だ。
「ではここで、玲の誕生日を祝って──ケーキ入刀!」
刹那の掛け声で、ケーキが運び込まれる。
「あ、ちなみに今日は特別に!手裏剣ポイント上位の方と一緒にやってもらいま〜す!」
ステージ袖からファンが一人呼ばれ、玲と並んでケーキに向かう。
その時だった。
「……これを使え」
柩が、すっと黒い布に包まれた長い物を差し出した。
「な……忍者刀?」
黄昏が目を細めてそれを見つめた。
「骨董品か。どこから調達した?」
「本部の地下倉庫にあった」
相変わらずの無表情で答える柩。
「ほう。やるな、柩」
黄昏がうなずくと、玲がケラケラと笑った。
「さすが忍者!アイドルのケーキ入刀で刀使うとは思わなかったよ!」
そして、ファンと一緒に忍者刀でケーキに切れ目を入れる玲。
フラッシュがたくさん焚かれ、会場は大盛り上がり。
「では、恒例の〜〜あーんタイムに入りま〜す!!」
刹那の合図で再び照明が甘く灯り、ファンとのふれあいタイムに突入。
手裏剣ポイント上位のファンたちがステージに呼ばれ、玲や他のメンバーと互いにケーキを食べさせ合う。
「うまっ……!」
「ふわふわすぎる……何これ!?」
「え、これお店のケーキじゃないの!?黄昏くん作ったの!?」
ファンたちが驚きと喜びの声をあげる。
その笑顔を見て、メンバーたちは自然と顔を綻ばせた。
──久しぶりに、自分たちが“本業”であることを忘れるほど、ただ純粋に楽しめた時間だった。
これが、地下アイドルという世界なのか。
黄昏は静かに胸の奥でそう呟いた。
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イベント終了後。控え室。
「…………」
机の上に並ぶ無数の領収書を前に、透が静かに頭を抱えていた。
「……完全に、いや、大赤字だなこれは」
レシートの束をひとつずつめくりながら、透の目が鋭く光る。
その視線が、部屋の隅にいた黄昏と柩に向けられる。
「……ん?」
柩がわずかに顔を上げた瞬間、
シュッ──と音もなく影に潜む二人。
「おい、逃げるな!!」
透が机をバンと叩き、部屋に響く怒声。
「黄昏が苺にこだわりすぎたから……」
「いや、バターはあれじゃないと……」
小声で言い訳をしながら、二人は天井裏へと姿を消していった。
控え室には、透の溜息と、玲と刹那の笑い声が響く。
──やれやれ。アイドル運営というのは、思ったよりも体力と予算がいるらしい。
黄昏は、そう心の中で呟いた。
「何が“忍んでござる”や。こっちは本職やで?」
大阪府警からの依頼で、元・甲賀流の女忍者、朧がやってきた。
関西仕込みの毒舌と、プロ意識。
その目には、東京のアイドル忍者たちが"お遊び"にしか映っていなかった――最初は。
だが。
「……ちょ、なにこれ。踊りうまっ…」
「歌声、ええやん……て、え?顔良ッ!?」
「うそやろ、私、CD買ってるやん…」
関西の冷たいツッコミが、いつしか熱いコールに変わるとき、
“Ninja Stares”はまたひとり、心を奪ったのだった。
特別エピソード:
『忍び魂、大阪より愛を込めて』
本物の忍びが惚れた“偽物”たちの輝き。