SNSは忍ばず語れ
アイドル活動を始めて、二ヶ月が過ぎた。
週末ごとに地下ステージでイベントをこなす日々。
黄昏は、完璧なパフォーマンスを続けていた。
それでも、観客は10人そこそこ。SNSのフォロワーも100人を少し超えた程度。
このままで、本当に人身売買組織にたどり着けるのか──そんな焦りが、心をざわつかせていた。
ある日、レッスン後の控室で、黄昏は玲に問いかけた。
「……白夜、貴様、任務に手を抜いているのではないか?」
黄昏の真剣な眼差しに、玲──元ハッカーであるホワイトは、缶コーヒーを開けながら苦笑する。
「手ぇ抜いてたら、もうちょっとバズってるって。狙ってやってんだよ、黄昏くん」
「……狙って、とは?」
玲はスマホを指先で回しながら、答える。
「“今は育ててる最中”ってやつだな。
すぐに数字だけ増やしたら、軽く消費されて終わる。
俺らは“希少性”で売るタイプのユニットなんだよ。忍者だし」
黄昏には、それが腑に落ちるようで落ちない。
任務とは、常に成果を追い求めるものだ。
だが玲は続けた。
「SNSってのはな、追われる側になるには“距離”が要るんだよ。
みんなが追えるものは、いずれ“どうでもいい”になる」
黄昏は黙って彼の言葉を聞いていた。
それは、自分がこれまで歩んできた忍びの道とは真逆の理論。
“見せない”ことが強さであり、
“見せる”ことが魅力になる世界。
同じ「潜入任務」でも、ここには別のルールがあった。
「……忍者として生きてきた俺に、“見せる”ことの意味が理解できるだろうか」
「それでも、アイドルやってんじゃん。答えは、ステージで見つければいいさ」
玲はそう言って、缶をゴミ箱に投げた──完璧な放物線で。
黄昏の中に、またひとつ、未知の問いが芽生えた。
“任務とは、与えられるものなのか。
それとも、自分で見つけていくものなのか。”
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ライブ翌日の昼、黄昏は稽古の合間にスマホを開いた。
SNSに疎い彼だが、玲から「とりあえずチェックはしとけ」と命じられている。
画面を眺めた瞬間、目に飛び込んできたのは、自分への投稿ではなかった。
そこにあったのは──黒影 柩(NINJA☆ブラック)のライブ映像と、チェキ写真の数々。
「こいつ…本当に気配消してんじゃんwww」
「チェキでもブレるって、どんな高レベル忍者だよ」
「顔見えねえの草。逆に会いたくなるわ」
「『アイドルなのに忍んでどうするんだ』ってじわじわくる」
そんな呟きと共に、柩の投稿がじわじわとRTと“いいね”を伸ばしていた。
映像の中の彼は、ステージ上にいるのに、まるで存在していないかのよう。
暗がりで一歩後ろに立つ彼は、照明を浴びても輪郭が曖昧だ。
チェキにいたっては、もはや心霊写真のようなぼやけ方をしていた。
「これは…逆に注目されている…?」
黄昏は、自分の心がざわつくのを感じた。
完璧なダンスを披露しても、届かなかった「反応」が、
あんなにも“忍んでしまっている”柩に集まっている。
「SNSとは…こういうものなのか。論理ではなく、意外性…なのか?」
彼にとっては、それはもはや情報戦というより混沌の渦に思えた。
その時、背後から玲が肩をポンと叩いた。
「な?狙ってない方が刺さったりすんだよ、SNSってやつは」
黄昏は無言で頷いた。
完璧であることがすべてではない。
“狙わずに届く”という不確定な力が、そこにはあった。
「……これは、もはや忍術だな」
彼は小さくそう呟きながら、スマホをそっと閉じた。
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翌朝、目覚めの習慣になりつつあるSNSチェックをするため、黄昏はスマホを手に取った。
タイムラインに並ぶ通知の量に、目を疑う。
「……なに、これは」
公式アカウントのフォロワーが、一晩で数千人にまで膨れ上がっていた。
投稿には「気配を消すアイドル」「顔が映らないチェキ」「ステージで幻のように立つ男」──柩の異質な存在感をネタにした引用リポストが溢れている。
いいね、リポスト、コメント、タグ付け。
目まぐるしく更新され続ける数字。
見知らぬ大勢の人間が、画面の向こうで自分たちを見ている──それが、重い。
「白夜……これは、一体……」
控室で玲に問いかけると、彼はモニター越しに分析グラフを見ながら答えた。
「うん、そろそろ拡散されるかなーと思ってたけど……ちょっと伸びすぎたかもな」
「でも、まだ“仕掛け”の途中だよ。
今ここでバズらせすぎても、根が育ってないから潰れる。
もうちょっと“質”を整えてから、って感じ」
彼はあくまで冷静だった。
まるで風の流れを読むように、情報の渦を自在に操っている。
一方、黄昏の心は、そうはいかなかった。
「数千人が……我々を、見ている……?」
その現実は、これまで影に徹してきた彼にとって、明るすぎる光だった。
心拍が早くなり、手のひらにじっとりと汗が滲む。
視線が肌に突き刺さるような錯覚。
目立てば、敵にも見つかる。
晒されれば、隠れられない。
「……これは、恐怖だ」
「人気」ではない。「注目」でもない。
黄昏にとってそれは、存在を認識されることそのものが恐怖だった。
──忍者は、見つからないからこそ、生きていられる。
SNSの通知音がひとつ鳴るたびに、
彼の精神は、冷えた鋼のように緊張していった。
「“忍ばない”ということは、こういうことなのか……」
彼は、スマホをそっと伏せた。
まだ、自分には──この“光の任務”は早すぎるのかもしれない。
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その日は、今までで最大規模のライブだった。
客席には──50人を超える観客。
会場の熱気が肌に触れ、黄色い歓声が飛び交う。
紅炎 刹那の圧倒的なカリスマ。
瑠璃丸 透の涼やかな笑顔と落ち着いたトーク。
白夜 玲の癒し系スマイルとSNSファンサ。
黒影 柩のミステリアスすぎる存在感。
どのメンバーも、それぞれの“色”を放ち、観客を魅了している。
──では、自分は?
黄昏は、パフォーマンスをしながらも、自問していた。
「俺に、“色”はあるのか……?」
イケメン、という点ではそれなりに評価されているのはわかっていた。
けれど、歓声の数、サイリウムの色、名前の呼ばれる頻度──
どれを見ても、他のメンバーには敵わない。
「完璧に踊れる。でも、だからこそ“印象”が薄い……」
焦りと迷いが胸に広がる。
ライブが終わり、物販と交流タイムが始まった。
その時だった。
列の向こうから、車椅子に乗った少女が近づいてきた。
あの日、誰よりも真剣な眼差しで見てくれていた、あの子だ。
彼女は、はにかむように言った。
「黄昏さん……ずっと、応援してます。
今日もすごくかっこよかったです。
……あの、SNSとかって、やってないんですか?」
黄昏の胸に、静かに何かが灯った。
かつて、彼女の笑顔のためにステージに立つことを“任務”と定めた自分。
あの誓いは、まだ終わっていない。
「SNSは……あまり得意ではありませんが……」
そう答えた後、自分の心に問い直した。
(いや、違う。彼女の“STAR”でありたいのなら、俺は……やるべきだ)
完璧主義者であるがゆえに、発信には臆病だった。
けれど、彼女の一言が、その殻を突き破った。
「……始めよう。私も、自分なりに」
スマホを手に取る。
新たなアカウント登録。
プロフィール欄に、ぎこちない一言を打ち込む。
「任務開始だ──SNS、始めます」
──「NINJA☆イエロー」黄昏 迅。
ようやく、“忍ばない自分”の第一歩を踏み出す。
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「……グルメと動物好きキャラ?」
他でもないメンバーたちが、口を揃えてそう言った。
刹那は笑いながら、
「イエローと言えば大食いだろ、それに猫見つけると話しかけてんじゃん」
透は真面目な顔で、
「今の時代、キャラ立ちしてなんぼだ。動物×飯、最強だ」
柩はぼそりと、
「顔が濃いから、ギャップでウケる……かも」
玲は言い切った。
「うん、“映える忍者”はそこじゃない?」
……絶望だった。
完璧主義の黄昏にとって、“グルメ”“動物”などというふわっとしたイメージは、自分の研ぎ澄ました忍の生き様とはかけ離れていた。
だが、任務は任務──やるしかない。
黄昏は、稽古の帰り道にいたどこにでもいそうな三毛猫を撮影。
「穏やかな目だ」とだけ呟いて投稿した。
反応は……ゼロ。
何も起きない。虚無の時間が流れる。
──そのとき、一件の通知が入った。
「いいね:1」
そして、そのアカウント名。
「…彼女だ」
あの、車椅子の少女。
さらに、彼女からリプライが届いた。
「今日もかっこよかったです!また見に行きます!」
胸が、じんと熱くなった。
たった一人でも、見ていてくれる人がいる。
黄昏は再び、静かに拳を握った。
「……アイドルとして、真剣に向き合わねば」
黄昏は、白夜の元を訪れ、深々と頭を下げた。
「私に、“SNS”の修行をつけてくれ」
玲はニヤッと笑って言った。
「硬い、硬すぎだって、投稿が!もっと柔らかくしなって!」
黄昏の「忍ばない修行」は、今ここから本格的に始まる──。
表ではステージ、裏では潜入任務。
“忍ばない忍”たちに、再び闇の影が忍び寄る。
任務に選ばれたのは、紅炎と私――黄昏。
派手で軽薄に見える男の、想像もしなかった一面。
完璧とは、何なのか。自分の“正しさ”が揺らぐ。
次回――「紅炎、闇に舞うの巻」
魅せるのもまた、忍の技。
舞台の上も、裏の世界も。そこに光がある限り、私たちは忍ぶ。