表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
1/4

アイドル見習い、推して参る

 ──日本の裏側では、今日も誰かが消えている。


 人知れず行方不明になる若い女性たち。その数、年間二万件以上。

 その背後には、麻薬でも、暴力団でもない──

「人間そのもの」を狙った、現代の闇が存在していた。


 警察も手を出せない。

 政治も見て見ぬふりをする。

 メディアは、真実を“編集”する。


 だが、それを許さない者たちがいる。


 忍。


 影に生き、影を狩る者たち。

 千年の時を超えて受け継がれた彼らの使命は、今もなお、この国の“背骨”を守り続けていた。

 ここは新宿。剥き出しの欲望がぶつかり合い、時に美しいほどのエネルギーを生み出す街。今宵もまた、無数の物語が生まれ、そして消えていくのだろう。


 新宿の喧騒は、まるで黄昏の心のざわめきを具現化したようだった。ネオンの洪水の中で、彼は一人立ち尽くす。幼き頃より研ぎ澄まされてきた鋭い眼光は、行き交う人々の欲望の残滓を冷徹に見つめていた。


「私が、アイドル…???」


 上忍の突拍子もない言葉が、黄昏の静かな心に波紋を広げる。これまで影の中を生き、任務を遂行することだけを考えてきた彼にとって、それは全く理解不能な命令だった。


「そうだ、この街、いや、日本を守るために貴様はこれから地下アイドルになるのだ」


 有無を言わせぬ上忍の言葉は、絶対的な命令として黄昏の耳に突き刺さる。普段であれば、その程度のプレッシャーなど、彼の揺るぎない精神力の前には無力だった。実力、精神力ともに、彼は既に上忍以上の域に達している自負がある。


「理解できません。私は影に忍び、影を狩る者。表だった活動など、私にはできかねます」


 一瞬の狼狽の後、黄昏はいつもの冷静さを取り戻し、静かに反論する。感情の起伏など、忍びの道において不要なもの。彼の声は、研ぎ澄まされた刀のように鋭く、しかし静かに響いた。


「俺だって、こんな奇抜な作戦嫌なんだよ!」


 先ほどまでの威圧的な態度から一転、上忍は頭を掻きながら、まるで駄々をこねる子供のように訴え始めた。普段の威厳はどこへやら、その表情は疲労困憊といった様子だ。


「頼む!我々忍者も人手不足なの知ってるよね。これも日本を守るための任務と思って諦めてくれ」


 まさかの上司の平謝りに、黄昏は言葉を失う。影の世界で生きてきた彼にとって、頭を下げる上司の姿など想像もしていなかった。日本の平和を守るという大義のためとはいえ、彼の理性は悲鳴を上げている。


「地下アイドル…」


 再びその言葉を反芻する。煌びやかなステージ、嬌声、そして熱狂。それは、これまで彼が身を置いてきた暗闇とは対極の世界だ。


「……任務、ですか」


 黄昏の声は、 自身に言い聞かせるようだった。上忍の必死な様子と、「日本を守る」という言葉が、彼の心をわずかに揺さぶる。


「ああ、そうだ。お前なら、必ずやこの困難な任務をやり遂げてくれると信じている」


 上忍は、縋るような眼差しで黄昏を見つめた。その目に宿る切実な想いが、黄昏の胸に重くのしかかる。


 生粋の忍び、黄昏。欲望が渦巻く新宿の片隅で、彼はこれから一体どんな運命を辿るのか。そして、地下アイドルとして活動することが、本当に日本を守ることに繋がるのだろうか――。


 ————————————————————————————


 新宿、午前二時。

 煌々と輝くネオンに照らされながら、黄昏 迅は無言で歩を進めていた。視線の先にあるのは、雑居ビルの地下一階——その扉の向こうが、NINJA☆Stars!の“稽古場”らしい。


 建物の外壁には、薄れかけた塗装と、時折聞こえる重低音。表向きは普通のレンタルスタジオ。だが、忍びの感覚が訴えている。「ここには、何かがある」と。


 ドアを開けた瞬間、鋭く響くボイスと、何やら陽気すぎる掛け声が耳を貫いた。


「せーのっ! 魅せろ、我らが愛と忍法ッ☆」


「……???」


 黄昏は一歩踏み出すのをためらった。

 目の前では、赤と青の髪をした二人の男が、激しくも美しい振りを踊りながらシャウトしている。バックには白と黒の男たち。それぞれがまるで違う方向を向いていながら、どこか統一感のある動き——“舞”であり、“術”のようでもあった。


「おっ、新入り来たか?」


 ステップを止めた赤髪の男が、満面の笑みで声をかけてくる。紅炎 刹那。

 派手な衣装にキラキラの笑顔、そして華やかすぎる身振り——どこからどう見ても忍者ではない。


「……黄昏 迅。任務により、本日より合流することになった」


 淡々と名乗る黄昏に対し、刹那は「あーやっぱ固いな〜!」と楽しげに肩を叩く。

 その瞬間、空気がわずかに緊張した。


「……気安く触れるな。戦場なら、もう貴様の命はない」


 その殺気に、周囲の空気が凍る。だが——


「やっば、こういうタイプめっちゃ推せる」


 白夜 玲がスマホを構えながら口元を緩めた。

「黒髪・無表情・完璧主義とか、ぜってぇ需要あるでしょ。あ、ちなみにオレ、元ハッカー兼ステージ演出係ね☆」


「……なんだこの集団は」


「我らがNINJA☆Stars!、今日からお前もその一員ってことだよ」


 それまで黙っていた瑠璃丸 透が口を開く。整った顔立ちと落ち着いた物腰、そして鋭い観察眼。

「形式だけの加入じゃない。お前には、心を動かす力を身につけてもらう」


「心を……?」


 黄昏は、今まで任務に心を求めたことがなかった。成功か失敗か。それだけだった。

 だが、この奇妙な集団の中にいると、その境界が少しずつ曖昧になっていく。


「……あれ?柩は?」


 玲があたりを見回す。

 すると、背後の壁の影から、まるでそこに溶け込むようにして黒影 柩が姿を現した。


「……女性が……いなければ……出られる……」


 その目は虚ろで、どこか怯えている。

 黄昏は、その目に過去に何かがあったことを直感で読み取った。


「なにやら…妙な集まりだな」


「慣れるって。忍法・順応の術な!」


 刹那が軽くウィンクする。


 ————————————————————————————


 一週間——。

 黄昏 迅は、決して手を抜かなかった。


 基礎体力、柔軟、発声、滑舌、リズム感。

 どれも初日から完璧にこなし、動きには一切の無駄がない。まさに“修行”のような集中力で、彼はダンスと歌に取り組んだ。


 だが、その姿を見ていた仲間たちは、日に日に言葉少なになっていった。


「……いや、すげぇとは思うよ。踊りは。ほんとにすげぇ」


 稽古後の控室。汗を拭きながら紅炎 刹那が言った。

「でも、なんつーか……ロボットみたいなんだよね。完璧すぎて、面白くない」


 黄昏の指がピクリと止まる。

 タオルを握りしめながら、視線を落とした。


「歌もそうだよ。音程もリズムも完璧。でも、まったく心が動かないんだよね」


 白夜 玲が、炭酸を飲みながら呟くように言った。


「ファンって、推すときに“感情”で推すんだよ。感動したとか、泣けたとか、元気出たとか……。今の黄昏くんは、たしかに完璧だけど、“感じない”。」


「俺たち、忍者だけどさ。“心”を隠してばっかじゃダメなんだよ」


 瑠璃丸 透が静かに補足する。

 その言葉は、まるで静かな水面に石を投げるようだった。


 その夜、稽古場に一人残った黄昏は、鏡の前で踊り続けていた。


「なぜだ……なぜ、私は……“できている”はずなのに……」


 振りは完璧だ。どのアイドルと比べても遜色はない。

 なのに、刹那のような華やかさも、玲のような軽やかさも、透のような包容力も、自分にはない。


「感情を……出す?」


 それは、忍として最も遠ざけてきた概念だった。


 任務に私情を持ち込めば、死ぬ。

 感情に揺らげば、仲間が死ぬ。

 だからこそ、彼は完璧でなければならなかった。


「私は……間違っているのか?」


 誰にも届かない問いが、鏡の向こうの自分に返ってくる。

 そこに映るのは、誰よりも正確に動きながら、どこか空虚な目をした一人の男。


 そして、その時だった。


「……なあ、黄昏」


 背後から、かすれた声が聞こえた。

 黒影 柩が、いつの間にか柱の影から現れていた。


「お前……誰かのために、踊れるか?」


 その問いに、黄昏は答えられなかった。


 ————————————————————————————


 二週間目に入っても、黄昏は“答え”を見つけられなかった。


 振付師に言われたことはすべて覚え、録音した自分の歌声を徹底的に分析し、改善に次ぐ改善を重ねた。

 だが、メンバーの誰も「よくなったね」とは言ってくれなかった。


「お前は“正しい”けど、“響かない”」


 透の言葉が、未だ胸に刺さったままだ。


 その日もレッスン後、鏡の前で一人踊っていた。


 金髪のウィッグは、いつしか地毛を染めるまでに至った。

 任務だから。キャラクターになりきるため。黄昏 迅という名前も、衣装も、髪の色も、すべては与えられた役割。


「だが……この髪は、目に痛いな」


 独り言のように呟いて、前髪を払う。

 黒だったはずの自分が、少しずつ何者かに“変えられていく”気がして、胸がざわつく。


 完璧主義者である自分が、完璧にできない領域に踏み込んでいる。

 それは、これまでの任務ではなかった「未知の恐怖」だった。


 ステージ当日

「NINJA☆Stars!、本日ついにデビューでぇ〜〜す☆」


 玲の軽いノリが、控室に響く。

 だが、黄昏の目には、目の前の現実が“理解不能”だった。


 地下アイドルのライブハウス。

 コンクリ剥き出しの壁、照明の一部は点滅しており、空調の音がうるさい。観客席と呼ぶにはあまりに近すぎる距離に、折りたたみ椅子が20脚。


「……ここが、舞台……?」


「そ。いわゆる“箱”ってやつ。まあ、初ステージなんてこんなもんよ。てか、ここから伝説が始まるんだってば☆」


 玲は悪びれもせず笑う。

 刹那も、「まあ、俺も初舞台は客3人だったしね」と肩をすくめた。


 黄昏は、思わず拳を握りしめていた。


「私は、こんな場所のために……」


 違う。

 そう思ったのは、事実だった。


 任務だ。国家規模の、失踪事件の鍵を握る潜入捜査だ。

 なのに、舞台はこの狭さ。音響も不十分。衣装は予算の都合で既製品を改造しただけ。


 それでも、彼らは笑っている。

 汗を流して稽古して、ステージ前に不安も吐かず、ただ前を向いている。


「……私は、何を……怖れている?」


 その時、遠くで観客が開場を待つ声が聞こえた。

 笑い声。期待。ファン同士の推し会話。紙袋に詰めた手作りの応援グッズ。


 その気配に、黄昏の胸がわずかに軋んだ。


「あの者たちは……何を見に来る?」


 彼らは、プロフェッショナルなパフォーマンスを求めているわけではない。

 心が動く瞬間、誰かを“好き”だと思える熱を求めている。


 黄昏は、自分の胸に手を当てた。


 だが、何も感じなかった。

 それが、今の彼の“弱さ”だった。


 ラスト:ステージ袖、開演5分前

 照明が落ち、ライブハウスにざわめきが広がる。


「黄昏。お前、緊張してる?」


 刹那の問いに、無言で首を横に振る。

 だが、それは嘘だった。


 自分の中で、「やれることは全部やった」という自負と、「それでも届かない」という絶望が、交差していた。


「任務だ……任務なら、俺は……」


 その言葉を呟いた瞬間、頭の中にフラッシュバックのように“少女の失踪記事”が蘇る。


「……届けなければ、意味がない」


 照明が点いた。

 ステージに出る時間だ。



 ステージに出た瞬間、黄昏の視界が白く染まった。


 スポットライト。

 たったそれだけで、心臓が跳ねた。


(これが……光……!?)


 今までの任務では、誰にも見つからないように動いてきた。

 影に溶け、存在感すら消して行動する。それが“忍”である自分にとっての本能だった。


 だが、いま目の前には光。

 そして、ステージの下にいる、たった五人の観客。


 他にも人はいる。

 だがそのうち数人はスタッフ、そしてサクラ。

 つまり、“本物の観客”は、数えるほどしかいない。


(意味があるのか、これに……)


 そう思った瞬間だった。


 イントロが流れ出す。

 ダンスの始まり。


 体は勝手に動き出す――

 はずだった。


 だが、足が遅れる。

 動きが、ぎこちない。


(なんだ……?完璧に仕上げたはずのルーティンが……)


 心の奥底に、想像以上の“恐怖”が巣食っていた。

 “見られている”という感覚。

 任務で命を狙われるよりも、不意を突かれるよりも、今の“注目”が、彼の本能を狂わせる。


 歌のパートに入っても、声が震えた。

 完璧に叩き込んだはずの歌詞が、頭の中で霧のようにぼやけていく。


「……っ」


 呼吸が乱れる。

 視界が狭くなる。

 音が遠のく。


 焦るな、平常心を……

 そう言い聞かせた時だった。


 彼の目に、一人の少女が映った。


 車椅子の少女。

 長い黒髪、細い腕、小さな身体。

 だが、その目は驚くほど強く、まっすぐにこちらを見つめていた。


 演技ではない視線で、こちらを見ている。


(……なぜだ。そんな体で、こんな地下の場所に……)


 疑問と同時に、胸の奥が締めつけられる。


(この者にとって、ここに来ることは“任務”ではない。願いなのだ)


 彼女の表情に、言葉は要らなかった。

「見に来たよ」と目が語っていた。

「楽しみにしていたんだよ」と声なき応援が、黄昏の胸を打った。


(そうか……)


 黄昏の目がわずかに見開かれる。


(彼女を……笑顔にできるなら。それが“今日の任務”だ)


 心の中で、刃を収めるように深く息を吸う。

 震える手を、グッと握る。

 光の中で踊ることが「任務」だと、自分自身に言い聞かせる。


 次のサビ。

 もう一度、立ち直るためのチャンス。


 黄昏は、彼女の目を見つめたまま、踊り出した。


 最初は小さな一歩。

 だが、その一歩は確かだった。


 ダンスは完璧ではなかった。

 だが、“誰かに届くため”に踊るという、初めての意識がそこにあった。


 歌声も、震えていた。

 だが、震えた声には――生まれて初めて、“感情”が宿っていた。


 その瞬間、車椅子の少女の口元が、ふっと綻んだ。


 それは幻ではなかった。

 確かに、彼の想いが――届いたのだ。


 ステージが終わり、控室へ戻った黄昏。


 玲がぽつりと呟いた。


「……やっと、人間になったね」


「え?」


「今日の黄昏、ちゃんと“いた”よ。ステージの上に。……忍者じゃなくて、アイドルとして」


 黄昏はしばらく黙っていたが、やがて静かに呟いた。


「任務は……完了したのだろうか」


「どうだろ。でも……その子の笑顔は、たぶん報酬じゃない?」



 まさか自分がアイドルになるとは思っていなかった。

 完璧に動けるはずの体が、スポットライトの前ではぎこちなくなる。

 任務だから…そう言い聞かせてきたのに、心が乱れた。


 だが、あの少女が私を見ていた。真剣に。

 その視線だけが、自分の足を前に出させた。


 私にとっての“初任務”は、たった5人の前でのステージ。

 ……だが、心を動かすには、十分だったのかもしれない。


 忍ばない忍。任務は、まだ始まったばかりだ。

 フォロワー数、いいね数、拡散力──

 アイドルとして生きるなら、SNSの力は無視できない。


 だが、それは本当に“人の心”を掴む方法なのか?

 数字に囚われて見失っていた、大切な何か。

 黄昏が一歩、光の世界で見つけかけた“答え”とは──?


 次回、「SNSは忍ばず語れ、の巻」

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ