【15話(3/3)】賑やかな午後
明石が昔を思い出しながら業務をこなしていると、パタパタと足音が聞こえてきた。
(おや、美咲嬢だ。もうこんな時間か)
間もなくガラス扉がバンバンと叩かれる。
「あかしさーん!あけてー!」
明石が扉を開けると、幼稚園が終わった美咲がオフィスに飛び込む。そのまま幼木を保護するケースの元へ走っていく。
「さくらちゃーん!」
湊がその後を追う。
「美咲、ドアを叩かないの!」
明石が幼木のケースを開けると、美咲は幼木の鉢を素早く抱き取る。
「さくらちゃーん!みさきがきたよっ!」
美咲の笑顔を見ていると、こちらも顔が綻んでしまう。
「美咲嬢、今日も元気だな」
「幼稚園に行けるのが嬉しいんだと思いますよ。昨日の会議次第では、幼稚園に行けなくなるところでしたから」
明石に応じながら、湊は着々と測定の準備をする。
「ほら美咲、その木、ここに置いて」
「ちがう〜!さくらちゃん!」
「……さくらちゃん、ここに置いて」
美咲が作業台に鉢を置くと、湊は撮影や観察をこなしていく。2人だけで毎日の測定はできるようになったが、時々こうして明石が見守り、測定方法にズレが無いか確認するのだった。
測定が終わり、明石は壁掛け時計を見上げる。
「良い頃合いだな。湊くん、自分は一時外出するから、美咲嬢と待っていてくれ。後で採血に行くよ」
2人をオフィスから送り出し、明石は財布を手に研究室を出たのだった。
***
室長が教授らとミーティングを終えて帰ってきたのは、夕方になる頃だった。
「室長、お疲れ様でした」
「別に、大したことなかったわ。むしろあたしが来てみんなホッとしてたもの」
荷物を整理する室長に、明石はテイクアウトで買ってきたチョコレートフラッペを差し出した。
「あっ!?それ、今日からの新作!」
「室長はホイップ増量がお好みでしたよね」
「あら、気が利くじゃない!」
室長は早速ストローを容器に刺している。
「課長は恐らく直帰でしょう。この後は肩の力を抜いて、ゆっくりなさって下さい」
「……そうね。ありがとう」
室長はフラッペを手に、オフィスを出て行く。明石はガラス扉越しに、去り際の表情をこっそり確かめた。室長はストローに口をつけた後、パッと目を輝かせた。そして、早足で執務室へと戻って行った。
(お気に召したようだ。帰る頃合いを見計らって買いに出た甲斐があったな)
室長は、明石よりもひと回り上の世代なのに、たまに無邪気な少女のような反応を見せる。それが可愛らしくて、明石は甘い物好きの室長に差し入れを贈るのだった。
***
室長がオフィスを出て行った後、明石は簡易採血の用意に取り掛かった。
美咲の採血を毎日から週1回に変えて、もうすぐ3か月が経つ。採血の頻度を独断で変更し、実施していない日は架空の数値を入力しているが、課長には気づかれていないようだ。
白衣を脱いで椅子に引っ掛けてから、ペン型の測定器をズボンのポケットにしまう。アルコール綿と採取用のシート、そして絆創膏を手に、美咲と湊がいる部屋へと向かった。
美咲は白衣が嫌いで、さらにオフィスより部屋にいる時の方が落ち着いている。何度も採血をするうち、なるべく美咲にストレスを与えない方法が分かってきたのだ。
コンコンコンとノックして、扉を開ける。
美咲は絵を描いていて、湊は授業の課題を解いているところだった。
「明石さん、採血やりますか?」
明石は頷き、美咲に向かって人差し指を立てて見せる。
「美咲嬢、ぱっちんしに来たよ。すぐ終わるから」
美咲はクチャッと泣きそうな顔になって俯く。
「んぅ、ぱっちんいや……」
「じゃあ、湊くんに抱っこしてもらうか?」
そう尋ねると、美咲はすぐさま湊の膝に乗りに行く。
「みなとさん、だっこ〜」
湊に抱かれた状態でいれば、美咲はすんなりと指を差し出せるようになっていた。
明石は小さな人差し指をアルコール綿で拭いてから、ペン型の測定器を取り出す。
「じゃあ、ぱっちんするよ」
「んっ……」
パチンと穿刺すると、美咲はぎゅっと目をつぶってぷるぷるっと震えた。明石は指先の小さな赤い滴を採取して、指に絆創膏を巻いた。
「よし、終わりだ。美咲嬢、最近は泣かないじゃないか。強くなったのだな」
美咲を褒めると、湊が口を尖らせる。
「明石さん、美咲は俺に抱っこされたいだけですよ。ほんとは一人でもできるのに、甘えちゃってさ」
美咲は黙って首を振り、湊の腕をがっちりと掴んだ。
「美咲嬢がそれで頑張れるならいいじゃないか。もう来週までぱっちんはしないからね」
測定結果を確認して、明石は測定器をしまった。
「そうだ、明石さん。ちょっと尋ねたいことがあって……」
そう言った湊の言葉は途切れる。
「ん?自分で良ければ、何でも聞くよ」
湊は何かを迷うように、言葉を紡ぐ。
「明石さんって……その……御使に、会ったことありますか?」
「御使?神木の御使殿か?会ったというか、祭事でのお姿を遠目から見たことはある。それくらいで、実際に話したことはないよ」
「そうですか……」
鹿鳴茅秋。鹿鳴家の当主代理にして、神木の御使。鹿鳴春花課長・雷夏室長とは四つ子のきょうだいでもある。明石が知っているのはそのくらいだった。
神木の御使は、神木の声を聞ける唯一の人物だ。身の安全を確保するため、祭事以外で表舞台に立つことはそうそう無い。
(昨日の会議、当主代理として御使殿も出席なさっていたはずだ。何かあったのだろうか?)
「湊くん。御使殿が、どうかしたのか?」
逡巡の後、湊は俯き加減で話し始めた。
「……昨日、御使だって奴に会ったんですけど……課長さんが、俺の親がそいつなんだって言ったんです」
「課長が?どうして分かったのだろうな」
「なんか、遺伝子鑑定だかを勝手にやったみたいで……まあ、顔の上半分とかめっちゃ似てたし、そこは俺も疑いようがないって思います」
「そうか……」
浮かない顔の湊を、膝に抱かれた美咲が見上げる。
「みなとさん、どしたの〜?」
「……何でもない。ほら、ぱっちん終わったから、お絵描きしてな」
美咲は湊に促され、再び絵を描きにテーブルへ戻って行った。
(湊くんは養護施設の世話になっていたらしいな。そして御使殿に妻子があるという情報は、少なくとも世間には出ていない。もしもそれが本当なら、湊くんは鹿鳴家の隠し子なのか?)
明石が返す言葉に詰まっていると、ガチャリと扉が開き、室長が顔を覗かせた。
「あら、明石もいたの」
室長はハイヒールを脱ぎ、ソファにボフンと腰掛けた。
「湊陽輝、昨日はお疲れ様。後で茅秋から聞いたわ。まさかあんたが茅秋の子どもだなんてね……都外に出たもんだと思ってたから驚きよ」
明石はその言葉に引っかかりを覚える。御使に子どもがいたこと自体は、もともと知っていたような物言いだ。
「都外に?御使殿に妻子がいて、別れたことはご存知だったのですか?」
明石の問いに、室長は頷く。
「ええ。うちの者は全員知ってるわ。でも、相手が誰なのかまでは聞いてない。当時の茅秋も、居場所は知らないみたいだったわ。鹿鳴家の跡取りになり得る子だから、うちの者が総出で探したのよ?それでも見つからなかったから、都外にいるんだろうって結論付けられたのよ」
(それで、実際は都内の養護施設にいたのだな。養護施設なんて一番に当たりがつくだろうに、今まで見つからなかったのか)
話を聞いていた湊が、ぽつりと呟く。
「そっか、課長さんと室長さんって、俺の伯母さんになるのか」
室長の眉がピクリと動く。湊はそれを見逃さず、頬杖をついてニヤつく。
「へぇ、伯母ちゃんかぁ。おばちゃ〜ん?」
室長はソファから降りて、湊の耳をぐいぐい引っ張る。
「あんたぁ、うっさいわねぇ!」
「うあぁーっ!いででで!」
「次言ったら耳ちぎるわよ!こんな飾り、付けられないようにしてやる!」
室長の表情は、オフィスにいる時よりいきいきして見える。
「明石さん!見てないで止めて下さいよ!」
湊に助けを求められ、明石は微笑んだ。
「いいのか?二人とも楽しそうに見えるが」
「どこが!」
少し離れたテーブルから、美咲は不思議そうに3人を見ていた。
「ん〜……えへへっ!」
突然笑った美咲に、3人の視線が集中する。
「どしたの、美咲?」
「みんなわらってる〜!みさきも!」
美咲は助走をつけ、ピョンと勢いよく湊の身体に飛び乗った。
「ぐえっ!」
倒れ込んだ湊の上で、美咲は床と変わらないかのようにごろんと寝転がる。
「おねいちゃん!みさきも〜!」
「ちょっと、あんた引っ掻いちゃうから危ないわよ!」
美咲は湊の身体に乗ったまま、室長の膝に顔を埋める。
「みさきも〜!」
「何、あんたも引っ張ってほしいの?さすがにそれはできないわよ」
室長が爪を当てないように耳をつまむと、美咲は嬉しそうに脚をパタパタさせる。小さな足の甲が、湊の鼻っ面を蹴っている。
「うぐっ!美咲っ、やめて!明石さん助けて!」
戯れる3人を見ていると、明石の脳裏には異動したての日々がよぎる。
(あの頃より職員の人数は減ったが、室長とは苦労を分かち合えるようになり、美咲嬢とは打ち解けて、話し相手の湊くんもいる。自分はもう孤独ではないんだ)
明石は目を閉じ、胸中の温かさをじんわりと噛み締めるのだった。
「うぅっ、美咲が重い!明石さーん!助けて下さーい!……ん?何で目ぇ閉じてるんですか!明石さーん!!」
読んで頂きありがとうございます!
至らぬ点があればすみません。
完結まで頑張ります!




