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【1話】初めての任務

神木の加護を受ける街・煌都(こうと)


新入生・(みなと)陽輝(はるき)は、夜間のバイトに励み、授業を堂々とサボる日々を送っていた。


ある時、湊は迷子の女児・美咲(みさき)と出会う。


※小説家になろう・note・Nolaノベルにて同日投稿中

※残酷な描写として、殴る蹴る・鼻血が出る程度です。

日向ぼっこにちょうどいい、桜の季節。

校舎から少し離れた中庭のベンチに、一人の男子訓練生が寝転がっていた。

日差しが柔らかく、身体がよく暖まる。


気持ちよく眠りに落ちようとしていた時、男性教官の声が聞こえてきた。

「おーい!おーい!!」


「はぁ……うるさ……」


「聞こえてるんだろ〜?(みなと)陽輝(はるき)〜!」


湊は顔をしかめ、怠そうに起き上がった。

「……なんだ、近衛(このえ)先生か」

「なんだじゃない。今は授業の真っ最中なんだぞ〜?」


近衛は湊の隣にドカッと腰を下ろした。

「湊、サボり魔にも程があるぞ。入学してから一日でもマトモに授業を受けた日があるのか?」


長身の学生は、黒髪をいじってそっぽを向く。

耳にはピアスの穴がいくつも開いている。


「南区の歓楽街で、お前の目撃情報があったぞ。ホストクラブの呼び込みをしてたらしいじゃないか」


湊は長い脚を投げ出し、ふてぶてしくため息をついた。

「寮生はバイト可ですよね。俺、なんか悪いことしてますか?」

「あのな、訓練生の本分は訓練だって決まってんだ。お前が故郷の養護施設に仕送りしたいのは知ってる。だが、これじゃあ施設の人だって悲しむぞ〜?」

「はぁ?」

湊は近衛をじろりと睨みつける。


「それに、ウチには奨学金制度がある。そこそこ頑張るだけでもそれなりの援助を受けられるんだぞ」

「先生、マジで言ってます?俺の頭じゃそこそこすら無理でしょ。それにあそこ時給いいんです。辞めるつもりないんで」


チャイムの音がして、校舎が騒がしくなる。

湊は立ち上がった。

「ん、どこに行くんだ?」

「教室。次は祈念の時間でしょ」

「おや、授業には出ないのに?信心深いやつだな〜?」

「ここであんたと話すよりマシなんで」

「へいへい、真面目にやるんだぞ〜」


手を振ってくる近衛をひと睨みしてから、湊は校舎へ向かった。


***


特例都・煌都(こうと)

神木の加護を受けた都。現代社会の特異点。


都外の人間は口を揃えてこう言う。

神木だの加護だの、非科学的だ。

1本の木を神として崇めるなど馬鹿らしい。


多くの研究機関が煌都に参入しているが、神木と加護の実態は今日に至るまで解明されていない。

しかしその恩恵は確かに存在し、煌都は神木の恵みにより発展してきた。


だが、神木の輝かしさに目が眩み、悪用を企む影も無数に潜んでいる。

煌都の安寧を保つ警護隊は、その身に受けた加護を最大限に引き出せるよう訓練し、その闇に立ち向かう。

そして警護隊の新入生は、訓練校にて養成訓練を受け、一人前の隊員になるのだ。


訓練!勉強!たまに青春!

……という日々が待っていたはずなのだが、この不良男子・湊陽輝にそんな物語は幕を開けない。

彼は稼ぎのいい夜間のバイトに手を出し、授業時間は昼寝の場所を探して学校の敷地をほっつき歩く、お尋ね者の新入生だった。


***


神木に祈りを捧げる慣習は、煌都のどこにでも根付いている。警護隊の訓練校も例外ではない。


訓練校では、授業の一環として祈念が組み込まれている。昼休憩前に各ホームルーム教室で教典を読み、神木に感謝や願いを届けるのだ。


初老の女性教官が、教典を片手に教壇に立つ。

「さあ、教典の187ページ。偉大なる神木の壮麗な煌めきは、この地で多くの奇跡を起こしました。今日はその一節を読み解き、祈りを捧げましょう」


「その昔、不作に悩む東の地ありけり。神木の御使(みつかい)、飢うる民に心を痛めたりき――」


(ああ、神木が光ったら土壌の質が変わって飢饉を救ったとかいうトンデモ話か。下らねえ……)


湊の育った養護施設でも、毎日祈念の時間を設けてあった。

何でも出資者が信心深いだとかで、施設の大人たちも皆、神木を強く神聖視していた。

幼い頃より食事の前に教典の一節を聞かされ、大きくなると下の子どもたちに読み聞かせる側に回された。


長年教典に触れていたせいで、その内容はすっかり覚えてしまった。

しかし、ついぞ湊に神木を崇める心は育たなかった。


(よく飽きないよな。神木ったって、要はただの木でしょ)


湊は頬杖をついて、周りの生徒を眺める。

祈る習慣はあれど、都民の信仰心の個人差は大きい。

前方の席を見ると、既に何人かはうとうとしているようで、身体が船を漕いでいる。

その一方で、手を組んで真面目に聞いている学生もいる。


湊は深く座り直し、目を閉じた。

いくら祈ろうとも、木は授業料や生活費を恵んでくれない。

夜のバイトのために仮眠を取る方がよっぽど生産的だ。


「――こうして神木の輝きに照らされ、東の地は救われました。これが現在私たちが住む照東(しょうとう)の地名の由来とされているのです。この逸話から、神木は煌都の照東郡におわすと考えられており――ちょっと!そこ、起きなさい!」


「ん……」

うたた寝から覚めた湊の目の前に、教官が立っている。


「祈念の時間に居眠りとは!神木への冒涜ですよ!」

「そう?一人寝ようが神木は気にしないでしょ」

「まあ!何です、その態度は!?反省として、起立して音読なさい!さあ、教典の213ページ!」


湊は教典を一瞬だけめくり、怠そうに立ち上がった。


「――御使、恵みの光にいと喜びて、神木に斯く願い奉りき。我が主よ、これよりも飢饉に陥らば、救いの光を賜わんや」


教官は呆気にとられた顔をする。

「えっ?あなた、何――」

「民が我への信心を失わぬ極み、我が光の消ゆることはあらず。さる答えを給うれば、御使、民に信心を忘れぬよう言いつけき」


周りの生徒がざわつく。

「あの人、何か見ながら言ってる?」

「いや、そうは見えないけど……」

「えっ、覚えてるってこと?まさか全部!?」


(雰囲気で覚えてるだけ。本当に合ってるかは知らない)

心の中でだけ答え、湊は最後まで続けた。


「斯くし、東の地、めでたき光に照らされ、信心いと溢るるかたとなりけり――どう、合ってる?」


教官は口をぽかんと開けたままだ。

代わりに真面目そうな眼鏡の学生が教典をめくり、大きくうんうんと頷いている。


「ほら、分かったでしょ。教典を覚えるくらい読んだ奴だって、神木を信じる心は育たないの。時間の無駄」


教官は口をぱくぱくさせていたが、ようやく言葉を絞り出した。

「なっ……あっ……あなた、何なのっ!?あのねぇ、成績には、祈念の時間の態度も加味されるのよ!?」

「あっそう。婆さんの好きにすれば。成績とかどうでもいいし」

「ば、ばっ、婆さんですってぇー!?」


金切り声を上げる教官を無視して、湊は教室を出て行った。


(教官ってのはどいつもこいつもうるさいな。寮に戻って寝るか)


***


湊は誰もいない寮に戻った。

ずっと寮で寝ていると、寮監にバレてしまう。

今日はいい天気だし、ひと眠りしたらまた日向ぼっこに出よう。


カーテンを閉めようと窓辺に向かうと、遠くに小さな人影が見えた。


「ん?……子ども?」


3、4歳くらいの小さな女の子が、一人で歩いている。

寮門の近くをうろうろしているが、すぐ側を車が通っていく。轢かれそうで、見ていて危なっかしい。

昼寝をする前に、幼児の様子を見に行くことにした。


***


湊が門まで向かうと、幼児は同じところをふらふらと歩いていた。

栗色のふわふわした柔らかそうな髪を三つ編みにしている。いかにも良家の子女が着るようなフリルのワンピースを纏い、小綺麗なポシェットを提げている。


「ね、何してんの」

「ひゃあっ!」


幼児は驚いてこちらを見上げる。

しゃがんで目線の高さを合わせた。


「何でこんなとこにいるの?危ないよ」

「ん……」


俯いて小さく唸ったきり、何も答えない。

しばらく待った後、聞き方を変えてみる。


「どっか行きたいとこがあるの?」

「ん……」

「どこに行きたいの?」

「……お、おにいちゃんっ……」

「お兄ちゃん?お兄ちゃん探してんの?」


幼児はこくりと頷く。

「お名前は?」

「……みさき」

「みさき、ね。みさきのお兄ちゃんのお名前は?」

「んー……おにいちゃん」

「あぁー、そっか……じゃあさ、お兄ちゃんってどんな人?」

「うーんとね、おにいちゃんねぇ、だいすき」

「あとは?」

「あとね、だっこする」

「うん、あとは?」

「あとね、ねんねして、ちゅーする」

「うん、そっかぁ……」


少しでも兄の手がかりを得ようと思ったのだが、兄妹仲の良さが分かっただけだった。

この調子では有効な情報を聞き出せそうにない。

しかし、だんだんと受け答えをしてくれるようになってきた。


湊はみさきのポシェットに目を留める。

「それ、何が入ってんの?連絡先とかない?」


ポシェットを指差すと、みさきは首を傾げていたが、やがて閃いたようにポシェットを探り始めた。

何かを取り出し、こちらに差し出す。

「ん!」


くちゃくちゃに丸められた、チョコレートの包み紙だ。


(え、ゴミ?)


しかし美咲は何やら期待する目でこちらを見ている。

「いや……うん、ありがと」

「ん!」


みさきは満足げに大きく頷いた。

リアクションとして正解だったらしいが、こちらが求める手がかりではない。


「ねぇ、ちょっとそれ見せてくんない」

ポシェットに手を伸ばすと、美咲はポシェットを両手で握りしめてパッと後ずさる。


「わっ、急に動かないで。車が来たら危ないよ」

「だめっ、いっこだけっ」

「いや、俺も要らないから。お兄ちゃん、俺が探してあげる。お兄ちゃんのいる場所、分かる?」


みさきは下がり気味の眉をさらに下げる。

すごく悲しそうだ。

「おにいちゃん、がっこう……」

「学校?」


みさきは学校にいる兄を探しているらしい。

(この子の兄貴って何歳だ?年が離れてるなら、訓練生としてここにいるのか?)


「とりあえず校舎に行ってみるか。みさき、いい?うろついてても危ないから、中に入ろう」


湊が校舎を指し示すと、みさきは頷いて湊の手を握りに来た。


(おいおい、こんなに素直だと危ないんじゃないか?いつか誘拐されそうだな)


だが、言うことを聞いてくれるのは助かる。

湊はみさきと手を繋いで校舎に向かった。


***


校舎の玄関や廊下には誰もおらず、静まり返っている。

祈念の時間はまだ続いているので、生徒も教官も教室内にいるのだろう。


玄関の掲示板を見て、みさきが声を上げた。

「あっ!おにいちゃん!」

「ん?」

「おにいちゃぁん!」


みさきは掲示板に駆け寄り、下の方に貼られた紙を引っ張る。


「待って待って、破けちゃうよ」


画鋲を外し、みさきに見せる。

今年度の生徒会メンバーの紹介のようだ。


「この人がお兄ちゃん?」

「うんっ」


集合写真の中央にいる小柄な青年。

みさきと同じ栗色の髪だ。

紹介を見るに、生徒会長をやっているらしい。

会長が何をするのか知らないが、きっと学生の中で偉い立場なのだろう。


「えっと、名前は……猪狩(いかり)成海(なるみ)っていうんだ」

「うんっ」

「じゃあみさきは?猪狩みさき?」

「うん、いかりみさき」

「ふーん……猪狩ってあの猪狩家?」


みさきは首を傾げた。

「分かんないよな。まあいいや」


この煌都を牛耳る、三閥(さんばつ)と呼ばれる三つの名家がある。

そのうちの一つが猪狩家だ。


この子のお嬢様らしい服装を考えれば、この兄妹は三閥の猪狩家に属している可能性が高い。


(大丈夫かな、俺……お嬢様を誘拐したとか言われないよな?)


あまり連れ歩いていると本当に誘拐になってしまうかもしれない。

一刻も早く兄の元へ送り届けた方がいいだろう。


湊は掲示物を画鋲で留め直した。

「行こう。会長ってことは3年でしょ?」


みさきと手を繋ぎ、廊下を歩く。

「いい?お兄ちゃん探すから、静かにね」

唇の前に人差し指を当てて見せると、みさきはこくりと頷いた。


***


祈念の時間に探せるなんてラッキーだ。

この学校は選択授業での教室移動が多いらしいが、祈念だけは必ずホームルーム教室で行われる。

3年生に会いたいなら3年の教室に行けばいい。

他の時間では困難を極めていただろう。


湊はみさきを連れ、最初の3年の教室に着いた。

扉の小窓からそっと中の様子を伺う。

みさきと同じ栗色の髪は見つからない。


「お兄ちゃんいないや」

「おにいちゃん!?」


みさきが嬉しそうに声を上げるので、慌てて口を塞ぐ。

「しっ!静かに!ここはお兄ちゃんいない。次行こう」


みさきと手を繋いで、次の教室へと向かう。

みさきは小さいので、普通に歩いても教室の窓からは見えない。湊だけ屈んで、慎重に進んでいく。


みさきは四つん這いになる湊を見て首を傾げた。

「はいはいするのぉ?なんで?」

「しっ!」


今度は耳にこそこそと問いかけてくる。

「はいはいする?」

「みさきはしなくていい。みんなから隠れてるの」

「なんで〜?」

「見つかったら学校の人に捕まっちゃう。お兄ちゃん探せなくなるよ。だから静かに、こっそりね」


みさきは黙ってこくりと頷いた。


***


次の教室にも、兄らしき人物は見えなかった。


「ここにもいないね」

「むぅ……」


みさきは悲しそうに唸る。


「ほら、次に行こう。こっそりね」


***


次が最後の3年の教室だ。

小窓から覗くと、みさきと同じ栗色の髪が見えた。

後ろからなので、顔はよく見えない。


「お、いたかも」

「おにいちゃん?」

「うん。でもまだお勉強中だから、合ってるか確認するだけね。いい?」

「うんっ」


湊はみさきを抱え上げ、窓に近づける。

「どう?お兄ちゃんで合ってる?」

「……わあっ!おにいちゃんだ!」


みさきはいきなり手足をバタつかせて大声を出す。

「おにいちゃぁ〜ん!!」

「あっ、こらっ!」


みさきは湊の腕からピョンと抜け出し、教室の引き戸をガラガラと動かした。

「おにいちゃ〜ん!」

「ちょっと、みさきっ!」


湊は腕を掴んで引き止めようとしたが、みさきはパタパタと教室に駆け入り、兄の膝に飛びついた。

湊もみさきを追いかけた勢いで、教室に足を踏み入れてしまった。


教室が騒然とする。

「えっ、猪狩くんの妹さん!?似てる〜!」

「わぁー、ちっちゃくてかわいい〜!」


兄は困惑した顔で妹を抱え、オロオロしている。

「美咲、どうしてここに!?」


(兄貴に経緯を説明しないと……じゃなくて、まずは逃げるのが先だろ!バレたら面倒なことになる!)


湊はこっそり教室から出ようとしたが、祈念の時間を担当していた教官が出口を塞いでいた。


「下級生、これはどういうことだ?お前が連れてきたのか?」

「いや、俺は」

「話は教員室でしてもらう。猪狩と共に教員室へ行きなさい。ほら、静粛に!他の者は祈りを続けるぞ!」


兄は申し訳なさそうに縮こまり、出口へやって来た。

「すみません、先生、失礼します」


***


兄と湊はひとまず教室を離れ、廊下を歩いた。


「ほら美咲、自分で歩いて」

「や〜っ!おにいちゃんっ!」


美咲は下ろそうとする兄に無理矢理縋り付く。

「もう、美咲……」

兄はため息をつき、美咲を抱き直した。


「君、1年?巻き込んでしまってすまないね」

「1年の湊です。その子が寮門のところにいて、お兄ちゃんを探してるって」

「そうだったのか。湊くん、保護してくれてありがとう。僕は3年の猪狩成海だ。この子は妹の美咲」


美咲は成海に名前を呼ばれると、嬉しそうに足をパタパタさせた。


「お兄さん。美咲はどうして外にいたんですか?」

「成海でいいよ。おそらく僕と離れるのが嫌で、勝手に抜け出して来たんだろう。美咲、そんなに嫌だったの?」


美咲は首をブンブン振る。

「やっ!やだもんっ!」

「はぁ……行く時も妙にぐずっていたから、嫌な予感がしてたんだ」


成海は困り顔で美咲を見つめる。

美咲の眉が下がった顔にそっくりだ。


「美咲、いい子にしてるって約束しただろう?」

美咲は聞こえないふりをしてそっぽを向いた。

自分が悪いことをした自覚はあるようだ。


「成海さん。美咲はどこから脱走したんですか?」

「うん……ちょっとね」

成海は浮かない顔で言葉を濁す。

そんなに答えにくいことを尋ねただろうか。

家か託児所の類だと思っていたのだが。


不思議に思っていると、教員室に着いた。

教員室の隣の面談室が開いている。

成海の教室にいた教官が連絡したのか、すでに部屋を用意されているようだった。


湊が面談室を覗くと、近衛が対応に出てきた。


「はぁー、また近衛先生か」

「それはこっちのセリフだよ、このサボり魔め!」


***


教官・近衛に従い、3人は面談室に入った。


「なになに、湊がちびっ子を連れて来たって?授業には出られないのに子守りはできるんだな〜」

「それとこれとは関係ないでしょ。子どもが一人でいたら様子くらい見に行くってば」

「そこで誰かに相談すりゃいいのに、お前はなぁ」


成海が困ったように割って入る。

「先生、湊くんを責めないで下さい。悪いのは妹と僕なんですから」

「いや、猪狩は悪くないだろう。先方に連絡を取ったら、機材の搬入に紛れて脱走したんじゃないかってね。急に姿が見えなくなって大騒ぎだったとさ。お嬢ちゃん、おてんばさんだなぁ!」


成海は美咲を膝に乗せてソファに座った。

美咲は成海に頬擦りして甘えている。


「先生、妹はどうしましょう」

「向こうは業者の対応で手が離せないらしい。確か、今日は昼に生徒会の集まりがあったよな?オレが連れて行ってやろうか?」

「申し訳ないですけど、それが一番助かります」


話が分かったのか、美咲の目がキッと吊り上がる。

「やっ!おにいちゃん!いっちゃだめっ!」

「美咲、わがまま言わないで。兄ちゃん学校があるから。もう何回も休ませてもらってるし、これ以上は無理だよ」

「おにいちゃん!おにいちゃんといっしょがいい!」

「だめだよ、学校が終わってからね」

「やーだ!おにいちゃん!おにいちゃんがいーい!」


美咲は成海に抱きついて足をバタつかせる。

成海は弱った顔でため息をつき、美咲の背中を摩った。

成海の目の下にはクマができているが、色素の薄い肌によって余計に痛々しく目立っている。

この様子だと、普段から美咲に振り回されている心労によるものだろう。


近衛が美咲に近寄る。

「お嬢ちゃん、おっちゃんと帰ろっか!向こうでいい子してよう!な!」

「やっ!おにいちゃんっ!」

「うーん、そうなるよなぁ〜」


成海はため息をついて、疲れた声を絞り出す。

「はぁ……美咲、お願いだから、言うこと聞いて」


美咲は首を激しく横に振る。

「やっ!いかないっ!いかないもんっ!」

「頼むから、わがままばっかり言わないでよ」

「やだっ!やだやだーっ!!」


美咲は成海の膝に乗ったまま、火がついたように激しく暴れ始めた。

狭い部屋に甲高い喚き声がギャンギャンと響く。


「もう、美咲……!」


成海は暴れる美咲を押さえようとするが、腕を蹴飛ばされて掴めていない。と言うより、あまり美咲を止める気がなさそうに見える。

もっと身体全体で押さえ込めばいいのに、声にも動きにもやる気が感じられない。

早く止めてくれないと鼓膜が破けそうだ。


「お嬢ちゃーん、落ち着いて〜!ほら、おっちゃんが抱っこしたげようか〜」

近衛が美咲を抱えようとすると、美咲は近衛の腕にガブリと噛みついた。

「いででで!!」

「あぁっ!美咲っ、やめなさい!」

さすがに成海も語気を強める。


すると、美咲は一転して悲愴感たっぷりに泣き声を上げ始めた。

「うあぁ〜ん!おにいちゃん、きらわないでぇ〜!」

「うっ……ごめんね、美咲」


湊は目を剥いて成海を凝視した。


(はぁ!?何でそこで謝るわけ?)


「おにいちゃぁ〜ん!きらわないでよぉ〜!」

「よしよし、大丈夫、兄ちゃんは嫌ってなんかいないよ、ごめんね」


見ていてだいたい分かった。

この兄は妹の躾に疲弊して、叱ることを諦めているのだ。

人に迷惑をかけてしまうとさすがに怒ってみせるが、心のどこかで妹を強く叱るのはかわいそうだと思っている。

美咲もそれを分かっていて、怒られたらわざと兄の罪悪感につけこんで泣いているのだ。


「お嬢ちゃ〜ん、おっちゃんこれくらい大丈夫だから、泣かないでよ〜」

近衛も美咲に泣かれてタジタジのようだ。


(はぁ、どいつもこいつも……)


湊は近衛と美咲の間に割り込み、美咲の視界に入るように膝をついた。

美咲のほっぺたを両手で挟み、顔を無理矢理こちらに向ける。


「美咲、聞いて」


いきなり介入してきた湊に驚いたのか、美咲の泣き声が止まった。


「泣く前に、言うことあるでしょ」


美咲はむくれてそっぽを向いた。

湊は再びほっぺたを挟んで顔を戻す。


「こっち向きな。何がどんだけ嫌でも、噛んじゃだめ。分かるでしょ?」


美咲の両腕を取り、成海の膝から降り立たせる。


「ほら、このおっさんに謝りな!」


美咲は再びグスグスと泣き始めた。

「うぅん、きらわないでぇ」

「今は嫌いとかそういう話じゃないでしょ。俺が何で怒ってるか分かる?」


成海が弱々しく割って入る。

「湊くん、もういいよ。こんなに泣いちゃって、美咲がかわいそうだよ」

「はぁ?かわいそうだぁ?あんたがそんなだから俺が言ってんだけど!」


イラついた勢いで、下級生にあるまじき態度をとってしまった。

しかし自覚があったのか、成海は反論して来ずに黙り込んだ。


「いくら小さくてもかわいくても、暴れて許されて終わりになんないでしょ。ここで分からせないと、この子は将来ロクな大人になんないよ」


湊は美咲に向き直り、懇々と諭す。

「俺はね、美咲が嫌いだから怒ってんじゃないの。美咲が人に痛いことしたから怒ってんの。分かる?」


美咲の顔を近衛に向けさせる。

「ほら、おっさんの腕、美咲の歯型が付いてるでしょ」


近衛が空気を読んで、噛み跡を痛そうに撫でてみせる。

「……ぅぅ」

美咲は涙を溢しながら、小さく唸って俯いた。

「ほら、謝んなよ」

「んぐぅ……えぐっ……」

美咲は力なくしゃくりあげる。


「お兄ちゃんが許しても、俺は泣こうが喚こうが許さないから。ちゃんと謝んな!」


美咲はしばらくぐずっていたが、やがて小さく絞り出した。

「うぅっ……んぐっ……おじちゃん、ごめんなさぁい」


近衛はニッコリ笑って、美咲の頭をワシワシ撫でた。

「うんうん、いいんだよ。お嬢ちゃんはお利口さんだなぁ!」


湊はポケットからハンカチを取り出した。

「そう、それでいいの。ちゃんと謝れるじゃん」


美咲の背中を摩りながら、ハンカチで涙と鼻水を拭う。

「ほら、こっち向いて。泣くから汚い顔になってんじゃん」

「んっ」


美咲は口を固く結んでいるが、抵抗することなく拭かれるままになっている。


それを見ていた成海が、湊に向かって頭を下げた。

「すまない、湊くん……本当なら僕が美咲に言わなきゃいけないのに、僕はどうにも美咲を怒れなくって……」

「別に俺に謝らなくても。まあ、兄貴ならもっと強気になってもいいと思いますよ」


成海はしょぼくれた美咲の頭を撫でる。

「美咲が生まれてすぐ、両親が事故死してね。たった一人の家族だと思うと、大事にしてあげたくって……大事にするのと甘やかすのは違うって、頭では分かってるんだけどね」


やたら弱った顔だと思っていたが、この年で随分と苦労してきたようだ。


「……すいません、事情も知らずに」

「いいんだよ。そういう経緯から、ついつい美咲を甘やかしてしまうんだ。本当にこの子のためになるのは、君のように叱ってくれる人なのに」


様子を見ていた近衛が、パンッと手を叩いた。

「よーし、湊訓練生!指導教官の命の下、初任務を遂行せよ!」

「は?」

「お嬢ちゃんを送ってあげて、ついでに夕方までお守りをすること!」

「はぁ!?」

「お前どうせ授業行かないんだろ?ちびっ子の扱いが上手そうだし、また脱走しないようについててあげな!」

「嫌ですよ!勝手なこと言わないで下さい」

「お嬢ちゃんは脱走しない!あちらさんは業者の対応に集中できる!猪狩は授業に行ける!お前は授業に出なくていい!いいことばっかだろ!」

「いや、俺バイトあるし。仮眠とらないとキツいんで、寮に帰りますからね」


成海が思いついたように手を打つ。

「そうだ!先生、さっき任務と言いましたよね?任務なら給金が出るでしょう?」

「えっ?……あ、ああっ!もういい!上に掛け合ってやるよっ!」

「だそうだよ、湊くん!」


いつの間にか成海も近衛の提案に乗っかっている。

まあ、この兄は色々と苦労が重なっているようだし、少しは力になってあげたいが。


「はぁー……いくら出るんですか?その給金ってのは」

「君のバイト代より多いはずさ。僕もたまに任務を受けるんだけど、かなりの額が下りるんだよ」


近衛が言いにくそうに口を挟む。

「いやぁ猪狩、それはお前が隊員レベルの任務をこなしているからだ。ちびっ子のお守りが本当に任務として認められるかはまだ分からないんだぞ〜?」


湊は近衛を睨みつけた。

「はぁ?ちゃんと通して下さいよ」


「湊くん、僕からも先生方に口添えしておくから。給金が出るなら受けてくれるかい?」

「……やります、やればいいんでしょ」

成海は疲れた顔をホッと緩めた。

「ありがとう、湊くん。助かるよ」


「じゃ、猪狩は授業に戻れ。湊はお嬢ちゃんと出発するんだ。オレは先方に話を通しておくから」

「はいはい、今日のバイトはキャンセルしてあげますよ。その代わり、ちゃんと給金下さいね」

「全く、偉そうに……本来は授業に出る立場なんだぞ、お前は」


ぶつくさ言う近衛を無視して、湊は美咲の前にしゃがんだ。

「美咲、俺と行こっか」


美咲は黙って手を繋ぎに来た。

怒ったから嫌われただろうと思いきや、意外と切り替えられる子らしい。


「美咲は大丈夫そうだね。すまない湊くん、この礼は必ずするから。美咲、湊さんの言うこと、ちゃんと聞くんだよ」

美咲は黙って頷いた。


「じゃあ、行ってきます……って」

足を止めた湊に、近衛が呆れた声を出す。

「なんだ、まだ何かあるのか?給金はさすがに後払いだぞ」

「そうじゃなくて。俺、どこに行けばいいんですか?」

「あぁ、言い忘れてたか。神木の研究室だ」


「……はぁ?研究室?神木の?」


こんな小さな子どもが、どうして神木の研究室なんかに用があるのだろうか。

湊は困惑して美咲を見つめるのだった。

読んで頂きありがとうございます!

初投稿ゆえ、至らぬ点があればすみません。

完結まで頑張ります!

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