エリュシル
「しかし、ここまで本当に長かったですねえ」
「そうじゃのう。リオン殿も、大変なご苦労をなされた」
宿屋の一室で、ルネとマルスが話していた。ベッドの上では、リオンが眠っていた。穏やかに、寝息を立ててぐっすりと眠っている。
「見てくださいよ、あれ。まるで子どもじゃないですか」
ルネがリオンを指さした。リオンは、ダンナーが蘇らせた伝説の剣、エリュシルを鞘に収めて、それを抱きしめて眠っていた。まるで好きなおもちゃを取られないように、独り占めするようにしている。
「…この日に至るまで、本当に色々なことがあった。わしも、思いがけず、過去と向き合い清算する機会をいただけた。ありがたい話じゃて」
「…まあ、確かにそれはそうかもしれませんね。エリュシルが折れなければ、私もマルスおじいちゃんも、彼の仲間になってなかったでしょうから」
二人がリオンの仲間になったのは、アームルート王のずさんな計画の一端を担ってのことである。例え剣が無事に抜けていても、抜けていなくても、ルネとマルスが関わることはなかった。別の人員を、用意されて終わっていた。
剣が折れて崩れるというトラブルがあり、リオンへの期待と信頼が皆無になったことで、初めてルネとマルスに視線が向けられることになった。もしエリュシルにリオンが選ばれなければ、この旅はまったく違う内容になっていただろう。
「色々あったけれど、実はこれから始まりなんですよね。はあ、面倒くさいなあ…」
「まあまあ、そう言わないでルネちゃん。わしもまだまだ頑張るぞい!刀を手にする限り、剣士マルスは健在じゃからのう!」
「マルスおじいちゃんには期待していますけど、無理はしないでくださいね。…そういえば、ダンナーさんは大丈夫でしょうか?」
「今はセイコ殿がついておられる。任せておけば大丈夫じゃろう」
ダンナーは、全身全霊をかけて剣を作り上げた。そのせいで、体力の限界まで絞り切り、疲労困憊で倒れてしまった。
すぐさまオトットに現状が知らされたが、セイコには伝えるべきかどうか、リオンたちの間で意見が分かれた。しかし、セイコはどこからか自分で情報を聞きつけて、偉大な炉に彼女は現れた。
セイコは精魂尽き果てたダンナーを見ても、眉一つ動かさなかったが、彼の作り上げたエリュシルを見て、表情を変えた。
「これが…あの剣の本来の姿…。本当に、あいつが作り上げたんだね…」
「そうです。ダンナーさんが、俺たちの集めた素材で作ってくれたんです」
「こいつは…、他の誰にもできない、このゴウカバで、あいつしかできない仕事だ。私には到底、たどり着けない領域だ。…やっぱりすごいね、あんたは」
セイコはそう言うと、ダンナーの体をそっと支えて、力強く抱きかかえた。そしてリオンたちに背を向けたまま、言った。
「こいつのことは私に任せな。あんたたちは、あんたたちの旅を続けるんだ。心配いらない、もう私はダンナーのことを見捨てないよ。何があっても、だ」
こうしてダンナーは、セイコに連れられていった。見送るリオンたちは、言葉もなく、ただそのたくましい背中を見送った。
「セイコさん、またあのダメオヤジに泣かされなきゃいいけど…」
そうぽつりと呟いたルネの言葉に、マルスはすぐに反応ができなかった。中々今までの彼を見ていて、もう大丈夫だと太鼓判は押せない。
「だ、大丈夫じゃろ…。多分」
「そうですね、これ以上は私たちの心配することでもないでしょうし、セイコさんなら、どんな手段を用いても立ち直らせるでしょう」
「ど、どんな手段…」
ごくりとマルスは唾を飲み込んだ。どんな手段でも使うとルネが言うと、確かにそうだと思える、そしてどんなことが起きるだろうと想像すると、ぶるると身震いしてしまった。
「寒いですか?マルスおじいちゃん」
「いや、そ、そんなことないんじゃがのう…」
「それでも、風邪でも引いたら大変です。さ、リオンさんは大丈夫そうだし、私たちも早く寝ましょう」
ルネはマルスを連れて、リオンの部屋から出た。最後に一度だけルネは振り返り、ぐっすりと眠るリオンの姿を見た。そして安心したようにふっと頬を緩めると、扉を静かに閉めた。
夢を見ていた。それが夢だと分かる、不思議な夢だった。俺はそこで、出会ったことのある、誰かに出会っていた。それが誰だか、俺には分かる。
「君がエリュシルだね」
「そう、こうして会うのは、あなたが意識を失って以来かしら」
あの時は、ぼんやりとした人影だったが、今の姿は、黄金色の長い髪をなびかせた美しい女性の姿だった。日の光と見紛うような、美しさだった。
「ここは、どういう場所?」
「夢と現の境と言ったところかしら。どうしても、あなたともう一度お話したくて呼んだのよ」
夢と現の境、少しラオルと出会った場所に似ているだろうか、不思議さで言えば同じくらいだ。
「そうだ、あの時はありがとう」
「あの時?」
「ラオルと戦った時、最後の最後、俺の元に戻ってきてくれただろ?折角元の持ち主の所にいたのに、君は来てくれた」
「ああ、そうだったわね。うん、私は確かにラオルの剣だけど、あの時、あなたは言ったでしょ、私は勇者の剣だって。ラオルは勇者だけど、今はもういない、そうでしょう?」
そう俺に問うエリュシルは、寂し気な表情を隠そうとしなかった。俺は頷いて、その言葉に同意した。死者は、誰がどう足掻こうが帰ってこない。
「それに、私があなたを選んだのだから、ラオルがどう考えていようとも、本当は文句なんてつけられないはずなのに、まったく勝手な奴よね」
「それだけ沢山の思い出があったんだよ。君とラオルには、間違いなく強い絆があった」
「…うん。ラオルにどんな思惑があったとしても、もう一度、彼と一緒に戦えたのは楽しかった。それは確かに、嘘偽りない私の本当の気持ち」
エリュシルは、胸に手を当ててギュッと拳を握った。ラオルの仲間たちが、ラオルのために作った剣。照らす者の名に恥じない、彼の手にあったエリュシルの輝きは、間違いなくどんな暗い道でも明るく照らす、眩い光を放っていた。
「気になってたんだけど」
「なあに?」
「君が半壊してしまった原因が俺にあるって、ラオルから聞いたんだ。俺から流れ込む力が大きすぎたって。あれって、どういう意味なんだ?」
あの時も、自分の力が大きすぎると言われてもいまいちピンとこなかった。俺にはラオルのような特殊能力はない、あのとんでもない能力、疾風迅雷に耐えられるのに、俺から流れ込む精気と魔力にエリュシルが耐え切れないのは、どうにも納得がいかなかった。
「…もしかして、あなたには自覚がないの?」
「自覚?」
「あなたの持つ潜在能力、ラオルのような特異な体質に依存するものではない、純粋な力の結晶。リオン、あなたは生まれながら強者として生まれ、強者として育った。いわばそう、武の天才なのよ」
それからエリュシルはこう語った。精気と魔力が枯渇した状態で、まともに動けていた時点でおかしく、本来ならば暴走していた力に吸い殺されていても不思議ではなかったこと。
その状態のまま旅をして、魔物と戦って勝利し、力を奪われた状態で更に鍛錬を続けていたこと。生きていただけでも奇跡と言っていいこと。そこまで俺の弱体化は酷いものだったらしい。
「あなたには、誰にも負けない絶対的な天賦の才があった。今までも、私を手にしたものたちの中に、ラオルを凌ぐものは多くいたわ。だけど私はあくまでも勝利と希望の象徴、誰か一人の手に渡る意味も理由もなかった」
「確かに、ラオルの話を聞けば、それはそうだよな。じゃあどうして、自壊してまで俺のことを選んだんだ?」
共に在ろうとした答えを聞きに行く、俺はそうエリュシルに約束した。剣は修理され、今完全な状態に戻った。欠けていた記憶も、元に戻っているはずだ。
「…あなたのおかげで、私は元の姿に戻ることができた。いいえ、元の状態よりも更に強化された剣に打ち直された。ダンナーもまた、あなたとは違う天賦の才の持ち主ね。今の私は、はっきりと思い出すことができる」
エリュシルはそこで言葉を切って、一度視線を逸らすように俯いた。迷い、恐れだろうか、逡巡の後、もう一度真っすぐと俺のことを見据えて言った。
「私は長い時の中で、人々の願いと希望の力を多く受け取り続けてきた。そしていつしか、ある変化が起こった。私は剣に宿った微かな魂の欠片ではなく、剣を通じて平和や安寧を祈る人の意思と世界を繋ぐ、精霊に変わった。エリュシルという剣でありながらも、世界と繋がりを持つ、光の精霊となったの」
光の精霊。つまり、エアロンの推察は当たっていた。エリュシルは剣であり、精霊でもあったのだ。
「精霊である私は、世界と深く繋がっている。だから分かる、分かってしまったの。今この世界に、かつてないほどの危機が迫っている。ラオルと私が経験したような戦いよりも、遥かに恐ろしい闇が、暗い暗い地の底で蠢いている。それは決して解き放たれるべきものではないの。けれど、復活した当代の魔王には、それを解放する手段がある」
エリュシルの胸の前で握られた両手は、ふるふると小刻みに震えていた。明らかに恐怖の色が見て取れる。それも尋常ではない、恐怖だ。
「それは、魔物?」
「分からない。それが何なのか、誰にも分からないの。名前もない、破滅の化身。怪物と、ただそう呼ばれていた。例え魔王を倒せたとしても、この怪物が解き放たれれば世界が終わる。それを止めるために、私はあなたを選んだ。リオン、あなたなら、闇を斬り裂き世界を照らす光になれる、あなたはこの世界で、それができる唯一の可能性を秘めた存在」
「…エリュシルは、それを伝えるために、自壊する覚悟で俺の元に来たの?」
「そう。そしてあなたの力になるために。今の私なら、あなたの力を完全に引き出すことができる。リオン、私を使って、世界を救って」
エリュシルは、固く握りしめた手を解いて、俺の方に差し出した。俺がその手を取ると、光が彼女の体を覆い尽くし、ずしりとした重さが、光の中から現れた剣から伝わってきた。
蘇った伝説の剣、その剣に宿りし精霊、伝えられた世界の危機、それをもたらす怪物の存在。判明した事実は、手にかかる剣の重さより、もっと重大かつ壮大なものだった。
それでも、俺のやるべきことは変わらない。世界の危機を救うは勇者の役目、果たすべきことを果たす。ただそれだけだ。