それぞれの始まり
押し付けられた勇者の使命など忘れて、二人で生きてみないか。
ヴェーネのこの提案に、俺は少しだけ、答えに迷ってしまった。しばらく黙って見つめ合った後、俺は口を開いた。
「それも面白そうだな、案外いいかもしれない」
「っ!そうで―」
「でもダメだ、断る。俺は自分に課せられた勇者の使命を果たすつもりだし、それを手伝ってくれる仲間だっている。それに、ヴェーネも本気で俺が誘いに乗るとは、思ってなかっただろ?」
一瞬だけ嬉しそうに明るい顔をしたヴェーネだったが、すぐにスンッと冷めた表情に改めて、頬杖をついた。
「そりゃそうよね、あなたが乗ってくる訳ない。勇者である、あなたが」
「待て待て、何も理由はそれだけじゃないぞ」
「は?」
俺の言っていることの意味が分からないようで、ヴェーネは本気で不思議そうに首を傾げた。そんな彼女に俺は言った。
「俺とヴェーネが一緒に行けないもう一つの理由は、ヴェーネも俺と同じ勇者だからだ。持ってるだろ?公認勇者の証」
「いや、それは確かに持ってるけど…。これはただ、罪から逃れるのに便利だし、他の勇者からお金を巻き上げたり、特権が使えるからであって」
「別に本気で勇者活動をしようってものじゃない。そう言いたいんだろ?」
ヴェーネはこくりと頷いた。案の定ろくな使い方はしていないと分かったが、そこは話の本筋ではないので、今は見逃す。本当は駄目だけど。
「あのさヴェーネ、生き方が人それぞれ違うように、魔王を倒す道も、勇者によってそれぞれ違うと俺は思う。戦えないヴェーネに、無理して戦えとは言えない、だって戦闘する能力なんて皆無だろ?」
「必要なかったからね」
「死ぬ可能性の方が高い」
「当たり前でしょ、あなたや他の勇者と違って、訓練なんて何一つも受けてないもの」
その通りだと、うんうん頷いて肯定する。ヴェーネはますます意味が分からないように眉を顰めた。
「ヴェーネ、何も魔物を倒すことだけが勇者の使命って訳じゃない。俺たちの本命は、魔王城を見つけ出して、魔王を倒すことだ。だから無理のない範囲で魔王城を探すだけなら、ヴェーネにもできるんじゃないか?その仕事だって、立派に勇者の使命を果たすことになる」
その目的のために勇者の証を使うのなら、何の文句もない。勇者に与えられた特権は、その活動を円滑に行うためにあるものだし、誰かの手を借りる時だって、これは役に立つ代物だ。
「自分にできることをやればいいんだよ。どんな名目があったとしても、今はルミナークの勇者ヴェーネなんだろ?命がけでやれなんて言わない、やれると思ったことをやってみればいいさ」
「あたしの、やれること…」
戦えずとも、ヴェーネには、俺にできないことができる才能がある。だからその才能を、少しでも勇者の使命に向けてくれたら、ありがたいと思った。
確かに勇者は時には命がけで戦う必要があるけれど、皆が皆そうあるべきじゃないと、最近そう思えるようになった。これもまた、一つの可能性だと思う。ヴェーネの勇者としての可能性、それを発揮してもらいたかった。
「さてと、そろそろ出ようぜ。楽しかったよ、二人で過ごす時間、悪くなかった」
嘘偽りない、本当のことを言った。ヴェーネと一緒に過ごす時間、最初の内はどうなることかと思ったけれど、案外悪くなかった。いや、楽しかった。いい夜だったと感謝し、俺は財布を取り出して中身を見た。
「…あのう、ヴェーネさん」
「何?どうしたの?」
「割り勘でいいですよね?ここは」
呆れ顔で彼女から白い眼を向けられた。だって仕方ないじゃないか!財布の中身が、意外と減っていたんだから!ルネがいないから共通財産の中からも出せないし、ヤバい、詰んでる。
「ぷっ、あははっ!深刻な表情をして何を言い出すのかと思ったら、それ?あはははっ!」
「わ、笑うなよ!ないものはないんだから仕方ないだろ!」
「あー、可笑しい。いいわよ、ここはあたしが全部払うから」
「えっ!?あ、ええ?いいの?」
「そんなに確認しなくてもいいってば。ふふっ、本当に面白い人ね、リオン。楽しい時間をありがとう、これはそのお礼」
正直助かったと、思い切り胸をなでおろした。膝に手を置いて、頭を下げて大きく息をついていると、耳元でヴェーネがささやいた。
「リオン」
「ん?」
顔を上げた瞬間、頬に、柔らかなものが当たった感触がした。彼女の唇が、俺の頬に触れたのだと気づくのに、ずいぶん間をおいてから分かった。頬にキスされたと理解すると、俺の顔は耳まで真っ赤に染まった。
「本当に楽しかったわ。いつもは会いたくないって別れていたけど、嘘はやめましょう。あなたとは、またどこかで会いたいわ。またね、リオン」
固まる俺にそう告げて、彼女は去っていった。キスされた頬が熱い、俺は何も言えないまま、ただ彼女を見送ることしかできなかった。
ヴェーネとの語らいから時間が過ぎ、約束の二週間が経った。俺はあのキスが忘れられなくて、ひたすらに剣を振るっては、体力が即座に尽きて倒れるという、間抜けな毎日を過ごしていた。
どうしてかへとへとの状態の俺と合流したルネとマルスさんは、不可解な目で俺のことを見ていた。だが、何があったのかと、聞かれてもどう答えればいいのか分からない、だから俺は、目一杯元気なフリをしてみせた。するとますます怪訝な目を向けられた。
何とか気にしないようにふるまって偉大な炉へと向かう、ダンナーさんの様子は、一切見ることができなかった。大丈夫だろうか、少し不安だ。
偉大な炉は、ここに来た時と同じように真っ暗だった。明かりは一切ついておらず、とても静かだ。流石に来た時と同じ状況ではないだろうけど、不安がもっと強くなる。
扉を叩いても声をかけても、反応がない。合鍵を渡されていたので、今回はそれを使って中に入った。中はすんと静かで何の音もしない、嫌な予感がして急いで工房へ向かった。そこで目にしたものに、全員で驚きの声を上げた。
「ダ、ダンナーさんっ!?」
ダンナーさんが、倒れていた。あの恰幅のよかった体がすっかりとしぼみ、げっそりと頬がこけている。一瞬、本当にダンナーさんか?と誰だか分らなかった。俺は急いで駆け寄り助け起こすと、ぷるぷると小刻みに震えているが、息だけはしっかりしていた。
「だ、大丈夫なんですか、リオンさん!?」
「と、とりあえず息はある…けど…」
「ど、ど、どうすればいいのじゃ?」
三人でわたわたと慌てていると、腕に抱えているダンナーさんが、ぷるぷる小刻みに震えながら、小さな声で話しかけてきた。俺は急いで耳を近づけて、その話を聞き逃さないようにする。
「あ…あ…」
「ダンナーさん、無理してしゃべらなくても…」
「ち、ちが…ちがう、リ、リオン…」
ふるふると震える手を上げて、ダンナーさんは机の上を指さした。そこにあったものを見て、俺はまたしても心底驚いた。思わずダンナーさんを落としてしまいそうになるほどに。
ルネは黙って、すっと俺の隣にしゃがみこんでくれた。彼女にダンナーさんの身を任せ、俺はゆっくりと立ち上がる。そして、在りし日の姿と変わりない、いや、それよりも遥かに強大な力を感じる、その剣を手に取った。
じんわりと、剣を握る手から暖かな感覚が広がっていく、剣が馴染んでいる、そう直感した。俺はあの時のラオルの姿を思い出し、胸の前にエリュシルを構え、静かに目を閉じて意識を集中した。
失われていた力が、徐々に戻っていく、新たな力が、徐々に全身に馴染んでいく、エリュシルはまるで、元から自分の体の一部のようであり、剣との一体化、その言葉が一番この現象を表現できる。
「おお、おお…!これが、これがかの伝説の剣の本来の姿!美しい、とても美しいですじゃ…!」
「…ようやく復活ですか、まったく長かったですよ。ね、勇者リオンさん?」
剣を軽く振るってから、まっすぐに構え直す。体に力がみなぎり、たぎる。エリュシルと俺の心と体は、深く深く、強く強く、底の方で繋がった感覚が間違いなくある。
「ああ、完全復活だっ!!」
とうとう心の底からそう言える日が来た。ようやく俺は、勇者の名に恥じない、万全の力を発揮できる。エリュシルを鞘に収めてベルトに下げる、伝説の剣が今、とうとう現世に復活を遂げた。