リオンは何故折れないのか
またしてもこう思う、どうしてこんなことになった。どうやら俺とヴェーネは、よく分からないが、不思議な縁があるらしい、会いたくないと言って別れたのに、またしても出会って、こうして飯の席を共にしている。
机にずらりと並べられた料理、ヴェーネはそれに手を伸ばしパクパクと美味しそうに食べているけれど、俺の手は中々伸びない。彼女は少し、むっとした表情で言った。
「ちょっと、これじゃあたしが大食いみたいじゃん。リオンも食べてよ」
「ああ、ごめん。何か味がしなくて」
「何で?病気?どれも美味しいけど」
呑気に言いやがって、味がしないのはお前のせいだ!と言ってやりたいところだけど、わざわざ空気を悪くするのもなあ…。仕方ない、俺も渋々料理に手を伸ばし始めた。
どれもこれも肉料理だらけだ、焼き、煮込み、揚げ、柔らかくジューシーな肉汁を楽しめるもの、歯ごたえは強いけど噛めば噛むだけうま味が広がるもの、確かに美味い。あんまり集中できないけど。
「ね?美味しいでしょ?」
「うん、美味い。ちょっと野菜が足りないけど」
「外食でもバランス気にする方?」
「え?あー、そっか。悪い、俺こういうこと楽しむこと慣れてないんだ」
思い返すと、俺は勇者になりたくて訓練に勉強に、ずっとそっちに時間を割いていた。暇があれば剣を振り、また別の暇な時には本を開いてペンを握っていた。ダレイ、友人もいることはいたけど、遊んだことはない。
「誘われても、どうすればいいのかよく分かんなくて、何度か混ざってみたけど、つまんなそうな顔されて終わってたなあ…」
話すつもりはなかったが、何となく流れでヴェーネに過去のことを話してしまった。遊び慣れてない理由を語るのも、変な話だ。
しかし意外にも、ヴェーネはこの話に食いついてきた。どうして、どうしてと質問が続く、そしていよいよというように彼女はこう聞いてきた。
「ねえ、リオン。あなたはどうして、勇者になって、それを続けているの?」
その問いかけをしてきた時のヴェーネの顔は、真剣そのものだった。
「あたし、ずっと気になってた。リオンはガメルで、何がしたかったのかって。そりゃ、あたしの悪事を暴こうとしてたんだろうけどさ、でも、本当にそれだけ?」
「あれはヴェーネだけじゃなくて、国王の悪事も暴く必要があったからな」
「それはそうだけど、でもそれって勇者の仕事なの?いや、あたしが言うことじゃないのは分かってるわよ?でも、本質的にはやらなくてもいいこと、そうじゃない?」
そのことについては、ヴェーネの言っていることも分からなくはない。あれは本来、勇者ではなく、ガメルの警察組織か国民が解決することだ。俺の対応は、警告する程度にとどめておいた方が好ましいと思う。
俺はしばらく黙って考え込んだ。中々しっくりとくる答えが出てこない、何度も頭をひねってようやく出てきたのは、一言だけだった。
「見て見ぬふりはできなかった。結局、それに尽きるんじゃないか?」
「ふうん、勇者の矜持ってやつ?」
「いや、他の勇者が同じことをするかどうかは分からない。俺の自己満足だ」
俺一人ができることなんて、たかが知れている。そもそも誰か一人でパッと何もかも解決できてしまうのは、いいことだとは思えない。
そこに生きる人たちには、そこに生きる人たちのルールがあって、生活があって、誇りがある。俺がするのは、その手助けくらいでちょうどいいと、常々考えていた。
「それにしても、どうして勇者になったのか、か…」
「答えにくいことなら、無理には聞かないけど」
「いや、今更ヴェーネ相手に答えにくいも何もない。むしろ仲間の方が答えにくいよ。面白くないとは思うけど話そうかな、聞いてくれるか?」
ヴェーネはこくりと頷いた。やけに素直だなと、少し可笑しかった。
ミネルヴァ家の一族は、勇者ラオルの血を引くものたちであったが、その才覚は戦い向きとは口が裂けても言えなかった。彼の超人的な戦闘能力は、代を重ねるごとに弱まっていき、誰の子にも発現することはなかった。
しかし実は、それも当たり前の話だった。ラオルの実力は、彼だけが持つ特殊体質に由来しており、疾風迅雷という特殊能力と、エリュシルを作り上げた仲間たちの尽力によって、彼は無双の力を発揮することができた。
ラオル自身は、助けたい、守りたいという想いが人一倍強い、勇者に憧れた凡人だった。特殊能力こそあったけれど、ただそれだけの人だった。勇者には選ばれなかったけれど、人々に勇気を示した者であった。
だからミネルヴァ家にはラオルの優しき心は受け継がれても、武芸全般で大成できる傑物は現れなかった。憧憬する先祖ラオルと、並び立つものが一族から生まれることを強く望みながらも、その期待に応えられる者は現れなかった。
ただ一人、リオン・ミネルヴァだけが、勇者たりうる才覚の持ち主であった。他の誰よりも、戦いに優れている、それがリオンだった。
「とにかく誰にも負けなかったし、その実力に驕ることもなかった。鍛錬を続け、この時代に復活するかどうかも分からない、魔王復活に備え続けた。他にやりたいこともなかったし、強くなりたかった。ラオルに憧れてたのは本当のことだから」
公認勇者を目指し続ける自分に、悔いはなく、その日々に、一つの悪感情などない。そうあれと願われて、そうありたいと願ってきた。その後の剣が折れる展開は、流石に予測できなかったけど。
「勇者になれて、素直に嬉しかったよ。とうとう一族の悲願を達成したって、後は人々の希望を叶えるだけだって。実際は、折れた剣に四苦八苦してたんだけど、勇者にと望まれた願いを叶えた。それだけでも十分孝行者だと思わないか?」
ステーキを一切れ、口に入れて噛み締める。香ばしい肉の良い香りと、口中に広がる肉汁が、脳のうま味の鐘を頻りに鳴らしている。ああ、美味い。咀嚼した肉を飲み込むと、俺はもう一度口を開いた。
「一番勇者になってほしいと望まれていた。親族からも他の人々からも、俺なら間違いないと、魔王を打倒す勇者になれるって。最初は、ただそれに応えたかった。それが俺の始まりだ」
「…勇者にたる実力があって、そうあれと乞われて、それに応えるためだけに勇者になった。そういうこと?」
「そうだ。望まれたからなった。つまりはそういうことなんだよ」
テーブルに置かれたコップを持つと、中に入った水を、一気に喉の奥に流し込んだ。飲み込んで一息つくと、また話を続ける。
「でも俺は、勇者にしがみつくことはできても、自分が勇者に相応しいとは到底思えなかった。俺が一番、自分が勇者であるべきなのかと疑った。本当の俺はこんなにも薄っぺらな人間で、ちょっとだけお節介が好きな奴だ」
誰かのためになるようなことができるとは思えない、戦い方だって、別にかっこいいものではない。いかにして相手より先んじて殺めるか、それに終始している。
救いとは戦いに勝つことで、平和とは魔王を滅ぼすこと、それを躊躇なくやれる強いだけの人が、勇者と言えるのかずっと疑問だった。
だけど、今なら言える。ルネ、マルスさん、仲間と旅をして、色々な人と出会い、様々なことを学んできた今だからこそ、俺はこう言える。
「俺が勇者である意味は、誰よりも強い力で、何かに脅かされる人たちを守ることだと思う。そうして守っていく可能性が未来を紡いで、いつか俺を本物の勇者にしてくれるんだと思う。俺が勇者である意義を、一人でも信じてくれるなら、死ぬまで戦い続けてやろうって、今はそう思えるんだ」
疑いようもなく、俺は俺が勇者であるべきだと信じられる。ラオルの意思と、エリュシルを継ぎ、今一度闇を斬り払おうと決めた。誰かの進む道の、小さな明かりになれればいい、砂利を前に進めず困っている人がいたら、その砂利を退けてあげられるようになればいい。
「勇者になった動機は、あまり褒められたものじゃないけど、誰かの勇者でありたいと願える今の俺は、結構好きでいられる。だから俺は、それを続けていくんだ」
俺はヴェーネに、そう答えた。自分の考えをすっかり出し切ったので、気分爽快だ。聞いてくれる人がいるのも、中々いいものだなと、この食事の席を楽しみ始めていた。
何故か黙っている彼女の反応を待ちながら、料理に舌鼓を打っていると、ようやく口を開いてこう言った。
「リオン、あたしの話も、聞いてくれる?何のお返しにはならないけど、聞いてほしいの」
それはとても意外な提案だった。ヴェーネが自らの過去を話す。そんなこと、絶対にしない奴だと思っていた。少しだけ戸惑ったけれど、俺は頷いて、その提案に同意した。