合縁奇縁
翌日、ダンナーさんは俺たちに、心を入れ替えると言って頭を下げてきた。そんなことしなくてもいいのに、そう思ったが、ルネだけは彼の前に進み出て言った。
「信用できませんね。あなた、何度そう言う気ですか?」
「嬢ちゃんの言ってることは正しい、尤もだ。だが俺は、今回のことで完全に目が覚めた。信じられねえだろうが、信じてくれねえか?この通りだ」
ダンナーさんは何の躊躇もなく頭を下げる。その様子を見ていても、彼の本気具合は伝わってくる。
しかしルネの言うこともあながち間違っているとは言えない。まだまだ付き合いは浅いが、彼のダメなところを沢山見てきた。簡単には変われないと思っても仕方がない。しかし、それでもだ。
「なあルネ、信じてあげてもいいんじゃないか?」
「ああん?」
「怖い怖い、顔怖い」
この凄み、この迫力、会ったことはないけれど、マルスさんの師匠に匹敵するのではなかろうか。だが負けるものか、俺もぐいっとルネに顔を寄せた。
「確かにダンナーさんは、ダメなところ一杯あるよ。いや、むしろ今のところダメなところしかないよ」
「おいっ!」
「いや、いい仕事したこともあったよ?光の刃とかさ。でもそれを加味しても、差し引きダメオヤジだと俺も思うよ」
「てめっ、リオンっ!」
「でもさ!ルネだってこの旅で、できないことができるようになっただろ?エルフの里に戻って、錬金術の修行をしてさ、オリハルコンを精製できるようになっただろ!知恵の宝玉もだ!できるようになるんだよ!きっとさあ!」
比べようもないことだとは思う、全然境遇が違うし、凡そ説得力に欠けた物言いだとも思う。だけどここで、ダンナーさんの可能性を否定することは、もうどうにも変われないと、切り捨てることと同じじゃないか。
「もう一度、セイコさんとやり直せる日だって来るかもしれない。心を入れ替えても、全部が全部変わる訳じゃないと思うけど、信じてあげようよ」
「リオンさん…。まったく、甘いですよ、本当に。こうやって甘やかしてきたから、こんなダメオヤジになったのでは?」
「な、なんだとっ?」
ルネは言い返そうとするダンナーさんを、キッと睨みつけて黙らせた。しょぼんとする彼を見て、ルネは大きなため息をついた。
「とにかく、その酷い顔を何とかしましょう。ああ、美醜についてじゃないですよ」
「う、うるせえやい!」
「ほら、まずは腫れを冷やしますよ、こっちに来てください。そのあと、霊薬を調合してあげますから。リオンさんは、さっさとこの紙に書いた材料買ってきてください、走って行ってきてください、私の気が変わらないうちにですよ」
「分かった行ってくる!ありがとうルネ!」
まだまだ納得のいっていない表情ではあったが、何とか話を聞いてくれた。ルネから受け取ったメモ書きを持って、俺は店を飛び出す。一瞬のうちにどれだけ書き込んだのか、ものすごい量の素材が書かれていたが、文句も言わず俺はそれを買いに走った。
ダンナーさんは、ルネの霊薬による治療を受けた後、俺たち三人にこう告げた。
「剣を仕上げるために二週間はかかる。だが、きっちり二週間で仕上げてみせる。時間がかかると思うかもしれねえが、どうか堪えて待っていてほしい」
その旨を了承してからは、ダンナーさんはずっと工房にこもり切りになっていた。俺たちは、一歩も近づくことを許されず、とにかく待ち続ける他なかった。
本格的にエリュシルの修理に取り掛かることで、ぽっかりと時間が空いてしまった。その間、俺にできることはないし、ルネもマルスさんも暇になる。そこでルネから、こう提案をされた。
「私、マルスおじいちゃんを連れて一度パランジーの実家に帰ろうと思います。リオンさんも、来たかったら来ていいですよ」
魅力的な提案だったが、残念なことに、俺はヴェーネとの取り決めがある。エリュシルのことも気になるし、ゴウカバを離れる訳にはいかなかった。
「行きたいのはやまやまだけど、心配事もあるし、俺は残るよ」
「分かりました。じゃ、二週間後にまた」
何ともあっさりとした別れの挨拶だが、俺は慌ててルネを止めた。
「ちょい待ち、帰るのはいいけど、パランジーに行って帰るとなると、絶対二週間以上はかかるだろ」
里には険しい森の中を進んでいかなければならないし、二人の足では、どう考えても二週間では時間が足りない。魔物の被害が増えているという話を聞いたばかりだし、不安が残る。
戦力的に、この二人が魔物にやられることはないが、二人きりで大丈夫だろうか。特にルネのことをマルスさんが抑えておけるのか、甚だ疑問だ。
「何か失礼なことを考えていませんかリオンさん?」
「まさか、そんな。俺はただ純粋に時間の心配をしていてだね」
「それについてはご心配なく、ミシティックで、いくつか使えそうな魔法を覚えたって言ったでしょ?この魔法は、その中でもとびきり有用です」
そう言い終えると、ルネが魔法の詠唱を始めた。そして知恵の宝玉がきらりと光ると、一瞬にして、彼女の姿が俺の目の前から消えた。
ラオルの時とは違う、本当に存在そのものが、そこから消えてしまった。何が起こったのかとあたふたしていると、今度はルネが一瞬にして俺の目の前に現れた。
「うわあっ!!」
「ちょっと、失礼でしょ。そんな化け物を見たみたいなリアクション」
「いやいやいや、これを驚くなって方が無理だろ!今どこに行ってたんだ?」
俺がそう聞くと、ルネは自慢げに胸を張って、ふふんと鼻を鳴らした。どや顔が腹立たしい。
「実は今、実家に一度戻って帰ってきたところです」
「えっ、はっ?ええっ?」
「転移の魔法ですよ。本当は、色々と制約がある危険な魔法なんですけど、私にはこれがありますからね」
ルネはそう言って、耳飾りにしている知恵の宝玉を指でいじって見せた。転移魔法なんて、俺でも聞いたことのない魔法だ、エアロンの奴、ルネにどんな魔導書を読ませやがったんだ。
「え?そ、それ、どこでも好きに移動できるの?」
「流石にそこまで自由にはできませんけど、自分に所縁のある場所や、予め魔法陣を書き記しておいた場所などには、一瞬で飛ぶことができますよ」
相変わらずさらっととんでもないことを言いやがる。こんな魔法をリスクなしで簡単に行使できると知れたら、ルネは世界中から狙われるだろう。
しかしこれで、里帰りに時間がかからない理由は分かった。確かにこの転移魔法なら、二週間など制限にもならない。あの広い屋敷で、ゆったりくつろいで待つことができる。
「…ルネ、その魔法、絶対人に見られるような場所で使うなよ」
「どうしてですか?便利なのに」
「いや、他のどんな頼みも聞かなくていいから、これだけは聞き入れてくれ、頼む!」
頭を下げる俺を見て、ルネは困惑しながら首を傾げていたが、最後には真剣さが伝わったのか、彼女にしては珍しく素直に分かりましたと言ってくれた。
俺はパランジーに向かうルネとマルスさんのことを見送った後、ポツンと一人きりになってしまった。何だか無性に寂しくなって、これから一人でどうするかと、そんなことを考えながら、ふらふらとゴウカバの街に歩き出した。
本当は、観光なんてしている暇はないのだけど、がっつり空いてしまった時間を、どうにか埋めなければならない。依頼を受けるという手もあるのだが、弱体化しきっている今、一人で魔物に挑めば死ぬ可能性の方が高かった。
結局ゴウカバを自由に見て回るくらいしかできることがなくて、道行く人に話を聞きながら、美味しい料理を出す店があると教えてもらい、俺はそこに立ち寄ることに決めた。
さっきまで一人で寂しく思っていたのに、一人きりで美味いものを食べられると思うと、ちょっとワクワクし始めている自分がいる。一体どんなものが食べられるのだろうかと、期待に胸を膨らませて店の扉に手をかけると、同時に手を伸ばしてきた他の誰かの、柔らかな手に触れてしまった。
「あっ、ごめんなさい」
「いえ、こちらこそ…。ってあなたリオンじゃない、何してるの?」
タイミングが被ってしまったことを謝った相手は、まさかのヴェーネだった。俺は思わず「げっ」と声を上げてしまった。
「失礼ね。何よ、その反応は」
「ご、ごめん。また会うとは思わなかったから…」
「それはあたしも一緒よ。何?一人?他の二人はどうしたのよ」
「あー…、それはその、まあ、こっちにも色々あるんだよ、事情が」
ふーんと相槌を打つヴェーネは、じろじろと俺の顔を見た後、ニコッ笑顔を浮かべて言った。
「一人なら、一緒にご飯食べましょうよ。あたしも一人で寂しいと思ってたところだし」
「はあ!?」
「別に一緒にご飯食べるくらいいいでしょ。さっ、行きましょ」
彼女は強引に俺の腕を掴むと、ぐいぐいと引っ張られ、俺は店の中に連れ込まれた。折角一人でグルメを楽しむはずが、どうしてこんなことに、そんな悲哀に気分が沈むが、もう仕方がないと腹を決めて、この何度も続くヴェーネとの奇縁を、受け入れることにした。