抗えない取引
何の因果か、ガメルで王様相手にパパ活をしていたヴェーネと、お茶の席を共にする羽目になった。どうしてこんなことになったのか、いまだによく分からない。混乱する頭を鎮めるためにも、俺はお茶を口にした。
「気になったんだが」
「うん?」
「ダンナーさんは、どこまでお前に入れ込んでいたんだ?」
ヴェーネを見る目がだらしなくとろけ切っていたので、あまりいい予感はしないが、その入れ込み具合は相当なものだったと見える。
「そりゃもう、とことんずっぷりとね。ただ、正直ちょろ過ぎて不安になったわ」
「ちょろ過ぎ?」
「あのおじ様の所を訪れたのは、本当に偶然だったの、武具の修繕のために腕のいい職人がいないかって聞いた時に、紹介されたのが彼よ」
「武具の修繕だあ?」
とても信じられなくて思わず大声が出た。ヴェーネはそれに、ムッと表情を顰めて答えた。
「あたしのじゃないわよ、別の人のやつ。あたし、鎧も武器も全然使わないからまったく痛まないし、そもそもアクセサリーみたいなものだし」
「それを聞いて安心したよ。あの人あれでも凄腕の職人だから、戦いもしないお前の武具の修繕なんて仕事、侮辱にもほどがある」
「仕事に貴賤はないでしょ」
「その発言、お前が勇者じゃなかったら、同意してやったんだけどな」
仕事に貴賤がないことは同意するが、勇者として問題しかないヴェーネが言うのは筋違いだと思う。話を脱線させてしまった。俺は元の話の本筋に戻すために、話題を変える。
「で?ダンナーさんに仕事を依頼したと」
「そうよ。最初は別に依頼されたことだけ、やってもらえればいいと思ったんだけどね、あのおじ様、とにかく腕利きで、何を作らせても品質は最上級、これは売ればお金になると思って潜り込んだの」
「武具の目利きができるのか?」
「お金になりそうなものは何でも見分けられるわよ。人も、物も、ね」
つまり彼女は、ダンナーさんの鍛冶師の腕前に目をつけ、自分のために武具を作らせて、それを売っていたということか。そして物を独占するために、作り出す側のダンナーさんを抑えたのは、ずるいけど賢い。
「ダンナーさん、そんなに簡単に転んだの?」
「あのおじ様、全然駆け引きとか必要ないの。あたしがちょっと露出の多い恰好をしていると、目に見えて上機嫌になるし、嘘くさい誉め言葉にも、簡単に乗ってくれる。おだてるだけでお金が入ってくるから、こっちは楽で仕方なかったわ」
俺は頭を抱えた。あのダメオヤジ、完璧にカモにされてる。そして恐らく、本人は至って真剣に、自分をカモにしているこの女に入れ込んでいた。哀れ過ぎて言葉もない。
やっぱり誰か手綱を握っておいてくれる人がいないとダメだな。何としてでも、セイコさんとオトットさんにお詫びをして、もう一度信頼を取り戻させねばならない。いくらヴェーネが人心掌握術に長けているとはいえ、放っておけば、きっとまた同じことをやる。
「…哀れだな、ダンナーさん」
「あそこまで簡単に本気にする人は、中々いないわ。誰か側についていないと、あたしじゃなくても食い物にすると思うわよ」
「お前が言うな。って言いたいところだけど、そればっかりは同意見だよ」
ため息をついてお茶を一口飲む。入れ方が上手じゃないのか、あまり美味しくない。もう一度俺は、ため息をついた。
色仕掛けに浮かれて、すっかりカモられていたダンナーさんはさておき。そろそろ本題に入ろうと思った。こいつと長話をするつもりは毛頭ない。…ないのだが、彼女の目の前には、注文したケーキが運ばれてきた。
俺は咳払いをして空気を改める、ヴェーネはそんなことお構いなしに、クリームがたっぷり乗ったケーキに目を輝かせているが、俺もお構いなく切り出した。
「さて、お前の言う取引ってなんだ?俺が本当に、それに乗ってくると思ってるのか?」
「まず一ついい?」
「ん?」
「ヴェーネ。あたしはお前じゃなくて、ヴェーネよ。名前で呼んでくれないかしら、同業者の勇者リオンさん」
ふふんと得意げな表情をしながら、上目遣いでヴェーネはそう言った。わざわざ胸元の勇者の証をちらちらと見せつけ、立場は一緒だとアピールしてくる。腹立たしい。
「要求を呑むつもりはない」
「あっそ、じゃあいいわ。あたし、このケーキを食べ終えたら、あなたのこと告発して勇者から退いてもらうから。他の勇者と連名でね」
「ふんっ、どうとでも好きに…。あれ?ちょっと待って、ちょと待って。告発?今、告発って言った?」
不穏すぎる単語、そして、思い当たりすぎる嫌な予感。今までヴェーネがダンナーさんの元にいたのなら、知っているであろう俺の致命傷に、こいつが気づいていないわけがない。
「リオン、剣の修理はあなたにとっては急務だっただろうけど、素材集めの間、勇者としての活動を一切行っていないのは、いかがなものかしら。勇者の本分は、魔王城の発見と魔王討伐、そのために各地で依頼を解決しながら、調査を進めるのが使命よね?さあ、どれだけの情報があなたにあるのかしら?」
一瞬で全身に冷や汗をかいた。ヴェーネがケーキを切り分けるためにフォークを刺すごとに、傷口をぐちゃぐちゃと抉られているように感じて、俺はどんどん追い詰められていた。
「ちなみにあたしは、あれからちゃんとその活動を行ってるわよ。まあ手柄を譲ってもらっているだけだけど、相手は快く差し出してくれているから、問題ないわ。そして他の勇者とも親密に連絡を取り合っているから、関係性も深い。世界情勢にも詳しいわ。はい、リオン。あなたは今どれだけ魔王や魔物について知っているの?」
ごくりと生唾を飲み込む。ヴェーネ一人の告発では、何の力も持たない。だけど、絶対すでに何十人もの勇者と繋がりを持っているというのは、容易に想像がつく。
そして俺に活動実績がないのは、紛れもない事実だ。まったく言い訳の余地はない。活動していないのに勇者を名乗るのは不適格だと、そう判断される可能性は十分にあった。
覚悟を決めて、俺はまっすぐにヴェーネの目を見据えた。美味しそうにケーキを頬張る彼女に、断固とした態度で俺は言った。
「あれ?ヴェーネじゃん。うわ久しぶり、前はどこで会ったっけ?いやー最近どう?色々大変だよね、うんうん。ちょっと話を聞かせてよ」
リセット、俺の出した答えは、リセットだった。ダンナーさんのこと、さっきまでの事実を一旦リセットする。敗北を認めるわけではない、これはリセットだ、彼女とは、今ここで出会ったという事実に挿げ替える。
ちらちらとヴェーネの表情を窺う、彼女は俯いてぷるぷる震えていて、次には目に涙をしながら、大笑いをした。
「あはははっ!!まさかそうくるとは思わなかったわ!!やっぱり面白いわ、リオンって。ええ、お久しぶりね。広い世界で、またあなたに会えるとは思わなかったわ」
相手が俺の意図を汲んでくれたことが、嬉しくも情けない。そして、取引に応じざるをえない状況が、みじめで仕方なかった。困難ばっかか、俺は。
「はい、あーん」
ケーキを一口切り分けて、ヴェーネは俺に差し出した。口を開けろと、要求してくる。従わないと何を言われるか分からない。俺は黙って口を開けた。食べさせられたクリームの甘味が身に染みる。
「リオンはここであたしとお茶をする。そしてそのあとは、お互い手を振って、また会いましょうと言って別れる。いい?」
まだケーキが口の中に残っている。俺は黙って頷いた。
「もう一口食べる?」
今度は頭を振って拒否した。ヴェーネは楽しそうにけらけらと笑った。
「まあそんなに落ち込まないで、あたしの知ってる今の勇者事情を教えてあげる。自慢じゃないけど、あたしは事情通よ?聞きたいでしょ?勇者のこと」
「…聞きたいけど、どうして教えてくれるんだ?」
「あなたと話してると楽しいから。サービスしたくなっちゃって」
そう言ってヴェーネは、いたずらっぽく笑う。その笑顔は、憎たらしいほど可愛らしい。分かりたくはないが、彼女に惹かれる人がいる理由が分かる気がしてしまう。
「ヴェーネ、もういっこ聞いていいか?」
「なあに?」
「そのメダル、どうやって手に入れた?」
「リオンは、あたしが持つ唯一にして最強の武器を知ってるでしょ?」
俺が分かっていると分かっていて、ヴェーネは皆まで言わない。やっぱり何もかも見透かされているようで、腹立たしい。
「おねだり、か。ヴェーネらしい」
「やっぱりあたしたち、以心伝心ね」
ともすればヴェーネは、今まで出会ってきた誰よりも傑物かもしれない。彼女のおねだりは、ラオルの特殊能力より、よほど理解不能な技だ。
俺はお茶を飲み干すと、お代わりと、ヴェーネと同じケーキを注文した。甘い物を食べないとやっていられない、そんな時が俺にもある。