勇者問答
勇気とは何か、ラオルにそう問われた俺は、少し考え込んでから答えた。
「決して諦めない心だと、俺は思う」
「ふむ?」
「どれだけみじめに負けても、理不尽なことがあっても、諦めなければ道はいつか開ける。その積み重ねを勇気と呼ぶのだと、俺はそう思う」
俺の答えに、ラオルは少し頬を緩め笑みを浮かべた。そして、ぱちぱちと手を叩いた。
「いい答えだ。俺も戦い続ける中で、同じ答えに至った。決して諦めず、抗い続ける心が、勇気の本質だと、俺もそう思う。ただし、この想いを曲げずに抱き続けるのは苦難の道だぞ。リオン、お前にその覚悟はあるか?」
「ある」
「だろうな。あれだけぼっこぼこに痛めつけたのに、お前は何度でも立ち上がってきた。しかも、体力の限界だというのに、勝ち筋を最後まで探し続けていた。お前の勇気は、疑いようもないだろう」
伝説の勇者ラオルが、俺のことを認めてくれている。そう思うと、顔がカッと熱くなった。ずっと憧れの存在だった人から認められることが、こんなに嬉しいことだとは思わなかった。
「だが、勇気とは蛮勇を振るうことではないことは覚えておけ。意志を貫き通すことができるのも、命あってのこと。生き抜いてこそ、お前は勇気を示すことができる。それを忘れるな」
「はい」
俺の返事を聞いて、ラオルは満足そうに頷いた。そして、次の質問に移った。
「ではリオン、勇者とは何だ?」
その質問には、答えに詰まった。勇者とは何か、ラオルが問うているのは、以前ルネに説明したような制度のようなものではない。
どれだけ考えても、自分の中でしっくりとくる答えが出てこない。戦う力があるから勇者なのか?それは違う。では選ばれたから勇者なのか?それも違う。何をもって勇者とするのか、俺はそれをラオルに答えることができなかった。
「答えに迷うか?」
「…はい」
「そうか、では俺の答えを教えよう。勇者とは、守るべきものを守るものだ」
守るべきもの、俺はその言葉が胸にちくりと刺さった。一呼吸おいてから、ラオルに問うた。
「守るべきものとは何を指す?都合のいいことばかり言う衆愚もか?利己的な権力者もか?それとも数多の理不尽に押しつぶされる、力なき人々のことか?」
沢山嫌な思いをしてきた。勇者であることをやめるつもりはないが、守るべきものが何かと考えると、何も分からなくなった。
確かに世界には、守るべき人々が沢山いて、誰かが誰かの力を求めている。そのすべてに手を差し伸べたいと思っているけれど、誰にでもそうするべきなのかを、今の俺には断言ができなかった。
そんな俺の問いかけに、ラオルは答えた。
「お前がどんな苦労をしてこようとも、どれだけ傷ついていても、そんなものは誰も気にしないし、労わりもしない。困難にある世の中で、他の誰かのことを考えて行動ができる、そんな余裕のある人は、そう多くはない。期待する方が間違っている」
そんなこと分かっている、そう答えたかった。だけど、全然飲み込めなくて、俺はそう答えられなかった。
期待する方が間違っている。その通りだ。勇者は魔王を倒し、世界の平和を取り戻すもの、その役割を遂行することだけを、人々は期待している。
民衆は元より、その過程のことなど知ったことではない、魔王を倒すために勇者がいるのだから、それを期待するのは当たり前のことだ。
別に特別労わってほしい訳じゃない、気にかけてほしい訳じゃない、勇者として期待されることは嬉しいことだ。しかし、人の悪意を目の前にして、どうしようもなく虚しくなる時がある。
守るべきものを守るもの、ラオルのその答えに、俺は同意できなかった。それを感じ取ったのか、ラオルは俺に問いかけるのではなく、自分の話を続けた。
「いいかリオン、勇者が守るべきものとは、可能性だ。人々が、未来が、世界が持つ可能性を、勇者が守って明日の命に繋げなければならない」
「可能性?」
「そうだ。どんな時代にあっても、命の営みは可能性に満ちている。未来に善悪などない、命の先にあるものは、いつだって可能性だけだ。勇者は、その力で人々を守り、自らの勇気で、人々に示さなければならない。勇気は一人一人の中に確かにあって、誰もが勇者足りえる可能性があることを、誰よりも前を走って背中で示す。それが勇者だ」
「誰もが…、勇者足りえる可能性…」
そこで俺はようやく気が付いた。諦めそうになっていたのは自分だ。
確かに人の醜悪なところを見てきた。うんざりさせられるようなこともあった。だけどたったそれだけのことで、勇者が諦めるのか?その人たちが改心しないと、諦めて終わらせるのか?そうじゃない、そうじゃないだろ。
自ら理不尽に屈してどうする。可能性をつぶしてどうする。正しさを信じられないでどうするんだ。
「どうだ?少しは納得できたか?」
「そう…かも…。うん。納得できた。…気がする」
「まあ今はそれくらいでいいさ。でもな、お前を勇者だと認めるのは、お前じゃない。お前が守るべき人々だ。いつかお前の理想の勇者像も見つかるといいな」
ラオルから、肩を優しくポンと叩かれた。その瞬間、何か憑き物が落ちたように、体がとても軽くなった気がした。そしてぐっと涙がこみ上げてくるのを感じ、俺は泣かないように唇を噛み締めて我慢した。
「しっかし驚いたぜ。エリュシルが俺以外の誰かを選ぶとはな」
先ほどまでの真剣な表情とは打って変わって、一気に砕けた雰囲気に変わってラオルが言った。リオンはエリュシルに手をかけながら聞いた。
「エリュシルが俺を選んだの?」
「ああ、俺の手に戻ってきた時に全部分かった。エリュシルは、お前を認めて自ら封印を解こうとしたんだ。だけど俺たちが施した封印があまりに頑丈だったのと、お前から流れ込む力が大きすぎて、許容量を超えて自壊しちまったんだ」
「封印はまだ分かるけど、俺から流れ込む力って?」
どちらかというと、エリュシルを最初に手にした時に感じたのは、剣から流れ込んでくる絶大な力だった。それからは力を吸われ放題だったけれど、その時の経験とは違う気がする。
俺はそのことをラオルに伝えた。するとラオルは、エリュシルを指さして話始める。
「エリュシルは俺の仲間で鍛冶師だったドワーフのヤガタって奴が、俺のために打った剣だ。俺はさ、とにかく昔っから素早く動くことが得意だった。いや、得意じゃないな、そういう特殊能力を持ってたんだ、疾風迅雷という能力でな、本来体に蓄積されるはずの雷の魔力が、体に溶け込んで混ざり合ったことで変化した特殊体質だ。そのせいで、俺って魔法を一切使えないんだよ」
「えっ!?」
「言っとくがマジだぜ。俺との戦いを思い返してみろよ、魔法、一回も使ってないだろ?」
「えーっと…、そう言われてみると、確かにそうだったかも。てっきり手を抜かれてるのかと思ってた」
「バカだな、手ぇ抜いてたら俺はとっくに負けてたよ。それくらい、俺とお前の潜在能力には大きな差がある。だからエリュシルは、お前の力に耐え切れず壊れた。大体何だよ、あの手数と技の引き出しの多さは、もしかしてお前って、どんな武器も使えるの?」
俺が頷くとラオルは信じられない様子で「えぇ…」と呟いた。俺からしてみると、ラオルの人外じみた能力の方がおかしいと思う。これが隣の芝生は青いというやつか。
「まあそれはいいや。とにかく、この疾風迅雷って能力が厄介でな、雷の力が使えるのはいいんだが、それに体が耐えられる訳じゃない。俺の成長と共に能力が強くなっていくと、ちょっと動くだけで皮膚が破けてめくれたり、骨が拉げたり、とにかくまともに動くこともできなかったよ」
その状況はまるで、折れたエリュシルに力を吸い尽くされていた時の俺のようだった。いや、ラオルの方がもっと酷いものだが、まともに動けないというところは共通していた。
「だけど俺はどうしても戦う力が欲しかった。誰にもない特殊能力を持っているのに、それを生かせないことがもどかしくて仕方なかった。魔物による被害が増えるほど、その思いは強くなっていった。そんな時、手を差し伸べてくれたのが仲間たちだった」
「ラオルの仲間たち…」
「そうだ。ダリウスやヤガタ、他にもたくさんの人たちが知恵を出し合ってエリュシルは作られた。俺の持つ能力と、剣が同調して一体化することで、必要な能力は体に残し、負荷がかかり過ぎないよう、過剰な部分は剣が調節して俺に循環させる。これがエリュシルの設計思想だ」
その説明を聞いて、ようやくダンナーさんの考察が繋がった。剣の持つ本来の機能である同調は、元々ラオルが持つ特殊能力を制御するためのものであり、持ち主の精気や魔力を吸い上げるのは、彼のもつ有り余る力をコントロール可能な状態に調整する役割があった。
徹頭徹尾、ラオルのために作られた剣、それがエリュシルだ。ラオルが言っていることはもっともなもので、彼以外の使い手をエリュシルが選ぶということは、俺以上に彼が一番信じられないというのは、無理もない話だった。
「どうしてエリュシルがリオンを選んだのかは、俺にも分からない。ただ、共に戦ってきた仲間が選んだ道を、邪魔することは野暮ってもんだ。エリュシルは、お前に託すよ。これが正真正銘、本当の継承の儀式だ」
ラオルがそう言うと、俺の体が途端にズドンと重たくなった。久しぶりのこの感覚、俺は前のめりに倒れて、動けなくなる。
エリュシルが、壊れた姿に戻っていた。この精気と魔力が枯渇していく感覚、苦しくて死にそうだが、どこか懐かしくてほっとしてしまった。心の中で「おかえり」と呟く、すると心なしか、体がもっと重くなった気がした。
喜んでくれるのは嬉しいけど、吸い殺さないでくれよと、這いつくばる俺はそんなことを思っていた。