リオン対ラオル その2
「いやあ、強い強い。エリュシルのせいで弱体化しているのは分かっていたけど、それがなくなっただけで、ここまで人が変わるものかね」
戦いの最中ラオルがリオンに話しかけた。リオンは聞く耳を持たないつもりであったが、一度間を置きたい意図もあって応答することにした。
「まだまだ手はあるぞ」
「だろうな。こんなものじゃないってのは伝わってくる」
「じゃあ続けていいか?おしゃべりしに来たわけじゃない」
「まあ待てって、俺だって強いんだってところを見せたいんだよ、子孫相手だしさ、ちょっと張り切らせてもらおうかな」
場の空気がさっと冷たいものに変わった。ラオルは胸の前でエリュシルを構え、意識を集中させる。すると、エリュシルの刀身が鍔から徐々に光を放ち始め、やがてそれが刀身の隅々にまでに広がった。
それは輝かしい朝の日の出のようで、得も言われぬ荘厳な美しさだった。そこにいるのがリオンだけではなく、もっと多くの人々がいたのなら、そこにいるあらゆる人々が全員目を奪われていたであろう優美さであった。
光はやがて、日が落ちるかのように、刀身の先から鍔に向かって消えていく、しかしただ消えていく訳ではなかった。エリュシルから放たれた光はラオルの全身に溶けるように広がっていき、それが最後まで消えると、ラオルの体は心臓が脈打つようにドクンと大きく跳ねた。
ラオルは一度倒れ込みそうになるのを、足を前に出して踏ん張り、低い姿勢からゆっくりと状態を起こす。するとラオルの両目は、濃くて鮮やかな青色に変化し、炎のように揺らぐ淡い光をまとい、その中では時折バチバチと稲妻が走っていた。
変化はそれだけではない、ラオルと対峙するリオンは、いつの間にか呼吸が早くなり、息苦しさを感じていた。緊張の汗が額を伝って頬に流れた。
相手が死者だと分かっているのに、リオンには目の前にいるのが、今まで戦ってきた相手とは、生命の在り方の根本から違う存在に思えた。恐怖を感じさせるその圧力は、今までにない未知の生物との遭遇を思わせた。
「さあ、この俺を相手にしてどこまで戦えるかな。ここからは、一撃入れたらお前の勝ちってことにしてやるよ。精々死なないように頑張んな!」
目の前からラオルが消えた。次の瞬間、リオンはとっさの防御は間に合ったものの、体は大きく横に吹っ飛ばされていた。武器は壊れて、防具は凹んで歪んでいる、腕の骨は折れていた。
リオンは即座に、回復魔法で腕の治療を行った。十分に魔力があるのと、ミシティックの三賢人が一人、ディアから人体について詳しく習った経験もあり、腕は完璧に治癒された。
しかし壊れた武具が使い物にならない。武器は捨てて、防具は外した。腰に吊るしていた剣を抜き構えるが、いまだにラオルの姿が見当たらない。
「この場から消えた訳じゃない、攻撃される瞬間、気配にだけは反応はできた。魔法の類か?」
思考を巡らせる余裕はないのだが、無策でもいられない。リオンはとにかく、現状を把握することに努めた。しかし今度は、背後からかすかな気配がした。
振り向くのは間に合わない、リオンは左の肩当でラオルの攻撃を受け止めた。巨岩の落石を受け止めたかのような威力に左肩が外れるが、その一撃を防御することができた。
「おお、やるねえ」
振り向きざまに片手で剣を振りぬくが、当然ラオルには当たらない。しかし一間でも時間が稼げればいい、無理やり肩を入れてから回復魔法をかける、リオンはその時間が欲しかった。
「ははっ!無茶苦茶だなお前!」
「死人に言われたかねえよ!」
リオンは剣を振り回し、自棄に近い激しい攻撃を繰り出した。自棄に近くとも、その剣筋は鋭く確かなものであったが、ラオルは涼しい顔でそれをすべて捌き切る。
それどころか、リオンはじりじりと押し込まれていた。攻勢に出ているのは自分のはずなのに、足は徐々に下がっていく、ラオルとの初戦の際に感じた圧倒的な実力差が、またしてもリオンの前に立ちふさがるようであった。。
だが、力を取り戻したリオンは、先ほどまでの戦いで、自分とラオルとの実力に差がないのが分かっていた。むしろ総合的には自分の方が少し上であると、エリュシルに何かする前までは、一方的に押していた事実からもそう判断できた。
そしてこの攻防でも、考えなしに押し込まれていた訳ではなかった。リオンは猛攻の合間にある魔法を唱えていた。ある位置まで下がると、左手を突き出して準備していた魔法を放つ。
「フラッシュ!!」
一瞬だが強い閃光を放ち、目くらましに使うことができる魔法フラッシュ、それを十分引き付けた上で、目の前で放った。これでも一瞬しかラオルを足止めできなかったが、あるものを拾い上げるのには間に合った。
リオンが目指していたのは、道具袋から無造作に散らばらせた武具の場所だった。円形の盾を拾って装備すると、ラオルの斬撃を受け流す。そのまま反撃を試みるが、ラオルは後ろに大きく跳んで、距離を取った。
「なるほど、押してるつもりが誘い込まれていた訳か」
「視野を広く持てって教わったんだよ」
「優秀だな、本当に、お前って奴は優秀だよリオン。だから俺は悲しいぜ、これから徹底的にお前をぶっ壊して、心を折らないといけないんだからな。二度と舐めた口をきけないように」
「何だと…」
またしても、リオンの目の前からラオルが消えた。どこからくるかと身構えるリオンだったが、次の攻撃は、気配すら追うことができなかった。背中からバッサリと斬りつけられ、大量の血が飛び散る。激痛に顔が歪むが、リオンは即座に回復魔法を唱えた。
ラオルが行っていることは、至極単純なことで、消えたと錯覚させるほど、速く動いているだけだった。その速さはまるで雷のようで、生前のラオルが得意とする技だった。
その電光石火の斬撃を食らい、リオンは体中におびただしい傷を負った。辺りには多量の血が飛び散り、もはや立っているのがやっとの状態であった。
ただ素早いだけならば、例え見えなくとも、対処する方法はいくらでもあった。しかし、ラオルは突然最高速度で突っ込んできたかと思うと、急に減速をしてみせたり、時には大きく回り込んでみせたりと、動きに緩急と変化をつけていた。
そこにフェイントまで混ぜられると、どんな達人であっても対処することのできない絶対的な攻撃となる。加えてその攻撃の威力には、雷の如き速度が乗る、完全に防ぎきることも叶わなかった。
一方的な暴力にさらされ、リオンは深い傷を負い、何度も膝をついた。しかし、それでも回復しては立ち上がり、ラオルの動きを見極めようとした。もうとっくにダメージは許容範囲を超えていて、リオンの目の前はかすみ始め、しっかりと見えてはいなかった。
散々斬りつけ、殴り飛ばし、蹴り上げ、叩き落としても、リオンはなおも立ち上がってきた。すでに勝負はついており、今はもうラオルが嬲り殺しているようなものであった。
いい加減諦めるだろう、一撃加えるたびにラオルはそう考えた。しかし、半分意識のないような状態でも、リオンは立ち上がる。盾は割れて、剣は折れている、それでもリオンは立ち上がっては、折れた剣を構えた。
執念深いという言葉では片づけられない、ラオルの背筋が凍った。リオンは大量の切り傷から血を滴らせながら、うつろな目でまだ戦う気でいた。もう戦闘可能な状態にはないが、リオンの闘志は欠片も折れていなかった。
「お前正気か?どうしてここまでする?」
「ハァ…ハァ…、どうして?だと」
息も絶え絶えのリオンを攻撃する気になれず、ラオルは攻撃の手を止めた。話しかけるのも、憚られる思いだった。
「俺は俺の意思でエリュシルを渡す気は絶対にない。お前にも分かるだろ?」
口で答える代わりにリオンは頷いた。ここまでやられて、今更引くとは思っていなかった。勇者になった子孫の力を認めて、剣を譲ろうという思惑があるのなら、もっと早くにそうしているだろう。
ズタズタに斬りつけられて、リオンは血まみれだ。ここで「よくぞ試練を耐え抜いた」なんて展開になんてならないことは、とっくに分かっていた。
「じゃあエリュシルに拘るなよ。お前なら、どんな武器でも使えるからいいじゃねえかよ」
「…分かってるよ、そんなこと」
「ならどうして…」
「…散々、苦労させられたんだ。それを手にしてから、まともな旅なんてできなかった。苦しめられることばっかりで、みじめな思いだってした」
リオンはギリッと奥歯を噛み締めた。そして口の中の血を吐き出すのと同時に、言葉も思い切り吐き出した。
「でも!エリュシルを修理するために、仲間が力を貸してくれた!色々な人が、力を貸してくれた!ろくでもない旅の始まりだったけど、確かに多くの絆を結んでくれたんだ!!俺がエリュシルに相応しくないかは、お前じゃなくて俺が決める!!戻ってこいエリュシル!!お前は、勇者の剣だろう!!」
リオンは壊れた武具を投げ捨て、エリュシルに手を伸ばした。これ以上は付き合っていられない、ラオルはリオンの心を折ることを諦め、引導を渡すために剣を振りかぶった。そのままリオンの首筋めがけて、剣が振り下ろされる。
しかしその刃がリオンの首を刎ねることはなかった。振り下ろされる直前にラオルの手の中から消えたエリュシルは、いつの間にかリオンの手の中に渡っていた。
突然剣が消えたことに、状況判断が追い付かず虚をつかれたラオルは、この戦いで初めて、完全に無防備な隙を晒すことになった。剣が自分の手に戻ってきたリオンが、その隙を見逃すはずがない。
初めて手にした折れる前のエリュシルを構え、リオンはそれを思い切り振りぬいた。ラオルの体は両断され、驚きの表情を浮かべたまま光の粒となって消えた。
「勝った…」
土壇場でラオルに勝利を収めたリオンは、そのまま意識を失って血だまりの中に倒れ込んだ。先ほどまでの剣戟の音が、嘘のように収まり静かになったその場には、気を失ってなおエリュシルを手放さないリオンだけが倒れていた。