奮い立て!
俺が駆け付けた時には遅かった。すでに宿屋の前には人が詰めかけていて、ルネとマルスさんの二人が民衆に囲まれている。恐らくヘンリーさんが言っていた懸念が当たったのだろう、気兼ねなく不満を言う時だけ、人の行動は早くて容赦がない。
箍が外れた憎悪と正義感は正気を失わせる、特にルネには絶対耐えられない、だから急いできた。すでに声が上がり始めていて、人ががっちりと隙間もなく立っていて、すっかり二人は取り囲まれていた。
「だからお爺さん、もうあなたが体張ることないんだって」
「そうよ。こんなご高齢の方を勇者の仲間にするなんて、王は恥知らずもいいところだわ」
「こんなことがまかり通っていた今までがおかしかったんだ。ここでゆっくり、安全に余生を過ごすべきだよ」
散々勝手なことを言われていて、今すぐにも怒鳴り込んでいってやりたかった。だけど、俺よりルネの方が頭にきているはずだと、罵倒の役目は彼女に譲って、少しだけ様子を見守ることにした。
だがしかし、俺の予想に反して、ルネはただじっと黙っていた。いつもだったら手が出るか、もしくは実力行使に出るかのどっちかなのに、口を結んで黙っている。
それはマルスさんも同様の対応していて、特に何も答えもせず、じっと黙って目を閉じていた。…というか、何度かうつらうつらして、頭がこくこくと動いている、もしかして、この状況で寝たのか?…マルスさんならありえるかもしれない、さっきまで話していたのに、その次の瞬間には寝ているということがある。
しかしそうなると、ますますルネが黙って聞いている理由が分からなかった。マルスさんが止めないのだから、思い切り言えるはずなのに。なぜか俺の方がハラハラと焦りを覚え始めていた。早く、早く思い切り反論してくれ、そう心の中で思う。
大体この人たちの主張なんかに、何の価値もない。マルスさんのことをよく知りもしないで、憶測だけで引退話を持ち掛けている。だいたいこいつら、今になって声を上げやがって、ヘンリーさんが自らの社会的地位を犠牲にして声を上げるまで、一体どこで何をやっていたんだ。
目に見えて文句が言える時にだけ群がってきやがって、この行動力を使って、少しでもアームルート王の政治に関心を向けていたら、もっと早く何か変わったかもしれないのに。
どす黒く、粘ついた負の感情が、頭と心にこびりつく。何が市民の声だ、何が正義だ、こんなものを守るために、俺たちは戦ってきたというのか。いっそここで、終わらせてやろうか、そんな思いに支配され、俺の手は自然と、剣の柄へと向かっていた。
その時だった。いつもの調子の、彼女の声が聞こえてきたのは。
「ピィピィギャアギャアうるせえな!!てめえら揃って我慢のできないひな鳥か、ああ!?ごちゃごちゃ言ってないで家に帰れ、こっちにそのくっさい口向けてくんな、全員歯ぁ磨いてんのか?そこら中どぶの匂いがすんぞ」
どうしてこのタイミングで?という疑問と、やっぱりルネはこうでなくっちゃ、という不思議な安心感に言葉がなかった。取り囲んでいた人たちも、ルネの急変ぶりを見て、水を打ったように静かになった。
ルネは今まで黙っていた様子から一変し、堰を切ったように話し始めた。
「あんたらが色々言ってくるのが親切心からくるものなのは、私でも分かりますよ。もっともらしいこと言って、いいことした気になれば、いくらか優越感に浸れますからね。余計なお世話って言葉は知らないようですけど、お手軽な快楽摂取方法としては、賢い賢い。よくできました。偉い偉い」
「お、お前っ…!」
「口の利き方に気をつけろ?それとも親切心の押し売り?言いたいことがどっちでも構いませんが、うんざりです。そもそも私、口の利き方についての注意は、受けすぎて飽き飽きしてるんですよね。ただ注意されるだけでは退屈です」
「わ、私たちは…」
「はいはい。誰かのため誰かのため。そうですね、まったくお優しいことです。ああ、そういえば私の知り合いにもいましたよ。他の誰かのために、自分の命をなげうつことも厭わない、おかしな人が。その人は、自分がいくら死にそうな目にあっても、人を助けたいそうです。それが自分の使命だからって。笑えますよね、助ける人がこれじゃあ無駄だと私は思いますけど」
ルネの言葉には、段々と熱がこもっていっているようだった。それに釣られるように、周りの人たちの熱も上がっていく、一触即発のよくない状況の中でも、彼女は臆することはなかった。
「大体、そんな老人に何ができるって言うんだ!」
一番出てはいけない一言が、民衆の誰かから飛び出た。俺は血の気が引いて、サッと顔が青ざめるのを感じた。ルネはあからさまに人々へ侮蔑の視線を向け、冷たく言い放った。
「マルスおじいちゃんは、この中の誰よりも他人のことを考え、生かすことを目標にしています。きっとあなたたちにどんなに蔑まれ、罵られようとも、彼はいざという時、自分を犠牲にしてでも、あなたたちを助ける道を選ぶでしょう」
ルネは一度言葉を切って、空を見上げるようにして思い切り息を吸い込んだ。顔を下げた時、彼女の目線は、民衆ではなく、確かに俺の方に向いていた。
「一度何もかも失って諦めても、何度だって立ち上がれる!その覚悟と意思が、ゆっくりとだけど足を前に進めてきた!この旅は、ずっと無茶苦茶なものだったけど、いつだって諦めずに、何かを取り戻してきた旅だった!!そうじゃありませんか!?取り戻したいものがあるのなら、自分の力で取り戻せ!!いつまでもうじうじするな!!」
その言葉に、つま先から頭のてっぺんまで、ブルッと全身が震えた。拳を握りしめて、自分の頬を殴った。じんじんと痛んで涙が目に浮かんだけれど、朝日をガンガンに浴びて眩しい時くらいに目が覚めた。
ルネは遠ざけていた錬金術に、マルスさんは忌避してきた生まれ故郷と、もう一度向き合うことで成長を遂げた。俺はそれを、誰よりも近くで見てきたのに、情けない。
俺は人混みを力づくで無理やりかき分けながら、ルネとマルスさんの元に向かった。そして二人の前に立つと、人の群れの方へ振り向いた。
「俺はアームルートの勇者リオン・ミネルヴァ。そして彼女たち二人は俺の仲間です。何を言われても、何があっても、ずっと大切な仲間だ。皆さんの心配はありがたいけれど、まったくの見当違いだ。お引き取りを」
誰も文句も言えないように、もう一度「お引き取りを」と強い口調で言った。そしてギロリと、周囲を見回して一睨みする。すると人の群れは波が引くように、その場を怯えて立ち去っていった。足元はがくがくと震えているのが見えた。
「…んおっ!?お、お師匠様!?」
眠っていたマルスさんが起きて、きょろきょろとした。そして俺のことを見つけると、にっこりと笑顔を浮かべた。
「おお、おお。今の気迫はリオン殿のものじゃったか。懐かしいのう、師匠のものとそっくりじゃったわい」
「そんな、マルスさんの師匠並みのものでは…」
「そうですよマルスおじいちゃん。リオンさんを買いかぶりすぎです」
「ルネさん?君が言うことじゃないよね、それ」
「はあ?なんですか?もっと声張ってくれないと聞こえませんけど」
ああ、この心底イラっとくる物言い、本当に腹が立つ。あまりも腹立たしくて、俺は思わず笑ってしまった。お腹を抱えて大笑いしてしまった。一しきり笑い声をあげてスッキリすると、俺は二人に言った。
「旅の方針が決まった。俺はもう一度ラオルの墓に行く」
「ふぉっふぉっふぉ。それがよいじゃろうて」
「まったく物好きですねえ、今度は勝算があるんですか?」
「あるさ。今の俺なら、どんな相手にも負けない。ムカつくご先祖様をぶっ飛ばして、魂石に詰めて持って帰ってくるよ。そしてエリュシルを、今度こそ修理しよう」
目標は定まった。後は準備するだけだ。俺は二人にそう告げると、もう一度王城へ向かって走り出した。
ヘンリーさんは言っていた。武器防具を望むままに支給できると。ならばそうしてもらおうじゃないか、勇者ラオルをぶっ倒して、エリュシルを取り戻すための武具を、全部買い揃えてもらう。
それがアームルートの勇者に、今一番必要な支援だ、無茶な要求をさせてもらうが、すべて飲んでもらう。そう気持ちが吹っ切れると、意欲がどんどん湧いてきた。
待っていろ過去の勇者。今の勇者の実力ってやつを、見せてやるよ。