今更そんなことできるかよ
力は元に戻り、武器を一切持てなくなる、謎の呪いめいたものも消えた。今の俺は、勇者としての活動を行うことに、何の障害もなくなったと言える。
しかし力こそ戻ったものの、今度はどうにもやる気が起きなくなってしまった。何故こんなにやる気が起きないのか、自分でもよく分からない。だから対策のしようもなかった。
「これからどうしようかな…」
もう何度もこの言葉を呟いていた。そんなこと考えるまでもなく、俺は勇者の務めを果たすために、すぐにでも旅立たねばならない。力の戻った今は、なおさらそうするべきだった。
だが、体は万全にも関わらず、俺は経験したことのない虚脱感に襲われていた。あんなに旅をやめることはないと息巻いたくせに、今はもういいかな、とさえ考えてしまう。我ながら重症だと思いつつも、どうにもならない現実が、さらに虚無感を与えてくる。
そんな時、自室の扉が乱暴にノックされた。返事をする前に、ルネが「入りますよ!」と言って扉を開けた。
「何だよ、いつになく騒々しいな」
「大変ですよリオンさん!間抜け面で寝転がっていないで、これ読んでください!」
ルネの酷い言い様に何の反応することもなく、俺は差し出された新聞を手に取って広げた。そしてそこに書かれている内容は、確かに驚くべきものであった。
「アームルート王、数々の政策の失敗を謝罪、そして勇者リオンに対する支援不足、並びに人道に悖る行為を認め、これを是正すると約束した。…ね」
「やりましたねリオンさん!あのバカ王、とうとう観念したようですよ!」
ルネは意気揚々とそう言った。俺は適当に返事をして、記事を更に読み進めた。あいつがこんなに見事に変わり身をするのは、絶対に何かある。そして、その何かを見つけた。
「…なるほどね、あの側近の人、思い切ったことしたなあ」
あまりにも興味も期待もなかったので知らなかったが、王城で俺を呼び止めた彼は、ヘンリーという名だったらしい。彼は自分の身の危険を顧みず、内部情報を情報機関に暴露して、アームルート王が行っていた隠ぺい工作を、すべて白日の下にさらした。
こんなことをすれば、王と政治に対する国民の不満は一気に高まるだろう。立場を危うくする人も沢山出てくるだろうし、ヘンリーさん自身もただでは済まない。
そこで俺は、彼が言っていたことを思い出した。どんな手段でも使う。本当に言葉通り実行したということか、自爆覚悟で、言ったことを守るために。
「…あまり嬉しそうじゃないですね。これで一気に待遇改善が期待できるのに」
「うん?うーん、そうだね。いや、嬉しくないこともないけど…」
「何ですか?リオンさん、もうずーっと歯切れ悪いままですね。そもそもこれから私たちどうするんですか?もう体調は元に戻ったんでしょ?」
苛ついた様子でルネにそう詰め寄られる。それも仕方のないことだ、パーティーの行動指針を決めるのは俺だ。なのにすっかり腑抜けてしまっている、きっと不安に思っているだろう。
でも、どうすればいいのか分からないのに、どうしろと指示することなんてできない。俺の煮え切らない態度を見たルネは顔をしかめて、もういいですと言って部屋を出ていってしまった。
バンッと乱暴に閉められた扉を、むなしく見つめた。しばらくすると、ルネとマルスさんの声が聞こえてきて、二人は荷物をまとめて俺の家を出ていった。
「母さん」
「あっ、リオン。これ、ルネさんから…」
渡されたのは小さなメモだった。ここを出て、宿屋に泊まるとのことだった。一応、どこの宿に宿泊するのかは、書いてくれてある。どうするのか俺が決断したら、説明しにこいということだろう。
「それと、少し前に王城から使いの人がきて、あなたに王城に来るようにって」
「分かった。どのみち出向くつもりだったし、行ってくるよ」
「ねえリオン、あなた本当に大丈夫なの?何だか倒れて戻ってきてから、人が変わったようよ?」
母さんの懸念に、どう返していいか分からず。俺は逃げるように、家を出た。自分でも自分が分からない、心配されても、今はどうすることもできなかった。
王城へ向かうと、民衆が抗議の声を上げるために集まっていた。王の失政によって、どれだけの人がどれほどの被害を被ったのかは知らないが、集まった人たちの熱量を見ていると、相当な怒りを買っているのは分かる。
「リオン様!こちらへ」
このままでは入城できないなと困っていると、城を守る衛兵の一人が、俺を見つけてくれた。そして見たことのない裏道を案内してくれて、城の中に入ることができた。
「こちらは我々城の警護に当たる兵のみが使用する通路です。有事の際にも、迅速な移動ができるよう、いたるところに配置されています。私はリオン様を、安全に城内へご案内する命令を受けておりました。薄暗いので、足元にはお気をつけください」
説明を受けたものの、半分も内容が入ってこないくらい上の空だった。とりあえず案内されるがままに、歩いてついていった。
城内は誰もかれもが忙しなく動き回っており、様々な対応に追われているようだった。怒声を飛ばすもの、ひたすら資料を抱えて往復するもの、ぺこぺこと必死に頭を下げ続けるもの、実に忙しない。
全員あの王の尻ぬぐいをさせられていると思うと、少々気の毒に思えてきた。自分も同じ立場だったから、同族意識が沸いたのかもしれない。
ただ、俺にできることは何もない。せいぜい頑張ってくれと、心の中で応援するくらいだ。通された部屋で待っているように言われ、大人しく座っていると、見たことのある人が入ってきた。
「ヘンリーさん」
「申し訳ありません。大変お待たせいたしました」
あの時俺を呼び止め、今回の騒動を起こした張本人だ。新聞で読むまで名前すら知らなかった。
「その、どう言ったらいいのか分かりませんが、大変なことになりましたね」
「いいえ、覚悟の上です。この騒動に収拾をつけたら、私は責任をとって退くことになるでしょう」
立場を退くこと込みでの行動だったのか、彼がどれだけの覚悟であったのか、ようやく分かった。本気で後悔して、本気で行動を起こしたんだ。それは尊敬に値する。
「今関係各所と調整中ですが、あなたの勇者活動に対する追加予算を、何とかかき集めることができそうです。支給することのできなかった武器防具、その他必需品も、最新かつ高品質のものを、望むままにご提供できます」
それを旅立つ前に聞けたら、きっともろ手を挙げて喜べただろう。今はただ、むなしいだけだ。
「勇者の使命を果たすための仲間も、今アームルートきっての精鋭に声をかけています。最低でも三名は、ご紹介できるはずです」
仲間、仲間か、これも旅立つ前であれば心躍っていたことだろう。今はもう、紹介されても断りを入れる。
「つきましては、現在いびつながら雇用契約を結ばれている、ルネ・アグリッパ様の契約内容の見直しと、今まで支給していただいた給料の補填をさせていただきます。彼女は本来介護士ですが、これまでの功績に見合う謝礼金をお支払いさせていただき、マルス様についても、ご高齢にも関わらず過酷な旅への同行を強いてしまったことの、謝罪と謝礼金をお支払いします」
二人に手厚い対応がされると聞いて、ほっとした。マルスさんは申し出を断ると思うが、これならルネも文句は言わない、と思う。新しい仲間と上手くやってくれるのかは謎だけど。
「見直しの内容についてですが、ルネ様とマルス様とは、ここでお別れいただきます。マルス様は特にご高齢ですから、この国一番の介護施設を…」
「ま、待ってください!」
話の流れが怪しくなってきて、俺は思わず遮った。ルネとマルスさんと別れろ?なんの話をしているんだ。
「な、何を言っているんですか?マ、マルスさんとは、まだ旅を続けられるんですよね?」
「…実は、マルス様については、国民の方から、老人虐待に当たるのではないかと、非難の声が上がっているのです。この混乱の中、このままマルス様を旅に同行させたら、彼にまで批判が集まりかねません」
俺は最後まで話を聞かず、席を立ちあがった。そしてヘンリーさんの制止を振り切って、城を飛び出した。
人混みをかき分け、街中をひた走る。ルネとマルスさんが泊まっている宿に、今すぐ行かないと、先ほどから嫌な予感と胸騒ぎが止まらなかった。幸い今の俺は、どれだけ走り回ってもすぐに疲れることはない、全力で足を動かした。