帰りたくないなあ…
アームルートへの道のりは長い、俺たちもそれなりに国々を巡ってきたから、戻るとなると、結構な一苦労だった。
しかし、色々と事件を解決した報酬のおかげで、路銀はある。滞在費も、何だかんだと、旅先で出会った人々との交流もあり、必要最低限の消費で済んでいる。
という理由もあって、帰り道は様々な手段が使えて、楽々としたものだった。道中で、魔物の襲撃があっても問題ない。ルネとマルスさんがいれば、どいつもこいつも鎧袖一触だ。悔しくない、悔しくないぞ。
「はあ…」
「…」
「はああ…」
「…」
「はーあ…!」
「うるさいんですよさっきから!話を聞いてほしいなら、聞いてくださいって言ってくださいよ!」
ため息をついてルネにウザがらみをしていたら、怒り心頭といった感じで思い切り怒鳴られた。マルスさんはルネの魔法ディープスリープのおかげで、ぐっすりと眠っているので起きる心配はない。
「話を聞いてください」
「…素直過ぎるのも気持ち悪いですね。どうかしたんですか?」
ルネの散々な言い様も、今は気にならなかった。いよいよアームルートが近づいてきていて、俺は憂鬱な気持ちになっていた。ルネでもいいから話を聞いてほしい、そういう気分だった。
「帰らなくちゃいけないって分かってるのにさあ…、すげえ帰りたくないんだよなあ。今更どの面下げてって感じだしさあ」
「まあ、ポンコツ勇者ですからねえ」
「うん」
「…これを言い返してこないのは、本当に重症ですね。仕方ない、茶化さずに聞いてあげますよ」
居住まいを正して、ルネは俺とちゃんと向き合った。俺もそれに倣って、ルネの顔を見据えた。
「俺はさ、一応国の公認勇者だから、アームルートの人たち全員の代表って側面もあるんだ。それは元より覚悟の上だったから、別に重荷に感じたことはないけど、アームルートに帰るとなるとさ、やっぱなんか意識しちゃうんだよな」
「何を意識するんですか?」
「国民の顔とかさ、期待とかさ、何も知らない人たちはきっと、俺が他国で勇者としての務めを、立派に果たしていると思ってる。実際は、折れた剣を直すのに必死で、あちこちを駆け回ってるんだけどな」
魔王城を探す目的なぞ、今の俺に果たせるはずもなく、仲間たちの戦力はどんどん一線級になっていくというのに、俺だけが取り残されている。
それどころか、俺は旅立ってから、どれだけ経験を重ねても、強くなっていない。どんなに戦い方を工夫しても、強くなっていると言えない。ただ慣れてきているだけだ。
「マルセエス、ガメル、ゴウカバ、パランジー、ミシティック、どこに行っても俺って慌てふためいていて、できることが全然なくて、自分のことで精いっぱいだった。誰かを助ける、というよりも、こんなとこで死ねないって気持ちでいっぱいだった」
アームルートに近づくにつれて、自分の今の状態が、どんどん情けなく思えてきた。誰に咎められた訳でもないが、どうにも気分が上向かない。
「二人に散々偉そうなこと言ってきたけどさ、今までの旅路を振り返ると、俺って何だったんだろうって思っちゃうんだよな。ルネは失われた金属のオリハルコンを、錬金術で再精製してみせた。マルスさんは、辛い過去と向き合って、見事に自分の殻を破った。じゃあ俺は?一体何をした?仲間のために何ができた?何もできちゃいやしない」
最後は吐き捨てるように、強い口調になってしまった。ルネに当たるつもりはなかったのだが、結果的にそうなってしまった。怖くて顔が見られなかった。
俺がしゃべり終わってから、ルネが全然口を開かないので、段々恐ろしくなってきた。ようやくすぅっと息を吸い込むしゃべりだす音が聞こえてきて、びくっと体が震えた。
「バカな人だとは常に思ってましたが、今回は飛び切りバカですねリオンさん」
「うっ…」
もっと責められる。そう思った。だけど、その予想はすぐに裏切られる。
「そんなこと、リオンさんが気にする必要ないでしょ。私も、マルスおじいちゃんも、全部自分のためにやったことです。私はついでにリオンさんのことを助けましたけど、マルスおじいちゃんは、勇者としてのあなたに、見返りなんて求めてませんよ。あなたのことを助けたかったから、助けたんです」
「えっ…?」
「それに、そもそもの話ですが、あなたをこの状態で勇者として送り出したあの王様が悪くないですか?一枚嚙んでいた自分で言うのもなんですが、もっと支援するべきだったでしょ」
ここで思い出したくもないアームルート王の名を出されるとは思わず、面食らってしまった。しかし話題に出されると、嫌でもそういえばと思い出してしまう。
旅支度の資金は500ゴールド、用意された勇者の仲間は、老齢の男性に、その介護を担う介護士。旅の足なども一切考えられておらず、無策で放り出されたも同然だった。
「ああ、あったなあ、そんなことも」
「結局あの後、リオンさんの名声って、少しでもあの王様の利になったんですかね?」
「伝説の剣を抜いた選ばれし勇者!…っていくら喧伝しても、特に各国で活躍しちゃいないしなあ…。目立つものは、マルセエスとガメルくらい?」
「リオンさんはあんまり活躍してませんけどね」
ずしっ、言葉が重たくのしかかる。確かにどちらもマルスさんの活躍がなければ、根本的な解決には至らなかったけれど、俺だってそれなりに頑張った。と、思う。
とても情けないのだが、今までのことを思い返してみると、何だか笑えてきた。自嘲なのか、本当に面白くて笑っているのか分からないけれど、俺はそのままルネに言った。
「ふっ、ははっ!でもさ、折れた剣腰に下げて、額に汗して働いて、死にかけてボロボロになったり、とても勇者の活動とはいえないよな!」
「自分で言いますか?それ」
「いいじゃん別にさ。どうせあの王だって、特に期待しちゃいないだろ。ああそうか、はははっ!そっか、そっか!確かにルネの言う通りだったな。バカだなあ俺は」
結局のところ、俺はただ、俺の理想とする勇者像に、勝手に押しつぶされそうになっていただけだった。
そもそもだ、今の俺がそんなものになれるわけがない。だって、必死になって訓練して、剣の腕前も魔法の扱いも、誰より強くなったというのに、勇者に選ばれた際の儀式で、それが全部ひっくり返ったんだ。
弱体化、俺は大幅に弱体化した。理想の勇者?期待?務め?果たせる訳がないだろう、そんなもの。今までの努力が全部水泡に帰したんだ。今まで腐らずにいられただけでも御の字だ。
「ルネ、ありがとうな。俺、仲間がいてよかった。マルスさんも、寝ているから聞いていないだろうけど、ありがとうございます。もういいよ、胸張って帰ろう、アームルートに」
「…状況はちっとも好転していないってのに、能天気でいいですねえ、リオンさんは」
いつものように軽口をたたくルネだったが、その口調はどこか優し気で、不思議なものだが、褒められているような気さえした。
帰ろう、故郷に。そして、伝説の勇者ラオルが眠る、祖先の墓に行くんだ。魂石がエリュシルの修理に役立つか、そもそも上手くいくのか分からないけれど、上手くいかなかったら、また別の方法を考えればいい。
何だかんだと、ここまで旅をしてこられた。それだけでも十分な成果じゃないか。辛いことばかりだったけれど、楽しいことだってあった。俺の物語を、家族に聞いてもらいたい、今は、そう思えた。
馬車を降りて、故郷のアームルートの地を踏みしめる。住んでいた時は感じなかったのに、どうしてか懐かしい匂いがした気がする。長旅の疲れを取るよう、体を伸ばしながら、アームルートの空気を目一杯吸い込んだ。
「さてと、ルネ、マルスさん。二人はどうしますか?旅に出る際、家は引き払っちゃったでしょう?」
「ああ、そういえばそうでした。マルスおじいちゃん、どうしますか?」
「二人がよかったらなんだけど、俺の実家に来ないか?家族に二人のことを紹介したいし、きっと喜ぶと思う」
「よろしいのですか?それはありがたい限りじゃ、ルネちゃん、そうさせてもらおうじゃないか」
「じゃあお言葉に甘えますか」
勿論と返事をし、俺は二人を実家に連れていった。出迎えてくれた家族は、俺の突然の帰郷に大層驚いていたが、同時にとても喜んでくれた。ルネとマルスさんの二人も温かく迎え入れられ、旅の話に花が咲いていた。
二人のことは、家族に後を任せておけば問題ないと思った俺は、二人を置いて、一人でアームルートの王城へと向かった。アームルート王なんて顔も見たくないが、自国の勇者が戻ったというのに、顔を出さないのも変な話だ。
最低限の義理を果たすためにも、会わない訳にはいかない。王城へ向かう足取りは実に重たいものだったが、何があろうとも胸を張れと、自分を奮い立たせるために、そう言い聞かせた。