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マルス・狂気の努力

 シュレンの道場は、里から相当離れた場所にあり、かつミシティックの近くの村にあった。門下生は数多くいて、中には遠い遠い国から修行に訪れてきているものもいた。マルスはそこで、門下生たちとの共同生活を送ることになる。


「彼はマルス、我が道場で剣を学ぶ新しい仲間だ。皆、彼と共に励むように。いいね?」

「押忍!!」


 ずらりと正座する門下生は、シュレンの言葉に大きな返事をした。道場をビリビリと揺らすほどの大きな声に、マルスは目を丸くさせて驚いた。


「クジツ」

「はいっ!」


 名を呼ばれたものが立ち上がった。背が高く、体も分厚い。実に鍛えられているであろうことが、簡単に見て取れる男であった。


「しばらくはお前の下につけます。自分の修行だと思って、一つ丁寧に稽古をつけてください。その間門下生たちは、僕が直接面倒を見ます。いいですね?」

「承知しました」


 それを聞いた門下生たちは、いままで静かに話を聞いていたのに、にわかにざわめいた。師範代が直接に?だとか、あいつは何者だ?だとか、今まで浮かんでいた疑問が、こらえきれずに噴出したようだった。


 しかしその混乱も、すぐに収まる。全員が一斉に黙り込んだからだ。道場全体が、底知れぬ威圧感に包まれていた。マルスはその威圧感の正体を知っている、里でヒュージベアを威嚇した時のものと同じ威圧感だった。


「では僕たちは修行に戻ろう。クジツ、マルス君に道場を案内してください」

「は、はい」


 クジツは返事をすると、マルスを連れて歩きだした。背後の道場では、稽古を始めた門下生たちの、雷鳴のような掛け声が上がり始めた。




「マルス、改めて自己紹介をしよう。私はクジツ、この道場の師範代を務めている」

「お、押忍!よ、よろしくお願いします!」

「はははっ!早速皆の真似か?そう固くならなくていい、返事も別に押忍と答えるのが決まりではない。あれはそうだな…、動物の鳴き声のようなものだ、真似せずとも自然と身につく、今は普通にしていればいい」


 考えを見破られたマルスは、恥ずかしさに顔を赤くした。形から入るべきだろうかという、マルスなりに考えた溶け込み方だったが、裏目にでたと反省した。


「…しかしマルスはすごいな。師範の威圧に当てられて、そんなに平然としていられるとは」

「えっ?」

「皆がぶるぶると震えている中、お前だけは冷静にしていた。私でさえ、いまだにあの威圧には怯えを覚えるのに、どうしてお前は平気なんだ?」


 そう聞かれたマルスだったが、自分がその時、冷静にしていたかどうかも分かっていなかった。理由を探しても答えが出ない、何とか思い付いたことを口にした。


「一度見て、経験したから、でしょうか」

「まさか。たった一度経験しただけで、あの恐怖に抗えるものはいないよ。あれは本能的に死を想起させる威圧だ。誰もが恐れる、死への恐怖だ」


 死への恐怖と聞いて、マルスは納得した。だから自分は平然としているように見えるのだと。マルスは何度もそれを体験している。意識下でも、無意識化でもだ。


 マルスにとって、死はとても近しいものであり、恐怖を覚えるというよりは、いつまでも足元にまとわりつく、邪魔な蔓のようなものだった。うっとうしくも払えないものだった。それだけ身近になれば、無関心に近しい感情しか覚えないのであろう。そう結論づけた。


「…まあいい。これからお前の生活する場所を案内する。ここでは、掃除、炊事、洗濯、風呂炊き、ありとあらゆる日常のことを、身分も年の差も関係なく、全員でやる」

「それって、シュレンさんや、クジツさんもやるんですか?」

「勿論だとも。生活するとはそういうことだ。上も下もない、皆が額に汗して、できることをしていくんだ」

「…だからあんなに手際がよかったのか」

「ん?何か言ったか?」

「あ、いえ。何でもありません」


 シュレンが里にいた時、実に手際よく里の人たちの手伝いをしていた理由が分かった。この道場で、門下生たちと一緒に、日々の家事をこなしていたからだった。師範も、師範代も関係なく、生活するために、常に行っていたことだったのだ。


 マルスはますます、シュレンという人物に興味がわいた。一見なよなよとした男だが、一睨みで死を想起させる威圧をし、危機に際しては風より速く駆け、刀を手に取れば修羅が如く強い、しかしその実一番似合っている姿は、畑仕事や、子どもたちに囲まれて遊んでいる姿だった。今も門下生に混ざって、家事に勤しむ姿の方が容易に想像できた。


「彼の強さの元は何だ?」


 そんな疑問がマルスの頭に浮かんだ。だが今はそれもどうでもいい、一刻も早く強くなりたい。マルスは自分の修行開始が待ちきれなかった。




 カランカランと音を立て、マルスの手から木刀が落ちた。ちょうどクジツが素振りの仕方を教えている最中のことで、クジツはすぐさま駆け寄って、マルスの体を抱き起した。


「大丈夫かマルス!?お前、すごい熱じゃないか、誰か!水を持ってきてくれ!」


 門下生の一人が返事をして駆け出した。まだまだ素振りの回数は50にも満たないものだった。それなのにマルスは高熱を発し、体には力が入らなくなった。


「話には聞いていたが、よもやこれほどまでとは…。今日はもう無理だ、一度休ませないと…」


 言葉を遮って、マルスはぐいっとクジツの腕を押しのけた。全然力がないのでびくともしなかったが、マルスはじたばたと暴れて「下ろしてください」と喚いた。クジツがマルスを下ろすと、落とした木刀を拾って言った。


「まだやれます」

「しかしお前、そんな熱じゃあ…」


 その時、門下生が桶に水を入れて持ってきた。マルスがぎらりとその門下生をにらみつけた。鬼気迫るその表情に、門下生は小さな悲鳴を上げた。


「それ、もらってもいいですか?」

「あ、ああ。お前のためにもってきたんだ」

「ありがとうございます」


 それだけ言うと、マルスは水の中に頭を突っ込んだ。頭と体を十分に冷やした後、顔を上げて呼吸を荒らげながら、木刀を構えた。


「これでやれます。こうやって熱は都度冷やします。だからクジツさん、続けてください、お願いします」


 たじろぐクジツの前に、いつの間にか近くに来たシュレンがすっと歩み出た。そしてマルスの目と顔をじっと見据えてから、クジツに伝えた。


「確かにまだ大丈夫なようです。クジツ、続けさせてあげなさい」

「しかしっ!」

「クジツ、工夫しなさい。彼にどう教えるか考えることは、あなたの成長にもつながります。いいですね?」

「…わ、分かりました」


 マルスは立ち去るシュレンに、深々と頭を下げた。そしてもう一度クジツに向き直って頭を下げると、素振りを再開した。


 正気の沙汰ではないと、クジツはうろたえた。事実マルスの目は覚悟と意思に燃えているが、その奥には狂気を感じさせる何かがあった。一心不乱に稽古を続けるマルスに、クジツは奥歯をぐっと噛み締めた。


「力を抜け、やみくもに振るな。一振り一振りにちゃんと意味がある。楽しようとはするな、力を抜くことと、手を抜くことは違う。姿勢も意識しろ、常に正しい姿勢で木刀を振るえ」

「はいっ!!」

「それと腹から声を出せ。自分の奥底に眠る迷いを、掛け声に乗せて発するんだ。自己と対話し、何故強くなりたいと願うのか、常に問い続けろ」

「はいっ!!」

「足運びを間違えるな、細かな動作にこそ神髄がある。どうしてこの動作が必要なのか、考えて考えて、自分の中に落とし込むんだ」

「はいっ!!」


 狂気じみてはいるが、クジツはシュレンに言われた通り、マルスの指導に力を入れることに決めた。この死にたがりにも似た行動を、制御する術を身につけさせなければならない。鬼気迫る気合をマルスが見せるほど、クジツはより慎重になった。


 倒れては水をかぶって、マルスは立ち上がった。体を冷やしては木刀を握り、また素振りに精を出す。どれだけ倒れても、歯を食いしばってまた立ち上がった。指導されたこともきっちりと守り、強くなりたいと闘志を燃やした。


 そんな二人の様子を、シュレンは視界の端に捉えながら、マルスのことを見極めていた。マルスには、信念と覚悟という、誰にも負けない素質がある、強くなるには欠かせない素質だ。しかし、決定的に足りないものがあった。それを果たして自分で見つけることができるのか、自ら教えるつもりのないシュレンにとって、そのことが気がかりであった。


「彼がそのことに気が付けなければ…」


 そこで修行は終わりにし、問答無用で里に帰す。逆にそれさえ乗り越えることができれば、マルスにはとてつもない才覚が眠っていると、シュレンは見抜いていた。期待と不安、二つの感情が、シュレンの中でせめぎ合っていた。

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