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マルスさんとルネ その1

「あなたのことを、自信を持って見送ることができる日がくるとは思わなかったわ。ルネ、本当に成長したわね」

「ありがとうお母様。それと、心配かけてごめんなさい」

「よく特訓を耐えたな、それに、条件通り見事にオリハルコンを精製してみせた。知恵の宝珠までもな。その力で、お前の大切な人たちを守ってあげなさい」

「はいお父様。ご指導ありがとうございました」


 ルネは両親に別れの挨拶をすると、ギュッと抱きしめ合って別れを惜しんだ。その姿を、俺とマルスさんは二人で見つめていた。


「ルネちゃんは、今度はちゃんと、自分の意思で里を出ることができるのじゃのう」

「以前はそうじゃなかったんですか?」

「衝動に身を任せ、考えなしであったと言うておったのじゃ。里を出る選択をしたことに、後悔はなくとも、ご両親に対する心残りはあった。それも今は、すっかり解消した。きっと晴れやかな心持のはずじゃ」


 マルスさんの話を聞いて、なるほどと思った。確かに今のルネの表情は、実にすがすがしいものだった。何の不安もなく、胸を張って旅立つことができるからだろう。


「気になっていたのですが、マルスさんはどうやってルネと知り合ったんですか?」

「…ルネちゃんはのう、不器用な子じゃ。優しき心をもっておるのに、どうしても余計なことまで口にしてしまう。わしもあまり、こういうことを言いたくないのじゃが、そのぅ…」

「介護士としての評判はよくなかった?」

「よいとは言えませんな。ある時、ぽろっと出た一言で、ご老人を酷く怒らせてしまったことがあった。わしは偶然、その喧騒に居合わせて、様子を見ておった」


 懐かしむような遠い目をしながら、マルスさんは続きを語った。


「ルネちゃんは、それはもうすごい剣幕で罵声を浴びせられていてのう、しかしそれでも一歩も引かなかった。だがのう、後ろ手に組んだ手が小刻みに震えておったわい。そして怒り狂う老人の手には、つねったような赤い跡があった」

「…もしかして、セクハラですか?」

「うむ。わしはその場に割って入って、ルネちゃんと老人の間に立った。口論の隙をついて、鞘で足を払い転がしてやったわい。それで腰を強打し、入院することになったのじゃが、中々名のある権力者だったらしくてのお、わしはあやうく投獄されかけたのじゃ」

「ええ!?大変じゃないですか」

「わしはそれでもよかったんじゃがのう、ルネちゃんが助けてくれたのじゃ。どうも彼奴は、他の介護士たちにも手を出しておったようでの、ルネちゃんの声掛けで、被害者がわっと一斉に名乗りをあげたのじゃ。それで逆に投獄されたのは彼奴の方で、わしは無罪放免となったのじゃ」


 聞くところによると、その老人は立場を笠に着てあらゆるセクハラを行い、時には一線を越えるようなこともしていたらしい。それをもみ消すだけの力と金があったのか、表沙汰にはならなかったそうで、介護士は泣き寝入りするしかなかったという。


 そんな中、ルネだけは唯一、その老人相手に一歩も引かず、逆らい続けた。ルネは助けに入ったマルスさんだけが罪に問われ、老人だけが罪から逃れるのに我慢ができず、他の被害者たちをまとめあげ、老人のセクハラの実態をつかむと、被害状況を暴露して老人の家督を継いだ息子夫婦の家に乗り込んだ。


 もみ消したことを不問とする代わりに、マルスさんの罪を取り下げ、老人に罰を与えろと脅迫し、その条件を飲ませた。わがままで問題ばかり起こす老人を、息子夫婦も煩わしく思っていたらしく、あっさりと切り捨てられてしまったそうだ。


「まったく同情の余地はないですね。しかし、ルネもよくやったな」

「…ルネちゃんは、本当に優しい子なんじゃよ」


 そういうマルスさんの表情が、少しだけ曇ったように見えた。それが何を意味するのか、聞いてみようとした時に、ルネが声をかけてきた。


「さ、行きましょう」

「もういいのか?」

「ええ、もう十分、というよりもうるさくてですね。私が作った知恵の宝珠を、調べさせてくれって言って引かないんですよ。捕まる前に、さっさと離れましょう」

「貴重なものなんだろ?少しくらい見せてあげたら?」

「言っときますけど、今戻ったらリオンさんも長時間拘束されますよ。あのリオンさんの訓練に付き合っていたホムンクルスたち、明らかに個性を獲得しつつあるそうです。どうしてそんな現象が起こったのか、二人とも興味津々でした。いいんですか?ここでのんびりしていて」

「さ、行くとするか」


 そんなことになっていたとは思わなかった。二人が研究に没頭すると、どれだけ長くなるのかは身をもって知っている。それが五人分となれば、一体後何日、いや何週間もここにいることになるだろう。俺はルネの助言通り、さっさとパランジーを離れることにした。


 時間はかかったが、オリハルコンを入手して、ルネは知恵の宝珠という、とんでもない力も身に着けた。パランジーでの日々は、折れたエリュシルを直すための、大きな一歩になった。




 ゴウカバへと戻る道中、テントを張って一夜を明かす。足場の悪い森の道は、どうしても休憩が多くなる。


 しかし、以前のキャンプとは比べようもないくらい、快適になったことがある。ルネの知恵の宝珠のおかげで、魔物除けの結界魔法、セイクリッドバリアが広範囲に張れるようになった。しかも時間や魔力の消費量制限なしだ。インチキにもほどがある。


 だがそのおかげで、見張りを立てる必要もない。ぐっすりと深く眠っても、まったくなんの問題もなく、朝すっきりと起きることができる。ちまちまと、その手の対策道具を集めていた俺の努力は水泡に帰したが、喜ばしいことだ。ため息はでるけど。


 ただ俺は何となく眠れなくて、焚火の側に座って薪を足していた。火を維持しながら、ついでにお湯を沸かし、お茶を入れる。ゆっくりとそれを飲んでいると、ルネがのそのそとテントから出てきた。


「…何してるんですか?」

「ちょっと眠れなくてな、火を眺めてた」

「手のそれは?」

「お茶、入れたばっかりだ、飲むか?」


 ルネは黙って腰を下ろした。カップにお茶を注いで彼女に手渡す。息を吹きかけて冷ましてから、一口飲み込んだ。


「普通」

「そりゃどうも」


 無慈悲な味の感想を聞き流し、俺もお茶を飲む。しばらくは二人の会話もなく、お茶を飲む音と、焚火のはぜる音だけが響いていた。


「ルネ、ちょっと聞いてもいいか?」

「内容によります」

「マルスさんから、二人が出会った時の話を聞いたんだ。それで気になったんだけど、どうしてルネは、わざと騒ぎを起こすように立ち回ったんだ?」


 俺のその質問に、ルネは驚いた表情をしていた。


「何故そう思ったんですか?」

「ルネの性格だったら、そのセクハラジジイに根気よく付き合ったりしないだろうなって。一しきり暴言吐いて、ぶん殴って辞めるだろ、絶対に」

「人のことを何だと思ってるんですか。…まあ、合ってますけど」

「別に非難してる訳じゃないぞ。俺はその対応の方が正しいと思う。そいつ救いようがないだろ、無視した方がいい手合いだ」


 金持ちの権力者だったくせに、自分の家族からは見捨てられて、面倒を見ることを放棄され、それを人に任せられる始末。恐らく介護士に手を出す前から、問題のある人物だったことは想像に難くない。


 しかしいくら大金を積まれても、そんな奴の相手は好んでできない。どうしようもない奴に尊厳を壊されるより、距離を置いた方が身のためだ。


「…私も、リオンさんの言うことが正しいと思います。でも、そうもいかなかったんです」


 それからルネは、その時の出来事を話し始めた。




 介護の知識などまったくないルネは、仕事でもミスばかりしていた。そんな彼女をフォローしてくれたのは、同期のファラという女性だった。ファラは介護を学んできて、志を持ってその世界に入ってきた。ルネとはあらゆる意味で正反対だった。


 ファラの献身的な教えがあって、ルネはそこそこに仕事がこなせるようになった。老人との接し方のコツも教わり、効率的な作業方法などの技術は、すべてファラから教わった。仕事だけではなく、プライベートでも友人と言っていい関係になり、交友を深めた。


 ルネがそこそこ働けるようになったころ、ファラが例のセクハラ老人の担当になった。その日から、ファラの様子は徐々におかしくなっていき、ルネは心配して何度も声をかけた。


「大丈夫、心配しないで」


 しかし返事はそれだけで、ファラは被害に遭っていることを打ち明けることはなかった。どうしようもない老人でも、真心を込めて接すれば、いつかきっと真人間に戻せると信じていた。ファラは自分の力で、老人を変えようとしていた。


 だが、どんなに高い志を持っていたとしても、いつか耐え切れなくなる日が来る。その日のファラは、いたって普通で、何の問題もなさそうに見えた。ルネは問題が解決したのか、そう思った。


 次にルネがファラを見た時は、冷たくなり、無残な姿に変わった彼女だった。度重なるセクハラといやがらせに耐えられなくなったファラは、身を投げて自らの命を絶ってしまったのだ。




「私はファラの苦悩に気づいてあげることができなかった。恩人であり、友人であった。彼女の苦悩に…」


 パチンと焚火で薪がはぜた。火の粉が上がって空へと登る。その光景を、俺とルネはただ目で追った。

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