ルネ・錬金術師としての可能性
それから私の地獄のような日々が始まった。朝から晩まで、お父様とお母様にみっちりと勉強させられる。当然調合の修行もさせられる。同時進行ですべてやらされる。
お父様が座学担当、お母様が実技担当だ。どちらも最初に言った通り、まったく手を抜かないし、修行は過酷そのものだった。いつの間にか分刻みのスケジュールが組まれていて、私が自由になる時間はほぼない。
とにもかくにも座学、実技、座学、実技の繰り返しで、目が回る。詰め込まれていく知識が、耳や口からぼろぼろと出ていってしまいそうだった。息をつく暇もないとは、まさにこのことだと思った。
しかしその分、錬金術の上達も早かった。今まで成功したことのない調合が、次々に成功していく、霊薬の品質も、見違えるほど高まった。やはり錬金術師の名家、その当主としての実力は伊達じゃなく、少しだけ知識がある、錬金術師未満だった私が、今やいっぱしの錬金術師を名乗れるくらいの実力がついた。
中々に苦しい日々ではあったが、意外にも私はそれに充足感を覚えていた。日々、上達していくことが分かるのは、楽しいだけでなく心も満たされる。だがそんなある日のこと、実技の授業を終えたお母様から、ぽろっと言われた。
「はい、今日で私たちの指導はおしまい。後はルネ、あなたが頑張るのよ」
「へ?」
まったくもって寝耳に水だった。だって私は、まだオリハルコンの精製方法を教わっていない。まさかここで指導を投げ出されるとは思ってもみなかったのだ。
「え、え、でも…」
「オリハルコンの精製方法でしょ?確かにこのまま教えることはできるけど、それじゃ全部手を貸したことになっちゃうじゃない。流石にそこまではダメ」
「えー、話が違う」
「これでも大分譲歩したのよ。それに、もう私たちができることはすべてやった。後は本当にあなた次第なの」
あなた次第って、そんなこと言われても…。うろたえる私の姿を見て、お母様が言った。
「ルネ、私は正直、あなたがどこかで、私たちの指導を投げ出すのではないかと思っていたわ。でも、あなたは諦めることなくやり遂げた。これは、あなたの兄弟たちでさえ、成しえなかったすごいことなのよ」
「それは大げさに言いすぎじゃない?だって皆は、私と違ってコツコツと勉強も修行もやっていた訳だし」
私の言葉に、お母様は深く頷いた。しかし同時に、頭を振って否定もした。
「確かにそれは事実。あの子たちは優秀で、身の丈を知っていた。自分に必要な知識と技術を判断することができたから、鍛錬を怠ることがなかった。でも優秀過ぎるが故に、自らの限界値というものも、薄々ながら察してしまっていたの、それは成長にとって、大きな妨げだわ」
「兄様、姉様たちが…?」
「あなたは逆に、自分の力と立場について、早々に疑問を持った。そして閉鎖的な里を飛び出し、外の世界を見ることを選択した。当主の立場があるから、お父さんはあなたに積極的な支援は行えなかったけれど、何を見て、感じて、成長してくるのか、それをずっと楽しみに待っていたのよ。勿論、私もね」
お母様の言葉は、私にとってとても意外なものだった。勝手なことを言って里を飛び出し、家の使命など忘れて、気ままに生きることを選択した私を、どんな成長を遂げるのか期待して待っていてくれたなんて、想像もつかなかった。
「…お母様から見て、私は成長したと思いますか?」
「あまりそうは見えないわね」
思わず体の力が抜けた。
「そこは成長したって言うところでしょ!」
「あなたが私たちに成長したところを見せるのは、これからの行動で示しなさい。でも、今明確にあなたが成長したところがあるのは、はっきりとしているわ」
「それって?」
「いい仲間に恵まれたことよ。リオン様も、マルス様も、あなたのことをちゃんと仲間として認めていて、信頼してくれているわ。それは時として、どんな知識や技術よりも、尊くて大切なものなのよ」
リオンさんはともかく、確かにマルスおじいちゃんとの出会いは、私にとってかけがえのないものだった。
いや、まあ、リオンさんも少しはそうかもしれないけど、それは、さておくとしよう。うんそう決めた。
「頑張りなさいルネ、オリハルコンの精製、今のあなたならできるはずよ。それと、確実に今のあなたなら、以前とは違う世界が見えるはず。それだけの指導を施したし、あなたも私たちの指導に応えた。そのことを上手く活用しなさい」
「…あまり納得感はありませんけど、分かりました。お母様、ご指導ありがとうございました。お父様には後で伝えます」
お母様はこくりと頷いた。こうして私の、地獄の日々が唐突に終わった。これだけ苦労したのだから、お母様の言葉通りになってもらわないと困る。私はいよいよと、離れて久しい作業場へと戻るのだった。
今一度オリハルコンについての文献を読んだ時、まず私が抱いた感想は「内容が分かる」というものだった。いや、最初読んだ時、内容が分からなかった訳ではない、文字はちゃんと読めたし、必要な材料も、手順も、すべて理解はできた。
しかし指導を終えてから読み込むと、得られる情報量の多さがまったく違っていた。どうしてこの素材に対してこの工程が必要なのか理解できるし、最終的にオリハルコンを構成する成分の比率など、そんな細かいところまで、完成品のイメージが頭の中で完璧に想像できたのだ。
ただ順番通りに、ただ材料を必要量入れる、ただ記された工程をなぞるだけでは絶対に完成しえないことが、今の私には理解ができた。これが指導の成果か、確かに以前の私とはまったく違う。
こうなると、オリハルコンだけではなく、この家にある他のレシピについても気になり始めてきた。今の私ならそれが読めるし、理解もできる。そう考え次々とレシピを手に取った。
そこに記されている物品の数々は、通常では想像できないような、とんでもない効能を持った物ばかりであった。死してもすぐに摂取すれば、蘇生すら可能な霊薬、何らかの事故や怪我で失ってしまった手足と、まったく同じ動きをする義手義足、遥か遠くの物を見ることや、透視する能力を持つ眼鏡など、様々な物の錬金術のレシピが書かれていた。
「すごい、これ全部作ったらどれだけ稼げるんだろう…」
いや、ダメだダメだ。邪な考えは持ってしまってはダメだ。そもそもそんなことのために錬金術を習ったんじゃない。このままでは欲望に負けてしまいそうなので、私は早々に本を閉じようとした。
だけど、後少しだけ、ほんの1ページ。そう思ってちらりと目を向けた。そして私は、そこに書かれたものに目が留まる。
「これは…」
私はすぐに、そのレシピに書かれた材料をそろえた。そして手早く作業を始める。いつしか私は、時間も忘れて作業に没頭していた。
目を覚ますと、そこは最近よく見る天井の景色ではなかった。寝ている場所も、柔らかなベッドの上ではなく、固い板の間で、薬品の匂いが混ざり合っていた。どうやら作業に没頭するあまり、そのまま床の体を横たえて寝てしまっていたらしい。
体を起こすと、板の間で寝たせいで、がちがちに固まっていた。そして体も冷え切っている。それらを解消するために、軽くストレッチをしながら目を覚ましていく、ようやく頭がハッキリとしてきた時、机の上に置かれているものが目に入った。
机にとびついて、隅々までそれをしっかりと観察する。文献と見比べて、相違点がないかを探る。何度も何度も確認して、ようやく私の口から声が漏れ出た。
「オリハルコンだ…。完成、させたんだ。私が、私の手で…」
この喜びをどう表せばいいだろうか、体はむずむずとするのに、気持ちは追いついてこない。ギュッと拳を握りしめ、振り下ろしてみたり、振り上げてみたりと、一人で思い付くままに喜びを表現してみた。
しかし、やはりこの喜びを表現する方法は、たった一つしかないだろう。私は、すうっと空気を吸い込み、腹の底にぐっと力を込めた。そして両手を上げて、歓喜の声を上げる。
「でっきたーっ!!」
完成した喜びを大声に乗せて発すると、言い知れないすがすがしい気持ちになった。自分が本当にオリハルコンを完成させたのだ。まだまだ自分にも可能性がある。そう信じさせてくれるには、大きすぎる成果であった。