ルネ・無駄な努力を続けるなんて…
マルスおじいちゃんの姿を見て、思い立った私はしばらく書庫にこもる生活が続いていた。とんでもない量の書物を、読み漁っては情報を集めていく。
素材の掛け合わせで、よりよいものを生み出していく錬金術。これが形になるまでに、先人はどれだけの研究を重ねてきたのか、ちっぽけな私には想像もつかない。
本の山に囲まれて思う、私がオリハルコンを精製することなど不可能だと。それを可能にするための勉強時間も、まるで足りていない。修行を怠った私には、知識も技術もないのだ。
「やっぱり、無理だ」
そんな言葉が口をついて出た。頭を振って迷いを振り払うが、やはり振り切れるものでもない。私は書庫の天井を仰いだ。
少しやる気になったからといって、それで劇的に何かが変わる訳がない。積み重ねのない薄ぺらな私には、錬金術の歴史と知識、そして技術を受け止めるだけの土台がない。やみくもにやっても、無駄な努力だと手が止まる。
そもそもどうしてお父様とお母様は、私にオリハルコンを精製しろ、などという無謀な条件をつけたのだろうか、実は元々リオンさんにオリハルコンを渡すつもりなどなく、ただ諦めさせるだけの口実にするつもりだったのだろうか。
いや、私は二人がそんなことをする人ではないことを知っている。依頼され、引き受けた仕事には真摯に向き合い、期待されている以上のものをいつも生み出していた。できないのなら、できない、二人ならそうきっぱりと断るはずだ。
このエルフの里パランジーは、見つけ出すのにも一苦労する。だから大抵の仕事は、里の外で錬金術師として活動する、親族たちが解決することが多い。本家まで仕事が持ち込まれるのは中々ないことだ。
アグリッパ家の錬金術師は、この家で修行をした後、各国の要請を受けてそれぞれの場所へ赴く。そこで家の名前を背負い、錬金術師として人々を助けながら、そこで得た知識と経験を家に持ち帰るのだ。
各地に散らばり、種族の垣根を越えて、様々な困りごとを錬金術で解決する。世のため人のため、そして錬金術のために働くことが、始祖から続くアグリッパ家の錬金術師たちの本懐であった。
だからお父様もお母様も、ここに辿りついた困っている人を見捨てたことはなかった。どんな無理難題に思える依頼も、その業で応えてきた。無下にしたことなどなく、皆が幸せに、納得する仕事を見せてきた。
私にそれをやらせる必要性がどこにあるのか、それが理解できなかった。私は情けないが、この件は諦めて、両親に任せることにした。その方が絶対、リオンさんにとってもいいはずだから。
「そうか、ならばオリハルコンのことは諦めなさい。リオン様にも、ルネからそう伝えるんだ」
「は?」
私の言葉を聞いたお父様に、そうハッキリと言われて、思わず面食らった。
「あ、諦める…?でも、オリハルコンの精製は可能なんでしょう?」
「可能だ」
「じゃあ…」
「私は条件を出した。それをリオン様は承諾した。ルネが諦めるというならば、私はそれを受け入れるまでだ」
言っていることの意味が分からなかった。私は思ったままのことを口にする。
「いや、お父様ならオリハルコンを精製できるのでしょう?ならそれをお渡しすればいいではありませんか」
「駄目だ」
「どうしてですか!?そこまでして私にやらせたいの!?そんなことできませんよ私には!!」
思わず机を叩いて声を荒げてしまった。自分でも、相当な剣幕だったと思う、しかしお父様は、そんな私にまったく動じることはなかった。
ギィと扉が開く音がした。お父様の書斎に入ってきたのは、お母様だった。ゆっくりと扉を閉めて中に入ってくる。
「外まで声が聞こえていましたよ」
「…お母様も同意見ですか?」
「あなたがそう聞くと言うことは、答えは分かっているのでしょう?」
私は唇を噛んだ。こんなこと聞くまでもないことだ。お父様とお母様が、二人で言い出したことだ、意見の隔たりなどあるはずがない。
「…私にやらせる意味があるんですか?」
「無いと思うかね?」
「少なくとも今のところは意味を見出せません」
お父様とお母様は、私のこの言葉に落胆するかと思っていた。しかし特に態度も表情も変えることなく、お母様は言った。
「仕方がありません、ならばやはり諦めなさい。リオン様にそう伝えることは、あなたにもできるでしょう?」
「…本当にいいんですか?できるのに、諦めるんですよ?アグリッパ家の錬金術師が」
「おや、家を出たルネが家名を語るのかね?」
そう言われてしまうとぐうの音も出ない。お父様の言う通り、私は一度家を出て、帰るつもりはないと考えていた。すべてを中途半端にして捨てた私が、家の方針に口を出すなど、お門違いも甚だしい。
「分かりました。ではリオンさんの所へ行ってきます。私にはやっぱりオリハルコンを作ることは無理そうだから」
「そういうことなら、リオン様は中庭にいらっしゃるわ」
「ありがとうお母様、では」
私はそれだけ言ってから書斎を出た。お父様とお母様は、去り際にどんな表情をしていただろうか、私に失望していただろうか、それを確認する勇気はなかった。
屋敷の中庭に向かう、そこには数名のホムンクルスと、すっかり様変わりした中庭の姿があった。
リオンさんが訓練のために色々なものを置いていたのだ、剣術の訓練のために、打ち込み用の数々の木人形が設置され、様々な罠も配置されている。周りにいるホムンクルスたちは、リオンさんの死角に入った時に、罠を起動する役目を担っていた。
吊られた丸太が襲い掛かってくる罠を、リオンさんは最小限の動きの足さばきで躱す。しかし罠を躱した先で、今度はホムンクルスが投石を仕掛けてきた。万全の体勢ではない中、無数に飛び来る投石を、体に命中するものだけ瞬時に判断し、的確に斬り払った。
だが、次には振り子のように戻ってきた丸太がリオンさんに襲い掛かってきた。避けられないと察すると、とっさに防御を固めてそれを受ける、そのまま勢いに逆らわず後ろに跳んで受け身を取ると、ダメージを最小限にとどめて剣を構え直した。
私はリオンさんが訓練に集中していて、しばらく声をかけても無駄そうなので、黙ってその様子を眺めていることにした。彼はここに来てから、ずっとこうして訓練を続けていた。折れた剣に光の刃を生やし、毎回ボロボロになるまで続けていた。
リオンさんは相変わらず精気と魔力を折れた剣に奪われ続けている。いくら最低限の力の使い方を覚えたといっても、全盛期の力からは遠く及ばないだろう、体力と精神力が減り続ける最悪な状態が、常日頃から続いているのだ。コンディションは常に最悪だ。
どうしてそこまでして、私にはそんな感想しかなかった。魔物との戦いでも、無茶なことばかりする、自分の身を顧みず、わざわざ危険に晒すような戦い方をして、傷だらけになる。
こんなことやめてしまえばいいのに、勇者なら、他にいくらでもいるのだから、わざわざ役立たずなリオンさんが頑張る必要はない。彼には申し訳ないが、私にはそうとしか思えないのだ。
「ルネ、どうしたんだ?滅多に中庭に姿を見せないのに」
「えぁ?」
いつの間にかリオンさんが目の前にいた。どうやら私に気が付いて、訓練を中断してきたようだ。傷だらけの顔に滝のような汗をかいている、タオルで顔を拭くたび「いてて」と小さく声を上げた。私が言葉に迷っていると、訓練に付き合っていたホムンクルスの一人が、リオンさんのところへ駆け寄ってきた。
「リオン様」
「おお、ホムイ。お疲れ様。他の皆にちょっと休憩って伝えてきてくれる?」
「かしこまりました」
「ありがとう」
ホムイと呼ばれたホムンクルスは、ぺこっと頭を下げて去っていった。
「なんですか今の?」
私は思わずそうリオンさんに聞いた。
「何って?」
「名前ですよ、ホムンクルスに名前をつけたんですか?」
「うん、ステラさんから許可はもらってるよ」
「意味ないですよ、あの子たちはすべて同一の個体で思考回路も完全に一緒です。個性もなければ、お礼の概念すら理解しません」
「あー、確かにステラさんからもそう説明されたけどさ。でも、ずっと訓練に付き合ってくれているし、個性や感情がなくたって、感謝したいって気持ちに、ホムンクルスだろうがなんだろうが関係ないだろ?だから俺の自己満足だとしても、感謝したいんだ」
理解できなかった。誰にとっても意味のない行動を取ることに、何の意味があるのか、私にはまったく理解できなかった。
「リオンさんは…」
「うん?」
「どうしてこんな身にならない訓練を続けられるんですか?ただただ苦しいだけの訓練を、どうして」
私はその時初めて、言いたくない悪口を口にした。これは本来言うべきことではないと、初めてそう思った。