エルフの里の事情
俺たちはパランジーを目指して森の奥へと歩みを進めていた。木々の根がそこら中に張り巡らされていて、とてもではないが馬車などを走らせることはできない、移動は徒歩で向かう他ない。
足場の悪い中を進むので、マルスさんはとても苦労していた。何度も足を止めて休憩をしては、何とか前に進み続ける。
道中、ルネはずーっと嫌そうな顔をして隠さない、俺は休憩中の彼女の横に腰を下ろした。
「何ですか?誰が隣に座っていいって言いましたか?」
「別にどこ座ろうが俺の自由だろ」
「そうですね、じゃあおすすめはそこの沼田場ですよ。森の動物たちの大人気スポットです」
「俺はイノシシじゃないから遠慮しておく、勝手に使われたら嫌だろうし」
この毒舌にも慣れてきたもんだ。さらりと流して本題に入る。
「なあ、そんなに帰りたくないのか?」
「…別にそんなこと一言も言ってないでしょ」
「態度には出てる」
「キモイからじろじろ見ないでください」
「悪いけど嫌だね。俺はルネのこと仲間だと思ってる、そして仲間の悩みを放っておきたくない。それが嫌がってるならなおさらだ」
俺が頑として譲らないことを悟ったのか、ルネは大きくため息をついた。そして本当にいやいやといった感じで、ゆっくりと重い口を開いた。
「別に帰りたくない訳じゃあないんです。オリハルコンが必要なら家に帰って聞くのが一番いいと思います。ただ、啖呵を切って飛び出してきた手前、どんな顔をして家族に会えばいいのか分からないんです」
「それって家出したってこと?」
「うーん…、ちょっと違いますね。説明が難しいな、リオンさんはエルフの里について詳しく知ってますか?」
その質問に頭を振って否定した。エルフの里は殆ど外界から隔絶されていて、あまり情報が入ってこない。場所や存在こそ知られているものの、規模などの詳しい事情は不明な部分が多い。
「別にすべてのエルフが里に住んでいる訳ではありません。というかむしろ今では里に住むエルフの方が少数派です。伝統だの格式だのと、たわごとをのたまう老人が、身を寄せ合って緩やかに自殺しているのが大体のエルフの里です」
「ずいぶん辛辣だなあ」
「実際そうとしか言えないんですよ。閉じたコミュニティ、流出する若者、それを止められず足かせにしかならない里だけの伝統など、どれもこれも時代遅れです。生きた化石がただただ朽ちるのを待ってるんですよ」
やけにとげとげしい言い方をするなと思った。いや、普段から棘しかないのだが、いつもは自然と毒づくのに、今のルネは無理やり毒づいているように聞こえた。
「しかしその伝統っていうのも意外と馬鹿にできないものでして、隔絶されているからこそ守られるものもあるんです。その中でもアグリッパ家は、次々と潰えていった錬金術師の家の中で、唯一残った始祖の錬金術師の家系なんです。その歴史は数千年以上とされています」
「そ、そう聞くとすさまじいな。とんでもなく重要な家柄じゃないか」
「そうですね。錬金術3名家のうち、アグリッパ家だけが始祖の錬金術師の直系の血筋を引き継ぎ続けています。他の2家、ルルス家、フラド家は、高名な錬金術師の弟子が残したものですから」
ルネの言う錬金術3名家はあまりにも有名であった。ルルス家は主に霊薬の安定的な大量生産を成功させ、安価で質の高い霊薬が手に入れられるように世界を作り替えたとまで言われている。
そしてフラド家は、火薬と爆薬に強く、そのどちらも需要が高いため、各国がこぞってフラド家の技術を求めている。それぞれ特色は違うが、ルルス家と同様に世界規模で有名な錬金術師の家系だ。
しかしルルス家はハーフリングが、フラド家はヒューマンが主筋である。錬金術の祖がエルフであるため、ルネの言う通り弟子から分派した家なのだろう。
だからアグリッパ家がどれだけ歴史ある貴重な家格であるのかは分かるのだが、正直言って他2家と比べると…。
「全然名前も聞かない、でしょ?」
「えっ!?な、なにが!?」
「リオンさんも隠せてませんよ、態度」
「…出てた?」
ルネが頷くので、しまったと頭を抱えた。しかし彼女は特に怒ることもなく、どこともつかぬ空に視線を向けて言った。
「別にいいですよ、その認識間違ってませんから。閉鎖的なエルフの里で、ただひたすらに錬金術の神髄を求め続ける、アグリッパ家はそういう、がり勉一族なんです。世のため人のためではなく、錬金術のために生きてきた。パランジーに住む他のエルフもそうです。だからすごく、息が詰まった。来る日も来る日も調合と研究の繰り返し、周りは誰一人としてそのことを疑問に思いもしない、退屈だった」
「ルネ…」
「ある時ふと外の世界が見たくなったんです。それで里を出ると両親に言いました。こんなつまらない場所、もう戻ってこないと吐き捨ててね」
「それで引き留められて、家族と喧嘩になったのか」
「いいえ、全然。むしろ盛大に里の皆総出で見送られました。里を出るエルフは目一杯お祝いされるというしきたりがあるんです。で、帰ってきた時も同じようにお祭り騒ぎになるので今から気が重くて」
予想外すぎる答えにガクッと体が崩れた。喧嘩別れなどの決別ではなく、盛大に祝われたから気まずいなんて想像がつくはずもない。
「あと行けば分かるのですが、パランジーの空気は大らかすぎるんですよねえ。時間が止まってるのかってくらいゆったりしてるんですよ。いやあ私の気風と合わないこと合わないこと、単純に好かないんですよあの里。あー、帰るのマジでだるい」
とめどなくあふれ出る悪口に、聞くんじゃなかったと俺は腰を上げた。もうさっさと行って、さくっとオリハルコンだけもらって帰ろう。そう思うくらいには、やる気がすっかりと萎えてしまっていた。
里があるとされる森の奥地まで来たが、それらしいものが何もない。俺はダンナーさんからもらった地図を何度も見返した。
「あれ、おかしいな。確かにこの辺りのはずなのに…」
「地図が間違っておったのかのう」
俺は何度もマルスさんと確認するが、やっぱり間違えてはいないようだった。二人で首を傾げて顔を見合わせてから、ルネの方へと向き直る。
「なあルネ、もしかして道間違えてたか?」
「あってましたよ」
「え?マジか、じゃあなんで何もないんだ?」
「…やっぱり帰らないとダメですよね。はぁ、仕方ない。二人ともちょっとどいていてください」
そう言ってルネは俺たちの間に割って入って前に進み出た。そして荷物の中から、見慣れない鈴を取り出すと、シャラシャラと振って音を鳴らした。
何もない森の中に鈴の音が響く、そしてすぐに様子がおかしいことに気が付いた。ルネはとっくに鈴を鳴らす手を止めているというのに、森からは鈴の音がずっと鳴り響いている。
今度は鈴の音がピタッと止んだ。今度は次々と木々の幹が緑色の光を放ち始め、辺り一面がその光に包まれて、眩さに目を開けていられなくなる。思わず目を閉じ手で覆うと、今度はその光が急速に収まった。
「えっ!?」
「これは…」
目を開いた時、俺とマルスさんは驚きの声を上げた。辺り一面木々だけしかなかった森の景色が、生活感あふれる家々が建ち並ぶ人里へと変わっていたのだ。それに、人影などまったくなかったのに、沢山のエルフが物珍しそうにこちらを見ていた。
「はいようこそ。ここがパランジーですよ。さっさと行きますよ、ほら」
こんなこと何でもないというように、ルネは鈴を仕舞うと歩き始めてしまった。いつもはマルスさんの横について離れないようにするのに、そんな余裕もないようだ。
「本当に嫌なんだな、悪いことしちゃったかな…」
「いえ、ルネちゃんはリオン殿の力になりたいと思っておりますじゃ。ちょっと素直になれないだけですじゃ」
「そうだったらいいんですけど。とりあえず行きましょうか」
俺はマルスさんの歩幅に合わせて歩き始めた。ルネはどんどん先に行ってしまうので、見失わないよう必死だった。