死闘
バジリスクと戦う前に、俺はルネとマルスさんにお願いごとをしていた。それは「この戦いで、俺が死にかけるまでは手を出さないでほしい」というものだ。要するに、即戦闘モードのマルスさん投入は待ってほしいというお願いだった。
恐らく、いや確実に戦闘モードのマルスさんならば、なんの苦戦をすることもなくバジリスクを討伐することが可能だ。だが、いつまでもマルスさんに頼り切りという訳にはいかない。当たり前だが、これから先必ずしも一戦だけで終えられる戦闘が続きはしない。
戦闘モード時のマルスさんは確かに並大抵の敵に負けることはないが、連戦ができない。そして俺たちの中で一番死ぬ可能性が高いのは、マルスさんだ。俺でも、ルネでもない、刀を抜いたマルスさんは最強でも、そうでない時は本当に彼はおじいちゃんなのだ。
切り札と言えば聞こえはいいかもしれないが、切る必要がない方がいいに決まっている。切らなければならない場面というのは、ほぼほぼ追い詰められている時だ。
だから俺は戦う力を早く取り戻したかった。二人を守れる力が、欲しかった。今はかすかでもその可能性が手の中にある。光の刃、一刻も早く自分のものにしたい。
その試金石として相手取るには、バジリスクは荷が重い。ただ、やるしかない、そう強く思わせてくれる相手でもある。死にたくないなら勝つほかない、俺は今出せる自分のすべてを絞り切って戦うしかないと、自らを鼓舞した。
バジリスクは巨大な蛇の魔物である。頭に鶏のとさかに似た部位を持ち、地味な体色と比べると、そのとさかだけが血のように赤く目立っている。
魔王復活前の不活性な状態では、自らの持つ毒液を口の器官から噴霧し、獲物を弱らせてから捕食するという待ちに徹する魔物で、積極的に攻めに転じる魔物ではない。
だが魔王復活と同時に活性化すると、性格は凶暴化し、毒はより強力なものに変わる。噴霧させる方法から、噛みついて、牙から直接毒を注入するようになる。
毒液は腐食性が強く、もし体内に入れば、急速に体の中を破壊し尽くす恐ろしいもので、例え生き残れたとしても、何らかの後遺症を残すか、体力が戻らず、じわじわと毒で死に至ることが殆どである。
更に凶悪なのはバジリスクの目であった。活性化したバジリスクの目は魔眼になり、目を合わせたものを石の如く硬直化させる能力を有する。最も単純な対処方法は目を合わせないことだが、戦いの最中、相手を直視することが困難になるのは、致命的なまでに不利な要素になる。
魔眼の力を跳ね返す魔法の盾や、高位の魔法使いのマジックバリアの魔法ならば、魔眼の影響を受けることなく戦うことはできる。しかし今のリオンにそんなものはない、盾は武器と判定されるので持てば朽ちる、マジックバリアの魔法が発動できたのも今や昔のことだった。
絶対に視線を合わさず、かすっただけでも死に至る噛みつき攻撃に注意して、なおかつ他の攻撃方法にも対処することがリオンには求められていた。
リオンはゆっくりとバジリスクが休眠する採掘場所へと足を踏み入れた。坑道内で最も開けた場所であり、バジリスクが寝床にするには最適な場所であった。
侵入者の気配と匂いを感じ取ったバジリスクは、体をうねらせ上体を起こした。そして一瞬のうちに、上からリオンがいた場所に勢いよく噛みついてきた。
脅威の瞬発力ではあったが、その一撃でリオンを殺すことはできなかった。攻撃がくることを読んでいたリオンは、ゆっくりとした足取りから、急速に前へ駆け出して攻撃を避けていた。その緩急にバジリスクは対応しきれなかった。
匂い、温度、地面から伝わる振動、基本的に暗闇に生きるバジリスクは、それらを感じ取る器官が発達していた。見えなくとも敵や獲物の位置を把握し、捕食や退避に使用する。
しかし、バジリスクのそれは、他の蛇の魔物に比べてあまり発達していなかった。体長15メートル前後の巨体に、毒牙と魔眼、これだけ殺す手段が豊富にあるために、攻撃は大雑把で問題ないからである。正確に敵を狙わずとも、かするだけで致命傷を与えられる。それが強者ゆえの弱点であった。
リオンはとにかく、動き回ってバジリスクをかく乱した。体力の消耗は激しいが、一撃も食らうことのできないリオンにとって、最善の手はこれしかなかった。動き回ることで絶えずバジリスクの攻撃が飛んでくるが、大雑把な攻撃のおかげで何とか避けきれた。
猛攻の合間をかいくぐり、リオンはバジリスクに斬りかかった。攻撃は命中し、バジリスクは悶絶するように身をよじったが、リオンは手ごたえのなさに顔をしかめた。
想定よりも刃が通らない、斬撃は中途半端なところで止まった。その理由は鱗、バジリスクの硬い鱗にあった。密集した硬い鱗が刃を食い止め、傷を最小限にとどめていた。
すぐさまその場から離れるリオン、そのすぐあとに、尾を鞭のようにしならせた強烈な一撃が地面を抉った。そんな攻撃もできるのかと、リオンの背に冷や汗が伝った。
体を光の刃で傷つけるには時間がかかる、攻撃を避け続けるにも限界がある、リオンにとって戦闘は長引くほど不利になる。常に体力を失い続けているので、いつ限界がきてもおかしくないのだ。
一撃で勝負を決めなければ。そう結論づけたリオンは腹をくくると、光の刃を解除し、地面に寝そべり目を閉じた。それは常軌を逸する自殺行為であった。
リオンの取った行動を見て、ルネはすかさずマルスの刀を抜こうとした。しかしそれをマルスが制止した。驚いて目を丸くするルネに、マルスはリオンをまっすぐに見据えて言った。
「まだじゃ。まだ勝負はついておらん。まだリオン殿は、あきらめてはいないっ!」
その行動が諦めからくるものではなく、あるタイミングを待っての行動であると、マルスは見抜いていた。しかしルネはいくら止められてもマルスの刀から手を放さず、いざとなれば力ずくで刀を引き抜けるように準備をした。
リオンは目を閉じ神経を研ぎ澄ませ、その時を待った。攻撃がくる方向は分かっていた。後はタイミングを計るだけだった。
バジリスクは巨大で、なおかつ上体を起こして行動する。それは常にリオンを見下ろすかたちになり、下や横、正面から噛みついてくることが難しい。獲物が地面に寝そべっているのなら、なおさら取れる選択肢が上から噛みつく他なかった。
何故急にこんなおかしな行動を取ったのかと、バジリスクは一瞬ためらいを覚える。しかしリオンがどんなに違和感のある行動を取ったとしても、それが獲物を仕留める絶好の機会に変わりはない。バジリスクは地面のリオンめがけて、大口を開けて飛びついた。
しかしその瞬間こそ、リオンが待ち望んでいたものだった。合わせることがないようにと閉じていた目を見開き、柄頭を叩いて光の刃を展開する。魔眼によって、体が硬直するのを覚悟の上で、リオンは刃を天に向かって突き出した。
その攻撃の瞬間、予想通りリオンとバジリスクの視線が合った。リオンの体は石の如く硬直したが、それでよかった。すでに攻撃は終わっていたからだ。リオンが決着のために狙った箇所は、バジリスクの口内である。
一度攻撃のために飛びついた勢いを減速させることはできない、バジリスクは突き出された光の刃にそのまま向かって行く他なく、硬い鱗で守られていない口の中から、脳天に向かって自ら刃に突き刺されることで絶命した。
バジリスクが死んだと同時に、魔眼の効果が切れて俺は動けるようになった。すぐに逃げなければ上から降ってくる巨体の下敷きになってしまう。だが、硬直が解けたせいか、戦闘の疲労が一気に襲い掛かってきて、俺はそこから動くことができなかった。
折角バジリスクを仕留めたというのに、ここで潰れて死ぬのか。俺の頭にそんな考えがよぎった時、落ち着いた声で「伏せていなされ」と聞こえてきた。
次の瞬間、刀を抜いたマルスさんが、バジリスクの体を細切れに斬り刻んだ。血と肉塊がぼとぼとと落ちてくるので、言われた通りに俺は伏せた。それが静まると、刀を鞘に納める音が聞こえてくる、そして俺は血の海の中から顔を上げた。
「見事な戦いぶりでしたぞリオン殿、このマルス、感動に打ち震えますじゃ」
「言われた通り、死にかけるまで手は出しませんでしたよ。まったく、まさか戦闘ではなく、死体に押しつぶされて死にかけるなんて思いもしませんでした。いつマルスおじいちゃんの刀を抜くべきか、迷いましたよ、もう」
ルネは不満げにそう言いながら俺に手を差し伸べてきた。血まみれだからと、その手を取ることを一瞬躊躇したが、ルネの方から手を掴んできて俺のことをぐいっと引っ張り上げてくれた。
まだふらつくが歩くだけなら問題はない、俺たちはバジリスクがいた採掘場所をすみずみまで探し、ようやく目的の物を見つけると、へとへとの体を引きずってダンナーさんの所に戻るのだった。