使えるものを使え!
魔物グール、通称死肉喰らい、分類は小鬼の近縁種とされている。人に似た姿形をしているが、前足を地につけて四足歩行をする。死肉の腐臭を嗅ぎつけ、4匹前後の群れでそれを食い荒らす魔物だ。その標的には見境がなく、人、動物、魔物、すべての死肉が捕食対象である。
バジリスクが棲みついたことで、坑道は閉鎖された。閉ざされた場所で生き続けていられるのは、ほんの一握りの魔物である。グールはその中でも、飛び切り生存力に長けていた。
閉じ込められた他の魔物は、食べ物がなく衰弱して死んでいく、しかしグールは死肉さえ口にできれば、他の魔物よりも飢えに強かった。
グールは死した魔物などの硬い皮膚を食いちぎるための鋭い牙、そして斬り裂くための鋭く長い爪を持っていた。視力は低いが、嗅覚が発達しており、血の匂いに敏感である。
魔王復活前のグールは、あまり活発な魔物ではない。隠れ住める場所に潜み、夜のうちに動き回っては死肉を探す。凶暴な性質だが憶病な性格で、生きたものの匂いを嗅ぐと逃げ出す習性があった。
しかし今は事情が異なる。魔王は復活し、各地の魔物は活性化していた。グールは凶暴性が増して、積極的に死肉にありつこうとする、つまり自分たちで生き物を襲い、死体を作ろうとするのだ。
坑道内は暗く視界が悪いが、グールにはあまり影響がない、嗅覚で獲物の場所を探知して動けるからだ。他の息絶えた魔物を食らい、息のある魔物は仕留めて食らう。現在、坑道内で一番勢力があるのはグールだった。
必然的に、坑道内で遭遇する可能性が一番高い魔物はグールである、リオンは常に対グールを想定して動く必要があった。
グールは共食いをしない。では何故共食いをしないのか。食するものは死肉で、食事の際に染みつく匂いは全個体で共通して腐臭だ。視力が弱く、嗅覚が発達しているグールが同種を襲わないのは不自然だ。
もちろんそれには理由があり、グールだけが持つ特殊な臭腺から発せられる匂いのおかげだった。同類と嗅ぎ分けることのできる匂いを臭腺から放つため、グールは共食いをせずに済む。
坑道内を3匹で移動していたグールの群れ、その最後尾のグールに天井に張り付いて待ち構えていたリオンが飛びついた。落下の勢いを利用した不意打ち、リオンはグールの首の骨を踏み抜いて砕いた。
リオンの奇襲を受けて残り2匹は混乱した。リオンの匂いはしなかったし、気配もなかった。その理由は、リオンが入念に準備していたからである。
リオンは群れからはぐれて息絶えたグールを見つけると、臭腺から液を採集して、それを体中に塗りたくった。勿論その匂いは想像を絶するほどの悪臭であるが、たったそれだけでグールから身を隠すのに有利に働いた。
混乱する2匹は無防備であり、襲い掛かるには絶好のチャンスだった。しかしリオンは敢えてそれをせず、仕留めた1匹を暗闇に引きずり込んだ。当然群れの仲間を助けるために他2匹はそれを追いかけた。
追いかけた先で仲間の死体を見つけた1匹がそれに近づいた。リオンはグールの死体からある部位を切り落とし、その1匹を待っていた。
十分に引き付けてから、リオンは切り落としたグールの腕を、鼻の穴を狙って突き出した。グールの爪は長くて鋭い、折れた剣では突き刺すことができないので、腕を折って切り離し利用した。
鼻の穴の奥まで鋭い爪が突き刺さり、顔面に仲間の腕が突き刺さったグールは悲鳴を上げてのたうち回った。そのせいで腕は更に顔面に食い込み、やがて爪が頭を貫いた。
最後の1匹は連続する不意打ちに恐怖した。動きは止まり、思考は鈍る。戦意をすっかり喪失してしまったグールには、流石に弱体化したリオンでも負けることはなかった。
何とか3匹のグールを仕留めきった。すでにくたくたに疲れ切っているが、まだやることがある。俺はグールの死体をひとところに集めた。生きている内は共食いしないグールでも、死肉になれば同族を食らう。
だからその死体の山に毒を撒いた。これでこの死肉を食いにきた群れは死ぬ、そしてその死肉に残った毒で他の群れも死ぬだろう。手を下さず始末できるのはそこまでだろうが、着実に数を減らせば坑道での探索がより安全になる、やらない手はない。
俺は急いでその場から離れた。すぐに他のグールがやってくるはずだ。体につけたグールの匂いのカモフラージュが有効なうちに、安全な場所まで逃げる。
しかしたかだか3匹のグールを仕留めるだけ、それなのに戦いは酷い有様だった。だけどいい発見もあった。魔物の死体からはぎ取った部位などは、武器認定されないらしい。どこまでが適用範囲か分からないが、少なくとも一時的に利用する分には問題がなさそうだった。
攻撃手段が限られている俺にとって、これは本当に大きな収穫だった。まあそんな状況はとても限定的だろうけど、できることが増えることは単純に生き残ることにつながる。
「ああ、それにしても本当に臭いな。こりゃ帰ったら相当怒られるだろうなあ」
自分がどれだけ戦えるのかを見極めるためには必要なことだった。しかし得られた結論は、こんなことを何度も続けていられないだった。せめてまともに使える武器がないと、折れた剣でできることは限られすぎていた。
「げえッ!!くっさ!!!」
ルネのあんまりな出迎えの言葉に、ぽろりと涙がこぼれた。入ってくるなと言われ、仕方なく外で体と装備を水で洗い流す。中々匂いが取れないので、服は捨てるしかない。
ブラシを片手にパンツ一丁で装備の汚れを落としていると、とてもみじめに思えてきて気が滅入った。この後の手入れのことも考えると、まだまだ時間がかかるなあと考えていると、ルネが鼻をつまみながら、小瓶を持ってやってきた。
「これ、使ってください」
「何これ?」
「匂い消しです。強力なやつ」
「これも調合してきたの?」
ルネはそれ以上答えずただ頷いた。そして鼻をつまんだまま、すすすっと距離を置く、傷つくことは傷つくが、それだけグールの匂いが強烈なのだろう。ありがたくその匂い消しを使わせてもらった。
汚れと匂いを落とし切ると、ようやくルネが近寄ってきた。上着をもってきてくれて、それを渡してくれた。そして俺の匂いを嗅いで臭くないことを確認すると、隣に腰を下ろした。
「で、リオンさんどうしてそんなに臭かったんですか?何か理由があるんでしょ?」
「勿論。ただ臭くなってきただけじゃないよ」
俺は装備についた水分をふき取りながら、坑道での出来事について詳しく説明した。グールの習性を逆手にとって奇襲し、体の一部をもぎ取って利用し、仕留めたグールの死体に毒を撒いたところまで、狙いを含めてすべてを話した。
「また無謀なことを…」
「そりゃそうだけど、文句ばかり言ってられないだろ?」
「そうですけど…。やっぱりその折れたポンコツが問題ですよね」
ご先祖様の剣をあまり悪く言いたくはないが、問題なのは間違いない、精気と魔力を吸い取られ続けるだけでも厄介極まりないのに、武器としても殆ど使い物にならないのでは、文句の一つも言いたくなる。
「おっ、リオンじゃねえか、こんなとこで何して…。ヒッ!ル、ルネさんも一緒でしたか…」
どこかへ出かけていたのか、ダンナーさんが戻ってきた。俺の隣に座っていたので、陰になって見えなかったのか、ルネの姿を見つけると彼は一瞬で萎縮してしまった。
「どうもダンナーさん。勿論私もいますよ?それともいちゃダメな理由があるんですか?」
「やめなさいよ、それルネの悪い癖だぞ。先生、よくないとこだと思うな、そういうとこ」
「でもせんせー。そもそもダンナーくんがお酒を飲むからいけないと思いまーす」
「おい!今は飲んでねえだろ!そもそも飲めないし!」
「まあ子芝居はこれくらいにして。ダンナーさん、納品終わりました?」
それを聞いて、仕事で出ていたのかと納得した。最近ではすっかり感を取り戻してきたのか、徐々に難しい仕事も回ってくるようになっていた。心なしかダンナーさんも、仕事に打ち込んでいる時の顔が生き生きとし始めている。
「おう!納品先に、いい仕事だって褒められたぜ!…こんなこと言われたのは何年振りかな、変な話だがな、こう、褒められた時に胸の奥がぶわっと熱くなったぜ」
「よかったですね。その評価は、間違いなくあなたの力への正当なものですから」
「…そっか、そうだな。へへっ、俺の取柄は元々これしかなかったってのに、こんな大事なことを忘れていたなんてな…。まったくバカだよ俺は」
ダンナーさんは本当に嬉しそうだった。酒浸りになって様々なことを台無しにしてしまったけれど、取り戻せるものだってあるはずだ。このまま彼が、自信を取り戻してくれたらいいなと思う。
「で、話を戻すけどよお。リオン、お前さん何やっとったんだ?」
「リオンさん、グールの匂いを体につけて身を隠していたんです。奇襲するためにね」
「はあ?あいつら相手になんでそんな回りくどい…、ってそうか、その剣のせいだったな」
「ええ。なにせ剣がこのありさまですから、何とか今あるものでやりくりするしかないんですよ。世知辛いですけど、そう文句も言っていられません」
「まあなぁ…。しかしそうか、今あるものか…」
ダンナーさんは急にぶつぶつと何やら呟いた後、何かを思い付いたのか思い切り音を立てて手を打った。そして俺の両肩を掴んで「それだっ!」と言う。
「あるもの、つまり残ったもので何とかすりゃいいんだ!いいこと思い付いたぜリオン!こいよ、俺の仕事を見せてやる」
急にやる気になったダンナーさんが、鼻歌交じりに工房へと戻っていった。俺とルネは顔を見合わせて首を傾げると、とりあえずその後に続くことにした。