どん底でも頑張ろう
俺は今、傷だらけのボロボロな体で、閉鎖された坑道内を走り回っていた。何とか隠れられそうな場所を見つけると、急いでそこへ飛び込み身を潜める。そして息を殺して魔物が通り過ぎるのを待った。
グールの群れがわめき声を上げながら走り去る。無事やり過ごすことができて、ほっと胸をなでおろした。血を流していたが、やつらは新鮮な血にはあまり興味を示さない。俺はヒールで傷口を塞いで、とりあえず出血を止めた。
息はすっかり上がって、肩が上下する。呼吸を整え、昂った気を静めると、俺はよろよろとした足取りで坑道を後にした。
「ただいま」
「おかえりな…、またですか、今回も手ひどくやられましたね」
俺が戻った先は鍛冶屋「偉大な炉」で、今は宿を出てこちらを拠点に生活していた。客は誰も来ないので、俺たちが生活しているのは店舗の方、宿の一室より広々している。
「おお、リオン殿、おかえりなさい。さっ、こちらで傷の手当を。ルネちゃん、頼むよ」
「はいはい。さ、早くこっち来てください」
「面目ない、よろしくお願いします…」
何故俺たち全員が我が物顔で偉大な炉にいるのか、その理由はダンナーさんにあった。彼は今、まさしく生き地獄を味わっている最中である。
セイコさんとの関係修復のため、酒を断つと決めたダンナーさん。そして俺たちはそれを手伝うことを決めた。手始めに行われたのは、ありとあらゆる場所に隠してあった酒の処分だった。
自宅兼店舗の隅々に至るまで、探せば探すだけ酒が出てきた。ダンナーさんが何度も断酒しようとしては隠したものらしい、だが隠していた割には、どれもこれも少しずつ中身が減っていて、つい最近開封されているものもあった。
ルネ曰く、アル中は酒を隠すらしい。そして口だけの断酒を繰り返しては、隠してある酒を消費していくそうだ。俺は純粋に疑問に思った。誰にも見られていないのに、何故酒を隠す必要があるのか、と。するとルネは、罪悪感だと答えた。
「自分が酒で失敗するのは目に見えているのに、中々やめられない。だけど堂々と飲むには後ろめたい。だから酒を隠して、誰も見てないのに隠れて飲むんです。そうやって自分を誤魔化すんです。誰も見てないなら、少しだけなら、そんな感じですよ」
どうしてルネがそんなことを知っているのか、それはさておいて言っていることは正しかった。隠してある酒には全部手がつけられていた。これは動かぬ証拠だ。
ダンナーさんは隠してあった酒瓶をすべて見つけ出され、それをずらりと並べた前に正座させられていた。勿論、正座させているのはルネである。
「言い訳を聞きましょうか?」
「こ、これはだな…」
「言い訳無用!!」
ルネはそう一喝した。自分から言ったくせに、理不尽だ。
「あなた周りの人に、何度も酒をやめるって宣言してたそうじゃないですか。それでこの結果がこれとは笑わせてくれますね」
「う、うるせえ!!テメエに俺の何が分かるってんだ!!」
「分かりませんよ。酒を飲みながら仕事して、セイコさんの大切な槌を置き忘れて、酔っぱらっていたから、どこに置いてきたかも忘れてしまった間抜けの考えなんて、誰にも分かりませんよ。だから誰もあなたに同情してくれないんです。まったく共感できないから」
一言一言がダンナーさんの心を抉る、えげつないなとは思うが、すべて事実だ。しかし、正論だけでは人を変えることはできない。さてどうするのかと思っていると、ルネは並べた酒瓶の中から一つを選んで持ち上げた。
「ほら、飲みなさい」
「は?」
「それがあなたが飲める酒の最後の一本になります。決別のために飲みなさい」
「いやでも、断酒するって話じゃあ…」
うろたえるダンナーさんの目の間に、ルネはもう無言でぐいっと酒を差し出した。ダンナーさんはそれを奪い取るように引っ掴むと、蓋を開けて一気に中身を飲み干した。
「カーッ!!美味い!!やっぱり最高だ!!」
「よかったですね。じゃ、これを機に断酒ってことで」
「当たり前だろ?俺様を誰だと思ってるんだ!がっはっは!!」
酒を飲んで陽気に笑うダンナーさんを後目に、ルネはさっさと並べた酒を片づけ始めた。俺はそれを手伝いながら、ルネに聞いた。
「なあ、本当に飲ませてよかったのか?こういうのって、飲まないことが大事なんじゃないのか?」
「まあ見ていてください。恐らく明日、早ければ今日の夜、面白いことが起きますよ」
その時は、何のことを言っているのかさっぱり分からなかった。しかし事件は、本当にその日の夜に起こった。
「ギャアーーーッ!!」
けたたましい悲鳴が聞こえてきて、俺は飛び起きた。ルネも同様に起き上がってきたが、マルスさんはぐっすりと眠っていた。おじいちゃんだから、仕方ない。
悲鳴はダンナーさんの寝室から聞こえてきた。俺とルネがそこへ向かうと、口を開けて舌を出し、床でのたうち回る彼の姿があった。そして傍らには、すべて処分したはずの酒と小さなコップ、一気にいったのかコップの中身は空だった。
「ぐぅうう、ぐぐぐぅぐうっ…!!」
「なんだこれ。一体何が起こったんだ?」
「見りゃ分かるでしょ、このジジイ、まだ酒を隠し持っていたんです。で、どうせ飲むだろうなって思ってたんで、霊薬を調合して混ぜさせていただきました」
「霊薬を?…あっ、もしかして最後にって飲ませたあの酒か?」
「そうです。この霊薬の効能はアルコールを摂取すると、舌に激痛が走るというものです。他に害はありません、ただただ痛いだけ。簡単に断酒できないのは分かっていたので、力技です。しかし、これで男に二言はないって言うんだから、本当に笑わせてくれますよね」
ルネは吐き捨てるようにそう言うと、床で転がるダンナーさんをそのままにして去っていってしまった。俺は流石にそのままにしてはおけないので、ダンナーさんを担ぎ上げてベッドに眠らせた。彼の体は重かったが、荷物運びの経験が思わぬところで役立った。
「悪いことは言わないので、本気で酒は止めた方がいいですよ。それに、セイコさんだってきっと悲しむと思います」
まだまだ苦痛に呻くダンナーさんに俺はそう声をかけた。それから数日間は、何度も彼の悲鳴が上がるのが繰り返された。
手当を受けながら、俺はルネに聞いた。
「あれからダンナーさんの様子は?」
「とりあえず悲鳴は止みました。今はオトットさんから協力を得て、非常に簡単な仕事を回してやってもらっています。手が震えているので、作業は中々進みませんが、それでも着実に収入には繋がります」
「そうして自信を取り戻させる、だったよな?」
「ええ、今まで酒に逃げていたところを、仕事に向けさせます。それも健全とは言えませんが、飲酒よりはマシでしょ?」
「リハビリにもなるしな」
元々類まれなる技術を持っていたのだ、少しずつ仕事をしていけば、きっと本調子に戻れるはず。それに繰り返して身に着けてきた技術は、えてして体に染みついているものだ。そのうち考えなくとも手が動くようになるはずだ。
「そんなことよりリオンさんの方ですよ、毎回こんなに傷だらけになって、本当に私たちがついていかなくていいんですか?」
ルネの言う通り、俺は一人で魔物だらけの坑道に挑んでいた。置き忘れてしまったセイコさんの槌を取り戻すためにだ。正直無謀も無謀なのだが、そうも言っていられない事情があった。
「今のダンナーさんには、誰か見張っている人が必要だろ?その役目は、ルネが一番適任だ。それにあの坑道はそんなに広くない、ルネのエクスプロージョンは狙いもつけられないし、崩落する危険がある。マルスさんにはついてきてもらいたいけど、戦闘モードは一回使うと、大体一晩休まないと使えなくなるでしょ?継続戦闘には向かないよ」
これらの理由を考慮すると、無茶無謀は承知で俺が単独で突破するしかない。極力戦闘は避けて、魔物に見つからないように動いているが、それでも避けられない時にはやるしかない。
「でもこんなことを続けていたら、剣を直す前にリオンさん死んじゃいますよ…」
手当をするルネの手が止まり、俯いて小さくそう呟いた。心配、してくれているのだろうか、普段の毒舌を思うと正直判別しにくい。でも、少しでもその気持ちがあるのなら、それだけで嬉しかった。俺はルネの頭に優しく手を置いた。
「大丈夫、これでも俺は養成学校時代、全科目ぶっちぎりのトップだったんだぜ?剣は折れてるし、身体能力もその時とは比べようもなく低いけど、知識は剣に吸い取られちゃいない。何とかやってみるさ」
魔物の種類、特徴、習性、弱点、それらの知識は十分に叩き込んである。駆使すれば、逃げ回りながら攻略できる可能性は十分あるはずだ。
「…リオンさん」
「うん?」
「頭触らないでもらえます?これセクハラです」
パシッと手をはねのけられ、ルネは侮蔑の目で俺をにらみつけ立ち去っていった。ぽつんと一人残された俺は、仲間って難しいんだなあと、この扱いに一人涙した。