ダンナーさんの妻
オトットさんから聞かされたダンナーさんの離婚の理由は、思っているよりも数倍酷いものだった。ルネの言った「最低です」という言葉が端的に状況を表現しきっている。
「義姉さんと離婚した兄は、ますます酒におぼれるようになり、毎日毎日仕事もせず酒を飲んでました。たまに温情で仕事をもらえても、出来上がってくるのは粗悪な品ばかり、そりゃそうですよ、常に酔っぱらいながら仕事してるんですから。そんなことが続き、次第に見限られ始め、兄の周りからは人がいなくなりました」
「そしてまた酒を飲む、と」
「酒で失敗したくせに、まーだ飲みやがってるんですかあのオヤジ」
もはや何も言うまい、そう思った。ルネの暴言をフォローしようにも、ダンナーさんの失態の方が大きすぎる。今なお酒を飲むことをやめていないところが、余計に質が悪い。
「そこが兄の問題なんです。義姉さんに離縁されてから、その寂しさを紛らわすために酒を飲み。酔って仕事が上手くいかず、その苛立ちから酒を飲み。とうとう誰にも相手にされなくなり、自暴自棄になって酒を飲む。兄はそうして、酒で現実逃避をしているんです」
「…それはあまりにも健全じゃないですよ。誰かが止めてあげないと、ダンナーさん、本当に死んじゃいますよ」
「皆頭では分かっているんです。兄を失うことがゴウカバにとってどれほど痛手なのかも、兄は兄で苦しんでいることも分かっているんです。だけど、彼は差し伸べられた手を払い続けてしまった。それがすべてです」
そう語るオトットさんの声は一際落ち込んでいるようだった。ダンナーさんのことを本気で心配もしているのだろう、しかし、彼のしてきたことを考えると、今の自分の立場もあって中々言い出せないところもあるのかもしれない。
俺はどうするべきなのか迷った。ダンナーさんには、確かに剣を修復することができる可能性がある。だが今のままの彼では、例え一度はまともになったとしても、根本的な問題はきっと解決しない。
折れた剣を修復したいがために、ダンナーさんを利用するだけ利用するのは、間違っていると思った。何か彼にとっても、救いになるようなことがないと、このまま酒浸りの生活からは抜け出せないだろう。
「とりあえず、酒飲みダメオヤジについてはよく分かりました。今のままじゃ役立たずなこともね」
「ルネ、お前なあ…」
「リオンさんは黙っていてください。しかしこちらとしても、あの酒飲みダメオヤジに奮起してもらわないと困るんです。だから教えてください、弟として、兄の情熱にもう一度火を入れることのできる人、偉大な炉をもう一度偉大な炉に戻すことのできる人は誰ですか?」
「…それについては間違いなく、義姉さん、セイコ・カルボ以外には居ないでしょう。もしも義姉さんが兄を許し、兄もそれに応えて酒を断つことができたなら、消えた偉大な炉の炎は、確実によみがえると思います」
俺は驚いて口に手を当てた。またいつものルネの悪口かと思っていたら、真剣な解決策を考えてのことだった。所かまわず口が悪いので、思わず安直な注意をしてしまうところだった。
「じゃあそのセイコさんがいるところを教えてください。私たちで行って話を聞いてきます。リオンさんは仮にも勇者だし、そう無碍にされることもないでしょう。家庭の事情に首を突っ込むのは筋違いではありますが、止むを得ません」
「いえ、こちらからもお願いします。ルネ様の仰る通りです。もしかしたら、義姉さんも勇者様の話なら聞いてくれるかもしれない。兄があのままの状態でいるのは、私としても本意じゃない。どうか、兄を助けるのを手伝ってもらえませんか?」
そう言うとオトットさんは深々と頭を下げた。その態度には、本気で兄のことを案じている様子がうかがい知れた。俺たちはセイコさんについての情報と、オトットさんの紹介状を持って、鍛冶ギルトを後にした。
「なあルネ、ありがとうな」
「急に何ですか?気味悪いです」
俺は前を歩くルネにお礼を言った。にべもない態度で返されてしまったが、それでもと言葉を続けた。
「ただ俺に協力してくれるだけじゃなくて、ダンナーさんのことも気にかけてくれてありがとう」
「別に私はそんな…、はあ、もうそれでいいですよ。リオンさんが思いたいように思えば」
「うん、そうする。でも、セイコさんは協力してくれるかな?」
その質問に対して、ルネは頭を振って答えた。
「あの酒飲みオヤジがやったことを考えると難しいでしょ、リオンさんがセイコさんの立場だったと想像して考えてみてくださいよ、許せますか?簡単に」
「…無理だなあ」
「私も同意見です。でも、ゴウカバに来た目的を少しでも果たさなければ、リオンさんもすぐに死ぬと思います。あんな無茶な戦い方を続けていれば、きっと。私は折角見つけたあまり働かなくてもいいこの仕事を失いたくない、それだけです」
「ははっ、給料のためか」
「それ以外何があるってんですか?私はマルスおじいちゃんの無事と、給料が確約されていればそれでいいんです。無駄口はこれくらいにして、さっさと行きますよ」
俺は分かったと返事をして、ルネの後に続いた。彼女がどう思っていようと、根本的な解決の方法を考えてくれたことが俺は嬉しかった。ダンナーさんを利用するだけではなく、他の可能性を探りたいと思っていた気持ちが、一緒だったことが嬉しかった。
ダンナーさんと別れたセイコさんは、一人で鍛冶屋を立ち上げた。その名も「剛鉄火」なんとも厳つい名前だ。
この剛鉄火、何とゴウカバで一番の売り上げと規模を誇る人気の大鍛冶屋である。セイコさんは、優れた才覚で店を切り盛りし、弟子を沢山取り、技術力の高い鍛冶師を育てた。剛鉄火に作れぬものなし。ドワーフたちにそう口をそろえて言わしめるほどの、先進的かつ、高品質なものづくりを行っている。
その盛況ぶりはすさまじいもので、店は客で埋め尽くされていた。他国の商人たちも大勢買い付けに来ており、荷車が何度も店を行きかう。閑古鳥が鳴く偉大な炉と比べると、まさに月とすっぽんだ。
中々入り込む余地がなかったので、俺とルネは、一人の職人を無理やり引き留めた。そして勇者の証を見せ、オトットさんの紹介状を渡す。それをすぐにセイコさんに届けて、話があることを伝えてほしいとお願いした。あからさまに迷惑そうな顔をされたが、一歩も引かずに食い下がる。
話が通ったのか、俺たちは弟子に連れられて店の中に案内された。石の階段を上り、廊下の突き当りにある扉を弟子が叩く。
「親方!連れてきました!」
「入れな!そんでお前は、さっさと仕事に戻るんだよ!」
「はい!分かりました!」
「手ぇ抜くんじゃないよ!どんなつまらない仕事にも学びってのは詰まってる、それを忘れるな!いいね!?」
「はい!失礼します!」
扉越しだというのに、非常に大きな声でのやり取りが響き渡った。近くにいた弟子の声が大きく聞こえるのは当たり前だが、扉越しの声のほうが一際大きかった。少しハスキーな女性の声だ。
弟子は扉を開けて俺たちを中に入れると、本当に急いで仕事に戻った。今一度部屋の中を見渡すと、豪華な机を前に、立派な椅子に腰かけている女性がいた。彼女は俺たちの姿を見ると、ニカッと歯を見せて笑った。
「おう!あんたがアームルートの勇者だね?私がこの店の主人、セイコ・カルボだよ。これでも忙しい身でね、本当は会う気もなかったんだが、ギルド長からのご命令とあれば仕方ない。さ、話があるなら聞いてやろうじゃないか」
豪快、その言葉がよく似合う人だった。挨拶の握手を求められそれに応じると、万力の如き力で手を握られ、骨が砕けそうになった。痛みに思わず体が崩れ落ちる、するとセイコさんは「何だい、勇者のくせに弱っちいね」と言った。あ、この人も歯に衣着せぬ人だなと、俺は涙目でルネの顔をちらりと窺うのだった。