酒は飲んでも飲まれるな
「どうも初めまして、私がオトット・アイゼンです。ゴウカバの鍛冶ギルドの本部長を務めさせていただいています」
「初めまして、俺はアームルートのリオン。こちらは仲間のルネ。お忙しいところ申し訳ありません」
俺の紹介に合わせて、ルネはぺこっと頭を下げた。オトットさんは、柔和な笑顔で礼を返す。
ダンナーさんの弟という話を聞いていたが、見た目はあまり似ていない。ドワーフ特有の筋肉質な体つきはあまり目立たず、どちらかというとシュッとした見た目だ。
服装も、髪型もきっちりと整えており、髭は綺麗に剃ってあった。ドワーフ然としていない、そんな印象を持った。
ただ鋭い目と強面なところは、ダンナーさんとそっくりだった。むしろオトットさんの方が、格好もちゃんとしているので、余計に迫力を感じる。気難しい職人たちをまとめ上げるギルド長の貫禄が、その見た目と立ち振る舞いから伝わってきた。
「ああ、あなたがお噂の。ご活躍は聞き及んでいますよ」
「噂?」
思いもよらないことを言われて、俺はルネと顔を見合わせた。ルネも不思議そうな表情で首を傾げている。
「あの、噂って何ですか?」
「マルセエスでは村ぐるみの陰謀を暴き、ガメルでは、勇者制度を悪用した不正な資金流用を看破した。どちらもあなたと、お仲間の活躍なくてはなしえなかったと聞いていますよ」
そりゃ確かに色々と表彰され、感謝され、謝礼金をもらったけれど、話がそんなに大きくなっているとは思いもしなかった。何だか照れくさいなと顔が赤らんだが、よくよく考えると、どちらも活躍の比重はマルスさんに偏っている。
そう考えると、あまり俺が大きな顔もできない。するつもりもなかったが、ちょっとだけ肩が縮こまった。そうしてしょぼくれる俺に代わって、隣に座るルネが口を開いた。
「どちらもただ運がよかっただけですよ。それよりお聞きしたいのですが、ダンナー・アイゼンはあなたの兄で間違いありませんか?」
オトットさんの眉がぴくりと動いた。先ほどより少々険しい面持ちになる。
「兄がどうかしましたか?」
「敢えて言葉を選ばず言いますが、あの人から早いところ酒を取り上げないと、近いうちに死ぬと思います」
「ちょっ!」
流石に言葉を選ばなさすぎだろ!そう声を荒げそうになる前に、オトットさんが大きくため息をついた。
「…酒量はどれくらいでしたか?」
「流石にそこまでは…。しかしその言いよう、あなたお兄さんと全然会っていませんね?」
「…そうですね。最後に顔を見たのはいつだったか、その記憶すら曖昧なほどには会っていません」
「実は俺たち、ダンナーさんがどうしてああなってしまったのかを聞きに来たんです。他の職人さんから聞きましたが、彼が国一番の職人だと言っていました。しかし今の様子を見ていると、とても…」
「今の兄には槌をまともに振るうこともできないでしょうね。それどころか、酒瓶を振り回している姿が目に見えますよ」
俺もルネもその言葉に黙った。その反応を見て、オトットさんは「まさか…」と小さくこぼす。頭を抱え、より深くため息をついた。
「兄がご迷惑をおかけしたようで、大変申し訳ありませんでした。身内の恥じを語るのはと憚られましたが、お詫びも兼ねて私が分かることをすべてお教えします」
オトットさんの沈痛な面持ちに、流石に申し訳ない気持ちになる。しかし、折れた剣を直す可能性を見つけるためにも、ここはオトットさんに語ってもらうことにした。
「兄は、身内が言うのもなんですが、確かにこの国で一番の職人です。彼以上の技術と知識をもつものは、世界中探してもいないでしょうね」
「そこまで、ですか?」
「そこまで、です。兄はとにかく、鍛冶師になるために生まれてきたような人でした。他のことはまったくダメで、彼自身手をつけたがらなかった。しかし、こと鍛冶において比類なき実力を発揮していた。そういう人でした」
ダンナーさんのことを語るオトットさんは、まるで自分のことのように自慢げであった。しかしすぐに顔を曇らせ、先ほどのような面持ちに変わった。
「ただ兄はどうにも気難しい人で、こだわりも強く、人付き合いも苦手でして、度々洒落にならない喧嘩など、とんでもない騒動を引き起こして我々も頭を悩ませていました。お前は刀鍛冶だけやっていろ、そう罵る親族もいた」
「それは…、その、酷いですね」
「ははっ、気を使ってもらわなくてもいいんです。それだけ兄が迷惑をかけていたことは事実ですから。でも私にとっては、優しくて強い、憧れの存在でした」
オトットさんは気を落ち着かせるように、お茶を一口飲んでふーっと息を吐きだした。
「そんな兄にも転機が訪れます。それが結婚でした。義姉さんは兄のことをよく理解し、同時に彼女も高い技術力を持つ職人でした。二人は出会ってからあっという間に惹かれ合い結婚した。そしてあの店、偉大な炉を始めたんです」
「今は廃墟同然の?」
「やめなさいって!」
「いえ、ルネ様の仰る通りです。あそこは今や、廃墟のようなものだ。でも、昔はそうではなかった。兄と義姉さんの鍛冶屋は、世界一の鍛冶屋と言っても過言ではなかったんです。高品質な武具、革新的な発明、次々に新技術を編み出しては、ゴウカバ発展の原動力となっていた。偉大な炉は、その名に恥じない鍛冶屋だったんです。偉大な炉は繁盛し、兄の評価は一転して高評価に変わった」
話を聞けば聞くほど、偉大な炉の現状に疑問がわいた。今まで聞いてきた限りでは、どうも順風満帆に聞こえる。もしかして、この後とんでもない大事件が起きたのかもしれない、俺はごくりと唾を飲み込むと、いよいよとオトットさんに聞いた。
「では、どうしてダンナーさんは今あのような状態に?」
「離婚です」
「へ?」
俺は思わず素っ頓狂な声が出た。
「だから離婚です。離婚を機に兄はああなったんです」
「え?へ?離婚の原因は?聞いている限り、お二人は上手くいっていたように聞こえましたけど?」
ルネのその質問に、今までで一番重い口調でオトットさんは答えた。
「酒癖です」
「は?」
ルネが珍しく素っ頓狂な声を上げた。
「兄は、本当に、酒癖が悪いんです。それはもう最悪です。だけど家庭では、その酒癖も鳴りを潜めていたんです。というよりも、嘘みたいな話ですが、義姉さんは腕っぷしがとても強かったんです。家では兄がべろべろに酔っぱらっていると、一発引っ叩いて酔いを醒まさせていました」
「な、殴って酔いを…?」
「ええ、義姉さんがバチンと引っ叩けば、一発で酔いが醒めていた。本当に、あらゆる意味で二人は相性がよかったんです」
確かに信じがたい話だ。でも、今はそれを疑っても仕方がない。俺は話を先に進めた。
「では何故酒癖が離婚の原因に?家庭では、その、殴れば問題なかったんですよね?」
「そう、目の届く範囲で飲んでいる分には問題がなかった。しかし兄は、ある日取り返しのつかない失態をしてしまった」
それからオトットさんは、ダンナーさんと、その妻セイコさんの離婚の経緯について語ってくれた。
ある日、ダンナーは仕事で使うための鉱石を取りに坑道へ入った。当然の如く酒を隠し持って、採掘中も酒を煽りながら上機嫌に仕事をしていた。
その日は良質な鉱石がボロボロと採掘できた。上機嫌に仕事をするダンナーは、仕事が上手くいくほど酒の勢いが進んだ。当然酔いは回り、次第に判断力は鈍っていく。
たんまりと鉱石を採掘したダンナーは、酔いも回りきってご機嫌に坑道を後にした。そこに槌を置き去りにしたことを忘れて。
家に帰り、仕事の成果を報告するダンナー。しかしセイコは激怒していた。その顔を見て酔いは醒め、ついでにすっかり青ざめるダンナー。どうしてそんなに怒っているのかと聞くと、セイコは自分の槌がないと言った。
ダンナーは自分の槌とセイコの槌を間違えて持っていっていた。ダンナーは急いで探しに戻ったが、酔っ払いながら歩き回っていたせいで、自分がどこで採掘していたのかまったく分からない、どこに置き忘れてしまったのか、酔っていたダンナーに思い付く場所はなかった。
そうこうしているうちに、その坑道には凶暴な魔物バジリスクが棲みついた。危険な魔物であり、被害を食い止めるために坑道の封鎖が決定された。討伐する危険と比べると、封鎖した方がいいという判断だった。そうしてダンナーは、セイコの槌を取り戻す機会を失った。
セイコの槌は、大切に受け継いできた家宝、そして嫁入り道具だった。それを間違えて持っていき、最悪なことに酔っぱらって置き忘れ、しまいには取り戻すことすら不可能になってしまった。魔物の出現以外は、どこをどう考えてもダンナーにしか落ち度がなかった。
荷物をまとめてセイコはダンナーの元を去った。ダンナーの頬には、叩きつけられた離婚届が張り付いていた。
「最低ですね。あの酒飲みオヤジ」
今回ばかりは、ルネの暴言が正しかった。