霊峰ゴウカ山、そしてゴウカバへ
翌朝、馬車に揺られながら包帯を取る、するとルネの言う通り、傷などなかったかのように、左手は綺麗に治っていた。俺は思わず「おおー」と声を上げた。
「本当に綺麗に治ってる!」
「何ですか?疑ってたんですか?」
「違うよ、感動してるの」
「それはよかったですね、治療費は共同財産のリオンさんの分から差っ引いておきます」
「金取るの!?」
俺とルネのやり取りを見ていたマルスさんが、嬉しそうに破顔して、ほっほっほと笑い声をあげた。
「どうかしました?マルスおじいちゃん」
「いやなに、ルネちゃんとマルス殿が仲良くなってくれたようで、わしも嬉しいのじゃ。仲間じゃからのう、仲良きことはよきかなよきかな」
「スリープ」
魔法をかけられたマルスさんは、すこーっと眠りに落ちてしまった。突然眠らせたのでがくっと姿勢が崩れる、俺は慌ててマルスさんの体を支えた。
「ちょっ!何してんだよルネ」
「ふんっ」
ルネはそっぽを向いてしまった。仲間と言われて、そこまで嫌がらなくてもと思ったが、これ以上俺が何かを言うと、もっとへそを曲げてしまう。憮然とした顔をして唇を尖らせ、ルネは無言のままマルスさんを俺から引き取った。
このやり取り、この空気感、やっと慣れてきた。ルネの口の悪さも、マルスさんのおじいちゃんっぷりも、今では安心感すら覚える。
ゴウカバまでは、後もう少しだ。寝ているマルスさんを見ていたら、俺もだんだん眠くなってきた。目を閉じて、たまにふごっ!ふがっ!と大きな声を上げるいびきを聞いていると、俺はいつの間にか眠りに落ちていた。
「…ンさん、…オンさん!」
声が聞こえてきた。そして体を揺さぶられる感覚、重いまぶたを何とか持ち上げ、俺は目を覚ます。
「チッ、起きましたか。もう一度名前を呼んで起きなかったら、ビンタで起こそうと思ってたのに」
「…心の底から、今起きてよかったって思ってるよ。もう到着?」
「ええ。さっさと準備してください。私は先にマルスおじいちゃんと降りてますからね」
「分かった。すぐに行くよ」
手早く荷物をまとめて馬車から降りる。まだ頭が冴えていないからか、視界が揺れて、足がもつれた。ふらっと転びそうになった俺は、がしっと肩を支えられて、転ばずに済んだ。支えてくれたのは、ここまで運んできてくれた馬車の御者さんだ。
「すみません」
「いえ、大丈夫ですか?」
「はい。ちょっとめまいがして、でも大丈夫です」
「それはよかった。長旅お疲れ様でした。ゴウカバは色々とすごいですよ、きっと驚くと思います。では、またのご利用をお待ちしております」
「それは楽しみです。こちらこそ、ありがとうございました」
俺はお礼を言って頭を下げると、足早に二人の元に向かった。するとルネはぽかんと口を開けて、マルスさんは感心しているのか、何度も頷いて目を輝かせていた。
「お待たせ二人とも、ちょっともたついちゃって」
「…リオンさん。これが?」
ルネがこれと指さした先にあるのは、圧倒される巨大な山だ。俺はその問いかけに頷いてから答えた。
「そう、この山がドワーフたちが神の住まう場と呼ぶ、霊峰ゴウカ山。そしてこの山一つまるごとすべてが、ゴウカバという国だ」
世界一の高さ、大きさを誇る、ドワーフの霊峰ゴウカ山。知識として知っていたものの、実際に目の前にすると迫力が違った。ドワーフたちは、この山の中に住んでいると聞く。ここで俺は、ほんのわずかでも、この折れた剣に関する情報を手に入れる。そして願わくば、少しでも戦力になりたいと思っていた。
ドワーフの大国ゴウカバ、ここはドワーフたちが山を掘り進め、洞窟の家を作って生活をしている。洞窟の中、そう聞くとじめじめとして暗いイメージを持つが、ゴウカバはその真逆だ。
洞窟の中にあるにも関わらず、ゴウカバは昼のように明るくて、高原のように爽やかな空気が保たれていた。これは過去ゴウカバに集ったドワーフたちが、ここをより住みよい国にするためにと研究に開発を続け、独自の工学を発展させてきた成果だった。
山の中にいるとは思えないほど、整備の行き届いた広くて大きい、綺麗な街道がある。そして道の真ん中にはレールが敷かれており、そこを忙しなく機関車とトロッコが行き来している。
ゴウカバは商業的価値の高さから、各国から商人が集まってくる、しかしここは今まで訪れてきたマルセエス、ガメル、それらとは違う意味で騒がしい国だった。
カーンカーンと絶えず響く金づちの音、職人が弟子を叱りつける怒鳴り声、さっきまで陽気に酒を酌み交わしていたドワーフのおっさんが、唐突に殴り合いの喧嘩を始めて、それをはやし立てるギャラリーが、どこからかわっと集まってきた。
前二つの国が騒がしい国だとすると、ゴウカバは喧しい国という感じだ。同じようであり違う国、見かける人種も、圧倒的にドワーフが多い。
ルネは珍しく、毒を吐くこともなく珍しそうに、あちこちを眺めていた。マルスさんも同じようなものだったが、こちらも珍しくちょっと迷惑そうにしていた。その理由はというと。
「おい、爺さん!あんたのその刀見せてくれや!」
「珍しい武器使ってるなあ。ここいらじゃ滅多に見ない代物だ」
「しかし特徴のない刀だな、それに質もあまりよくねえ、出来も悪いし、数打か?」
「だけど使い手の技量は大したもんだ。どうだ爺さん、俺にこいつを預けてみねえか?もっといい刀に鍛え直してやるぜ」
「バカ野郎が!テメエんとこに任せたら、ひげも斬れないなまくらにならあ!その点うちは腕がいいぜ、どうだ爺さん?」
こうしてマルスさんの刀を巡って、ドワーフ同士で喧嘩が始まってしまったからだ。困った顔でおろおろとするマルスさん、見ていられなくて俺は割って入った。
「ちょっと!ちょっといいですか!?そういうのは後にしてください!」
「何でえ兄さん、あんたなにもんだ?」
「勇者です!アームルート公認の勇者!彼は俺の仲間です。どなたかゴウカバの勇者優待宿を知りませんか?」
「ああ?あんたら勇者様だったのかい。悪い悪い、そういうことは早く言ってくれよな」
言う暇なかっただろうが、そんなルネみたいな悪口が喉から出かかった。危ない危ない。
「しっかしあんちゃん、全然勇者様っぽく見えねえなあ。その点ゴウカバの勇者はすげえぞ、ワイバーンを一人でぶっ倒した豪傑だ。俺たちドワーフの誇りだぜ」
「あれ?俺はサラマンダーの舌を引っこ抜いたって聞いたけどな」
「ちげえよ、確かドラゴンの鱗を生きたまま剥いだって話だぜ」
話が脱線し始め、わいわいと違う話を始めてしまった。そのうちヒートアップし始めて、やがて取っ組み合いの喧嘩に発展した。これはもう止められないと、俺はマルスさんを連れてそこから静かに立ち去った。
「ルネ、もう行こう。誰かにつかまる前に早く」
「あっすみません、ついキョロキョロと。って二人とも、どうしてそんなに疲れた顔を?」
俺とマルスさんは思わず顔を見合わせた。そしてははっと乾いた笑いをして、遠い目をした。
何とか宿について部屋を借りる、拠点の確保は済んだ。しかし到着早々、ぐったり疲れ切ってしまったマルスさんを、これ以上連れ出す訳にもいかず、俺たちはもう休むことに決めた。
しかし洞窟の中にいて、どうやって時間の感覚を知るのだろうか。ベッドに寝転がりながら、俺はそんなことを考えていた。そろそろ夕方、そして夜になる。もしかして、ずっと昼間のようなままなのだろうか、そう思うと少しうんざりする。
だけど俺のそんな予想は外れた。窓から差し込む光が赤らみ始め、俺はそこから身を乗り出して、辺りを見回した。
「うわあ、すごいなこれは」
まるで洞窟外にいると錯覚してしまうほど、自然な色合いで洞窟は夕焼け色に染まっていた。天井を見上げると、徐々に星まで見え始めている。もっとよく見ると、月まで現れていた。
どういう仕組みかさっぱり分からないが、ゴウカバでは、外の景色と洞窟内の景色が繋がっているらしい。この高度で未知の技術を目の当たりにすると、もしかしたらという期待感が否が応でも高まった。