表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
115/116

勇者の剣は、もう折れない その2

 勇者の間に備え付けられていたベンチに、俺とヴェーネは並んで座った。暫く無言の時間が続いたが、ヴェーネの方から話を切り出してきた。


「…あれから、罪滅ぼしにはならないって分かってるけど。色んな国を回って、ああいう手合いの悪党から、金を巻き上げて、警察に突き出すってことを繰り返してきた。勿論、巻き上げたお金は、必要としている人の所に返したからね?」

「またそんな危険なことを…」


 俺は深くため息をついた。何かしくじれば、消されていてもおかしくない、危険な綱渡りだ。あの手の犯罪者は、人を殺すことになんのためらいもない。


「俺たちが追っていた奴だってな、奴隷商売や違法薬物の売買に手を染めて、裏で凶悪な組織と繋がりを持っていた危険な相手だったんだぞ。一歩間違えていたら、どうなっていたことか…」

「あら、あたしがしくじると思うの?」

「思わない。だけど、心配してたんだぞ、ずっとな」


 俺の心配していたという言葉に、ヴェーネはほんのりと頬を染めて見せた。これは計算してやっているんだ、頭でそう分かっていても、ドキッとしてしまう自分が悔しい。


「あたしね…」

「うん?」

「裁かれる勇気はないけれど、罪の意識に無頓着で、それさえ図太く生きるすべに変えていた自分から、すっかり変っちゃったの。その変化が中々受け入れられなくて、一人になって、考えてみたくなった。どうしてだろうって」


 何となくだけど、その答えがどんなものか、俺は分かる気がした。それを確かめるためにも、俺は自分の考えを口にした。


「勇者として過ごした時間、それが君を変えた。そうじゃないか?ヴェーネ」


 彼女は俺のその発言に目を丸くして驚いたが、次には柔和な笑顔になって「流石ね」と呟いた。


 ただ微笑んではいても、それはどこか寂しく、悲し気に見えた。何かを諦め、覚悟を決めたかのような、ぴりっと引き締まった表情をしているように見えた。


「あたしはどうしたって、勇者のように高潔ではいられない。かといって、人を食い物にし続けた、たかり女に戻ることもできなくなっちゃった。自分が生きていくことだけに精一杯だった時間は、とっくに終わっていたのに、それに気づかず、あたしはずっと、スラムの少女のままだった」

「だけど、勇者として戦ったあの時間が、君の目を覚まさせた。そうだろう?」

「ええ。でも、勇者としては、あたしは何もできなかった。それなのに、皆が言うの、あなたのおかげだ、とか、あなたから勇気をもらった、だとかね」


 ヴェーネと一緒に魔王城に突入した勇者たちの中で、彼女のことを悪く言う者は誰もいなかった。結果的にはそうならなかったが、本来であれば、手柄も名誉も勲章も、すべて彼女のものになるはずだったのにだ。


「そのことがどうしても信じられなくて、あたしは、皆から離れた。でも、どこで、どう自由に過ごしていても、思い浮かぶのは、仮初だったけれど、勇者として生きた時間のこと。そして、あなたから言われた言葉だった」

「俺の?」

「自分にできることをやればいい。それで思い付いたのが、悪党からお金を巻き上げて破滅させること。お金を巻き上げるのは、あたしの、一番得意なこと」


 自分にできることを探した時、恐らく彼女は、その中でも、やりたいことを選んだのだと思う。そうして思い付いたのが、得意のおねだりを駆使して、困っている人を助けることだった。


 誰かのために戦うことを、自然と選択したのなら、ヴェーネ・フロスという悪女は、すっかり勇者に変わっていたのだと、俺はそう思う。


「ある時ね、ふとリオンに、あなたに会いたくなったの。そして調べてみたら、あなたが警察として働いているって知った。ああ、これがあたしたちの間にあった不思議な縁の行きつく先、運命だったんだって、その時に思ったの。ねえ、リオン?」

「何だ?」

「あたし、観念してあなたに捕まろうと思う。あなたになら、捕まってもいい。あたしがここに来たのは、それが理由」


 ヴェーネは両手を上げて、降参の意思表示をした。ようやく彼女が現れた理由を知った俺は、ため息をつきながら、彼女の腕を掴んだ。




 上げた手を下ろさせて、俺は手を放した。拘束しないのかと、困惑するヴェーネに、俺は言った。


「そもそもな、ヴェーネの罪にはとっくに恩赦が出てる。魔王討伐時において、ヴェーネのみせた著しく勇敢な行動に、心動かされた勇者たちが、全員証言してくれたんだ。あの時、戦う力を持たないヴェーネが、誰よりも先頭に立って魔王と立ち向かってくれたことで、自分たちは間違えなくて済んだって」

「えっ?」

「臆病風に吹かれて、自分が助かるために魔王を見逃していたら、今の平和な世はなかったって、皆知っているんだ。あの場で、一番勇者に相応しいのはヴェーネだったと、勲章は与えられずとも、その勇敢さに報いてほしいって、魔王城突入組の勇者全員が、そう歎願した」

「はっ?」

「だから残念だったな。この世界で唯一、ヴェーネのことを必死に探していたのは、俺だけだ。どこでどう生きていても、誰もヴェーネを咎める人はいなかったんだよ。そっちから勝手に現れてくれて、正直助かった」

「へっ?」


 きょとんとしながら、頭の上に大量の疑問符を浮かべるヴェーネ。俺は心の中でざまあみろと思った。散々心配をかけさせた罰としては、ちょうどいい。


「まあそういう訳で、ヴェーネを罪に問える人は誰もいない訳だが、俺としては、目の届く範囲にいてくれないと、危なっかしくて仕方ない。だから、代わりにこれをつけさせてもらう」


 俺は懐から、小さな箱を取り出した。それを開けて、中の指輪を彼女に見せる。指輪を取り出し、左手をそっと掴んで引き寄せると、薬指にはめた。


「いつだったか、ヴェーネに提案されたことがあるよな。勇者の使命なんて忘れて、二人で楽しく生きてみないかって。俺もヴェーネも、もう勇者でも何でもない。今からでも、遅くないと思わないか?なあ、ヴェーネ」

「ほ、本当に、あ、あたしと…?」

「ああ。前にも言ったけど、二人で過ごす時間、悪くない。一緒に生きて、俺に楽しいことを沢山教えてくれよ。勇者が必要なくなったこの世界でさ。結婚してくれ、ヴェーネ」


 飛びついてくるヴェーネの体を、今度はしっかりと受け止めて抱きしめることができた。涙を流しながらとびっきりの笑顔を浮かべる彼女と、俺は口づけを交わした。


 ちらりと視線をエリュシルに向けると、一瞬だけ、剣の刀身がきらりと輝いた。見届けてくれてありがとうと、心の中で感謝をすると、もう一度だけ、エリュシルはきらりと輝いてみせた。




 それから更に、数年の時が過ぎた。俺は、妻のヴェーネと子どもたち二人を連れて、怪物との戦いがあった場所を訪れていた。今ここは自然公園となっていて、多くの緑が芽吹き、沢山の命が育まれる大地になっている。


 汚染の浄化が進み、この自然公園は完全に浄化され安全な地域となっていたが、まだまだ全体で見ると、汚染が残っている場所はある。ゆっくりと、着実に進めていくしかない。


 俺はここに花束を手向け、手を合わせた。あの怪物は、間違いなく排除しなければならない存在だったが、醜く歪んだ人と魔物の悪意がなければ、生まれなかったものだ。それに、魔王と勇者の戦いの歴史もなかったかもしれない。


 これもまた奇縁だなと思った。魔王と争い合う歴史がなければ、勇者は生まれず、先祖のラオルも全く別の道を歩んでいて、俺は生まれてこなかっただろう。こうして妻や子どもたちと会えることもなかった。


 怪物がもたらした戦いの歴史は、確かに悲しみに満ちていた。だけど同時に、様々な可能性も生まれた。怪物を肯定することはできないけれど、完全に否定することもできない。過去をなかったことにすることは、誰にもできないことだから。


 最期は、自らを消滅させる道を選んだ怪物。それを看取った俺は、どうしても花を手向けずにはいられなかった。それが自己陶酔や自己満足の類だったとしても、だ。誰か一人でも、その選択に思いをはせる人がいてもいい、そうじゃないと悲しすぎる。


「リオン、大丈夫?」

「ああ、終わった。…本当はよくないんだろうけどな」

「そんなことない。あなたの思うようにすればいいと思う」

「ありがとうヴェーネ」


 彼女の微笑みに、俺も応えて微笑み返す。そして一緒に、自然の中を駆け回る子どもたちの様子を眺めていた。


 怪物が消え、魔王が復活しなくなっても、魔物に知性が戻ることはなかった。今はまだ、何事もなく人と魔物の生活圏の線引きは上手くいっているが、いつまたどんなことが起こるのか、それは誰にも分からない。


 できることなら、いつまでも平和な世を、勇者も魔王も必要のない日々が続いてほしいと願う。それでもいつか、誰かが何かを間違えて、混沌の世が訪れる日がくるかもしれない。


 だけど、それすらも乗り越えて、前に進んでいけるはずだ。自分の中の可能性を信じて、誰かのためにできることをしながら、生きていけるはずだ。


 勇者の剣が、もう折れることのない平和な世界が続くようにと、俺は願った。いつか勇者も、その剣も、存在すら忘れられ、ぼろぼろに朽ちてしまってもいい。いや、そうであってほしいと、俺は祈った。




 了

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ