奮闘
ヴェーネと勇者軍団が、魔王ルシエラと対峙し、その目的を聞かされている間、世界各地では、とある異変が起こっていた。
ある国では、突如として空に巨大な漆黒の大穴が開いた。そこから落ちてきたのは、巨人の魔物タイタン、一度暴れ出せば、災害級の被害を出す魔物である。魔王級の強さを誇り、何人もの勇者を屠ってきた。
特に今は、魔王復活期の活性化状態にあり、普段は静かに山奥で眠り続けているタイタンも、少しでも刺激を加えられると、簡単に怒り狂い暴れ出す。
それが国の、人々の往来の激しい都市部の上空に、突如現れた。タイタンはそのまま落下すると、地面に降り立った。
タイタンの着地地点には、突然のことながら、逃げ遅れた人々が数多く取り残されていた、着地したタイタンの巨大な足裏には、ぐちゃりと潰れた粘性のある肉塊が、びっしりと張り付いていた。
逃げ出せた人の多くも、タイタンの着地の余波に吹き飛ばされ、建物に体を強く打ち付けたり、地面に投げ出されたりして、真っ赤な染みを残して絶命した。
恐怖、そして巻き起こるパニック。突然の出来事に混乱した人々の悲鳴は、水面に広がる波紋のように、次々に伝播していった。取り乱した人々は、安全な場所を求め走り回る。
そして逃げる際、転んでいたり、怪我を負って動けなくなった他者を、容赦なく踏みつぶしていった。他者を気に掛ける余裕など、欠片もなかった。
またある国では、空間に大量に開いた穴から、無数のゴブリンが出現した。国中を埋め尽くさん限りに出現したゴブリンは、突然の転移に混乱したものの、人間の姿を確認すると、すぐさま連携を取って、得意の集団戦を開始した。
一匹一匹では大した脅威にならないゴブリンでも、統率が取れていると話が違ってくる。無数のゴブリンの群れの次に送り込まれてきたのは、ゴブリンリーダーと呼ばれる個体、ゴブリンたちにとっては明確な上位個体であり、リーダーは、他の群れのゴブリン同士であっても、まとめ上げて統率の取れた行動をさせることができる。
ゴブリンたちはまず、混乱状態にある人々を攫った。老若男女、大人子ども関係なく、ろくな退避行動を取れないタイミングで、殺すのではなく、多くの人間を攫って無力化した。そして、よく泣き叫ぶ子どもは生け捕りにし、抵抗する力のある大人は、徹底的に凌辱して暴力で痛めつけた上で殺した。
殺した人間の死体で武具を飾り付け、肉の盾、骨のやぐら、人間の体の様々な部位が括りつけられた投擲物を作り上げた。その凶悪さは、どんなに勇敢な人でも怖気づかせた。
攫われた子どもは、流れ出る血の海を見て、喉がつぶれるまで大きな泣き声を上げた。泣いている子どもたちを救いだそうと、果敢にもゴブリンに挑みかかったものは、待ち構えるように、仕掛けられた罠によって、次々と倒れていった。
子どもは餌だ、子どもを守ろうとする自然な感情を餌にして、ゴブリンは人間たちを釣った。そして蛮勇の結果、人間はゴブリンの罠にはまり、彼らの築き上げた砦を飾る、生首の一つに変わり果てることになった。
世界中で起こった主要都市部への魔物の転送は、無数の死傷者を出した。魔物からの防衛のために、城壁に囲われた場所に集められた人々は、内部からの侵入という不意打ちに大打撃を与えられた。
加えてルシエラが実行した作戦がびたりとはまり、現在は、国民に広がった悪感情が原因で、国同士の連携が非常に脆弱な状態であった。そこでルシエラは、大国には強力な魔物を、小国には比較的小物の魔物を送り込んだ。
強力な魔物は討伐に多大な兵力を割く必要があった。自国のことに、かかりきりにならざるを得ない大国は、必然的に、守護下においていた近辺の小国への対応がおろそかになる。
多少の兵力を割いてもらえたなら、出現した魔物と戦って、勝ち目があった小国は、大国にそれを要請するが、はねのけられてしまう。そこまで手を回す余裕がないからだ。
有事にあって、人は人の助けを求める。そして、救いがないと分かると、絶望して、やがて怒りの炎を燃やす。本当は、各々が精一杯に動いているのに、黒くドロドロとした感情の澱が精神を蝕んでいく。
そしてこの難局にあって、勇者たちの半数以上は、魔王城に留められていた。どうして勇者たちは助けに来ないんだ、こんなに救いの声を上げているのに、魔物の被害から自分たちを救うのが役目ではないのか。
人々の希望の象徴たる勇者は、今や憎悪の対象になりかけていた。残された勇者たちも、この人数では世界中を守ることは不可能であると、絶望しかけていた。ヘンラ山麓から、各地に移動するには時間が足りない、ここは主要な国から遠く離れた辺鄙な土地であった。
しかし、まったく全然何もかも諦めていない男がいた。彼は剣を抜いて胸の前に掲げると、全身からバチバチと稲光を放ち、雷の如き速さで跳躍した。
その勇者の名はリオン。先祖である、伝説の勇者ラオルから、エリュシルと力を受け継いだ勇者。救いを求める人の元へ、閃光となりて向かった。
リオンの故郷、アームルートには、魔物のドラゴンが襲い掛かってきていた。アームルート王は、率先して前線に立って兵を指揮し、民間人の避難と保護を最優先にするよう指示をだした。
アームルートの兵士たちも、一丸となって人々の盾となり、ドラゴンの攻撃を押しとどめて、避難までの時間を稼いでいた。吐き出される灼熱のブレスを前にも怯まず、鋭い牙や強靭な尾による攻撃にも、一歩も引くことはなかった。
アームルート王は、自らも剣を取って兵を鼓舞し続けた。引いてなるものか、国を守れ、人を守れ、命を守れ。国王の意地が、恐怖に身を震わせながらも、前線に立たせ続けていた。
それでも、限界の時は来る。ドラゴンを前に攻撃を耐え続けることはできても、兵士たちの攻撃で、強固な鱗に守られた体には、大したダメージを負わせることはできなかった。負傷兵が増えると、持ちこたえる人員が減る。じりじりと、死が差し迫っていた。
もう駄目か、諦めかけたそんな時、稲妻と見紛うばかりの閃光が、空から降ってきてドラゴンの胴体を貫いた。降り立った人物に、胴を両断されたドラゴンは、体が二つに割れて別れて絶命した。
空から突如現れて、ドラゴンを一刀両断にしたのは、深紅のマントをたなびかせ、蘇った伝説の剣を携えたリオンだった。浄化の魔法でドラゴンの死体を消し去ると、リオンは王の元へ駆け寄った。
「遅れて申し訳ありません、よく耐えてくれました。ありがとうございます」
「勇者リオン!無事だったか!」
「ええ、アームルートを持ちこたえさせてくれていて安心しました。しかし互いの再会を喜んでいる時間はありません。早く次の国へ跳ばないと」
「跳ぶ?」
「その説明も後です。それよりも、アームルート王にお願いがあります。いいですか―」
リオンは端的に要望の内容を説明した。アームルート王はその要望に、迷うことなく頷き、万事任せるようにと言った。
王の在り方の変わりようを見て、リオンはまた、ラオルの言葉を思い返していた。人々の持つ可能性を守れ。それがよりよい未来を創ることになると、今ではリオンも間違いなく信じられた。
「ではお任せします。すぐにルネが、必要な人員を連れて転移してきますので、後は彼女たちの指示に従ってください」
「分かった。リオンよ」
「はい?」
「…この世界の平和を守るのだ。頼んだぞ勇者よ」
王の真剣な眼差しに、リオンは笑顔で「勿論」と答えた。そして彼は、周りの人に、危ないので、自分から離れるように告げた。
リオンが剣を構え、両足を大きく開くと、跳躍するために力強く足を踏ん張った。エリュシルが放つ天色の光が、リオンの全身を包み込み、その両目には揺らぐ炎が灯り、バチバチと雷を放っていた。
力をためたリオンは、それを解き放って一気に跳躍した。人々が見守る中、光となって空に消えていく彼の姿を見て、皆は伝説の勇者の物語を思い起こしていた。
その剣の一振りは、数多くの魔物を斬り伏せ、その姿は、人々に希望の火を灯す光になる。まさに今のリオンそのものではないかと、そう重ね合わせていた。
伝説の再来を思わせる姿に、人々が希望を抱き始めたタイミングで、シュッと突然現れた者がいた。
「あれ?もうリオンさん行ったんですか?はあ、やる気満々ですねえ。やっと活躍できるからって、あまり張り切り過ぎなきゃいいけど」
それはルネだった。そして彼女の後ろには、三人の男女の姿があった。ミシティックの三賢人、クロウ、ディア、エアロンの三人だ。
「どうも王様、お疲れ様です。リオンさんから、話は聞いてますよね?」
「ああ、彼らが例の三賢人か」
「そうですそうです。性格は悪いけど、仕事はできますよ」
三賢人は揃って、お前に言われたくはないという目でルネを睨んだ。しかし彼女はそんなことなど気にせず話を続けた。
「で、やっちゃっていいんですよね?」
「構わん。こちらからも人手を出す」
「さっすが王様、太っ腹。おーい、お三方始めますよ。アームルート要塞化作戦、開始です」
有事にあっても、ルネはルネのペースで話を進める。しかし、この作戦の要は彼女にある。人々を救うための鍵は今、一介の介護士の手に握られていた。