出来損ないの魔王
私に戦う力はない。魔王ルシエラが発したその言葉は、到底納得できるものではなかった。だが、勇者たちの中に、ただ一人比較的冷静な目で、ルシエラを見ることができるものがいた。
ヴェーネだ。彼女は勇者たちを代表してもっと前に進み出て、ルシエラと対峙すると話しかけた。
「ひとまず話を聞きましょうか。あなたが何を言うのか、気になるわ」
「その後は?戦う力のない相手に、あなたたちはどうするの?」
「分かり切ったことを聞かないで」
降伏を受け入れることはない。魔王が存在する限り、魔物の活性化は続き、人々に被害を与え続ける。対峙した以上、勇者と魔王は、どちらかが負けるまで、戦わなければならないのだ。
魔王に戦う力があろうがなかろうが、そのことに変わりはない。流石に無力な相手に剣を振るうのはどうかと、勇者たちは正義感が咎めたが、ヴェーネにそんなものはない、だから唯一惑わされることがなかった。
ただし、問答無用で襲い掛かれるほどの非情さは持ち合わせていなかった。魔王だと割り切れても、相手はどう見ても少女、両手を上げて無力だと宣言されると、どうしてもたじろいでしまう。
過去、自分がいくら無力な存在で、抵抗する意思はないと伝えようとも、聞き入れてもらえなかった。ヴェーネはそんな自分の姿と、ルシエラを重ねて見てしまった。だから、話だけは聞く、その選択をした。
「そうね、とりあえず今すぐ戦いにはならないようで安心したわ。その後のことは、流れに身を委ねましょう。それでいい?」
「ええ。で、あなたの話って何?」
「聞いてもらえるなんて光栄だわ。じゃあ話しましょうか、私がいかに、出来損ないの魔王であるか、その物語をね」
ルシエラは一度間をおいてから、ゆっくりと語りだした。
魔物を統べる王ルシエラは、弱く幼い少女の姿で生を受けた。死して復活を繰り返す魔王は、一つとして同じ姿を取ることはないが、今回の生は、魔王の中でも異例のものだった。
過去の魔王には、身の丈以上の巨大な剣を、片手で軽々と振るう膂力を持ったものがいた。類まれな魔法の才を持ち、あらゆる魔法を自由自在に扱うものもいた。いずれにせよ、どの魔王も、戦闘能力に優れ高い統率力を兼ね備えていた。
しかしルシエラは違った。彼女に武器を軽々と振るう膂力はないし、強大な魔法を扱う魔力もない。魔物たちは、魔王として生まれた彼女を襲いこそしないが、従うこともなかった。
異例中の異例、どんな魔物よりも弱い魔王、それがルシエラだった。彼女に自分で戦う力はなく、勇者との争いなど、夢のまた夢の話であった。
「私は魔王として生を受け、この城を作り出した。魔物の活性化は、魔王の力でコントロールできるものだけど、私にはその力がなかった。復活の際、魔物たちは勝手に活性化して、勝手に人を襲い始めた。私の命令など、一つも聞かずにね」
ルシエラが語ることに、ヴェーネは当惑していた。本当に、そんなことがありえるのか、周りの勇者たちも、同じことを考えていた。
「…過去に」
「うん?」
「魔王の歴史上、あなたのような魔王が生まれたことはないの?」
ヴェーネは思い切ってルシエラにそう聞いた。それを知るすべが彼女にあるのかどうか、分からないけれど聞いた。するとルシエラは、自嘲しながら答えた。
「ないわ。魔王として復活すると、過去の魔王たちの記憶を引き継ぐのだけど、その膨大な記憶の中に、誰一人として、私と同じように戦う力のない魔王はいなかった。魔物を操れない魔王もね」
ルシエラが嘘を言っていないことは、ヴェーネには分かった。嘘を使い分ける以上、嘘を見抜くのは誰よりも秀でている。彼女は、本当のことを言っている。
無力な魔王ルシエラ。復活を遂げても誰も従うことがない、孤独な王、それが彼女の正体だった。
配下の魔物は、誰も自分に従わない。自ら戦う力もない。ルシエラはこの状況下で、あることを恐れた。
それは勇者の存在だった。魔王である以上、勇者は確実に自分を殺しにくる。それは避けられない運命だった。自分には、魔物を組織立てて動かすことはできない。身を守る術が、ルシエラには非常に少なかった。
時が経つにつれて、明確に感じる死の恐怖。勇者たちは、血眼になって魔王城を探している、辿り着かれれば、自分は抵抗する間もなく殺される。
何もできず、ただ死ぬのは嫌だ。ルシエラが、恐怖の果てにたどり着いた本心だった。そこで彼女は、魔王の記憶の中に潜ることにした。深く、深く、自分が魔王として生き残るための方法が、記憶のどこかにないかと必死になって探した。
やがて彼女は、とある真実と、自分に秘められた力の存在に行きついた。戦う力のない自分を、どう生かすべきか、ようやく光明が見えた瞬間だった。
「私は自分に秘められた力を試すために、魔物を使ってある実験を行っていた。使い捨てる材料は沢山あったから、実験は実に順調に進んだわ。どんな実験を行っていたか、分かるかしら?」
秘められた能力に、実験。それだけ聞かされても、勇者たちはさっぱり分からなかった。あまりにも情報が少ない、推測しようにもできないのだ。
しかし、ヴェーネだけはあることを知っていた。勇者リオンが気が付いていたある違和感を、彼女は聞いていたのだ。
ヴェーネは聡明である。そうでなければ生きられなかったし、元から素質があった。ルシエラから与えられた限られた情報と、断片的な事実を繋ぎ合わせて、真実に組み上げる力があった。
「…あなたは、魔物の出現する場所を、自由に操れるのね」
その言葉を聞いて、ルシエラは満面の笑みを浮かべた。自分の出したクイズに、納得のいく正解をしてくれたことを喜ぶように、歓喜の感情をあらわにした。
「詳しくは違うけれど、大体ヴェーネの言う通りよ!ふふっ、どうして分かったのか聞いてもいい?」
「…今、世界中で小規模ながら、人々の生活圏が脅かされている。被害の一つ一つは、それほど大きなものではないけど、魔物が現れたことで、人々は住む場所を追われ、主要な都市部に人を集めて防衛せざるを得ない状況になっている」
「そう!私は人間の住み処に小粒の魔物を大量に出現させて、人間が減っても減らなくてもいいくらいの被害を出させた!その結果、思惑通り人間は集まって固まりだした!」
「…小国はその対応策に追われて、大国は魔物から人を守るための人員を増やした。だけど防衛力には当然差が出る、隣国同士のパワーバランスが崩れ、地続きであるがゆえに、悪感情は強く煽られる」
ルシエラは、ヴェーネが推測を進めるほどに、嬉しそうに手を叩いて喜んだ。対するヴェーネは、話が繋がるほどに表情が青ざめていく。
「人間は一塊になればなるほど、不満に憎悪、悪感情は強く濃くなって、真っ黒な影を作り広げる!私の目的は、余裕を失い、緊張感の高まった人間を集めること!言うことを聞かない魔物でも、配置を工夫することで、思うがままの状況を作り出すことができたわ!」
「あなたはそうして、自分の能力を試すだけではなく、策略を練ることを覚えていった。魔王の記憶に学び、人と戦うすべを身に着けていった」
にやりと、ルシエラが笑った。それは幼い見た目からは想像もつかないほど、邪悪そのもので、鍛えられた勇者たちが、恐怖に震えあがるほどだった。
ヴェーネも当然恐怖した。だが、その場にいる誰よりも先に恐怖を振り切り、ルシエラに言った。
「それには当然、あたしたち勇者も含まれている。そうよね?」
「当たり前でしょ。何?私が戦えないって言ったことに、騙された?」
「いいえ、あなたはただ本当のことを言っていた。戦う力がないというのは、本当のことよね。目的はきっと、あたしたちの足止め」
「そこまで言い当てられたのなら、もう隠すことはないわ。私に授けられた唯一の能力は、ワープホールを自在に操る力。この魔王城の中で、私が瞬時に移動できない場所はない。そして、あらゆる魔物を国の都市部に送り込むこともできる!ねえ、勇者様たち、私と鬼ごっこしましょう?私が捕まるのが早いか、人間が国という牢獄の中で、魔物に食い殺されるのが早いか、一体どちらが早いでしょうね?」
無力であっても、無策ではない。ルシエラは可憐な笑顔を残して、足元に開けた穴の中に消えていった。勇者たちは、自分たちがまんまと術中にはめられたことに、悔しさに天を仰いだ。
思惑が完全に裏目に出たヴェーネは、表情にこそ出さなかったが、唇を血が出るほど噛み締めていた。