魔王の奇妙な提案
魔王城に乗り込んだヴェーネと勇者軍団は、魔王城の存在する空間を見て話し合っていた。
「ここは、地下か?」
「分かるんですか?」
ヴェーネは側にいる勇者の一人に聞いた。恐らく、そう答えてから彼女に頷く。
「一体地下のどこに、こんなに広い空間が…」
「魔王城が出現する場所は、常識では測れない空間を形成すると言われています。過去には、辺り一面がマグマに囲まれているのに、魔王城は氷で作られていた。そういう事例もあったほどです」
非常識が当たり前である魔王城、そう聞けば、教育を受けていないヴェーネでも、その捜索や攻略が困難なことに頷けた。
地下空間であるというのに、空気は十分にある。太陽の光が届かないというのに、どこかからか、何かからか光が発せられているのか、薄暗くあっても景観が見える。不可思議な場所であることは、身をもって理解した。
薄気味の悪い中規模の城は、底の見えない谷に浮かんだ、台座のような地面に建っている。そこに向かうには、橋のように城に続いている、細く頼りない道を進む他ない。
ヴェーネはそれを見て、たじろいだ。しかし、他の勇者たちは、感情の揺らぎを見せることなく、ただ真っすぐに魔王城を見据えていた。
名目上どうであれ、勇者たちは覚悟が違う。魔王討伐の悲願を成就し、世界に平和をもたらすという、確かな覚悟がある。ヴェーネは勇者たちの姿を見て、すぐにそう直感した。
そして勇者たちに、ヴェーネはこう声をかけた。
「これだけの数を揃えたのだから、あたしたちは圧倒的有利にあるわ。誰一人、欠けることなく魔王を倒して、全員で英雄になるのよ、いいわね、皆」
誰にも話しはしなかったが、ヴェーネが数々の前例や暗黙のルールを無視して、多くの勇者たちを集めたのには、ちゃんと理由があった。
魔王討伐を迅速に遂行し、一人の犠牲者も出さない。それがヴェーネの目標だった。国や政治の思惑など知ったことかと、人を集めて数で魔王を殴りつける、シンプルかつヴェーネでも分かる、最適解だった。
しかもここに集めたのは有象無象の類ではない。魔王を倒す、その目的を遂行するがために訓練と教育を施された選ばれしものたちである。
魔王の本拠地、魔王城を抑えた。もう魔王に逃げ場はない。勝つなら、圧倒的大勝利で終えてやる、それがリオンに言われた言葉を、自分なりに考えたヴェーネの答えだった。
進軍。ヴェーネを筆頭とする、勇者軍団、魔王に向かって進軍を始める。かつてない規模の勇者の数の暴力が、魔王に迫っていた。
魔王城内を進むヴェーネたち、出てくる魔物は勇者たちの攻撃によって、ほぼ一瞬で灰塵と化した。ここにいるのは勇者だけではない、その仲間たちもいる。
魔法使いたちの攻撃魔法一斉発射は、魔物たちを前衛の戦士に寄せつけもしなかった。むしろ、自分たちの攻撃の余波に気を配らねばならない。圧倒的な武力を振りかざし、どんどんと先に進む。
「ここまでの調子はどう?アルフレッド」
「順調です。前列隊、後列隊の交代もスムーズで、適宜休息を取らせて疲弊を避けています」
ヴェーネはリオンの知り合いであり、味方に引き込んだ勇者の中でも、特に優秀だったアルフレッドを副官の役割につけていた。ヴェーネにとって、人心を自身に引き付け続けることは容易であったが、戦闘についてはまったくの素人である。
そこで白羽の矢を立てたのが、アルフレッドだった。リオンと腕を競い合っていたということもあり、この勇者隊の中でも、頭一つ飛びぬけた実力の持ち主で、隊の指揮もお手の物であった。
「しかし問題が二つあります」
「聞きましょう」
「はっ。一つは、城内の通路が狭く、迷路のように入り組んでいることです。地図の作成を行わせながら進んでおりますが、進軍速度に影響し、満足に休息を取れる場所の確保は難しいかもしれません」
ずっと戦い続けて進むことなどできない、どこかでちゃんと体を休める拠点を作り、魔王城攻略の足掛かりにしなければならなかった。
しかしこの魔王城は、広間のようなものが殆どなく、狭い通路ばかりで、小部屋すら存在しなかった。まるで城の形をした巨大迷路のようで、何度も行き止まりに当たっては詰まっていた。
ヴェーネは少しでも休憩が取れそうな場所を見つけたら、すぐに皆に体を休めさせるように、アルフレッドに指示をした。彼もそれを聞き入れ、斥候を増やして手頃な場所の捜索に当たらせた。
「もう一つは?」
「…これは問題とまでは言えないかもしれませんが、どう考えても、出現する魔物が弱すぎます。おかげでこちらに被害は出ていませんが…」
「どういうこと?敵が弱いなら、それに越したことはないと思うけど」
出現する魔物が弱い、それが問題と言われてもヴェーネにはいまいち、その意味が分からなかった。しかし、勇者であるアルフレッドの目には、敵の本拠地を守る魔物が、雑魚ばかりというのは実に奇妙に映った。
「当然、弱いなら弱いで構わないのです。こちらの被害と消耗は最小限に留められますから。しかし、これが何かしらの罠であった場合、我々は、その罠の中を突き進んでいることになります」
罠が仕掛けられているかどうかの調査は、すでに入念に行われていた。だが、それらしい痕跡は一切見当たらず、罠の存在を示すものは何もない。大がかりなもの、小規模なもの、そのどちらも確認されなかった。
本拠地として見ると、あまりに無防備であり、まるで魔王が、最初からここを守る気などないように、アルフレッドは思えた。杞憂であっても、罠の存在を疑わずにはいられないほどの、奇妙な不気味さを覚える。
「どうする?あなたが気になるのなら、もう一度、本当に罠がないかどうか、徹底的に調べましょうか」
「…いえ、調査はすでに十分に行いました。ここには、罠や呪術、魔法に関するプロフェッショナルが揃っています。彼らがないと言うのだから、罠はないのでしょう。むしろここで、心理的に足を止めさせるのが作戦かもしれません。思い切って、一気に進みましょう」
アルフレッドが下した決断を、ヴェーネは支持した。どのみち彼らが見破れないものを、ヴェーネが見破れるはずもない。とにかく足を前に進め、魔王へ突き進むことしか、彼女は考えていなかった。
「警戒は怠らないようにして、どんどん先に進みましょう。魔王にどんな思惑があっても、それを踏みつぶして進むのよ。あなたたちなら、それができる」
ヴェーネにできることは、勇者たちに全幅の信頼を寄せることだった。嘘を使い分け、巧みに人を騙し、決して容易には本音を見せない彼女が見せる、心からの信頼。それに魅せられないものは誰もいなかった。
「はいっ!このまま突き進みましょう。我々ならば、確かにそれが可能です。いえ、例え不可能でも、それを可能にするのが勇者です!」
無茶無謀であろうが、ひたすらに誰かを救う道を進むが勇者。ヴェーネに集められたものたちは、彼女の信頼に心を一つにして、進軍を続けた。
ヴェーネたち勇者隊は、魔王城に今までまったく存在していなかった大広間に到着した。そこは魔王城の最上階、大きな玉座に、人影が見えた。
勇者たちは一斉に戦闘態勢を取った。今までの狭い通路とは違い、ここは開けていて、全力で戦うには十分な広さがあった。そして、誰もがその玉座に座るものが、魔王であると一瞬で理解した。
勇者と魔王、どちらか片方が存在することはない。その刻まれた本能のなせる業か、対峙しただけで、それが宿敵であると勇者には分かるのだ。そして勇者の仲間たちも、緊張感に引っ張られるように、彼らと同じ感覚を共有していた。
パチパチパチ、玉座から、小さな拍手の音が聞こえてきた。張りつめた空気の中、玉座に座っていた人影が、手を叩きながら立ち上がった。
「…まさかここまで多くの勇者が乗り込んでくるとはね、流石の私も予想外だったよ、計画というのは、中々うまくいかないね。ヘンラ山麓に君たちを集めるところまでは、順調だったのに」
その姿、その声、その仕草、その場にいた誰もが、魔王の姿を見て動揺していた。
小さく、花のように可愛らしい可憐な少女が、薄ら笑いを浮かべて玉座の上に立っていた。勇者たちを見下ろすために、少しでも高い場所に上っていた。
「ここで今すぐあなたたちの相手をするのもいいのだけど、その前に少しいいかしら。あなたたちのリーダーは誰?いないということは、ないよね?」
魔王の問いかけに、ヴェーネが勇者たちの前に進み出て言った。
「あたしがこの隊のリーダーよ」
「そう、私は魔王、名はルシエラ。あなたは?」
「ヴェーネ、ヴェーネ・フロスよ。ルシエラ、あなたが魔王で間違いないのなら、倒させてもらうけど、いいかしら」
可憐な少女にしか見えない魔王は、ルシエラと名乗った。しかし、どんな姿形をしていようとも、魔王は魔王、息の根を止める以外の選択肢はない。
「それに対する私の答えは、こうよ」
ルシエラの取った行動に、先ほどの動揺など比にならないほど、全員が目を見張った。一体何をしているのか、見ても理解の追いつかない暴挙だ。
魔王は両手を高々と上げて、勇者たちに言った。
「私に戦う力はないの。武器を収めてくれる?話をしましょう」
降伏宣言に等しいことを、魔王は口にした。ヴェーネでさえも、この行動には、理解が及ばず、冷や汗を流した。魔王の意図を掴めないまま、無言のにらみ合いだけが続いた。