フランス語の試験があった日
フランス語の試験があった日、夕方、代官山で年明けのクラスコンパがあった。暗くなった銀杏並木を米吉君が日吉駅へ下りて行くと、同じU組の麦子さんの後ろ姿がぼんやり見える。重そうに布製の大きな鞄をいつものように提げている。だから、すぐに分かる。声をかけると「私もクラスコンパに行くところ」と小さな声で言ったので、一緒に行った。
四月、二回目の海保先生の英語の時間の後、クラスで自己紹介をした。
麦子さんは、初めに「私は、みなさんよりとてもお姉さんです」と小さな声で言った。「でも、一昨日、夜の十時半頃、勇気を奮って渋谷を歩いていたら、中学生と間違われて、補導されました」。麦子さんは、見た目が幼い顔の、小柄な人だ。「学生証を見せたら、警察官の人はびっくりして、謝ってくれました」。
「好きなものは、数字です。すぐに覚えられるから。それから、時々自分を純粋な存在にしてくれるから、ことばも好きです」。麦子さんは小さな声で話す人だ。
「私は、生まれたときから身体が弱く病気ばかりしていて、小さい頃に、この子は二十歳まで生きられないかもしれないとお医者さんが両親に言うのを聞きました。小学校へも中学校へもちゃんと行っていません。やっと入れてもらった高校を卒業するのにもみなさんよりも時間がかかりました。
「きちんと勉強して来なかったから、大学に来るまでにも時間がかかりました。だから、私は、みなさんよりもとてもお姉さんです。
「でも、ひとりきりで長く暮らしてきたので、現実との関係が薄かったり、社会性が欠けていたり、気持ちの面で幼稚かもしれません。だから、年齢ではみなさんのお姉さんですが、ほんとうはきっと妹です。
「これまで友だちがいなかったので、友だちがどういう存在かちゃんとわかっていません。人とのつながりをどうつくってよいのかもわかりませんが、大学に入ったらたくさん友だちがほしいと思っていました。だから、みなさん仲良くしてください。それから、せっかく、新潟の田舎から東京に出て来たのだから、夜ひとりで澁谷を歩くみたいな冒険も少しはしてみたい」と小さな声で言った。
「身体は、もういいのですか」と誰かが尋ねた。
「二度目の高校三年生の夏、お医者さんからは、夏の間は家でおとなしくしていなさいと言われました。でも、もう二十一歳だったから、もう人生を生きちゃったなと思って、毎日家の裏の海で楽しく泳いでいたら、両親もそのことを咎めなかったので、それがよかったのかどうかは、分からないけれども、その後一回入院しただけで、三度目の高校三年生を卒業できました。今は、もう大丈夫です」と麦子さんは言った。
東横線に乗って、車輛の中程に行った。米吉君が、麦子さんがいつも持っている重そうな大きな鞄を受け取り、実際とても重い、網棚に上げようとして、麦子さんの白い手が触れて、とても冷たい。
「フランス語の試験、できましたか」と米吉君が訊くと、「はい」と小さな声で答えて、じっと見つめるので、困る。
「僕は、フランス語の最初の時間に麦子さんの隣の席に座っていました。覚えていますか」と訊くと、麦子さんは、慌てて思い出そうしたが、「覚えていません。ごめんなさい」と謝るので、また困る。
「麦子さんの鞄が印象的で覚えているんです。鞄の大きさも目立ったけれど、鞄の真ん中に張ってある名札が字も大きくはっきり書いてあって、小学生の持ち物みたいでおかしく思ったんです。名札を見て、てっきり『一澤』さんだと思って、よく見たら、鞄屋さんの名前だった。それで、よけいに印象的で覚えています」と言うと、麦子さんは、小さく笑った。
代官山でクラスコンパの場所が分からず迷ってしまい、着いた時は、既に始まっていた。
米吉君が迷っている間、大きな重い鞄を持った小柄な麦子さんは何も言わずについてきていた。麦子さんを引きずり回してしまい、あの間大きな重い鞄を持つべきだったと米吉君は今更悔いた。米吉君は、いつもこんなだ。
幹事の森岡さんが場を盛り上げていた。幹事長の西君が麦子さんと米吉君に気づいてやって来た。
「ここは今夜いつまでどんなに騒いでも構わないよ。飲み物と食べ物は、あっちのカウンターから好きなものを持って来て」と言い、奥の席に案内してくれた。
森岡さんがウイスキーの水割りをつくって来てくれたが、麦子さんが「飲めません」と言うと、森岡さんは、代わりにグレープフルーツジュースを持って戻って来た。そして、麦子さんと小さく低いテーブルを挟んで向かい合っている米吉君の隣に座った。女の子たちは暖かそうでシックな服を着ている。麦子さんは、いつも白いブラウスに黒かチャコールグレーのスーツを着ていて、今夜は、チャコールグレイだ。
テーブルに着いたものの、麦子さんや森岡さんと何を話していいのか分からない米吉君は、麦子さんにいつも持っているその大きな鞄の中には何が入っているのかと尋ねた。が、すぐに女性の持っている鞄の中身を訊いてよいわけがないと気がついた。でも、もう遅い。米吉君は、いつもこんなだ。
「辞典と本」と麦子さんは簡潔に答える。
「英和中辞典、研究社の。これ、好きです。Longmanの英語辞典、スタンダード佛和辞典、ラルース現代仏仏辞典、研究社の羅甸語辞典、それと新潮社の国語辞典。広辞苑も入れておきたいけど、あの辞典は、重いから」と言いながら、左脇に置いた鞄から辞典を取り出し、積み上げた。辞典の箱は擦れて痛んでいたけれども、扱う手つきで辞典をとても大切にしているのが分かる。米吉君はあきれた。いつもこんなに辞書を持ち歩いていたら、手が痛いとか痺れるとかではなく、身体に悪いのではないか。さすがに広辞苑を加えるのは無理だ。
「全部、いつも持ち歩いているの?」と森岡さんもあきれている。
「言語の学習は、特に母語以外の言語を学習する時は」と小さな声で言う。「自分の他者への身構えやいろんな感情のわだかまりを捨てて、……私はそういうのがすごく多い。病院での生活、家の中でのひとりきりの生活がずっと続いたから、外にいる元気な子どもたちが羨ましくて、ホントは大嫌いで、とても憎くかった……私の正体は、だから、悪意の塊です……。
「……言語の学習では、そういう身構えやわだかまりや、悪の塊の私、を捨てて、自分を開放して、学ぼうとする言語をまるごと受けとめなければならないよね。母語の通じない場所に行って、自分のことばの範疇にはないものに出あって、これは何だろうと思って、そこに住んでいる人にボディラングエジかなんかで、あれは何って尋ねて、そこにいた人が、例えば、カンガルーって言ったら、あぁそうか、あれはカンガルーなんだって信じるみたいに。
「ことばの勉強をする時は、ことばに対して無防備な自分、そのことばを発する人を素直に丸ごと信じている自分がいて、悪意の塊だけではない純粋な自分が私の中にまだいると思えて、うれしい。
「それに、言語を学びはじめた時は、分からないことばかりで知識の貧しさ、自分の力なさを素直に認められて、謙虚になれる。教えてくれる人への依存もとても心地いい。依存っていうのは、私には温かい。米吉君は、どう?
「こどもではなくなって、大人になって、素直に謙虚に安心して人に依存できる機会は、言語の学習の時くらいしかないでしょ?
「そのうえ、ことばをちゃんと知ろうとしている人に嘘を教えてやろうとか、わざわざ困惑させてやろうとか思う人はいない。誰もがそのことばとその人が幸福に出あうことを望んで教えてくれる。ことばを一生懸命にちゃんと伝えようとする人は、完全に善意の人だ。だから、そういう人たちが作ったことばの辞典って、善意の固まりだと思う。そうでしょ? だから、私は、辞典が好き」。
大きな話し声や笑い声がふと途切れる。少し離れたところから「誤訳が」と話す声が聞こえて来た。それで、米吉君が「この前サリンジャーの小説を読んでいたら、誤訳というか、訳し忘れというか、そういうのを見つけた。ひとつは、三人の美人がいて、そのうちの一人がオレンジ色のビーチパラソルかなんかをたてているのだけど、その女の子が黒い水着を着ている、とペーパーバックには書いてあるんだけど、集英社文庫では、着ていない。……ちがう、訳してないんだ。
「それから、新潮文庫だと、文章を繰り返し読んでも全然頭に入らないで本を閉じた、とか何とかそういう一文が抜けていた。僕が読んだテキストと翻訳に使ったテキストと違うのかなぁ」と唐突に話した。
「それ、『ナイン・ストーリーズ』でしょ?」と麦子さんがすぐに言った。「ふたつめの方は私も気づいた、サリンジャーの小説は好き?」と米吉君に訊く。
「英語の勉強にと思って読んだけれども、サリンジャーの小説は面白いとは思う。でも、シーモアの話は、結局閉塞していて、読んでいてもこちらは、その世界から拒否されている気がして、なじみにくい」。
「そうかなぁ……」と麦子さんはとても残念そうだ。「私、サリンジャーの小説が好き。入院している時に何度も読んだ」。
大きな鞄からサリンジャーのハードカバーが出てきた。‘Nine Stories’を広げながら、「三人の美女の話が出てくるのは‘The Laughing Man’、これ、いい話よね。本を閉じちゃったのは、‘For Esmé—with Love and Squalor’、『エズミに捧ぐ――愛と汚辱のうちに』の、ここ」と言って、本を開く。ページの余白には、調べた単語の意味が小さな字で丁寧に書き込んである。「“He suddenly closed the book , without marking his place.”文庫本を横に置いて読んでいる時に米吉君と同じことに気づいた」。
麦子さんは新潮文庫も鞄から取り出して、該当のページを捜した。「ここでしょ」。森岡さんは非常に感心し、「『本を閉じた』ってところは、相当重要なところなの? いつもそんなところにまで気をつけて読んでいるの? サリンジャーって読んだことがないけれども、そのシーモアとかエズミとか、いったい誰?」と一度にいろんなことを尋ねる。
麦子さんは、病院にいた時、一人で英語の勉強をしていて、サリンジャーを英語で読もうと思ったが、独力で読むのが大変だったので、英語の本と文庫本とを並べて読んでいて、偶然に気づいたと言う。
「『エズミに捧ぐ――愛と汚辱のうちに』、とてもいい、大切な話。
「本の内容を話しすぎるのはよくないけれども、少しだけ話します。
「今から28年前の1950年、それは、私が生まれた2年前、あ、関係ないこと、ね。
「1950年時点の『私』、かつての『見習曹長X』の、1944年4月30日と1945年5月8日から数週間経ったある日の回想が小説の主な中身。
「エズミはイギリスの13歳くらいの女の子。5歳くらいのチャールズという弟がいる。お母さんはいない。お父さんは北アフリカで戦死して、今は伯母さんの家に住んでいる。
「『私』は、25歳、ノルマンディー上陸作戦のためイギリスのデヴォン州で特殊訓練を受けていた。1944年4月30日、私は、4月29日土曜日と思い込んで読んでいたのだけれども、小説の最後の方にエズミが4月30日と手紙の中に書いていた。とにかく前日の土曜日に激しい雨の中訓練が終わって、日曜日の今夜7時にロンドンに発つまでの間の午後3時以降、エズミによると午後3時45分から4時15分までの間、エズミとチャールズに会う。喫茶店に『私』がいたら、エズミたちが入って来て、ちょっと離れたところに座った。『私』はエズミをその前に教会の合唱隊の中にいたのを見て、知っていた。
「エズミとチャールズが『私』のテーブルにやって来て話すの。その会話がいい。エズミはお父さんの形見の軍用の時計をしていて、雨に濡れた頭を気にしていて、上品に、そして、時々難しい単語を使って話す。そのため妙な言い回しになったりする。チャールズはエズミとは対照的でお行儀が悪い。でも、いい子。“What did one wall say to the other wall?”というなぞなぞを出して、“Meet you at the corner!”と自分で答えを言って大喜びする。とにかくいい出会いだった。お別れにエズミが『私』に“Goodbye,I hope you return from the war with all your faculties intact.”と言う。でも、『私』は、と言っても、この後は『私』ではなくなって『見習曹長X』になるんだけれども。そのX曹長は、あらゆる機能を無傷で戦争を生き延びては来られなかった。
「X曹長ってサリンジャー自身のことみたい。X曹長がサリンジャーなら、X曹長は、1944年6月6日のノルマンディー上陸からシェルブールまで行って、ヘッジロウズの戦い、モルテンの戦いを戦ったことになる。そこまでに二ヵ月あまり。本来3080名からなる連隊の戦死者総数は4034名だった。兵士を補充しても補充しても追いつかない絶望的な戦いだった。それから、さらに辛い進軍をして、ヒュルトゲンの森の戦い。小説の中にはヒュルトゲンの森でX曹長といつも行動をともにしていたZ伍長が雑誌に載せるための写真を撮られたと、その地名だけが出てくる。
「ヒュルトゲンの森の戦いは、戦闘の際、連隊に2228名の兵士が加わったけれども、連隊の総数は3362名だった。もともと3080名の連隊だったのに。一ヵ月の戦いで戦死者1493名、戦闘とは直接関係ない原因で1024名が亡くなった。
「……数字って何でも数えられるから、残酷なところがある……、……
「その後、バルジの戦い、ルクセンブルクの戦いという悲惨な戦いをくぐって、X曹長は今バヴァリアのガウフルトにいる。X曹長、と言うか、サリンジャーの体験って凄まじい。そういうことは、小説にはちっとも書いていないけれども。そんな戦争をしてきたのだもの、X曹長は、全く調子がおかしい。本を読んでも頭に入らない。一時間以上同じパラグラフを三度読み、今度は文章ごとに区切って三度読みもしていた。それに続いて、“He suddenly closed the book , without marking his place.”という文章が続く。
「自分が壊れたみたいで絶望的なの。歯茎から血が簡単に出るようになるまでタバコを何週間も吸い続けたり、嘔吐したり、手がタイプライターに便箋を差し挟めないくらい震えたり、激しい動悸がしたり。さらにZ伍長が現れもして、最悪な状態、全然どうしようもなくなる。
「それで、特に興味もなく未開封の包みを偶然手にしたら、一年も前、Dデイの翌日に書かれたエズミからの手紙だった。エズミのお父さんの形見の時計も入っていた。壊れてしまっていたけれども。
「エズミは“SERGEANT X”をとても心配していた。コタンタン半島への先制攻撃をした中にあなたが入っていなかったことを願う、と書いてあった。チャールズも“HELLO”を十個も書いて“CHALES”って署名していた。手紙を読み終え、エズミの父の壊れた腕時計を手にしたまま長い間座っていると、X曹長は思いがけなく快い眠りに引き込まれていく。
「最後にX曹長は、あらゆる機能が無傷ではいられなかった人だけれども、こう言うの、“You take a really sleepy man, Esmé、and he always stands a chance of again becoming a man with all his fac―with all his f-a-c-u-l-t-i-e-s intact.”
「蝉が、ひとつ、病室の窓の網戸の隅にとまっていた、最後に入院した夏の終わりに。急にひどいことになって入院していたの。個室だった。緊急に検査した。その時の検査の数値は、……そんな数字はどうでもいいことだね。すぐに再検査をすることになった。私の人生の中でこんなに調子のよい時はなかったという日々が続いていた。暑い夏の間は毎日海で泳ぐことができていたのに。父と母が病室の外で泣いていた、再検査を明日に控えた日のお昼過ぎ。身体が萎えて重く、ベッドに沈み込んでいった。ふと西側にある窓の方を向いたら、蝉が、ひとつ、窓の網戸の隅にとまっていた。
「あぁ、あの蝉は神様だ。そう思った、神様を思う自分ではなかったのに。今思うと不思議だけれども、その時は自然にそう思った。
「あの蝉が明日の朝までそのままとまっていたら、私は、死なない。そうも思った。自然に。すると抗いようのない眠気が襲ってきて、意識が身体から無理矢理遠くに引き剥がされて持っていかれようとしたの。とても怖かった。その時にふっと思い浮かんだ。……アナタノオカゲデ、ホントウノ眠リニ誘ワレタ、えずみ、ソシテ、ホントウノ眠リニ誘ワレタ人ハ、カナラズ、壊レテバラバラニナッタスベテノ機能ガ、モウ一度無傷デ完全ニ戻レルトコロ二イルンダ。
「そのまま眠ってしまって、夜明けに目が覚めたら、蝉が、ね、いた」。
マーガレット・A・サリンジャー著『我が父サリンジャー』にX曹長の戦いの記録は拠る。