(4)
ジーンに手招かれるまま、長椅子の彼の隣に腰を下ろした後でエレノアははたと気づく。
――いったい何を話せばいいのか。
先日の見合いでは庭を散策しながら、ジーンが庭に植えている花の話をするのに相槌を打っていた。その途中で彼が倒れたので、実際の所、会話らしい会話をしていなかったのだ。
エレノアはそっと横目でジーンの様子を窺う。
彼は手慣れた様子で、傍のテーブルに置いてあったティーセットで茶を淹れ始めた。
ジーン・イングラム。
王宮の魔術師団の団長を務めるアーロン・イングラム侯爵の次男。
エレノアより一つ年上の二十四歳。魔術師団では古い魔導書の解読や新しい魔法薬の研究に携わり、虚弱体質もあって王宮に出仕することはなく、別邸で日夜研究を行っている。
彼について正確に知っていることはそのくらいだ。都では彼に関する噂がいろいろと流れているが、噂よりも実際に本人に会って確かめよ、と父の助言を受けた。
そう、見合い云々よりも、まずは相手を知ることから始めねば。と、内心の意気込みはあるが、どう切り出せばよいものか。
エレノアは普段、自分で話すよりも聞き手に回る方が多い。長兄のレナルドは自分と同じように口数が少ない方だが、それ以外の兄弟――次兄のスヴェンや、双子の弟のヒュースとフランはおしゃべりで、彼らに囲まれて育ったエレノアは自然と話を聞くことが多かった。騎士団に入ってからは鍛錬に打ち込み、任務を優先してばかりで、社交の場に出ることをしなかった。
状況に甘んじて己の苦手な分野を忌避し、改善しなかったことが悔やまれる。
「お名前は?」「ご家族は?」「お仕事は?」と、この辺りはすでに知っていることだ。ならば、「お好きなものは?」「ご趣味は?」と聞けばよいのだろうか……。
「……」
「……」
沈黙が流れ、エレノアが話すきっかけを探っている中、目の前にカップが差し出された。ジーンが淹れた茶だ。
「あ、ありがとうございます」
受け取って口を付けると、かぐわしい紅茶と甘酸っぱい果物のような香りが広がる。熱い紅茶の温かさに、強張っていた頬と肩が緩んだ。
「おいしいです」
「よかった。茶葉と干した果物を入れています。果物はお好きですか?」
「はい」
「よかったらお茶菓子もどうぞ」
ティーセットの横には、黄金色の美味しそうな焼き菓子が幾つか用意されている。バターの芳醇なガレットにジャムを挟んだビスケット、それにシード入りのケーキだ。
「こちらのケーキは甘くないので、甘いものが苦手でしたらこちらを」
ジーンの気配りに感心しながら、エレノアは全種類を皿に取る。
「甘いものも好きです。お気遣い頂き、ありがとうございます」
「とんでもない」
ジーンは微笑んで、自分も紅茶を手に取って茶菓子を摘まむ。繊細な指先がガレットを摘まみ、小さな口で綺麗に咀嚼するのを見ていたエレノアだったが、はっと我に返って尋ねた。
「イングラム殿。あなたのお好きなものを伺ってもよろしいですか?」
「え?」
「今日こちらを訪ねる際、あなたの好みが分からずに花束を持参してしまいました。ですので、次はあなたの好きなものを持ってくるようにしたいのです。もしよろしければ、教えて頂けるとありがたいのですが……」
「……」
ジーンは目をぱちぱちと瞬かせる。長い睫毛が音を立てそうだ。やがてジーンは、口元を押さえて答える。
「それは……次も僕と会ってくれるということでしょうか?」
「? ……あ」
自分の言ったことを頭の中で反芻し、エレノアは気づく。たしかに、先ほどの自分の台詞は『また来ます』と言っているようなものだ。
勝手に約束を取り付けてしまったとエレノアは焦るものの、ジーンはふわりと綻ぶような笑みを見せる。
「嬉しいです。お待ちしております」
「……はい。では、その、お伺いします」
話し始めて五分も経っていないというのに、次の約束を取り付けてしまった。
これは果たして正しいのか。間違っているのか。戻ってからガーランド家の皆に聞いてみるしかない。
騎士団に入った当初よりも緊張する中、ジーンから逆に好きなものを尋ねられ、『野営の時に食べる兎の串焼き』と答えたら、しばらくの間、彼は長椅子に蹲ってしまった。小さく身体を震わせており、起き上がった時に涙目になっていたので具合が悪くなったかと思ったが、「大丈夫です」の一点張りであった。
それから、エレノアは度々ジーンの元を訪れるようになったのである。