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「――それでエレノア、見合いはどうだったのかしら?」
六頭立ての馬車の中、向かいの座席に座った王妃が尋ねてきた。
公務で外出する王妃と第三王女の警護が、本日のエレノアの任務である。
女性騎士だけの第十二部隊『アルテミア』の主な職務は、要人の警護だ。後宮への出入りを許され、王族や国賓の警護に当たる。
元来、王族の警護は第一、第二部隊の近衛騎士の仕事であった。しかし王妃や王女といった女性王族が、警護とはいえ、同じ空間に親族以外の男性がいるのは障りがある。
そこで、先々代の王が命じ、女性王族の護衛を専任で行うアルテミア部隊が生まれた。現在は、隊長のノーラを筆頭とした十数人の精鋭が、日々職務に当たっている。
ちなみに今の後宮にいるのは、王妃と王太子妃、第三王女(第一王女と第二王女はすでに嫁いでいる)の女性達に加え、まだ幼い第三王子と、王太子妃の二人の御子だ。
エレノアは二十歳の時にアルテミアに選抜され、三年目を迎えようとしていた。
まだ若手であるエレノアは、本来なら馬車の外で警護につくが、今日は隊長のノーラと共に馬車内にいた。
その理由が、おそらくこれなのだろう。
おっとりとした性格の王妃は、口元を上品に扇で隠してはいるが、目は好奇心に満ち溢れている。エレノアの見合いの噂は、後宮でも広まっていたようだ。
王妃の隣の第三王女など、普段のおしとやかさはどこへやら、わくわくと年頃の少女らしく目を輝かせている。
「お相手の方は、魔術師団長のご子息だったわよね?」
さすが王族だ。情報も早い。
ノーラも噂こそ聞いていただろうが、相手の詳細までは聞いていなかったようで軽く目を瞠った。
「というとイングラム卿の……まさか、あの……?」
ノーラが言葉を濁したのも仕方ない。王妃が扇を閉じて、赤い唇の端をいたずらっぽく上げた。
「ええ。お身体が弱くて屋敷で静養なさっている、あのジーン殿よ」
“あのジーン”。
そう呼ばれるエレノアの見合い相手の名は、ジーン・イングラム。
魔術師団長であるイングラム侯爵の次男。高名な魔術師を輩出するエリート一家の一員でありながら、極度の虚弱体質の青年である。
魔術師団に所属してはいるが、屋敷に引きこもって魔術具の開発をしたり、魔法薬の研究をしたり。公の場に出ることは一切なく、誰もその姿を見たことが無い。
第三王女は身を乗り出すようにして問いかけてくる。
「私、てっきりエレノアのお相手は、エレノアよりも大きくて、強くて、雄々しい殿方だと思っていたわ! ねえ、ジーン殿はどんな方だった? 噂では絶世の美人と聞くけれど」
ジーン・イングラムの容姿に関しては、様々な噂が飛び交っている。
彼の美しさに失神した者が大勢いるとか、男女問わず彼に求婚して争いになったとか、贈り物をして破産した者もいるとか、熱狂的なストーカーに付き纏われ殺されかけたとか、そのせいで彼は人前に出なくなり別邸で暮らしているとか、使用人すら寄せ付けないようにしているとか……。
噂はともかくとして、とエレノアは彼のことを思い返す。
王女の言う通り、たしかに『絶世の美人』を体現した人だった。あんなに美しい人は見たことが無い。
思い出すエレノアに、第三王女が再度尋ねてくる。
「で、どうなの? お見合いはうまくいったの?」
「……」
エレノアは、気まずげに目線を逸らした。
***
二日前、エレノアは見合いをした。
しかも前日に、父から見合いをすることを知らされた。
急な話に驚いたのはエレノアだけではない。共に夕食をとっていた兄弟達と二人の義姉(長兄次兄の妻)、そして使用人の皆が呆気にとられた。涼しい顔をしていたのは、父の腹心の執事くらいのものだ。
『父上、これは一体どういうことですか』
エレノアの四人の兄弟達は鬼気迫る迫力で父に詰め寄って問いただし、女中達はドレスがないと慌てふためいた。
エレノアが十代の頃に仕立てたドレスは少々時代遅れであったし、何より騎士団で鍛えて逞しくなった身体には入らない。小柄で女性らしい体形の義姉達のドレスは寸足らずで、胸元や腰回りが合わない。職務が忙しいと言い訳を付けて、この数年、舞踏会に出ることもせず、ドレスを仕立てていなかったことも仇となった。
結局、式典でよく着る騎士団の団服を着て、エレノアは見合いに挑むことになった。サイズの合わないドレスを無理に着るよりも、団服の方が断然似合う。母親代わりの女中頭や、二人の義姉達は悩みながらも判断し、送り出してくれた。
王都の外れにあるイングラム卿の所有する別邸で、エレノアはジーンと初めて対面した。
ジーン・イングラムは、噂通りの人だった。『佳人』というのは彼のような人のことを言うのだろう。
光り輝く白金色の髪と長い睫毛に縁どられた緑青の瞳。透き通るような白い肌と繊細な美貌を持ち、ほっそりとした華奢な体躯は触れなば折れんと言った風情だ。絵物語に出てくる妖精のような儚げな姿に、宮中の美女を見慣れているエレノアでも思わず見惚れてしまった。
それぞれ挨拶し、世間話を少ししたところで、父もイングラム卿夫妻も退出してしまった。
あとは若い二人でと気を利かせたのだろうが、エレノアは珍しく緊張していた。
何しろ相手は、自分の伴侶となるかもしれない男性だ。兄弟達とも騎士団仲間とも違う。
一体何を話せばいいのか。普通の女性はこういう時どうするのか。
戸惑っていたエレノアを、ジーンはさりげなく庭へと案内してくれて、ほっとした。
天気や花木の話をしながら、散策していた最中のことである。ジーンが体調を崩して倒れ、エレノアは咄嗟に彼を抱き留めた。
離れた場所にいた使用人が急いで駆け寄ってくる中、エレノアは素早くジーンの意識や脈を確認し、動かしても大丈夫だと判断し、そして――。
***
「……え、まさか、ジーン殿を抱え上げて運んだの? え? 待って待って。見合い相手の殿方を? エレノアが? 抱えて? お姫様抱っこで?」
黙り込んだエレノアをしつこく追及して、見合いの詳細を聞き出した第三王女が、ぽかんと口を開けた。やがて口元を押さえ、細い肩をふるふると震わせる。
「笑っては失礼よ、エリス」
王妃が窘めるが、その声は若干震えており、笑いを堪えているのが見て取れた。普段はあまり表情を崩さぬノーラですら、困った顔をしている。
「病人を助ける心がけは良いと思うけれど……エレノア、さすがにそれはどうかと思うわ。屋敷の使用人に頼めなかったの?」
「思っていたよりもイングラム殿が軽く……いえ、私は力がありますので、他の者に頼むより自分が運んだ方が早く確実だと判断し、軽率な行動をとりました」
騒ぎを聞きつけたイングラム卿夫妻には、ジーンを横抱きにして運ぶ姿をばっちりと見られ、唖然とされた。鷹揚で豪快な父ですら、帰りの馬上で注意してきたほどだった。
エレノアは居た堪れなくなり、肩を縮こませる。
「どうか、他言無用にお願いできますでしょうか。イングラム殿の名誉に関わります」
「え、ええ、もちろんよ。わかっているわ」
答えながらも、くくく、と喉の奥から笑いを零す第三王女はツボに嵌まったようだ。この様子では、他の者にも吹聴しそうで怖い。
無言のままお腹を押さえて体を震わせる第三王女に、王妃は軽く咳払いした。
「……まあ、エレノアらしいわ。二人の性別が逆であれば、見合いは大成功だったかもしれないわね。もっとも、あなたの縁談が決まったら、多くの女官達が悲しむことになるけれど」
冗談めいた口調で言う王妃に、エレノアはますます肩を縮こまらせたのだった。