(1)
“あのエレノア”が見合いをした。
その一大ニュースは王宮に瞬く間に広まった。
何しろ“あのエレノア”なのだ。
エレノア・ガーランド。
王家からの信頼篤いガーランド家は、代々騎士団長を輩出する名家である。その第三子として生まれたエレノアは、家の名に恥じぬ立派な騎士であった。
長い黒髪をひとつに束ね、高い背にすらりと伸びた手足、涼やかで凛々しい容貌。
魔力を持たぬ代わりに純粋な力『剛力』を持ち、ひとたび槍を持たせれば目にも止まらぬ神速で操る。速いだけでなく、一振すれば大の男が数人吹き飛び、突きの一撃で頑丈な石壁をも破壊する。騎士団で一、二を争う槍の使い手だ。
付いた呼び名が、『神槍のエレノア』。
黒髪をなびかせて槍を自在に振るい、琥珀色の目を鋭く輝かせ、深緋の団服に身を包むその姿は、物語に出てくる麗しき騎士そのものだ。
そして外見だけではなく、中身もまた騎士にふさわしいものだった。
真面目で礼儀正しく、謙虚かつ誠実な性格で、老若男女に優しい紳士。しかし悪を前にすれば、己が身を盾にして弱者を守り、勇ましく頼りになる猛者。
まさに騎士の鑑であり、女性達の憧れの的。
そんな大人気のエレノアには、未だ縁談の一つもなかった。
何しろ、エレノアは――。
「エレノア! 見合いしたんだって!?」
「相手はいったい誰なんだ?」
「見合いはどうなった!?」
騎士の控室で支度を終えたエレノアが廊下に出るなり、同期の騎士たちに囲まれた。
彼らの勢いに驚きつつも、エレノアは答える。
「たしかに先日、見合いはしたよ。その、お相手の方は……」
「何をしている、お前たち」
エレノアを取り囲む騎士たちの背後から現れたのは、騎士団の第三部隊長であるレナルド・ガーランドだった。
「兄上」
レナルドはエレノアの兄であり、よく似た風貌ながら厳つい表情のためか、少し近寄りがたい雰囲気がある。
鋭い目つきのレナルドに、騎士たちはいっせいに姿勢を正して敬礼した。
「ガーランド隊長!」
「おはようございます!」
「雑談をしている暇があるなら、さっさと持ち場に付け」
「はいっ」
急ぎ足で去っていく騎士たちを見送っていると、エレノアの傍らにレナルドが立つ。
「エレノア。いちいち相手をしなくていいんだぞ」
「はい、申し訳ありません」
素直に謝罪するエレノアに、レナルドは他の騎士に見せていた厳しい顔から、わずかに険を取る。
「……持ち場まで送ろう」
ガーランド家の二人が並んで歩いていると、人目を引く。
レナルドはガーランド家の長男であり、若干二十八歳で部隊長に任命される実力の持ち主だ。大柄で逞しいレナルドの隣に、すらりとした細身のエレノアが並ぶ姿は、巷で人気の絵物語の一頁のようだった。
廊下や庭にいた女官たちは掃除の手を止め、ほうと息を零して彼らに見惚れる。しかし誰も声を掛けられないのは、レナルドが放つ威圧感のせいだろう。しかも、今日はあえて周囲を威圧しているようにも思えた。
その理由に心当たりがあり、エレノアは思わず微笑む。
「……どうした」
「いえ」
側にいる兄のおかげで人が近づいてこない。
おかげで、エレノアが質問責めに遭うこともない。
エレノアの見合いの首尾を聞きたくてうずうずしている者達を、さりげなく牽制してくれているのだ。
本来レナルドが指揮する第三部隊と、エレノアが所属する第十二部隊の持ち場は全く違う。わざわざ送ってくれるのは、エレノアを気遣ってのことだった。
「ありがとうございます、兄上」
はにかんで礼を言うと、レナルドはヘーゼル色の目を細めた。
唇の端をわずかに上げて柔らかな笑みを見せ、大きな手でエレノアの頭を軽く撫でる。
二人の仲睦まじげな姿に、そして滅多に見られないレナルドの微笑みに、女官たちが小さく悲鳴を上げつつ、さらに熱い視線を送っていたのは言うまでもない。
やがて辿り着いたのは王宮の最深部、王族――主に女性王族が住まう後宮である。
後宮との境である扉の前で、レナルドは足を止めた。ここから先は、原則男子禁制だ。
「では、今日もしっかりと職務に励みなさい」
「はい」
エレノアが頷くと、レナルドは颯爽と去っていく。
レナルドを見送った後、エレノアは扉を守る騎士たちに敬礼した。騎士たちもまた敬礼を返し、扉に手を掛ける。
エレノアは姿勢を正し、開いた扉を通る。
ここから先が、エレノアの持ち場だ。
エレノアが所属するのは、第十二部隊。
通称『アルテミア』――戦女神の名を付けられたこの部隊には、女性だけが所属する。
そう、エレノアは女騎士。
並みの男よりも高い背と強い力と持ち、並みの男よりも女性にもてながらも、れっきとした女性であった。
見た目から中身から、すべてにおいて男前な彼女に求婚できる猛者は、なかなかいない。
さらに言えば、剛の者が揃うガーランド家の男性一同が「我々を倒す者でなければエレノアはやれん」と公言しているため、まず縁談の話を持ち掛けることが難しい。
かくして、“あのエレノア”が見合いをすること自体が、奇跡のようなものだったのだ。