お墓参りの帰り道〜見覚えの無い交差点〜
不気味さはありつつも、温かみのあるホラーになりました!
お盆のお墓参りの帰りに体験したお話です。あの年の旧盆は、なかなか休みが取れず、日帰りでお墓参りに行きました。そのため、1泊するという余裕はなく日帰りの予定でした。今日お話するおは、そのお墓参りの帰り、見覚えの無い交差点に辿りついてしまい、偶然会った少年に助けられた話です。
ミーン、ミーン。蝉の鳴き声がうるさい暑中のこと。私はお墓の前で手を合わせ先祖の冥福を祈り終えると、自宅へ帰ろうと立ち上がり、会社へのお土産は何が良いかなと考えながら自宅へ帰ろうと最寄りの駅に向かって歩いていました。今まで、自分のよく知った地元で道に迷うことは無かったのですが、この日は見覚えのない交差点に辿りついていました。携帯でマップを開こうとしても、圏外で開くことができず、どうしようかと私が困っていると小学生の少年が偶然、目の前を通ったので、ここがどこかを聞いてみました。少年も、この場所については詳しく知らない無い様子でしたが、少年の家までの帰り道は分かるとのことで、彼に付いて行くことにしました。少年が家まで案内しようと進む道を振り向いた瞬間、少年の頭にはこの世の者と思えないような打撲傷がありました。髪の毛が血のりで濡れていて、テカテカ光るほどの深い傷。私は彼がこの世の者と思われず、恐怖で腰を抜かし、真っ青な顔でその場から動けずにいました。すると少年は私に手を差し伸べ、泣きそうな顔をして言いました。
「お願い、僕を信じて」少年のその言葉があまりにも人間味のある優しい言葉だったので、恐怖は薄まり、ただ大怪我をしてしまったのだろうと思い直しました。しかし、重態になっては大変だと思い、携帯で救急車を呼ぼうとしましたが、やはり圏外で連絡ができませんでした。そのため、私は急いで実家に帰り救急車を呼ぶしかないと思い、差し伸べてくれた少年の手を取って、先を急ぐことにしました。少年は気遣ってくれているのか、微笑み返し、
「見た目ほど酷く無いから大丈夫、痛みもほとんど無いよ」と言ってくれました。そして、その少年の後をついていくと、私が通っていた小学校の前を通り過ぎ、学校帰りによく通っていた駄菓子屋の前に来ました。私の実家までは、もう直ぐだったので、余裕が出て来て、懐かしいなと通りすがりに駄菓子屋さんの中をチラッと見ました。駄菓子屋の中の陳列されたお菓子やアイスの冷蔵庫を見ると営業中の様子にもかかわらず、お客さんと店主がいませんでした。また、その駄菓子屋の向かいには公園があって、私の知る限り、その公園は子供達で賑わっているイメージでしたが、その日は誰もいませんでした。この時、私は、まるで、この世界には私と少年しかいないように感じました。
「優はこのお菓子が好きだったよね」と声をかけられたので、少年が駄菓子屋の中で指差しているお菓子を見ると、それは、果物のドロップ缶でした。蓋の開け閉めがしづらい昔ながらのドロップ缶が目に入り、懐かしいと飛び付きました。
「そう、このドロップ缶フルーツ飴も良いんだけど、ハッカ飴も良くて、鼻を抜ける爽快感もありつつ、ほんのり甘さが広がるところが好きなんだ」とドロップ缶を手に、昔はよくこのドロップ缶とラムネを買ってそろばん塾に通っていたなと懐かしく思い出しました。ドロップ缶を戻し、少年方を振り向くと少年の頭の傷は先ほどから時間が経っているにも関わらず生々しく、だいぶ深い傷で痛みが麻痺しているのでは無いだろうかと気になり早く帰らなければと出ようとしたところ、また、少年に呼び止められました。
「そろばん塾の先生に怒られて泣きそうな顔をして帰ったこともあったんじゃない?」と少年は、私が小学生の時に通っていたそろばん塾を知っているようで話をしていました。私は、まだあのそろばん塾あるんだと懐かしくなって、
「あれは先生が悪かったんだよ」といつもの負けず嫌いで言い訳をして、この時代でも、そろばん塾の先生は相変わらず厳しい指導をしているのだろうかと思い、
「そろばん塾の先生の厳しさは時代錯誤だよね。」と少年に共感を求めました。今、思えば、何故、少年が私の小学生時代を知っているのか不思議でした。まして、そろばん塾から泣いて帰る時は目の腫れが治るまで公園で過ごしていたので、両親でさえ、このことを知りません。ただ、私が小学生の時、目を泣き腫らして過ごした公園では、誰かと一緒にいて、鬱陶しく感じていたことは覚えていました。
駄菓子屋を後にして、しばらく歩くと、私の家に着きました。私は少年の頭の怪我が気になっていたので、家の人に車で病院まで連れて行ってもらおうと、玄関のチャイムを鳴らしました。インターホン越しに出てくれた母に事情を話すと、車の鍵を持って出て来てくれました。病院に向かうべく母の運転する車に乗ってもらおうと、少年のいた所を振り返ると誰もいませんでした。私は近辺を歩き回っているのかなと思い、家の周辺を見まわしましたが、どこにもいませんでした。私は車のエンジンを点けて待ってくれている母の元まで行き、少年が居なくなってしまったことを伝えました。少年の家はこの辺の近くに住んでいて、帰ったかもしれないと思いつつも、少年が戻ってくることに備えて、その日は実家に泊まることにしました。
実家の母と父には、お盆は忙しくて帰れないと思っていたところ、私の顔を見ることができて喜んでいました。しかし私は見覚えのない交差点で出会った少年との出来事に気を取られて、それどころではありませんでした。少年がどこにいるかも分からない以上、玄関のチャイムに耳を傾けながら、ずっとテレビの前に座っていました。すると、テレビから電車事故のニュースが流れてきました。私が日帰りしていたら乗っていた電車でした。その事故はだいぶ大きな事故だったようで死傷者100名超え、行方不明者多数となっていました。
翌日、会社へ連絡を入れ、何とか、もう一日お休みを頂きました。見覚えのない交差点で出会った少年がこの辺に住んでいるのであれは地元散策をしつつ何か手掛かりが掴めるかもしれないと思ったからです。時間が限られていたので地元の友達にも手伝ってもらうことにしました。
「そろばん塾の帰り泣いていたことを知っていることが、手ががりになりそうだね」と友人が言ってくれたので、私と友人はそれを軸に少年を探すことにしました。しかし、小学校の頃ということで記憶も曖昧なところ、まずは私たちの母校に出かけようということになり、小学校があった場所へ行ってみました。小学校校舎は解体され、更地として売りに出されていました。昨日、少年と通った時には学校があったのにと不思議に思いましたが、更地と書かれた看板にはツルが巻きつき、地面も草で覆われていたため、だいぶ前から売りに出されているようでした。このことを友人に話そうか迷いまっていると、友人が学校帰りに一緒に通っていたそろばん塾に向けて歩きだしたので私もそのあとを急いで追っていきました。
「学校もなければ、そろばん塾も無いか。なんか寂しいね」と言う友達が立っている建物の前には、そろばん塾の代わりに不動産会社のテナントが入っていました。私は、何故、今は無きそろばん塾を少年が知っていたのか気味悪く感じました。友人と私は駄菓子屋さんも無くなっていそうと話しながら、小学校跡地から家に向かう途中にある駄菓子屋さんに向かいました。私達の期待とは裏腹に駄菓子屋さんは今も健在で店のおばちゃんは、もっとおばあちゃんになっていましたが、あの頃と変わらず元気そうでした。友人と私はそこでお菓子を買って家に帰り、小学校の頃の思い出話に花を咲かせました。そして、思い出に浸りながらアルバムを見ていた時、昨日の帰り道で会った少年の正体が分かりました。彼は、小学校の時、色々あって距離を置いていた少年であり、あまり関わることもなく、思い出という思い出もありませんでしたが、家が近かったので、帰りは一緒になることが度々ありました。そして、あのそろばん塾の帰りも彼は私の傍にいて、遅くまで目を泣き腫らした帰り道、暗くなった帰り道が怖いという理不尽な私を家まで送り届けてくれました。あの頃の私はあまりにも幼く、ありがたみを感じませんでしたが、今回の出来事で彼はまだ私のことを見守っていてくれているのかと思うと涙が溢れそうになりました。
それから半年後、小学校の同窓会の案内が来ました。あの少年に会えるだろうかと思うとともに、会えなかったとしても、お線香を炊きに行きたいと思っています。