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【第五章完結】世界を渡りし者たち  作者: 北織田流火
第五章 帝国進撃編
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第三十話 逃亡劇の始まり

 ◇◆


 その日の夜、睡蓮高校の生徒たちは、いつものように集まって夕食を取っていた。

 少しばかり豪華であるにもかかわらず、彼らの表情は優れない。

 だがそれは寧ろ当然だ。

 彼らにとっては、これが最後の晩餐なのだから。


 登校前の日曜日よりも、さらにひどい憂鬱だ。

 明日からは再び訓練が始まり、今日までのような自由は許されなくなる。

 そしてまた、戦争へと連れて行かれて、その誰かが帰って来なくなる。

 そんなことが当たり前の日常へと戻るのだ。

 不安を覚えないわけがない。


 だがそんな時、彼らの頭の中に、突然誰かの声が響いた。


『皆さん、聞こえますか?』


 その聞き慣れた声に、生徒たちは顔を上げて辺りを見回す。


『そのまま落ち着いて、食事をしながら聞いて下さい。周りの兵士さんたちには気づかれないように。この声は、生徒の皆さんだけに聞こえていますから』


 もう一度響いて来たその声で、生徒たちはようやく、それが誰の声なのかに気がついた。


『私は、三年Bクラス担任の乙坂万理です。今日は皆さんにお願いがあって、こうして私の声を届けています』


 声の主――万理は自分の魔法で思念を飛ばして、生徒たちが落ち着いたのを見計らって、言葉を続ける。


『……ですが、その前に……私は皆さんに、謝らなければならないことがあります』


 これから話すことを思い、万理の両手に力が入る。

 だがこれは、決して避けては通れない話だ。

 だから万理は、意を決して自分の罪を告白する。


『……私は、自分の力を信じていました……私一人が、誰よりも強くなって戦えば、生徒の皆さんを守れると…………皆さんの力が必要なくなるくらい、私が戦って成果を出せば、皆さんを戦わせずに済むと……そう、思っていました……』


 それはずっと、万理がこの世界で、生徒たちを守るために信じ続けて来たものだ。

 そしてそれだけが、万理の心を支えるたった一つの信念だった。


『ですがそれは、私の身勝手な独りよがりでしかありませんでした。私は先生として、生徒である皆さんのことを守りたかっただけだったんです……誰でもない、私自身の手で……ちゃんと先生が、生徒である皆さんを守ってあげているんだって……そんな実感が欲しかったんです。いきなりこんな世界に連れて来られて、どうしたらいいのかもわからなくて……私は皆さんを、自分の弱さを隠すために利用したんです』


 律器の前で泣いてから、万理はようやく、自分が何を思っていたのかに気付いた。

 この世界に来た頃は確かに、万理は先生として、生徒たちを守ろうと必死だった。

 だけどいつからか、万理はその手段と目的を履き違えるようになっていた。

 万理は、彼らの先生であり続けるために、自分一人で生徒たちを守ろうとしていた。


『それなのに私は……私では、誰も守ることなんて出来ませんでした。生徒の皆さんを守ると言いながら……私は何も出来ないまま、何人もの生徒たちを見殺しにしてきたんです』


 決して許されることではない。

 少なくとも、万理は自分でそう思っている。

 万理自身の弱さのせいで、何人もの生徒たちが死んだのだと。


『ここで謝ったとしても、それで許されないことはわかっています。死んでしまった人たちは、もう戻っては来ません。ですが、それでも……ここにいる皆さんには、私の下らない独りよがりに付き合わせたことを謝らせて下さい』


 これに意味があるかどうかは万理にもわかっていない。

 今この瞬間、生徒全員が万理のことを見ているわけでもない。

 だがそれでも、そうすることが、彼女にとってのせめてものけじめだった。


『本当に……ごめんなさい』


 皿の上に前髪が付きそうなほどに、万理は深く頭を下げる。

 それからしばらく頭を下げた万理は、顔を上げ、覚悟を宿した瞳で前を見る。


『もう私は、皆さんの先生でいることは出来ません。ですが最後に一度だけ、皆さんの力を、貸してはもらえませんか?』


 ここからが、万理にとっての正念場だ。

 彼女がこうして話している目的は、生徒たちの意志を統一するため。

 万理が今行っている思念伝達は、一人一人を対象に送っているのではなく、生徒のいる範囲を指定して送っているものだ。

 万理の実力を持ってしても、バラバラの場所にいる生徒たち全員にだけ、声を届けるということは難しかった。

 だから、万理が直接声を届ける機会は、生徒全員が食堂に集まっている今この時しかない。

 彼らの脱走計画が成功するかどうかは、今この瞬間にかかっているのだ。


『実は今日、とある生徒さんから、私にお話がありました。今晩の内に私と、ここにいる生徒の皆さんで、ここから脱出するというお話です』


 その万理の発言に、多くの生徒たちが動揺して、隣に座る生徒たちと視線を交わす。

 だがすぐに、兵士たちが自分たちを見ているのだと気づいて、それも落ち着いて行く。


『最初私は、ここから逃げ出すことには反対でした。もしそれが失敗してしまったら、私たちは今度こそ、誰一人残らずに殺されてしまうかもしれません。そのことはもう、皆さんにも身に染みてわかっているはずです。そんな危ない橋を渡るくらいなら、このままここにいた方が、生徒の皆さんを守れると……以前の私は思っていました』


 海堂と菊池と一緒に脱走して、処刑された冷泉の姿は、鮮明に生徒たちの心に刻まれている。

 忘れられるはずもない。

 この場にいる誰もが、処刑される自分を想像しなかったわけがない。


『ですが、今は違います。一度、本物の戦争で戦って、ようやくわかりました。私では、この戦争を終わらせることも、皆さんを戦場で戦わせないようにすることも出来ません。例えこのままここに残ったとしても、きっと私たちは、この戦争が終わるまでずっと、戦わされ続けるのだと思います。そうなってしまったら、いつか本当に、私たちの心は壊れてしまいます。ですから私は、皆さんと一緒に、ここから逃げ出すことを決めました。いきなりで急すぎる話かもしれません。ですが、もう後がないんです。ここから逃げ出すためには、この場にいる皆さん力が必要なんです』


 そしてもう一度、万理は深く、生徒たちに頭を下げる。


『お願いします。ここにいるみんなで、これからの明るい未来を掴み取るために、私に力を貸してはもらえませんか』


 静まり返る食堂。

 誰もが口を閉じ、食事の手すら止まった中で、万理の隣にいた一人の生徒が席を立つ。

 同時に、周りで監視をしていた兵士たちの闘気が高まる。


「ただの音頭ですよ。これが最後の夜になるんです。今日くらい、俺たちの勝利に乾杯を許してもいいんじゃないですか?」


 立ち上がった生徒――律器は、剣の柄に手を掛けた兵士たちへと告げる。

 確かに、それくらいなら問題はないと、兵士たちは剣から手を放して警戒態勢へと戻る。


「俺は三年Bクラスの、影林律器だ。最初に言っておくと、今回の発案者は俺だ。俺が万理先生に相談して、今回の企画を立てた」


 律器の言う企画とは、いったい何のことなのかは、当然生徒たちも理解できた。

 だが一方で、万理の声が届いていなかった兵士たちには、わかるはずもない。


「中にはこの企画に反対の奴もいるのかもしれないし、不信に思っている奴もいるかもしれない。だが、どのみちここで立ち上がらなければ、俺たちは一生、ここから立ち上がる機会を失うことになる。先生も言ったように、ここに全員が揃っている今が、これを成功させる最後の機会だ。だからみんなには決断してほしい。ここで一生、地獄の日々を過ごすのか? 一か八か、ここで勝負を懸けるのか? ここにいる全員が力を合わせれば、俺たちは勝利を掴み取れると信じている。だからこの場で、一緒に勝利を願ってくれる奴は、立って杯を掲げてほしい。俺たちは、ここで死を待つだけの、理不尽に使い潰されるだけの道具じゃないはずだ!」


 律器の声が、食堂の中に木霊する。

 再び静寂が支配しようとしたその時……


「まったく……その通りね!」

「わ、私も……精一杯、頑張ります」


 地奈津と響生が、各々で席を立つ。

 ここまでは律器の予定通り。

 ここから、どれだけ生徒たちの賛同を得られるかどうかだが…………それは律器の杞憂だった。


 地奈津と響生を皮切りに、一人、また一人と、次々と生徒たちが立ち上がっていく。

 その数は等加速度的に増えて行って、気づけば全ての生徒たちが立ち上がっていた。


「……皆さん……」


 そんな生徒たちの姿を見て、万理の瞳が薄っすらとキラキラ光る。


「……先生」

「……はい!」


 隣から差し伸べられた律器の手に、万理もまた、目元を拭って席を立つ。


「じゃあ、ここから必ず生きて帰ろう……俺たちの勝利に!」

「「「「「勝利に!」」」」」


 杯を掲げ、中に入っていた水を飲んで、生徒たちは席へと着く。

 警備をしていた兵士たちにとっては、ただ彼らが、戦争への決意を新たにしただけだと思ったことだろう。


 そしてその日の夜、空に浮かぶ月が頂点に達しようとしたその時――


「行くぞ」


 ついに生徒たちの命運を賭けた、逃亡劇が始まった。


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