第二十九話 生徒たちがついていますから
□■乙坂万理
本当に、このままでいいのだろうか?
王国との戦争に連れて行かれ、そこでもまた、何人もの生徒たちを失ってから、万理は時々そう思うようになっていた。
「――ありがとう、先生。少しだけ、気が楽になりました」
「……そうですか。それは良かったです。もしもまた、どうしようもなくなった時は、いつでも相談しに来て下さいね。待ってますから」
そう最後に伝えてから、万理はその生徒の部屋を辞した。
万全ではないにしても、これで少しは持ち直してくれればいいのだけど……
(私は、いつまでこんな思いを、生徒たちにさせなければいけないんでしょうね)
自分の部屋へと戻った万理は、そのまま寝台へと飛び込んで、見慣れた天井を見上げる。
そう、見慣れた天井だ。
もうそれだけ長い時間を、万理たちはこの世界で過ごしている。
召喚されてすぐは、何百人もいたはずの生徒たちは、もう数えるほどしか残っていない。
そんな生き残った生徒たちでさえも、心には多く傷痕を残している。
塔の城に戻って来てから万理は、出来るだけたくさん、生徒たちと話をするようにしていた。
特に今回の初陣で、心に深く傷を負った生徒たちには、積極的に声を掛けていた。
必死で抵抗する相手を殺す罪悪感。
全力で殺しに来る相手を前にする恐怖。
大切な人が殺されるかもしれないという不安。
そして、絶対的な強者に対する畏怖。
それらを一遍に目の当たりにして、平静で入れるわけがない。
大人でもそうだというのに、生徒たちはまだ、成人すらしていない十代の少年少女たちだ。
それだけ、彼らの心に負った傷は深い。
だから万理は、それが少しでも和らいでくれるように、生徒たちに声を掛け続けた。
殻に閉じこもっているよりも、言葉にして思いを吐き出した方が、幾分か楽になれると思ったから。
だけどそれは、ただの対処療法でしかない。
根本的に解決するためには、最低でも、生徒たちが戦わずに済める場所を作らなければならない。
そのために万理は、今まで必死に頑張ってきたつもりだった。
だけど実際は、そう上手くはいかなかった。
生徒たちの居場所を作るためには、まだ全然力が足りない。
その間もずっと、生徒たちの心は、戦いの中でどんどん傷ついて行く。
万理の用意が終わるまでに、生徒たちの心が持つかどうかもわからない
それで本当に、自分は生徒たちを守ろうとしているのだと言えるのだろうか?
今の万理には、それがわからなかった。
コンコン――
「……はい」
「影林です。今少しだけ、お時間いいですか」
扉を叩く音がして返事をすると、向こうから万理のよく知っている生徒の声が返ってくる。
思えば帰って来てから、律器とはあまり話していないような気がした。
「……どうぞ」
「失礼します」
許可を出してすぐに、律器はしっかりとした足取りで、部屋の中へと入って来る。
万理は寝台から体を起こして、乱れた服を整えてから、笑顔で律器のことを出迎える。
「どうかしましたか?」
仲の良かった彗の訃報は、律器の心にも大きな影を落としたはずだ。
そのことで万理に相談するために来たのだろうか?
一瞬万理はそう思った。
だけど、この目で見た律器の雰囲気は、それとはどこか少し違うような気がした。
「先生に話があって来ました」
「話? ですか?」
いったいどんな話をしに来ただろう?
そんなことを思っている間に、律器はズイズイと万理の方へと近づいてくる。
その勢いは、万理を目の前にしても止まらない。
まるでこのまま、万理を寝台の上に押し倒してしまいそうな勢いだ。
「え!? ちょっ!? 影林君!?」
律器に肩を掴まれて、万理は本当に寝台の上に押し倒されてしまう。
仰向けにされた万理の上から、律器は覆いかぶさるように見つめてくる。
その目は、誰がどう見ても本気だった。
(い、いったい何がどうなってぇ……!?)
まさか本当に、律器がこんなことをしてくるなんて……
万理の中では、もう少し落ち着きのある生徒だと思っていたのに……
律器の顔がグングンと近づいて来るにつれて、自分の頬が熱くなっていくのがわかる。
なんで彼が、こんなことをしようとしているのかはわからない。
だけどこのまま、万理の色々な初めてを許してしまうわけにはいかなかった。
「い、いきません! 私たちは、生徒と教師! こんな関係になってしまっては……」
「先生。落ち着いて聞いて下さい。これで見張りの兵士が離れました。今の内に、音を遮断する結界みたいなものを張れませんか。あと幻影みたいなものも出せれば、すぐにここから離れますので」
「え?」
耳元で囁かれた言葉に、万理は両目をパチクリさせながら惚けてしまう。
確かに耳を澄ましてみると、部屋の近くにいたはずの兵士が、「お盛んだな」なんて言いながら、離れて行くのが聞こえて来る。
律器はそれを慎重に確かめている様子で、それは詰まる所、律器の狙いは最初から兵士を遠ざけることだったというわけで……
「!!!!!」
自分がとんでもない勘違いをしていたことに、思わず声が出そうになるが、何とか寸でのところで踏みとどまる。
だけどあまりの恥ずかしさに、さっきまでよりも遥かに顔が熱くなっていることがわかる。
穴があれば入ってしまいたいが、いつまでもこのまま打ち震えているわけにはいかない。
「……あとで覚えておいて下さいね」
せめてもの負け惜しみに一言告げれば、万理は律器の注文通り、魔法を発動させる。
音を遮断する結界を部屋に張り、少し難しくはあったが、外からは“そう”見えるように幻影を作り出した。
「もういいですよ。幻影も作ったので、離れてくれて大丈夫ですよ」
「ありがとうございます」
そこでようやく、律器は万理から体を起こして向かいにあるもう一つの寝台へと腰かける。
「それで、ここまでして私と話したいことというのは、いったい何なんですか?」
思わず尖った言い方になってしまったが、それもしょうがないだろうと、密かに万理は思う。
これで大事な話でもなかったら、少しだけ律器にお灸を据えなければいけないかもしれない。
だけど、そんな心配をする必要なんてなかった。
律器は、万理の目をしっかり見据えながら言葉を紡ぐ。
「先生はまだ、ここから逃げ出すことには反対なんですか?」
ある意味で予想通りな、ある意味で虚を突けられた質問。
そんな律器の問いに万理は……
「それは…………わかりません……」
そう答えることしか出来なかった。
今までの万理だったら、迷いながらも、それでも反対だと言っていたかもしれない。
だけど、今の万理には、そう言い切るだけの自信がなかった。
「私は……今まで私なりに、皆さんを守ろうと頑張ってきたつもりです。私一人が、皆さんの分まで戦えば、誰も犠牲にならずに済むと、そう思って来ました……だけど、今は本当に、それが正しいことだったのかどうか、わからなくなってしまいました」
戦争から戻って来て、この世界に苦しみ続ける生徒たちを見る度に、万理はそう思うようになっていた。
自分がやっていることは、ただ悪戯に生徒たちを傷つけているのだけではないかと。
自分が助けてみせると言いながら、ただ自己満足に縋っていただけではないかと。
そう思わずにはいられなかった。
だけど……
「先生は、間違っていなかったと思います。それが最善だったかどうかは、俺にもわかりませんけど。でも少なくとも先生が、必死になって生徒たちを守ろうとしたことは、決して間違いではないはずです」
律器は、そんな万理を間違っていないと言ってくれる。
だけどそれは、ただの詭弁でしかない。
これで本当に、万理が誰も救えなければ、万理の言ったことはただの狂言でしかない。
ただ独り善がりのために、多くの生徒たちを死なせただけでしかない。
ならいっそ、万理は間違っていたのだと、そのせいでたくさんの生徒が死んだのだと、今この場で罰してほしかった。
「だけど、先生……」
近くに聞こえた律器の声に顔を上げると、彼の顔はもうすぐ目の前にあった。
片膝を付き、万理の顔を覗き込んで来る律器は、不意に優し気な笑みを浮かべる。
「もういいんじゃないですか。もうこれ以上、先生が一人で背負い込む必要なんてありません。俺たちはもう、先生に守られてばかりでいるほど弱くはありません。少なくとも、先生の隣で、一緒に戦えるだけの強さは持っているつもりです。それとも先生……」
「…………」
「生徒たちは、そんなに頼りないですか?」
「ッ!…………」
律器の発したその質問に、万理は一瞬、息が詰まりそうだった。
生徒たちの中には、確かにこの世界に付いて行けず、塞ぎ込んでしまう生徒たちだっている。
だけど中には、目の前の律器みたいに、状況を打開しようと必死に行動しようとしている生徒たちだっている。
そんな彼らが、万理にとって頼りにならない存在のはずがない。
だけど、やっぱりそれでは駄目なのだ。
ここで肯定してしまったら、律器たちはもう、万理が守る存在ではなくなってしまう。
そうなってしまったら、彼らを矢面に立たせない理由が無くなってしまうから。
だから万理は、必死になって「頼りになる」という言葉を飲み込んだ。
だけどどうしてか、口から出る言葉は抑えられても、首を横に振ることは、どうしても止められなかった。
「なら先生、一緒にここから逃げ出しませんか? 今ならまだ間に合います。そしてこれが、恐らく最後の機会になると思います」
「……本当に、出来るんですか? もうこれ以上、誰も犠牲にならない。そんなこと……」
「出来ます。そのために、俺たちは今までずっと、この日のために準備をして来たんです。だから先生……もう、一人で背負い込むなんて止めて下さい。先生には、生徒たちが付いていますから」
――生徒たちが付いている。
その言葉は、不思議と万理の中に響き渡って、万理の全部を包み込んでいく。
まるで凍てついていた何かが、ゆっくりと溶け出すみたいに、万理の中にあった緊張が少しずつ解れていく。
そして気づいた時にはもう、万理の目からは、大粒の涙がこぼれ落ちていた。
「あ……あれ? 私。なんでこんな……こんなつもりじゃ……」
拭っても、拭っても、必死に目を擦っても、涙は止めどなく、万理の目から溢れ出てくる。
嗚咽が部屋の中に響いて、その声がどんどんと多くなって、最後は声を出して泣いていた。
年甲斐もなく、まるで子供みたいに。
だけど、張りつめていた心の重荷は、少しだけ軽くなったような気がした。
「……もう、大丈夫です」
ひとしきり泣いてから、万理はパッと顔を上げる。
どうしようもなかったとはいえ、律器にはみっともない姿を見せてしまった。
生徒の前で泣いてしまうなんて、これでは教師失格もいいところだ。
だけどお陰でようやく、何もかもが吹っ切れたような気がした。
だからもう大丈夫。
「聞かせて下さい。先生は、何をすればいいですか?」
もう万理に迷いはなかった。
勝手に全部を背負いこんで、一人で悩むようなこともない。
だって、万理にはもう、頼りになる生徒たちが付いているのだから。




