第二十八話 喋る猫
◇◆
猫がいた。
魔境――〈帰らずの森〉の中に建てられた塔の城。
地奈津と一緒にやって来たその猫は、まるで飼い猫であるかのようにそこにいた。
「響生ー。ごはん持ってきたよー」
「ニャー」
猫は見ていた。
日に日に痩せ細っていく響生の姿を。
それを根気強く介抱している地奈津の姿を。
地奈津は響生と同じ寝台に座ると、食堂から持ってきた昼食を彼女に差し出す。
「……いりません」
「……せめて何か食べないと、本当に身体壊しちゃうよ」
「ニャー……」
猫は鳴いた。
このままでは本当に倒れてしまいそうだったから。
この三日間の間、響生はほとんど食事を取っていなかった。
彗が死んだという報せは、それだけ彼女の気力を奪うには十分なものだった。
「もう、いいんです。彗くんのいない世界なんて……もう……」
「それ、彗の前でも同じことが言える?」
「…………」
「彗ならきっと、響生ちゃんには生きててほしいって、言うと思うけどな」
「……わかっています。彗くんならきっと、私には生きてほしいって、言ってくれると思います……だけど……だけど、私は! 誰かの足手纏いにしかなれません! 私の代わりに、誰かが犠牲になるなんて……そんなのもう……耐えられません……」
「そんなの……響生ちゃんは足手纏いなんかじゃないよ。あたしたちを何度も助けてくれたじゃない」
「……いっぱい、努力しました」
「…………」
「彗くんに守られるだけの自分が嫌で、いっぱい努力して、彗くんを助けられるようになるって……そう思って、今まで自分なりに頑張ってきたつもりでした。でも、どれだけ頑張っても、私じゃ彗くんの隣に立つことなんて出来ないんです」
「…………」
「だから私は、地奈津ちゃんが羨ましかったんです。彗くんの隣に立てる力があって、一緒に戦える強さがあって……だけどきっと、それだけじゃ足りなかったんですよね?」
「…………」
「地奈津ちゃんくらいの強さがあっても、彗くんを助けるには足りなかったんですよね? 今でも私は、こんなにも弱いのに。もっと強くならなきゃ、誰かを助けることもできなくて……どうして私が、足手纏いじゃないって言えるんですか?」
「…………」
「ねぇ、地奈津ちゃん……教えて下さい! 私だったらどうやったら、彗くんを助けられたっていうんですか! ただ守られていることしか出来なくて、誰も助けられない私が! どうして足手纏いじゃないって言えるんですか!?」
「…………」
「教えて、下さい……」
猫は思った。
彼女たちと自分の過去は似ているのかもしれないと。
猫は嘗て、この世界で出会った大切な人を失っているのだから。
あの時の猫は、ただ守られていることしか出来なくて、そのせいで大切な人が殺された。
その後になって、猫は強大な力を手に入れたけれど、その力では大切な人を救えなかった。
「……彗くんに、会いたいよぉ……」
「…………」
猫は願った。
この二人に、自分と同じ苦しみを背負わせたくないと。
今ならまだ、全ては悪い夢だったのだと済ませられる。
だけどここに居続ける限り、その夢はいつか現実になってしまうかもしれない。
だから……
「会えるよ」
「「!」」
猫は告げる。
鳴き声じゃない、人の言葉を口にして、彼女の分身体は、響生と地奈津にそう告げるのだった。
□■影林律器
彗の訃報を聞いてから、既に三日間が経とうとしていた。
あれからというもの、律器はほとんど何も手に付かないまま、ただボーっとする日々を過ごしていた。
「ニャー!」
「うわっ! なんだこの猫――オラッ! あっち行け! ッ! 痛って! 待てやゴラァっ!」
「ニャー」
廊下が何やら騒がしい。
猫の鳴き声が聞こえたかと思えば、見張りをしていたはずの兵士の足音が遠のいて行く。
それからほどなくして、部屋の扉が勢いよく叩かれる。
「彗! いるよね? 入るわよ」
返事を待たずに、地奈津が部屋の中へと入って来る。
そんな彼女の様子は、どこか落ち着きがないように見えた。
「地奈津? それに響生まで……何かあったのか?」
地奈津の後ろからは、なんと響生までもが顔を出して来る。
今まで部屋の中で塞ぎ込んでいたせいか、響生の体は前に比べて痩せ細って見える。
だがそれでも、彼女はしっかりと二本の足で歩いていて、その姿はまるで、信じる希望を見つけたかのように見えた。
「律器、落ち着て聞いて」
「?」
そう前置きをした地奈津は、一度呼吸を整えてから、意を決したように言葉を紡ぐ。
「……彗が、生きているかもしれない」
「…………どういうことだ」
地奈津の言葉に、律器の両目は大きく見開かれる。
他でもない、彗の死を伝えたはずの地奈津が、そう言っているのだ。
これで何もないと考えるのは、あまりにも不自然だ。
するとどこからか、聞き覚えのない声が、律器の耳に届いた。
「ここからは……私が話をする、ね……」
「!」
声のした方へと目を向けると、そこには地奈津が連れて来た一匹の猫がいた。
「猫?」
どうしてここに、猫がいるのだろうか?
まさかこの猫が喋ったのだろうか?
そんな疑問が頭の中をグルグルと回っていると……
「まずは……初めまして、かな?」
「!」
もう一度声を出して喋る猫に、律器は素直に驚いた。
まさか本当に、猫が喋るなんて思いもしていなかった。
だけどよくよく考えてみれば、ここは魔法のあるファンタジー異世界だ。
なら猫が普通に喋ることだってあるのかもしれないと、律器はどうでもいいことを思い直す。
「私は、神楽万衣……あなたたちと同じ……この世界に連れて来られた、“渡り人”……」
「“渡り人”?」
聞きなれない単語に、律器は猫へと聞き返す。
「そう、“渡り人”……それが私たちの、名前……まぁ……その話は、また後で、かな?……今は、あなたたちの、お友達の話」
「!」
“お友達”というのは、間違いなく彗のことだ。
律器だけでない。響生と地奈津までもが、猫の言葉に居住まいを正す。
「最初に言うけど、彗は今、私と一緒にいる……」
「! 本当か! 彼奴は、無事なのか!?」
思わず声が出てしまう。
猫と一緒にいるとはどういうことなのか?
だったら目の前にいるこの猫は何なんだ?
という疑問が頭に湧いてくるが、一瞬でどこかへと飛んでいく。
今はただ、彗が無事であるかどうかを聞きたかった。
「無事…………疑うなら、話す?……声は、真似できないけど……言葉だけなら、伝えられる、よ」
「!」
彗と話せるということに、律器はさらに驚く。
だが、それなら猫の申し出は願ってもない。
どうやって? とかの疑問は、今は後回しだ。
彗の無事が確認できるのなら、今はそれ以上に重要なことなんてなかった。
「……頼む」
「わかった……ちょっと、待ってて……」
そうして少しの間待っていると、猫は今までとは違う口調で語り出す。
『あー。これで良いのかー? よくわかんねぇが、猫に話しかけるつーのも、なんかシュールだなー』
「…………」
出てきた声音は、さっきまでの猫のものと何も変わらない。
だがその口調は、律器の知っている親友と同じものだ。
「……彗、なのか……?」
『お! もしかして、その口調は律器か? すげぇな。案外言葉だけでわかるもんなんだな』
間違いない。彗だ。
猫が聞かせている、まやかしなんかじゃない。
彗は確かに、この猫の先に居るのだ。
「彗くん!」
『ん? もしかして響生もいんのか?』
「はい! ここにいます! 彗くんも、そこにいるんですよね!?」
『あぁ、ちゃんとここにいるぜ。すまねぇ、心配かけちまったな……』
「ううん。生きていてくれて、良かった……」
ポロポロと、猫の前で涙を流す響生を、地奈津が後ろから優しく摩る。
「彗。あなた、今までどこで何をしていたの? ずっと心配していたのよ」
『今のは地奈津か? 悪ぃ、お前にも心配かけちまったな――』
それから彗は、今までに何があったのか話し始める。
空からの隕石は、何とか重傷になりながらも、魔法で防いだこと。
そこを律器たちと同じ、日本からこの世界に来た男に助けられたこと。
それからは男の忠告通り、地奈津たちとは合流せずに、この塔へと向かっていること。
『――今はちょーど、森に入るところだなぁ。今日の夜には着けると思うぜ』
彗が戻ってくる。
そのことに律器は、心の底から安堵していた。
これでまた、四人で一緒に居られる。
そう思った時、彗の言葉が律器の耳元へと届く。
『なぁ、律器』
「ん? どうかしたか?」
『……今なら“あれ”、出来るんじゃねぇか? 此奴さえ協力してくれりゃぁ、もう全部揃ったんじゃねぇのか?』
彗の言う“あれ”というのは、間違いなく脱走計画のことだ。
確かに、その話題が出て来ても可笑しくはないが、その時になってようやく、律器は自分の迂闊さに気がつく。
「!」
律器は慌てて、辺りに人がいないのか確かめる。
今、誰かにこの会話を聞かれるのはマズい。
そう思っていたのだが……
「大丈夫……」
そんな律器に答えたのは、目の前にいる猫の隣に現れた、新しい猫だった。
「人も鼠も、全部、追い払っているから……誰にも聞かれない……はず……」
「…………」
猫が急に増えたことに、律器は少しばかり驚く。
だが彼女の言う通り、近くに人の気配は確かになかった。
『? 何かあったのか?』
「……いや、何でもない。それより、今の話だけど……」
『いやだってこれ、もろ通信機じゃねぇか。俺ら今、離れた場所で会話してんだろ?』
「!」
言われて初めて気づいた。
確かに彗の言う通り、律器たちは今、離れた場所にいる彗と会話することが出来ている。
それは律器たちが探し求めていた通信手段そのものだ。
今までは、純粋な魔道具や魔法としてでしか考えていなかったが……
(確かに、これは盲点だったな。ここで神楽さんに協力してもらえれば、確かに必要なものは全部揃う)
それでも、まだいくつかの問題は残ることになる。
だが万衣の協力によって、大きく前進することは間違いなかった。
「……神楽さん? で、いいのか? あんたは俺たちに、協力してくれると思っていいのか?」
律器が尋ねれば、万衣は肯定ということだろうか?
二匹の猫が、首を縦に振って頷く。
「そのために、私はここにいる……」
「……ありがとう」
これで一番の問題は解決された。
あとこの状況で必要なものは……
「なら、まずは先生の説得からだ」
計画を動かすのなら、今この時しかない。
律器は立ち上がり、生徒をまとめるための先生の下へと向かうのだった。




