第二十七話 馬鹿野郎
□■影林律器
戦争に出ていた仲間の帰還。
その報せは、今日まで代わり映えしなかった律器たちにとって、湧き立つには十分なものだった。
塔に戻り、食堂に入って来た彼らに気づいて、律器たちは一人、また一人と駆け寄っていく。
「地奈津!」
「!」
そんな人混みの中で、律器は馴染みの顔を見つけて声を掛ける。
怪我をした様子もない地奈津に、律器は安堵の溜息がこぼす。
「良かった、無事だったんだな。怪我もないようで安心したよ」
「…………そう、だね」
「……地奈津?」
どこか歯切れの悪い地奈津の様子に、律器は首を傾げる。
いつもの地奈津なら、笑って自分が無事に帰って来たことを強調するはずなのに。
今の地奈津には、そんな様子は何処にも見えない。
「地奈津ちゃん」
「!……」
すると横から、響生が顔を出して、地奈津に声を掛ける。
彼女は彼女で、彗という彼氏を探しに行っていたはずだが、まだ隣に彼奴の姿はない。
そのことは少し気になるが、それよりも、今響生から声を掛けられた時、一瞬だけ地奈津が、肩を震わせたように見えた。
「あの、彗くんを見ませんでしたか? どこにも見当たらなくて」
「……確かにいないな」
律器も辺りを見渡してみるが、確かに彗の姿はない。
まだ食堂に入って来ていないのかとも思ったが、入り口からはもう誰かが入って来る様子はない。
ほとんど全員が、この場に集まっているのに、こんな時に彗は、どこかへ行っているのだろうか?
「なぁ、地奈津」
「…………」
「……? 地奈津?」
彗がどこにいるのか聞こうとして、地奈津に声を掛けるが、返事がない。
彼女を見れば、下を向き、握り締めている拳が僅かに震えている。
その様子は、どこか何かを堪えているように見えた。
「地奈津ちゃん?……」
「…………」
そんな地奈津に、響生も声を掛けるが、それでも返事はない。
その様子に、律器は猛烈に嫌な予感がした。
地奈津のことは、幼馴染としてそれなりによく知っている。
そんな彼女が、これほどまでに追い詰められているところなんて、律器は見たことがなかった。
律器の中で、最悪の想定が頭を過る。
だが、そんなことはないと思いながらも、それでも地奈津の様子から、そうかもしれないという考えが拭えない。
出来ることなら、確認なんてしたくない。
だがそれでも、まだ決まったわけではないのだと、律器は淡い希望に縋って地奈津に尋ねる。
「なぁ……彼奴も、お前と一緒に帰って来るんじゃないのか? それともなんか、まだ向こうでやり残したことでもあるのか?」
「…………違う」
絞り出すように、地奈津は言葉を吐き出す。
それからゆっくりと、彼女は続きを――最悪の事実を口にする。
「彗はもう、ここには帰って来ないのよ。もう二度と!」
「…………え?」
地奈津の叫びに、声を漏らしたのは響生だった。
だけど律器だって、今の地奈津の言葉は信じられなかった。
あの彗が戻ってこない?
面白い冗談だと思った。
あまりにも面白すぎて、どこか目眩さえ感じてくる。
律器の隣では、響生が震える手で、口元を押さている。
「地奈津ちゃん……まさか、そんな……違いますよね? 律器くんの言うように、まだ向こうに残っているだけなんですよね? そうなんですよね!?」
「…………ごめん……あたしたちじゃ、何も出来なかった」
「…………」
「…………」
「本当に……ごめんね……」
今にも泣き出しそうな地奈津の声で、律器はようやく全てを理解した。
冗談でも何でもなく、彗は死んで、もうこの世にはいないのだと。
そう容赦なく、突きつけられた様な気がした。
彼奴と過ごしてきた日々が、走馬灯のように頭の中に流れていく。
思い出が頭の中に浮かんで来る度に、親友を失った悲しみが、心の中に募っていく。
だがそんな律器よりも、さらに深い悲しみに囚われている彼女が、隣にはいた。
「そん、な……そんなの……うそ、嘘なんですよね? ねぇ、地奈津ちゃん! 嘘なんでしょ! 嘘だと言って下さい!」
「…………」
襟を掴みながら揺さぶる響生に、地奈津は何もせずに、ただ首を横に振る。
それが全ての答えだった。
響生の抵抗も、それ以上は続かない。
揺さぶっていた手は止まり、響生の目からは、大粒の涙がこぼれ落ちていく。
「……そんな……そんなのって!――」
そして彼女の言葉も、それ以上は続かなかった。
地奈津の胸に顔を埋め、抑えようのない涙声が、響生の喉から溢れ出る。
いったいその叫びに、どれほどの悲しみが乗っているのだろうか?
そんな響生を、地奈津は躊躇いながらも、力強く抱きしめる。
地奈津の目尻にもまた、光を反射して光る涙が確かにあった。
そんな二人の姿を見ていると、密かに彗に対して怒りが湧いてくる。
その怒りは、もしかしたら筋違いなのかもしれない。
だけど、目の前の二人を泣かせた彗に、律器は言わずにはいられなかった。
「馬鹿野郎……」
律器の声は、誰が聞いたかもわからない空虚へと消えて行った。
△▼
地奈津たちが戻ったその日から、律器たちには三日間の休みが与えられた。
ここへ来て初めての真面な休暇だ。
今までは身体を休めることはあっても、それ以外の自由は許されなかった。
基本的に外へ出ることは叶わずに、部屋の中で一日過ごすことになる。
だが、今回はそうじゃない。
もちろん、塔の外なんかに出ることは許されないが、部屋の外で、誰かと一緒に過ごしたりすることは出来た。
だけど、だからと言って、律器は誰かと一緒に過ごしたいとは思えなかった。
もっともそうしたいと願った親友は、もうこの世にはいないのだから。
「律器……入るわよ」
相方のいなくなった部屋の中に、地奈津は顔を覗かせてから中へと入って来る。
そのまま無遠慮に足を進めて来て、寝台に腰かけていた律器の隣へと座った。
「…………」
「…………」
お互い、最初に何を言うべきなのかわからずに、時間だけが過ぎていく。
だけど、いつまでもこうしているわけにもいかない。
「響生はどうだ?」
「……うん。一応は、落ち着いたかな。今は部屋の中で横になってるよ」
「……そうか」
そりゃあ、あれだけ取り乱せば、疲れもするだろう。
今の彼女には、気持ちを整理する時間が必要だ。
(まぁ、それは俺もなんだろうな)
それから言葉を交わしていく内に、地奈津は戦場で何が起きたのかを話してくれた。
最初は帝国軍が優勢だったこと。
だがその直後に、ものすごい隕石が降って来たこと。
それが彗のいた部隊のところに直撃したということ。
万理先生が助けに行こうとすれば、あの隕石を防げないのでは、死ぬだけだと、皇帝に止められたこと。
全てを伝え終えた地奈津の両手は、自分への怒りからか、小刻みに震えていた。
「ごめん。あたしじゃ、彗を助けられなかった」
「……いや……地奈津のせいじゃない……」
そう言ってから、律器は地奈津に大事なことを確認する。
「なぁ、地奈津……地奈津はさぁ、彼奴の死体を見たわけじゃないんだよな?」
「……そうだけど……でも、あの隕石から生きているなんて……」
地奈津の反応を見るに、それだけ彼女の見たものは絶望的だったということなのだろう。
確認するまでもなく、彗が死んだと思ってしまうくらいには。
だけど、まだ死体を見たわけじゃないのなら、生きている可能性だって十分にある。
「それでも、俺は彼奴が生きているって信じるよ」
「強いのね。律器は……」
強くなんてない。
地奈津に見えているは、ただの幻だ。
彗が生きているって信じなければ、今にも挫けてしまいそうだったから。
必死に自分の弱さを隠すために、虚勢を張っているだけでしかない。
「……もう戻らないと」
そう言って、地奈津は寝台から立ち上がる。
いくら自由に会えるとは言っても、廊下には当然、見張りの兵士が立っている。
あまり長居していては、あらぬ疑いを掛けられてしまうかもしれない。
「じゃあ、また後でね」
そう軽く手を上げてから、地奈津は部屋の外へと出て行った。
部屋の中には、また律器がたった一人。
目の前には、主を失った寝台が一つある。
地奈津にはあんなことを言ったけれど、それでも心のどこかでは、彗はもう死んでいるかもしれないという考えが拭えない。
しばらく彗の寝台を見つめ、そこにいるはずだった彗の姿を幻視して――
「ッ……」
――律器は静かに涙を流した。
それからの三日間は、あっという間に過ぎて行った。




