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【第五章完結】世界を渡りし者たち  作者: 北織田流火
第五章 帝国進撃編
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第二十六話 帰還

 ◇◆


 夜――

 氷の天井が空を覆っている。

 時が止まり、空間に固定された氷は、例え隕石が降ってこようと、砕かれることはない。

 それが帝国軍の陣地。

 進軍を止め、撤退まで追い込んだ零への、最大限の警戒の表れ。


 そんな対空陣地の外。

 綾瀬地奈津は一人で夜の大地に立っていた。


「彗……」


 空を見上げ、戻らぬ友人の名を呟く。

 その先には数えきれないほどの星々が輝いている。

 普段の地奈津なら、迷わず綺麗だと思っていたかもしれない。


 だけど、今の地奈津には、ただ不吉の象徴にしか見えていなかった。


「…………」


 地奈津にとって、彗との関係は、あまり直接的なものではなかった。

 幼馴染の親友で、親友の恋人。誰かを介して繋がった友達。

 それが地奈津にとっての彗だった。


 律器や響生と比べたら、まだ少しだけ距離のある関係。

 四人で遊ぶことはあっても、二人だけで何かするようなことはなかった。

 それでも、大切な友達であることには変わらない。


 それを証明するように、地奈津の視界がクシャリと歪む。

 必死に堪えようとするけれど、一滴一滴と、涙は地奈津の目からこぼれ落ちていく。


「……あの二人に……なんて言えばいいのよ……」


 地奈津は思う。

 ――いったいどんな顔をして会えばいいのだろう?

 同じ戦場に立っていながら、地奈津は何も出来なかった。

 助けに行くことすらも出来なかった。


 それはただ怖かったから。

 あの隕石に立ち向かう強さがなかったから。弱かったから。


 そんな自分の無力さに、地奈津は服の裾を握りしめる。


 地奈津は思う。

 ――彗の死を伝えたら、二人はどんな顔をするのだろう?

 そんなのは愚問でしかない。

 二人のことは、地奈津が一番よくわかっている。


 だからこそ悔しかった。

 二人にそんな顔をさせることしか出来ない自分が、ただただ悔しかった。

 もっと自分に力があればと、そう思わずにはいられなかった。


 後悔の涙は止まらない。

 堪えようとしても、止めどなく涙は溢れてくる。


 後悔の念に膝が屈しようとしたその時、茂みの中から、一つの鳴き声が響いた。


「ニャー」

「……猫?」


 地奈津が視線を上げれば、そこには一匹の猫がいた。

 黒い毛並みに、赤い瞳。

 その立ち姿はどこか凛々しくて、それでいてどこか人懐っこい。


 ゆっくりと歩いて来る猫に合わせて、地奈津もまたしゃがんで手を伸ばす。

 そうすれば、猫は自らその手に飛び込んで、自分の頭を撫でさせる。

 その感触はどこか温かくて、柔らかくて、沈みかけていた地奈津の心が少しずつ修復されていく。


「はは……なーにー、もしかして、慰めてくれているの?」

「ニャー」


 もちろん地奈津だって、この猫が自分の言葉を理解しているなんて思っていない。

 だがそれでも、目の前の猫が、自分を元気づけようとしていることだけは確かにわかった。


「そっか……ありがとね」

「ニャー」


 それからまたしばらく間、地奈津は思うがままに猫の全身を撫で回す。

 その毛並みはつやつやふさふさで、それだけで地奈津は癒されているような気分になる。


 だが残念なことに、心地よい時間というのは長くは続かない。

 一通りじゃれ合って満足したところで、地奈津はゆっくりと、黒猫から手を離した。


「ニャン?」

「……もう戻らないと」


 名残惜しさを胸にしまいながら、地奈津は立ち上がって陣地へ戻る。

 その後ろを、猫は離れることなく付いて行く。

 地奈津が止まれば猫も止まり、地奈津が歩き出せば猫も歩き出す。


 自分の後ろを付いて歩く黒猫に、地奈津は振り返って声を掛ける。


「……一緒に、来る?」

「ニャー」


 嬉しそうに鳴いた猫は、飛び上がって地奈津の肩へと着地する。

 そのまま反対の肩にも回って落ち着くと、猫は地奈津の頬に擦り寄って、また嬉しそうに鳴き始める。


「ニャー、ニャー!」

「ははっ、もう……」


 そんな猫の愛らしさに、地奈津からは自然と笑みがこぼれた。

 それはこの戦場に来てから、彼女が始めて見せた笑顔だ。


 猫との触れ合いが、彼女の心にあった疲弊を取り除いていく。


 だがそんな時、唐突に彼女を呼び止める声が掛かった。


「おい! お前!」

「?」


 地奈津が振り向いた先にいたのは、この陣地で見張りをしていた兵士の一人だ。

 兵士は地奈津の側まで駆け寄ると、不愉快そうに肩の上に乗っている猫を指さす。


「その猫はいったい何だ? どっから連れて来た!」

「え?」


 いきなりのことで、地奈津は訳がわからずに呆然とする。

 だが、聞かれた以上は答えた方が良いだろうと、地奈津は素直に猫のことを話そうとする。


「この子はさっきあそこで……」

「ちっ、いったい何を考えていやがる。魔獣を陣地に連れ込むなど」


 地奈津は知らないことだったが、見張りの兵士が警戒しているのは、なにも人だけではない。

 襲い掛かってくる魔獣に対してもそうだが、特に警戒しているのは召喚獣の侵入だ。


 この世界の召喚獣は、基本的に召喚者と知覚を共有することが出来る。

 召喚者は他の場所に、召喚獣を送り込むことによって、その場所の情報を集めることが出来るのだ。

 要するに、召喚獣というのは密偵なのだ。


 だから兵士は警戒していたのだ。

 召喚獣の多くは、動物の形を取ることが多い。

 そのため地奈津に乗っている猫が、敵の召喚獣ではないかと警戒したのだ。


 だが残念なことに、地奈津はそんな事情を知る由もなかった。


「大人しく、その猫をこっちへ渡せ!」

「なんでよ! 別にいいじゃない! 猫の一匹くらい!」

「ちっ、やっぱりただのガキか。いいからさっさと渡せ!」


 兵士は無理やり、猫を奪おうと地奈津に向かって手を伸ばす。

 だがそこに、この場にいなかった第三者の声が響いた。


「待って下さい!」


 二人に駆け寄って来たのは、一人の魔女だ。

 魔女のとんがり帽子に、魔女の外套を羽織ったその女性――乙坂万理は、兵士と地奈津の間へと割って入った。


「先生」

「ちっ、面倒なことを」


 二人がそれぞれの反応を示す中で、万理は地奈津を庇いながら、兵士の顔を見据える。


「話は聞いていました。紛らわせてしまったのなら、申し訳ありません。実はその猫さんは、私が召喚した召喚獣なんです」

「…………」

「何言ってんだ、あんた?」


 あまりに突拍子のない言い分に、兵士は万理に、疑惑の視線を向ける。


「悪いが、俺もあんたの魔法は知ってるんだ。見え透いた嘘は止めてもらおうか」

「嘘じゃないです! 出来ます! 見ててください!」


 万理はそう言って、両手をお皿のようにしてから、意識を集中させる。

 万理の魔力が、手元へと集まっていき、次第に形を成していく。

 そして一際その輪郭が光ると、万理の手の上には、地奈津が連れて来た黒猫と瓜二つの黒猫が座っていた。


「ふーっ……どうですか?」

「ニャー」


 万理が、召喚したばかりの黒猫を兵士へと見せると、黒猫はそんな万理に応えるように鳴き声を上げる。

 彼女の魔法――《万象具現》の力を以ってすれば、自身の魔力を猫の形に実体化させるなど造作もない。

 だがあくまでも、実体化しているのは姿だけであり、中身までは伴っていない。

 召喚獣と呼べるようなものではないが、今回はそれだけで十分だった。


「ちっ、紛らわしいことしてんじゃねぇよ」


 そう悪態をつきながら、兵士はもう、用はないと言わんばかりに、見張りの任務へと戻っていく。

 残された二人は、兵士が十分離れていったところで、緊張の糸を解いた。


「ふーっ。ありがとう、先生」

「ニャー」

「いいえ。何事もないようで良かったです」


 そう言って、万理は召喚していた黒猫を魔力へと戻した。


「ところで、この猫さんはどうしたんですか?」

「ニャー」


 未だに地奈津の肩に乗っている黒猫を、万理はツンツンと突きながら尋ねる。


「さっきあそこで見つけたんだけど、なんだか懐かれちゃったみたいで」

「ニャー」

「へぇ、そうなんですね……それにしても可愛いですねぇ」

「ニャー!」


 突くのから、撫でるのに進化して、万理はしばらく猫の感触を堪能する。


「ねぇ、先生」

「ん? どうしましたか?」

「あたしたち、いつまでこんな所にいるのかな?」

「…………」


 地奈津のその言葉に、万理はすぐに答えることが出来なかった。



 △▼



「お話があります」

「聞こう」


 同日、地奈津と別れた万理は、その足で氷華帝国皇帝――氷華天真の下へと訪ねていた。


「お願いしたいことがあります。私たちを一度、残してきたみんなのところへ、戻らせては頂けませんか。お願いします」

「…………」


 そう言って、万理は深く頭を下げる。

 彼女の胸の内にあったのは、『いつまでこんな所にいるのかな?』と言った、地奈津の言葉だった。


 その言葉に、万理は答えることが出来なかった。

 それは万理の立場で決めていいこと、決められることではなかったから。

 ここで天真が「ダメだ」と言えば、「わかりました」と引き下がるしか、万理には出来ない。

 そして万理たちは、再び戦場で戦わされることになる。


 だけど、これ以上はもう限界だった。

 地奈津だけじゃない。

 この戦場に連れて来られた、生徒たちみんながもう限界だった。

 戦場で殺すことも、殺されることも知った彼らは、日に日にその精神をすり減らしている。

 これ以上ここで戦い続けたら、いつか本当に心が壊れてしまう。

 それだけは何としてでも、万理は避けたかった。

 生徒たちが、戦わずに済むようには出来なくとも、せめて仲間たちと落ち着けるような時間を作ってあげたかった。


 そんなささやかな願いを叶えるために、万理はただ、必死に頭を下げ続ける。


「好きにしろ」

「…………え?」


 その言葉に、万理は虚を突かれたように顔を上げる。

 まさか本当に、帰還が許されるとは思っていなかったからだ。


「本当に、いいんですか?」

「余の言葉に二言はない。明朝にここを発つがいい。わかったならさっさと下がれ」


 当然、天真は己の慈悲によって許可を出したわけじゃない。

 ただ単純に、今はもう彼らの戦力が必要ではなくなったというだけだ。


 今回の戦闘で、王国は多くの魔戦士を失うことになった。

 もはや帝国軍を追撃するだけの戦力も残されてはいない。

 向こうから攻めてくることは、万に一つもないだろう。


 そして帝国にとっても、零という新しい脅威が現れた以上、対策を講じる必要がある。

 しばらく休戦することになる以上、その間万理たちを前線から外したとしても、問題はなかった。


 実情はそんなところだが、万理はもう一度、天真に向けて深く頭を下げた。


「ありがとう、ございます」


 翌日、万理や地奈津たち――睡蓮高校の生徒たちは、空門の《空間門》で召喚された塔へと帰還したのだった。


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