第十八話 前線へ
□■神楽零
激しく揺れ動く馬車の中。
目まぐるしく移り変わっていく景色を横目で眺めながら、零は目の前に座る人物へと問いかける。
「それで、戦況はどうなっているんですか?」
向かいの席に座るその男――鳥目直弥は姿勢を正したまま、零の質問へと答える。
その姿勢は、昔、日本のテレビでよく見たことがある自衛官の姿によく似ていた。
「は! 詳しい状況はまだわかっていません。ただ、こちら側には既に甚大な被害が出ているとのことです」
完全な騎士態勢になった鳥目は、ただ淡々と報告を受けた事実のみを口にする。
今日の昼頃、魔境から戻って来た零に待っていたのは、今まで沈黙を保っていた北の帝国が、王国へと再侵攻を開始したという報せだった。
ほとんど一年ぶりの本格的な侵攻に、実感の湧かない零でも虚を突かれた形だ。
すぐに零にも出撃命令が下り、今は連合国に向かう時にも使った《時間加速》を併用した高速移動手段を使って、馬車で帝国との前線へと向かっているところだった。
(俺も馬に乗れれば良かったんだけどねぇ)
本当は零も馬に乗って移動できれば良かったのだが、どういうわけか天眼領にいた頃から、零は馬との相性が悪い。
と言うよりも、完全に怖がられてしまって、零が乗ると一歩も動けなくなってしまうのだ。
特別に訓練された馬なら問題ないようだが、そんな馬はそう易々と用意できるようなものじゃない。
馬が駄目なら空を飛べば良いのかもしれないが、帝国の国境付近には行ったことがない以上、下手をすれば迷子になる可能性だってある。
道沿いに低空飛行しようとも、そうするくらいなら馬車で移動した方が気力や体力の温存になるということで、破音卿から御者を借りて、こうして馬車で移動することになったというわけである。
(間に合うのかねぇ)
報せを受けてからすぐに出発したとはいえ、帝国に侵攻されてから既に数日の日数が経っている。
その原因は単純で、この世界の通信手段が、地球に比べて圧倒的に劣っているためだ。
何せ、この世界には携帯電話も無線すらも存在しないのだから。
誰もが気軽に、どこかの誰かに連絡を取るということは非常に難しくなっている。
だが、この世界にも長距離通信を可能とする手段がないわけではない。
一番に思い付くのは通信魔法だろうが、この世界での一番の代表例は、今も零の膝の上に乗っかっている万衣の分身体のような召喚獣だ。
魔法で生み出された召喚獣は、基本的に倒されるか、使い手が気絶するか、任意で消されない限りはその場で残り続ける。
使い手と召喚獣との間にある空間的距離は、召喚獣を維持することには関係なく、離れたところから指示を出すことだってできる。
天眼家に仕える蒼鳥のように、人語を離せる召喚獣っていうのは少ないが、予め召喚獣を傍に置いて、簡単な合図を決めておけば、ある程度の意思疎通をすることだって可能だろう。
それによって、この世界では古来より、召喚獣が通信機代わりに使われてきたのである。
恐らく前線と王宮との間では、召喚獣か魔法によって通信がなされたのだろうが、それから零に情報を伝えるのに物理的な手段が使われたせいで、ここまで情報が伝わるのが遅れたのだろう。
もっとも、遅れた日数を考えてみれば、遅れた原因はそれだけではないような気もするが……
ともかく、齎された情報が過去のものである以上、今の戦況がどうなっているのかは、まるでわからない状況だった。
(確か、帝国との戦力差はほとんど無いんじゃなかったのか?)
帝国がこの一年間、王国への侵攻を止めていたのは、単純にそれ以上、帝国が王国へ攻め込めなかったからだ。
開戦当初は特級魔戦士であり、神剣使いでもある皇帝の単騎戦力によって、北方領土のいくつかが落とされてしまったようだが、王国の神剣使いが投入されてからは、その快進撃も止まっている。
特級階級の戦力を除けば、王国と帝国の戦力はほぼ互角だったはずだ。
それなのに王国側が一方的に負けたのだというのなら、帝国はそれだけの戦力をこの侵攻のために用意したことになる。
一年という停戦期間があったとはいえ、通常の手段で、そう簡単に精鋭の戦力を揃えられるはずがない。
(……まさかな)
だが零と同じで、“渡り人”を戦力として用意したのなら話は別だ。
皇帝以外の特級戦力を用意できたのなら、帝国が優位に立てたことにも納得ができる。
(だとしたら最悪だな)
だがそれにしてはあまりにも実戦に投入するのが早すぎる。
最速で王国の近衛騎士になった零でさえも一ヶ月を要したのだ。
初めから“渡り人”という存在を知っていた上で、すぐに確保していなければ出来る芸当じゃない。
だが、ここでいくら考えたところで、正確な答えが出て来ることはないだろう。
答えの出ない問いにいつまでも悩むことほど不毛なこともない。
「まぁ、それはそうと……」
一通りの報告を聞き終えた零は、改めて向かいの席に座る一人の騎士を見る。
「そろそろあなたの役職を聞いても?」
芝居はもう終わりにしても問題はないだろう。
破音領に来てから今まで、零のことを監視していた視線の正体は、目の前に座るこの騎士で間違いない。
目的は、零に対しての諸々の確認と言ったところだろう。
「それもそうですね。では改めまして」
向こうももう隠すつもりはないのか、素直に自分の身分を明かし始める。
「私は近衛第三騎士団副団長、鳥目直弥と申します」
「副団長?」
思っていたよりも高い地位にいたことに少しだけ驚くが、それ以上に聞き逃せない情報に、零は鳥目へと聞き返す。
「しかも第三って、確か、今帝国との前線に駐在しているのは……」
「えぇ、我ら第三、第四、第五騎士団です」
王国に忠誠を誓う近衛騎士団には、第零から第七までの、全部で八つの騎士団が存在している。
零が所属している第零騎士団である〈天啓の曙〉には、王国に存在する一級以上の戦力が集められており、構成員は十人いるかどうかというほど小規模なものだ。
それだけ一級以上の戦力が王国にとっても貴重な存在であり、だからこそ、近衛騎士団の中でも特別な立ち位置にある。
基本的に命令権を持っているのは国王だけであり、第零騎士団員それぞれには騎士団長相当の権限が与えられている。
今は神剣使い二人も含めた半数以上が、帝国との前線に送られているはずだが、その最高戦力までもが被害が出しているのなら、王国はもうほとんど敗走したと言ってもいいだろう。
そして、その他の第一、第二騎士団はそれぞれ王城と王都の警備を、第三、第四、第五騎士団は帝国との前線に、第六、第七騎士団もまた、それぞれ王国内で別任務に当たっている。
「ただ今回は、下手な騎士には任せられない任務でしたからね。それなりの地位にいて、あなたを監視できるような騎士ともなれば、私しかいませんでしたからね」
確かに、神剣を除けば王国で唯一の特級戦力の監視なんて、下手な騎士に任せられるようなものではないし、信用の問題だってあるだろう。
それに帝国は、この一年間何の動きも見せてなかったのだから、副団長一人が抜けたところで問題はないと、上層部は判断したのかもしれない。
「もっとも、私もまんまと出し抜かれてしまったようですけどね」
「……なるほど」
恐らくは、あの時桜が出した催眠花で眠らされたことを言っているのだろうが、あれは別に零がやったわけではないし、その後のことも、何故その日の内に戻ってこなかったのかということでちゃんと報告もしてある。
今回の所はそれで勘弁してほしいところだ。
(さて、鬼が出るか蛇が出るか)
果たして零一人でどこまで戦況を持ち直せるかはわからないが、取り敢えず、やれるところまではやってみるとしよう。




