第十三話 脱走者
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律器たちが城の見取り図を手に入れた、その夜。
とある一室の壁が、突然砂粒となって崩れていき、中から一人の男が姿を現した。
「ようやくだ。ようやくこの時が来たぜ!」
壁を崩して、部屋へと入って来た男――海堂解は今この瞬間の喜びを噛みしめるようにして呟く。
「そうっすね。ようやく近くにある町を見つけられたっすからねぇ」
そんな海堂に同調して、初めから部屋にいた一人――菊池直透は自分が見つけた成果を自慢げに口にする。
「けど、いいんですかい? 他の仲間を見捨てるような真似をして」
最後に、部屋にいたもう一人――冷泉明透は、わかりきったことでありながらも、まるで確認するかのように海堂へと尋ねる。
「あぁん? 何言ってやがる。俺たち三人で逃げるんだから、誰も見捨てなんていねぇじゃねぇか」
海堂の答えに、菊池と冷泉は共に同意するように薄っすら笑みを浮かべる。
彼ら三人にしてみれば、同じ境遇にある他の生徒たちのことなど、仲間とはこれっぽちも思ってなどいなかった。
ただ自分たちが生き残るために利用するだけの存在。
そしてそれは、この場にいる三人の間でも同じことだった。
今彼らが手を組んでいる理由は、ここから逃げ出すために都合がいいからというだけでしかない。
それぞれが、それぞれにしかできない役割があるからこそ、彼らは手を組んでいるだけであり、不要となればすぐにでも切り捨てる腹積もりを、三人共が持っていた。
「それよりも冷泉、さっさと魔法を掛けろ。こんなところ、さっさとずらかるぞ」
「へいへい」
冷泉が海堂に答えた次の瞬間、三人の姿が忽然と部屋の中から消えてなくなる。
三人の姿は見えなくなったが、存在自体はまだ部屋の中に残っている。
冷泉の魔法――《透明人化》は、複数の人を透明人間にすることが出来るのだ。
「よし」
海堂は自分が透明人間になったのを確認すると、徐に外へと続く壁へと手を付ける。
海堂の触れた壁は、瞬時に砂粒へと分解され、あっという間に人一人分が通れるほどの穴が出来上がる。
海堂の魔法――《接触分解》は、触れたあらゆるものを分解し、その分解をある一定範囲内に伝播させる。
その魔法を使って、頑丈であるはずの城の壁に穴をあけたのだ。
「行くぞ」
海堂たちは穴を潜り、見張りの目に留まることなく、ただ静かに城の包囲網を突破する。
誰にも気づかれることなく、脱走が上手くいったからこその静けさだと、三人は当然のように思っていた。
だがこの静けさが、この後に待ち受ける悲劇の始まりだということを、三人はまだ知る由もなかった。
△▼
「ここまでくりゃあいいだろ」
城から十分に距離を稼いだ森の中で、海堂たちは走っていた速度を緩めて立ち止まる。
「菊池、周りに魔獣とかはいねぇな」
「大丈夫っすよ」
「よし」
菊池の答えを聞いて、海堂たちは少しの間、休息するために腰を下ろす。
菊池の魔法――《遠方透視》は、視線上のあらゆるものを透視して、遠くの視覚まで把握することが出来る魔法だ。
この魔法を使って、菊池は遥か遠くにあった町を発見し、今は周りに魔獣の姿がないことを確認したのである。
「へへ。まんまと逃げきれたぜ」
ここまでは予定通り、寧ろ彼らにとっては順調過ぎるくらいだ。
場数を踏んだ戦士たちであれば、順調過ぎて逆に違和感を覚えるほどなのだが、元々がただの高校生だった彼らに、そんな戦士としての勘が働くわけがなかった。
「菊池、町まであとどのくらいだ」
「そうっすねぇ……この調子だと、あと二日ってところっすかね。夜通し走ればもうちょい短くなるとは思うっすけど」
「なら夜通し走るぞ。こんなところで寝る方がよっぽど危ねぇからなぁ」
《遠方透視》で凡その距離を測って答えた菊池に、海堂は迷うことなくそう答える。
菊池が言う徒歩で二日の距離というのは、優に百キロを超えているのだが、今の彼らの身体能力を以ってすれば、何の問題もない。
加えて、普段多くの生徒たちは、地球と同じように睡眠時間を取っているのだが、徹夜常習犯でもあった彼らは、数日の完徹くらいなら、何の問題もなく行動できるようになっていることにも気づいていた。
「少し休んだらすぐに出るぞ」
それから十分に休息を取り、これから始まる新しい異世界生活を求めて、町へと向かおうとしたその時――
「「「!」」」
この世界に来て、数倍に強化された海堂たちの耳が、城の方から迫って来る微かな足音を拾い上げる。
「追手っす」
「チッ、もう来やがったのか」
《遠方透視》で敵影を確認した菊池の声に、海堂の口から思わず舌打ちが漏れる。
「どうしやす、海堂」
「このまま追いかけられりゃ面倒だ。ここで迎え撃つぞ」
海堂の即断即決に、菊池と冷泉もまた、付け焼刃ながらも襲撃のために動き出す。
幸い海堂たちには、冷泉の魔法である《透明人化》が掛けられている。
城からここまで一度も解除されたことはなく、魔法の効果で海堂たちには、透明になっている仲間の姿を普通に視認することが出来ている。
城からの追手は、海堂たちの居場所を正確に掴めているはずはなく、海堂たちの方は透明になったまま一方的に連携を取って倒すことが出来る。
そう海堂たちは軽く思考して、懐から持ち逃げして来た武器を構える。
だが海堂たちは、ここで自分たちに迷わず追手が差し向けられているという事実に気がつくべきだった。
生徒たちの能力を少なからず把握している皇帝たちが、何の対策もしていないはずがないというのに……
「来たな」
城からの追手はすぐに、海堂たちの目の前へと現れる。
目に見える追手はたったの二人。
海堂たちのいる場所から数歩離れた場所で立ち止まる。
対して海堂たちの方は三人。
数的優位は海堂たちの方にあり、透明人間であることも考えれば、海堂たちの方に負ける要素など、一つたりともありはしない。
そう考えた海堂たちの推察は、決して間違っていたわけじゃない。
ただ、いくつもの見落としがあるというだけで。
そしてそれによって生まれた慢心は、歴戦の騎士たちにとっては十分な隙と成り得る。
「グッ!」
「! なに!」
突然の呻き声に続いて、自分たちに掛けられていた《透明人化》の魔法が解除されたことに気づいて、海堂は咄嗟に冷泉の方を見る。
喉元を引き裂かれた冷泉は、そのまま崩れるように倒れ、その傍から、まるで風景の一部から浮き出るように一人の男が現れる。
手には血では濡れた短剣が握られており、彼が冷泉を殺したのは明白だった。
「チッ、役立たずが……!」
死んだクラスメイトに罵声を浴びせていると、突然海堂目掛けて、冷泉を殺した男が短剣を投擲する。
海堂は反射的に手を上げて頭を守るが、短剣は海堂の胴体へと命中し……その瞬間、短剣は塵すら残さずに気体にまで分解される。
海堂の魔法――《接触分解》が、海堂の無意識化で、自らに害を成そうとした短剣を、無害な気体にまで分解したのだ。
男の攻撃が、自分には通じないのだと気づいた海堂は、突然短剣を投擲された時にビビったことを隠すように声を張り上げる。
「は! そんな攻撃、俺様には効かねぇよ!」
男の攻撃が通じないのであれば、この戦いで海堂が負ける要素は何処にもない。
海堂は相手に触れさえすれば、相手の人体まで分解することが出来るのだから、彼が自分の勝利を確信するのは寧ろ必然だったと言えるだろう。
もっとも、そう思わせることこそが、短剣を投擲した男の狙いだったとも知らずに。
「まずはてめぇからだ!」
そして海堂は男の狙い通りに、無警戒に走り出して距離を詰める。
男は内心で、わざわざ短剣を無駄にする必要すらなかったと思いながら、海堂に人差し指を差し向ける。
そして一瞬だけ、その人差し指の先が光ったと思った瞬間――
「あ?」
海堂は最後に、自分が何をされたのかわからないまま、地面へと倒れ伏す。
彼の額には、後ろまで貫通した穴が開けられ、その表面は黒くなるほどに焼け焦げている。
男が最後に何をしたかと言えば、簡単な話だ。
男は人差し指の先から高出力の光線を放ち、海堂の脳天を焼き貫いたのだ。
いくら海堂の《接触分解》が無類の攻勢防御性能を誇っていたとしても、粒子ですらない光までもを分解することは出来なかったのだ。
そして光を操る魔法を持つ彼は最初、囮役の騎士二人とは別に、《光学迷彩》で姿を隠し、光の歪みから《透明人化》を看破して、冷泉の喉元を引き裂いてもいたのだ。
「くそ! 離せ!」
そして最後まで生き残ってしまった菊池は、海堂が殺される間に騎士二人によって捕らえられていた。
海堂とは違い、攻撃性の魔法を持たない菊池では、騎士二人の拘束から逃れられるはずはなかった。
「任務完了。これより帰還する」
騎士の一人が、肩に乗っている一匹の鼠に報告を述べると、三人と一人は塔の城へと帰還した。
△▼
「全く無駄なことを」
今しがた報告を仲介した騎士を下がらせ、雫は心底面倒そうに溜息をこぼす。
そろそろ一組目くらいは出て来るだろうと思っていた矢先のことで、そのあまりの愚かさに、雫の内からは呆れの感情しか出てこない。
「私から逃げられるはずがないというのに」
そう。
それこそが、今回脱走を図った海堂たちを、雫が愚かだと断ずる理由だ。
雫がその身に宿す魔法の名は《目印追跡》。
目視した対象の魔力を目印として記憶し、距離や障害に関係なく、対象者を地の果てまで追跡することが出来る。
生徒たちが召喚されたあの場にいた雫は、その時にはもう既に、生徒たち全員の目印化は済ませてある。
仮に〈帰らずの森〉での選別の時から、脱走者が現れていたとしても、彼女の追跡から逃れられた者は、誰もいなかったことだろう。
それだけ、彼女は自分の魔法に絶対の自信を持っていた。
「今回の一件は、良い見せしめになるでしょうね」
これからは今回のような愚者が現れることはなくなるだろうと思いながら、雫はより効率的な処刑方法を考えるのだった。




