第七話 帰らずの森 肆
□■影林律器
異世界に来て初めて訪れた夕方。
律器たちは響生の魔法でモンスターとの遭遇を回避しながら、着実に目的地へと向かっていた。
「もう、結構暗くなって来たわね」
次第に薄暗くなっていく森の中で、地奈津が不意にそんなことを呟く。
「そうだな……流石に夜の森を歩くのは危険か?」
「だな。今日はもうこの辺で休もうぜ……響生、近くにモンスターとかはいねぇか?」
彗の問いに、響生は首を横に振って答える。
「ううん。近くに強そうなモンスターはいないよ」
「だってさ」
「わかった」
響生の答えを聞いて、律器は地奈津の方へと向き直る。
「じゃあ地奈津。最後にもう一度だけ確認してくれ」
「わかった」
律器の要望に地奈津は了承の意を示し、彼女は腰を低くして両手を地面に付ける。
そして律器たちが離れたのを確認すると、地奈津は魔法を発動させて、自分が立っている地面を塔のように上昇させる。
森の木々から顔を出したところで確認を終えると、地奈津は塔を下がって地上へと戻って来た。
「大丈夫。ちゃんと塔へは近づいていってるよ。多分、明日の昼くらいにはたどり着けると思う」
地奈津はこの森から見える塔――即ち、律器たちが召喚された建物へと向かっていることを告げるのだった。
△▼
「最後の確認だけど、本当にいいんだな」
律器のその言葉に、他の三人は何の躊躇いもなく頷く。
それはこの先に待つ目的地――塔の城へと向かうことへの頷きだ。
そう、律器たちが最終的に選んだ選択は、全ての元凶である塔の城へと――皇帝の下へ戻ることだった。
『でだ。マジな話、これからどうするよ?』
彗からその話が出た時に、律器は二つの選択肢を考えていた。
一つは、律器たちをこの森まで連れてきた男の言葉に従って、召喚された塔に戻ること。
そしてもう一つは、このまま塔には戻らずに、森の中をさ迷いながら村や町などを探すこと。
だが律器にとっては、二つ目の選択肢は現実的に難しいと思っていた。
最初から村や町の場所がわかっているならまだしも、それを探して歩き回るには、この森は余りにも危険すぎる。
あのゴリラみたいなモンスターの他に、いったいどれだけのモンスターがいるのかどうかもわからない。
加えて、水や食料の問題だってある。
ここは森の中で、多少は木の実とかもあるのかもしれないが、忘れてはいけないのは、ここが異世界だということだ。
日本での知識が、いったいどれだけ役に立つのかもわからない以上、迂闊に食べるのは、危険すぎる。
川もどこにあるのかわからず、水と食料が何もない状況で、長くこの森の中にいるのは、現実的に不可能だった。
だから律器個人としては、この森で微かな希望に縋るよりも、召喚された塔へと戻ることを決めた。
勿論律器だって、あんないつ殺されるのかもわからない場所に、本当は戻りたくなんてない。
だが現実問題として、それ以外に生き残るための選択肢がないのもまた事実だ。
それにこうして、律器たちがこの世界に召喚されたのであれば、それには何かしらの理由があるはずなのだ。
現に律器たちはこうして生き残っていて、まるで何かを試すかのように森の中に放り込まれた。
それを考えれば、これ以上無暗に殺すようなことをしない可能性は十分にあった。
だがそれは、あくまでも律器個人の考えであって、別に彗たち三人がそれに従う必要なんてない。
「何度も言うようだが、別に俺に付いて来る必要なんてないんだからな」
律器がそう口にすれば、三人からは呆れの溜息が返ってくる。
「別にそういうわけじゃねぇよ。俺たちだって、それが一番生き残る可能性が高ぇってことは、自分でもわかってはいるんだ……ただあんなことがあったせいで、率先して戻りてぇとは思わねぇだけで」
彗はそう言いながら、遠い目をして夕暮れの空を仰ぐ。
それだけ律器たちにとって、目の前で同じ生徒たちが氷漬けにされて殺されたという光景は、余りにも悲惨という言葉では言い表せない程のものだった。
「だからそれを最初に言ってくれたお前には、寧ろ感謝しているんだぜ。お陰で踏ん切りがついた」
彗の言葉に、他の三人もまた同意するように頷いて、律器は少しだけ、心の緊張が解けたような気がした。
「そうか」
正直なところを言えば、律器は少しだけ怖かったのかもしれない。
自分一人だけであの場所に戻ることが――
彼らを危険な目に会わせてしまうことが――
だから少しだけ、彗の言葉で気持ちが軽くなったような気がした。
「なら、今日はもうここで休もう……と言っても、こんな場所で休まるとは思えねぇけどな」
ここは人を襲うモンスターたちのいる巣窟。
いつ襲われるのかわからないというのに、安心して休めるとは思えなかった。
「あ! それならあたしに一つ考えがあるよ」
そう言って手を上げたのは、こんな時に何かと頼りになる、幼馴染の地奈津だった。
「? どうするんだ?」
「こうするのよ」
地奈津は、軽く何かを持ち上げるようにして手を動かすと、次の瞬間、周りの地面が律器たちを囲むようにして盛り上がり、半球状になって、律器たち四人を覆った。
「これで少しは安全になったと思うよ。まだもう少し補強するつもりだけど、無いよりはましでしょ」
「あぁ、そうだな」
「すごいね、地奈津ちゃん」
いや、本当にすごいと思う。
これで明らかに何もしないよりかは、安心して休めるようになったのだから。
「にしても。こんなに暗ぇのに、案外顔とか見えるもんだな」
「確かに」
一応、窒息防止のためだろうか? 天井には小さな穴が開いており、そこから僅かに光が差し込んではいるのだが、それでも半球状の中は暗い。
本来なら人の顔の判別とかも難しいはずなのだが、今の律器たちには、何の問題もなく、他のみんなの顔が見えていた。
「とは言え、一応見張りとかはいた方が良いだろうな」
いくら土壁が律器たちを守ってくれているとは言え、それを過信するわけにもいかないし、万が一ということもある。
そういう意味で言えば、ここで見張りを立てるのは必須だった。
「だな。一人だと不安だから、二人ずつだな。俺と響生。律器と地奈津でどうだ?」
「あぁ、それでいい。じゃあ俺と地奈津が先に見張りをしているから、二人は先に休んでおいてくれ。時間が来たら起こすから」
「了解」
「わかりました」
「あ! じゃあ、ちょっと寝やすいように地面整えちゃうね」
そうして、見張りの順番も決まり、彗と響生は地奈津お手製の寝台に寝転がる。
こうして考えてみると、ここまで何かと、地奈津の魔法に頼りっぱなしだなと思えて来る。
「やっぱり、地奈津は頼りになるな」
「えへへー、そうでしょー」
律器が褒めれば、地奈津は得意げに笑いながら胸を張る。
いつもと変わらない様子の地奈津に、律器は少しだけ安心感が湧いてくる。
今までずっと、何かと一緒にいた幼馴染が傍にいるだけあって、律器が心を落ち着かせるのには十分だった。
だがだからこそ、地奈津が今、かなり無理をしているのだということもわかってしまう。
「律器?」
隣に座る地奈津の手を握れば、彼女は戸惑ったように声を掛けて来る。
「余り無理はするな」
律器がそう声を掛ければ、地奈津は大人しく観念したのか、そっと肩をくっつけて自分の体重を掛けて来る。
「……ごめん。ちょっとだけ、こうさせて」
「…………」
それからしばらくの間、長いような短いような、そんな時間が過ぎたちょうどその時――
ササッ――
「「!」」
突然何かが草を踏みしめる音が聞こえて、律器と地奈津に緊張が走る。
何が起きてもいいように身構えながら息を殺していると、その足音は律器たちがいる土のドームのすぐ近くところで止まる。
そして……
「……あ、あの! えーっと、その……ご、ごめん下さい! 誰かいませんか! いたら返事をして下さい!」
(この声って……)
そんな声が辺りに響いて、律器と地奈津はお互いに目を合わせる。
それは人の声がしたこともあったが、何よりもその声に聞き覚えがあったのだ。
「地奈津」
「うん」
地奈津も律器の意図を理解したのか、壁の一部に崩してその声の主の下へと繋ぐ。
「先生?……」
そこに立っていたのは、桃色の髪をした背の小さな女性。
律器と地奈津も良く知っている、担任の乙坂万理先生だった。
「影林君、綾瀬さんも……」
先生は律器たちの顔を見ると、数秒固まってから突然涙を流し始める。
「! 先生!」
「……良かった」
「「…………」」
「……生きててくれて……本当に、良かった…………」
そう言って泣き崩れる先生を、このまま放っておく訳にもいかず、律器たちは取り敢えず先生を中へと招き入れるのだった。




