第三話 打ち砕かれた幻想
◇◆
「なぁ、これってもしかして、異世界召喚ってやつか?」
生徒の誰かが、そんな確信めいた答えを呟く。
周りには見たことのないような鎧を着た騎士たち。
床には召喚する時に使われたであろう魔法陣。
これだけ状況証拠が揃っていれば、その手のことを齧っている者なら、想像するのは容易なことだった。
実際、呟いた生徒も含めた校舎の中にいた全ての人々は、こうして今、氷華帝国の大地に建つ城の大広間にいるのだから。
やがてそんな現実は、彼らの中で混乱となって広がり、一人、また一人と、何もわからない恐怖に駆られて、取り乱しそうになったその時――
「静まりなさい! 陛下の御前である!」
そんな声が、大広間の中に響き渡る。
生徒も教師も、そんな声がした方へと目を向けて……
「!」
そこに立っているのが、この国の皇帝なのだと理解した。
いや、させられた。
それだけ、氷華帝国皇帝――氷華天真が発する迫力は、そこらの人間とは比べることすら不敬だった。
本能的に種族としての上下関係を付けられたところで、皇帝は“渡り人”たる彼らに向かって口を開く。
「聞け、“渡り人”。これから貴様らには、余の手足となり、この大陸を支配するための一助となってもらう……だが貴様らは、まだ使い物にならん」
実際のところ、天真は内心で拍子抜けしていた。
古文書に記されていた情報通りなら、“渡り人”はこの世界で比類なき力を持っているはずだった。
だが実際は、そのほとんどが三級魔戦士――即ち、そこらにいる貴族と同程度の力しか持たない者がほとんどだったのだ。
しかも明らかに戦いというものを知らない様子に、拍子抜けを通り越して期待外れという感情すらも湧き起こってくる。
だがそれでも、多少磨けば使い物になるだろうと、天真は続けて言葉を紡ぐ。
「一月待つ。それまでに貴様らが余の目に適えば、我が軍勢に加わることを許そう」
そう言葉が締めくくられると、大広間の中には静寂が満ちる。
氷華帝国の人間は、もし皇帝の前で許可なく口を開けば、どんな末路を辿るのかをよく知っている。
だがいきなり異世界に召喚された教師や生徒たちの方は違う。
彼らは単純に、今皇帝が口にした内容が理解できなかったのだ。
だが、それは寧ろ当然の結果だろう。
突然見知らぬ大地に連れて来られたかと思えば、いきなり征服の手伝いをしろと言われたのだ。
ただでさえ異世界に召喚され、頭がいっぱいだというのに、その手の知識がない者たちにとっては、脳の処理能力の限界だった。
だが、その手の知識がある者たちにとっても、現状は理解し難いものだ。
こういう場合、大抵は王様が勇者である自分たちに向かって頭を下げ、魔王の討伐などをお願いすることが通例だからだ。
もちろん、そういった作品ばかりではないのだが、そういう作品が多いことは間違いないだろう。
だが今目の前にいる皇帝は、自分たちに高圧的な態度を取り、上から目線で命令してきている。
当然、中には皇帝である天真にただならぬものを感じて、余計なことを考えようともしない者たちもいる。
だが一部の愚者は、皇帝の恐ろしさに気づくこともなく、異世界召喚によってチート能力を得たであろう自分たちに向かって、舐めた態度を取った天真に対して怒りを覚える者が出てくる。
「ふざけるな! 誰がお前なんかの――」
そう言って、生徒の一人が天真に向かって声を上げるが、その声は何の前触れもなく途切れた。
この場にいる者たちのほとんどは、天真の迫力に飲まれ、真面に声を上げることすらもできないことだろう。
そういう意味で言えば、彼は間違いなく肝の座った勇者だったと言えるのかもしれない。
だがそれは、勇敢な勇者という意味ではなく、蛮勇という意味での勇者なのだが。
そしてその愚かさの代償は、彼の命を持って償われることとなる。
「…………え?」
そう声を漏らしたのは、今しがた天真に向かって叫んだ男子生徒の隣にいた女子生徒だった。
いきなり叫んだ生徒に信じられないという思いで振り向けば、そこにいたのは……いや、あったのは、体中に霜を落とし、周りに冷気を発する男子生徒の氷像だった。
「発言を許した覚えはない」
天真のその言葉がきっかけになったのか、さっきまで人間だった氷像は床に倒れ、まるで陶器が割れるのかの如く砕け散る。
首が取れ、頭が転がった先で、男子生徒の目は、女子生徒の目と合わさった。
「……い、いやぁぁぁぁぁ!」
大広間に女子生徒の叫びが響き渡る。
そしてその叫びは、瞬く間に周りの生徒たちへと伝播する。
当然だ。
目の前で人が一人死んだのだ。
今まで平和な日本で生きて来た彼らが、目の前で人を殺され、平静でいられるわけがなかった。
だがそんな彼らに対しても、皇帝は容赦なく無情を突き付ける。
「目障りだ」
天真は最初に声を上げた女子生徒を皮切りに、次々と騒いでいる教師や生徒たちを氷漬けにしていく。
二級以上なら何とか抵抗して生き残れる程度の冷気が大広間を侵食していき、その場にいた半数以上の人々が氷漬けにされたところで、ようやく冷気が収まった。
「…………」
その頃にはもう、意味もなく騒ぐような者たちはいなかった。
再び大広間に静寂が満ちる。
この場に生き残った者たちは皆、心の底から理解したのだ。
もしこの場で騒げば……否、ここであの男――氷華天真の機嫌を損なうようなことをすれば、間違いなく殺されるのだと。
中には異世界召喚を経て、チート能力に目覚め、これから異世界で楽しく過ごせるのだと、幻想を抱いていた者たちもいたのだろう。
だがそんな彼らの幻想は今、天真への恐怖心によって、木端微塵に打ち砕かれたのだった。
□■影林律器
律器は最初、目の前で何が起きたのか理解できなかった。
最初は人混みのせいでよく見えなかったが、いきなり前の方で怒声が響いたかと思えば、次の瞬間には女子の叫び声が響き渡った。
それからまるで逃げ惑うようにして、人の波が押し寄せて来て、その数瞬後には、逃げ出そうとした教師と生徒の全員が氷漬けにされた。
一瞬でこの場にいた半数――恐らく、高校に在籍していた全校生徒の半数以上が氷像へと変えられた光景を見て、真面に考えを巡らせろという方が無理な話だった。
「ほぉ。中にはいるな」
皇帝と名乗る男が見ている先。
ついさっきまで人間だった氷像たちの中で、一人だけ氷漬けにされていない人がいた。
桃色の髪をしていて、一瞬誰だかわからなかったが、その小柄な体系と横顔を見て、自分たちのクラス担任の乙坂万理先生だということに気がつく。
当の本人は、どうして自分だけが助かったのかわからないかのように、それどころか、いきなり周りにいた全員が氷漬けにされて、騒いではいないものの、完全に恐怖状態になっていた。
「大丈夫……大丈夫だからな」
そして恐怖状態になっているのは、何も先生だけじゃない。
律器の隣では、取り乱しそうになっている響生を、彼氏の彗が何とか抱き締めて落ち着かせていた。
「空門」
「は!」
皇帝の言葉に、傍に控えていた男の一人が答える。
「後は任せる」
「御意」
そう言って皇帝は踵を返し、その場から立ち去っていく。
そして見えたその背中には、灰色の刀身を持った一本の大剣が担がれていた。
「!」
その剣を見た瞬間、律器の中で何かが鼓動し、不意に言いようのない衝動が湧き起こってくる。
――あの剣を手にしたい。
――あの剣を自分の武器にしたい。
そして律器の頭の中に、あの剣の情報が洪水のように流れ込んでくる。
だがそれらを理解するより前に、律器は不意に理解させられる。
――まだ早い。
そう理解した瞬間、律器の頭の中に流れ込んでいた情報は止まり、同時に現実世界へと引き戻される。
(……今のは……)
律器が自分の身に、何かが起きたことに呆然としている間にも、状況は絶え間なく動いて行く。
「では、皆さん。ここから先は私が案内をさせていただきます」
そう言って、律器たちに声を掛けたのは、さっきまで皇帝に傍にいた男だった。
「先に言っておきますが、陛下のお姿が見られなくなったからといって、妙な気は起こさないことです」
男の言葉に呼応するかのように、律器たちを取り囲んでいた騎士たちは腰の鞘から剣を引き抜き、その切っ先を律器たちへと向けてくる。
紛い物でも何でもない、刃の付いた本物の真剣。
だがそれ以外には特に何もないということが、律器にはわかったが、そんなものを向けられて、今更何かしようと気を起こそうとする奴は、この場にはもう誰もいなかった。
「では、行きましょうか」
男がそう言った瞬間、突然何もない空間が歪み、その先にこことは違う場所の光景が広がり始める。
そして律器たちに出来たのは、ただ男の後を追って、空間の歪みを潜り抜けることだけだった。




