第十九話 綺麗な月
□■月詠
「なに下向いてるんだ?」
「…………」
そんな零の言葉に、月詠は顔を上げる。
そしたら彼の灰色の瞳と目が合った。
その後ろには、満天の星々が、これでもかと夜の空を彩っていた。
「別に……ただ私は、あまり夜空が好きじゃないだけ」
「? なんでだよ?」
「だって……私には、似合わないものだもの」
今は余計にそう思う。
だって、自分の本質がどんなものなのか、改めて思い知ったから。
「確かに私は、夜を象徴する精霊よ。だけれど私の夜は、こんな明るいものじゃないわ。もっと黒くて暗い、闇のような夜。だから……星空を眺めると、自分が惨めになるのよ。今日の夜空は、こんなにも光があるのにって……だから私は夜が嫌い。自分の本質がどんなものなのか、見せつけられているような気がするのよ。お前の夜は、こんな明るいものじゃないぞ、って……」
昔からそう。
夜は月詠の世界のはずなのに、現実の夜は、月詠の夜とは全く違う。
星々がこれでもかと空を彩って、月光がささやかに地上を照らしている。
周りから光を奪う月詠の夜とは正反対。
だからいつも思ってしまう。
自分の夜も、こんな風に明るい夜だったら、もっと自分の夜が好きになれたかもしれないのにって。
「ふーん…………てっきり俺は、お前の象徴は月だと思っていたんだがな」
「……え?」
俯いていた顔を上げて零を見る。
彼の視線の先には、雲で隠れた月が浮かんでいた。
「だってそうだろ。お前の名前は月詠で、それは月の神の名前だろ」
月詠。
それは嘗て日本の神話に記された、夜を統べる月の神の名前。
それが精霊として生まれ、人々の意思によって名付けられた月詠の名前。
「確かに、それはそうかもしれないけれど……でも私の、私の魔法は、あんな風に周りを明るく照らすようなものじゃない!」
「……お前、それ本気で言ってるのか?」
「…………」
急に真面目な表情になる零。
そんな彼に、月詠はそれ以上何も言えずに押し黙る。
「確かにお前の魔法は、端から見れば陽気な魔法とは言えないし、寧ろ陰気な魔法と言っていいのかもしれない……だがな、それは敵側にとっての話であって、味方にとっては、お前の魔法は間違いなく希望だよ」
「希望?」
いきなりそんなことを言われて、月詠は思わず首を傾げる。
「そりゃそうだろ。戦いにおいて相手を弱らせるなんていうのは、常套手段だ。別に後ろめたいことでも、恥じるようなことでもない。寧ろ強者を相手にするのなら、これ以上なく有効な手段だ。そしてお前の魔法は、それを可能にしてくれる。圧倒的な強者を相手にしたとしても、勝てる可能性を示してくれるんだ。それを希望と呼ばずしてなんと言う?」
「…………」
そう自信満々に言う零。
呆気にとられた月詠を置いて、零はさらに言葉を続ける。
「そもそも月っていうのは、その時々で見え方が大きく変わるものだ。満月だったり、三日月だったり、新月だったりとかな」
その視線の先には、相変わらず雲で隠れた月が浮かんでいる。
「敵にとってお前は、真っ暗闇の新月なのかもしれない。だがお前の味方にとっては、お前は間違いなく満月で、暗闇の中を照らす、確かな希望の光なのは間違いない。だからまぁ、お前の象徴は夜の暗闇なんかじゃなくて、夜を照らす月だと、俺は思うぞ」
「…………」
零の言葉は、不思議なほど心に響いた。
暗闇ではなく、夜を照らす月。
確かに今、月詠のことをそう言った……言ってくれた。
今までずっと抱いて来たものを否定して、自分の在り方に、新しい意味をくれた。
そのことが堪らなく愛おしくて…………嬉しかった。嬉しくないわけがなかった。
「でも……そんなことを言ったら、私よりも姉さんの方がよっぽど相応しいわよ…………やっぱり私とは違うもの……」
だけれど、周りを照らすというなら、月詠よりも天照の方が相応しい。
月詠ではどうしたって、天照のようにはなれない。
「確かに、そうかもしれないな……お前が月だとしたら、彼奴は全てを照らす太陽だ。明るさという意味でなら、月ではどうしたって太陽には敵わない」
姉には敵わないという言葉に、わかってはいても、思わず両手の拳に力が入る。
「だがまぁ、別に明るさが全てなわけじゃない。実際、太陽は光が強過ぎて、直視するのは難しいからな。そういう意味で言えば、月はこうやって、見上げることが出来るし。それに……」
「それに?」
「……夜空に浮かぶ月は、何よりも綺麗だと思うぞ」
「…………」
零が呟いたのは、たったそれだけ。
夜の月が綺麗だというたった一言。
だけれど、月詠にとってはもうそれだけで十分だった。
だってそれが、月詠の一番欲しかったものだから。
自分にも胸を張れる何かがあるって、そう教えてくれたから。
月詠の夜にも、光があるって教えてくれたから。
空の雲は次第に薄れていき、閉じこもっていた満月は、その光で地上を照らしていく。
「……バカ。バカ零。大バカ零!」
月詠は零の二の腕に縋りながら、顔を隠すように額を押し当てる。
多分今、最初にここで零と会った時よりも、みっともない顔になっていると思うから。
「ズルい……ズルいわよ。そんなこと……」
そんなことを言われたら、もうこの思いを止められない。
この思いを押さえておくなんて出来ない。
「こんな悪女の、どこがいいのよ……」
月詠がそんな風にぼやけば、零の口から何故か溜息がこぼれたような気がした。
「本物の悪女なら、まず自分のことを悪女だって自虐したりはしないだろ。それに……」
声が途切れて、不意に頭の上に温かい感触が乗る。
顔を上げてみれば、そこには変わらず零の笑みがあった。
「姉に遠慮してまで、自分の感情を押し殺すような奴を、悪女と呼んだりはしねぇよ」
「!…………聞いたの?」
「いや、薄々とな」
「……そう」
やっぱり、零には気づかれていたみたい。
だったらもう、仮面を被ってまで隠す必要なんてない。
「じゃあ私も、はっきり言うわ」
月詠はもう一度、零の目を見ながら、意を決して口を開く。
「私、零のことが好き。零のことを、誰にも渡したくない! 本当は姉さんにだって!……渡したくない……」
今までずっと抱いてきて、隠してきた零への思い。
それをやっと、こうして伝えることが出来た。
嬉しいと思う反面、ちょっとだけ怖い。
もしも断られてしまったらどうしようって。
だけれど、そんな思いも、頭に乗った零の手の感触が、どこかへ吹き飛ばしてくれる。
「……わかった……お前の気持ちは確かに聞いた…………だが少しだけ、返事は待ってほしい。この世界の俺が、お前たちのことを考えられる余裕が出来たら、ちゃんと答えを出すから」
「……それは、姉さんのことも?」
「あぁ」
改めてこう聞かされると、やっぱり零はヘタレなのでは思ってしまう。
自惚れるつもりはないけれど、自分たちの容姿がそれなりに整っている自覚はあるし、美人と呼べるだけの容姿をしている自信もある。
そんな女性を二人も待たせるなんて、いっそ遊ばれているとすら思われても仕方がないのでは?
だけれど、零はそんなことはしない。
ちゃんと自分たちのことを考えてくれている。
そのことをちゃんと、月詠は誰よりもわかっているから。
「わかったわ……じゃあそれまで、気長に待ってあげる」
そこでふと、自分と同じ境遇に立っていた桜のことを思い出す。
月詠はちゃんと、こうして零に思いを告げることができた。
だけれどもし、このまま一生、零の答えた聞けなくなってしまったら?
そんな想像が頭を過った時、急に怖くなった。
もしもそうなってしまったら……
だから月詠は、零と約束を交わす。
「でも、一つだけ約束して、私たちに答えを聞かせるまで、絶対に死なないって」
それだけは絶対に譲れない。
もしそうなってしまったら、きっと月詠は、後悔してもし足りないと思うから。
「もし死んだりしたら、絶対、許さないから」
月詠が零の目を真っすぐと見つめれば、零もまた月詠の方をしっかりと見返してくる。
「……あぁ、わかった。約束する」
「…………良かった」
その答えが聞ければ、月詠としてはもう何も言うべきことはない。
零から目を離して、空を覆う星々へと目を向ける。
「こんな綺麗な星空は、生まれて初めて」
「……そうか」
今まではずっと、この明るい夜が嫌いだった。
一つ一つは小さな光であっても、月詠にとっては目を背けたくなるほどに眩しかった。
だけれど今は、そんな星々ですら綺麗だと思えてくる。
「月も綺麗だな」
「…………そうね」
何気なく呟かれた言葉。
その言葉を聞いて、月詠は自分の頬が赤くなったのを感じる。
空に浮かぶ満月のことを言っているのはわかっている…………わかってはいるのだけれど、どうしても今は勘違いしてしまう。
内にある恥ずかしさを誤魔化しながら、月詠は少しだけ零に体を預けて寄りかかる。
細身であっても、しっかりとした芯のある体。
体を預けても、全くぶれることなくそこにある。
彼の“気”と合わせて、落ち着きのある安心感を与えてくれる。
ちょっとだけ、この場にいない天照に罪悪感を抱いてしまうけれど、今だけはこのぬくもりを独り占めにしたかった。
(戻ったら、姉さんとも話をしないとね)
月詠もまた、零に思いを伝えた以上、天照とは一度しっかりと話さないといけない。
どんな結末になるのかわからないけれど、きっと大丈夫だと、月詠には思えた。




