第十八話 支えてあげたい
□■月詠
「零……」
気づいた時には、もう彼がいた。
木の葉の壁に開いた穴から、まるで閉じ籠った子供を見るように、零は月詠のことを見下ろしていた。
「っ! 見ないで……」
咄嗟だった。
腕を上げて、無造作に顔を隠して目を逸らす。
ずっと変なことを考えていたせいで、今自分がどんな顔をしているかわからない。
少なくとも、今零に見せられるような顔をしていないことだけはわかった。
「……わかった……ただその代わり、ちょっと付き合え」
「え!? ちょっ!? 離して!」
いきなり腕を掴まれて、無理やり枝の上に立たたされる。
そのまま強引に引っ張られて、夜空が良く見える先端の方まで歩かされたところで、零の手が離れていく。
そのまま腰を下ろした零は、月詠の方に振り返ることなく、夜空を眺めていた。
「…………」
いきなり腰を下ろした零に、どう反応したらいいのかわからずに、月詠もまた、少し離れた場所で腰を下ろす。
それからはただ静かな時間が流れる。
ふと零の方に視線を向ければ、彼はただじっと、夜の空を眺めていた。
「……何を見てるの?」
何もない静寂に耐えかねて、月詠は零に尋ねる。
「星だよ……まぁ、月は隠れてて見えねぇんだけどな」
一瞬だけ意識を向けた零は、こっちに振り返ることなくそう答える。
だけれど、昨日までの夜空と今日の夜空とで、何かが変わったわけじゃない。
いつもと変わらずに、暗い夜空の中で、星々がこれでもかと彩っている。
「……別に珍しくも何でもないでしょ? 星なんて」
星なんてあって当たり前。
変わることなく、星々は暗い夜空を満たしている。
「確かに、そうかもしれないな……ただ俺の場合、元居た世界では、ここまで綺麗な星は見られなかったからなぁ」
「…………」
零のそんな言葉に、月詠はそれ以上何も言わずに口を閉ざす。
知っていたから。
今までずっと、天照が零の記憶を覗き見る隣で、月詠も彼の記憶を見ていた。
彼がどんな人生を歩んで来たのかは、月詠も知りたかったから。
…………だって、いくら悪いとは思っていても、好きな人のことは知りたいと思ってしまうのは、どうしようもないから。
それでも、自分から覗き見るような度胸は、月詠にはなかったのだけれど。
そんな天照のおこぼれで見た零の記憶には、元居た世界――地球の記憶があった。
この世界とは比べ物にならない程に、光が夜の地上を満たしていていた。
空に浮かんだ星の光さえも見えないくらいに……
そんな世界に居たのなら、例え月詠にとっては見慣れた夜空であっても、この一面を彩る星空は、零にとっては観賞に値するのかもしれない。
そうして、再び沈黙の時間が流れ始める。
いつもなら、心地良いとすら思える時間のはずなのに、今はどうしてもそんな風には思えなかった。
「姉さんはどうしたの?」
結局、沈黙を破るために出てきた言葉がそれだった。
別に直接、天照の告白について聞いたわけじゃない。
ただ解体を終えた姉が、今はどうしているのかと聞いてみただけで……
もしかしたらまだ、告白については知らないふりを通すことが出来るかもしれなかった。
「彼奴なら下に置いて来た。今頃、桜さんの相手でもしているんじゃないか?」
「…………」
零は今、「姉さんを置いて、ここまで来た」と言った。
それがいったいどういう意味なのかはわからない。
だけれど今の零の口調は、まるで月詠が、なんでここにいるかを知っているように思えた。
「……聞かないの?……何も……」
「聞いて欲しいことがあるなら聞いてやる」
「…………」
やっぱり零は、あの時月詠にも聞こえていたことに気づいている。
だったらもう、変に知らない振りを通す必要なんてない。
「……こういうのって……おめでとうって、言えばいいのかしらね? あなたに姉さんを取られたのは、ちょっと複雑だけれど……これからは姉さんのことをお願いね」
無理やり明るい笑顔を作りながら、無理より明るい声で言葉を紡ぐ。
きっと姉の告白は成功している。
だって、姉が抱いている零への思いは本物で、零だって姉のことを嫌っているわけじゃない。
どこにも失敗する要素なんてない。
だから、告白が成功したと考えるのは極自然なことだった。
「……勘違いしているようだから言っておくが、俺は別に彼奴の告白を受け入れたわけじゃないぞ……まぁ、だからと言って断ってもいないんだけどな」
「……え?」
だから、次に零の口から出てきた言葉に、月詠は思わず間の抜けた声を漏らす。
受け入れたわけじゃないけれど、断ったわけでもない。
それがどういう意味なのか、月詠はすぐにはわからなかった。
「彼奴には悪いけど、一先ず返事は保留してもらった……今はまだ、そんな余裕はないからな」
「……あ」
余裕がないという言葉に、月詠は前に零が言っていたことを思い出す。
「まぁでも、自分がヘタレだっていう自覚はあるよ。女一人受け入れることが出来ないんだからな……たがまぁ、俺だってそう簡単に、この世界の暮らしに慣れるわけじゃない」
「…………」
考えてみれば、零の言っていることは寧ろ当然だった。
いったいどこの誰が、文化も文明も、環境も生態系も、世界の法則すらも違う世界で、すぐに何食わぬ顔で過ごせるというのだろうか?
いや、上辺だけなら、すぐに取り繕うことが出来るのかもしれない。
だけれどそれは、本当に上辺だけの話だ。
心の底では、未知への恐怖や、不安でいっぱいに決まっている。
そしてそれは、零にとっても同じなのだ。
普段は何てことないように過ごしてはいるけれど、心のどこかでは、常に気を張りつめている。
近衛騎士団の件だってそうだ。
今まで零は、それなりに気心の知れた天眼家でお世話になっていた。
だけれど、これからは一人の貴族として、この国で暮らしていかなければならない。
そうなれば当然、今までとはまた違った配慮を求められる。
零はきっと、その全てをそつなくこなしてしまうのだろう。
だけれど、全てをこなせるからと言って、零にまだ余裕があると考えるのは大きな間違いだ。
零は自分で出来ることがどの程度なのかをよく知っている。
だからこそ、それを越えない範囲で、零はこれまで何とかやって来たんだ。
そうでなければ、月詠がいる前でこうやって弱音を吐いたりなんかしない。
だから月詠は、零をヘタレなんて思わない。
寧ろそれだけ、自分たちのことを真剣に考えてくれているということだし、自分の弱い一面を見せてくれたことも、月詠にとっては嬉しかった。
叶うことなら、そんな零のことを支えてあげたいと思うくらいに……
「そろそろこっちに来たらどうだ?」
零の呼びかけに、もうこれ以上彼に心配をかけるわけにはいかないと、月詠は立ち上がって零の隣に座る。
すぐ近くまでくれば、零から漏れ出た微かな“気”が肌に触れる。
零にしてみれば、気配を消す訓練の一環として、“気”を抑えているのでだろうけど、精霊として言わせてもらえれば、まだまだだ。
それでも、日々魂の扱い方が上達していく零の姿を見るのは、教師役として、嬉しいことでしかない。
それに未熟なら未熟で、こうしてまだ零の“気”を感じられるのだから、それはそれで月詠にとっては良かった。
まだこうして触れていなくても、零の存在を強く感じることが出来るから。
(いっそこのまま……)
そんなことを考えた時、月詠の頭の中に、幸せそうに笑う姉の姿が浮かだ。
それと同時に、まるで今までの気分が幻だったかのように、月詠の中から消えていく。
いったい今まで自分は、何に浮かれていたのだろうか? 何を勘違いしていたのだろうか?
月詠が今座っている場所は、本当なら天照が座るべき場所だ。
勇気を出して告白して、一緒にいたいと伝えた彼女のための場所。
それなのに月詠は、零の心配にかこつけて、ずっとこうしていたいなんて……浅ましいことこの上ない。
(やっぱり……私は醜い……)
空を覆う星々を眺めている零の隣で、月詠は自分の本性を改めて思い知らされた。




