第十七話 嘘の仮面
□■月詠
月詠には、生まれた時から一人の姉がいる。
明るくて優しくてお転婆で、まるで太陽みたいなそんな姉が、いつも傍にいて、月詠はそんな姉のことが、心の底から大好きだった。
もちろん、そんな姉に対してだって、思うところは確かにある。
目を離せばすぐにどこかへ消えて居なくなるし――
気がつけばいろんなところに首を突っ込んでいるし――
それでいていつも楽しそうな笑顔を浮かべて、周りにいる人たちを明るくしている。
たまに暴走しそうになる姉に手を焼かされながらも、それでも姉のことが大好きだという気持ちに変わりはない。
だから姉のことは、小さい頃から妹の自分が守ろうと心に決めている。
俗に言う忠誠を誓う騎士のようなものではないけれど、それでも一人の妹として、姉の幸せと笑顔を守ろうと、そう決めている。
そうして、月詠は今までずっと、天照と二人で生きてきた。
精霊としてこの世界に存在するようになってからずっと、一二〇〇年以上もの間、月詠はいつも天照の傍にいた。
もちろん、今までずっと二人だけだったというわけでもない。
何度か他の精霊とも会ったことがあるし、自我がはっきりしてきた中級精霊の頃には、人間などの生命と話すこともあったし、実体化できるようになった上級精霊になってからは、実際に触れあうような機会も増えた。
だから零と出会ったことは、それほど珍しいことでも何でもない。
ただ特別だったのは、天照が彼に――零に恋をして…………そして月詠もまた、零のことを……愛してしまったから。
最初は、何かの勘違いかと思った。
ふとした瞬間に零の傍にいたくなったり、零とどこかに出かけたくなったり、零と少しでも触れあいたくなったり……
それらは全部、月詠が精霊として、ただ彼の“気”を好んでいるだけだと思っていた。
感情としてではなく、あくまでも精霊として、零という人間を好いているのだと。
だけれど、次第に零が天照と親しくなっていくのを見て、心の中に渦巻いている嫌な感情が増していくにつれて、零への思いが、ただの精霊としての本能ではないと気がつくのに、そう時間はかからなかった。
自分の思いに気づいた瞬間、月詠は零の傍にいる天照の笑顔を見て…………その思いに蓋をした。
いや、嘘の仮面を被ったと言う方が正しいのかもしれない。
月詠は自分に……自分の心に嘘をついた。
『月詠は零のことを好きでも何でもない。ただ、恋をしている天照のことが羨ましいだけだ』という嘘を。
零への好意は、精霊としての好意に。
天照への嫉妬は、恋への羨望に。
自分の感情を置き換えるための仮面を、月詠は自分に被せた。
そしてそれは暗示となり、自分の恋に気づいたことすらも忘れさせた。
…………だって、零を見つめる天照の笑顔が、あまりにも眩しかったから。
今までずっと、近くで見てきた月詠でさえも、見たことがないような、そんな満面の笑み。
そんな笑顔を見て、月詠は自分のこの思いを、素直に受け入れることはできなかった。
もし受け入れてしまったら、あの溢れんばかりの笑顔を、望まずに壊してしまうかもしれないから。
それに…………自分が零に相応しくないことぐらい、月詠自身が一番よくわかっている。
こんな醜くて浅ましい女が、零みたいな人の隣にいていいはずがない。
もしかしたら、天照はそれを否定するかもしれないけれど、彼女が否定したところで、月詠の魔法が何よりもそれを証明している。
魔法とは即ち、その魂の願望の表れ。
人間や他の生物は、魔法の大部分を親から遺伝的に継承するけれど、成長の過程でその魔法は常に変化している。
その魂が望むがままに、既にある本質から外れない範囲で、魔法はその存在の願望を反映している。
それは精霊にとっても変わらない。
いや寧ろ、精霊こそがその特性を大きく受けていると言ってもいい。
《魔魂衰弱》。
精霊として、月詠が生まれながらに持っている魔法。
人間の、他者を蹴落としたいという願望から生まれた、月詠の本質そのもの。
精霊とは、魂から発せられる“気”が寄り集まることによって生まれる。
“気”とは即ち、魔力の情報体であり、言わば魂の欠片。
その欠片が組み合わさることによって、精霊は生まれ、同時に魔法を発現する。
だから、魔法のきっかけそのものは生まれた時から決まっているのは確かだけれど、それを変わらずに良しとしてきたのは、他でもない月詠自身だ。
もし少しでも、自分が変わりたいと願っていたのなら、それが何かしらの形で、魔法に表れているはずだった。
だけれど…………魔法を使えるようになってから今まで、《魔魂衰弱》の効果が変わったことなんてない。
つまりはそういうこと……
それこそが、月詠の中にある紛れもない本質。
あの太陽みたいな姉とは違う。
その証拠に、彼女の魔法は何よりも彼女の心を表している。
《魔魂強化》。
天照が望んだ魂に力を与え、一時的であっても強化する魔法。
人間の、誰かの力になりたいという願いから生まれた、優しくも力強い魔法。
それだけでもう十分なのに、天照の魔法には一つだけ制約がある。
それは天照自身にだけ、魔法の効果が及ばないというもの。
その制約があるため、天照の魔法は多少なりともその効力が上がっている。
それは少しでも、誰かの力をなりたいという天照自身の願いの表れ。
そしてその“誰か”がいったい誰のことなのか、月詠はよく知っている。
何故ならその“誰か”とは、他でもない月詠なのだから。
この世界において、強者に入る精霊であっても、いつどんな場所で危険な目に会うのかわからない。
だからこそ、彼女は願ったのだろう。
『自分はどうなっても構わないから、妹だけでも、助かりますように』と。
当然のことだが、力が強くなれば、それだけ生き残れる可能性は高くなる。
そこに、強くした妹を戦わせて、自分も生き残りたいなんていう打算的な考えはどこにもない。
ただ純粋に、自分を犠牲にしてでも妹を助けたいという、そんな姉の願い。
そんな自己犠牲の精神を、あの姉は心の底から持っているのだ。
…………改めて考えてみれば、やっぱり双子であっても、月詠と天照の本質は全く違う。
寧ろ正反対と言ってもいいのかもしれない。
天照が全てを照らす太陽だとすれば、月詠は全てを飲み込む夜の闇。
どっちが隣にいて幸せなのか……どっちが零にとって相応しいのかは考えるまでもない。
だから月詠は、嘘の仮面で自分の思いを隠した。
もうこれ以上、零への思いを募らせないために。
このどうしようもない思いを、綺麗さっぱりと忘れるために。
…………だけれど結局、自分に嘘をつき続けることはできなかった。
零への思いは募るばかりで、忘れるどころか、新しい思い出が増え続けるばかり。
次第に自分でも知らぬ間に、被っていた仮面が壊れ始めていた。
それでも、まだ何とか誤魔化して、被り続けることはできていた。
…………だけれどここへ来て、桜に自分の嘘を――零への思いを見抜かれて、その仮面もあっさりと壊れてしまった。
しかも間が悪いことに、ちょうど天照が零へ思いを伝えようとしている声が聞こえてしまった。
せめて事後報告として聞いていれば、もしかしたらまだ受け入れることが出来たかもしれない。
だけれど……仮面を壊された直後で、自分の思い人が誰かから……それも自分の大好きな姉から告白される瞬間を、その場で聞き届けることなんてできなかった。
だから月詠は、耳を塞いでその場から逃げ出した。
今いるのは、桜の家の木の頂上付近。
枝分かれした太い枝に腰を下ろし、幹に背中をくっつけて蹲る。
時間はもう既に夜。
満天の星空の中で、月だけが不自然なほどに、雲に隠された夜空が広がっている。
だけれど月詠は、顔を上げてそんな夜空を眺める気分にはなれなかった。
(何をしているのかしらね、私…………最初から、わかっていたことじゃない)
そう、最初からわかっていたことだ。
いずれ来るとわかっていたことが、たまたま今になったというだけで……
だから何も悩むようなことじゃない。
戻ったら盛大に二人を祝福してあげればいい。たったそれだけのこと。
そう、たった、それだけのことでしかない。
だけれど、それでも……
「…………」
「……何してるんだ、こんなところで?」
「!」
そんな聞き覚えのある声が聞こえて、月詠は勢いよく顔を上げる。
そこには、今一番会いたくなかった彼の――零の姿があった。




