第十六話 精霊の後悔
□■月詠
「じゃあ、俺は一旦席を外すよ」
桜が次の話題に移ろうとしたところで、零は不意にそう言って席を立つ。
「いきなりどうしたの?」と思ったけど、月詠が聞く前に、桜の方が零に尋ねる。
「あら? どうして?」
唐突なことで、桜もまた不思議そうに首を傾げている。
それは月詠も同様だが、零は何てことないように口を開く。
「同類同士で話すこともあるだろ……それに、切裂虎の解体もしないといけないしな」
「あぁ……」
零の言葉に、月詠もまた納得して頷く。
確かに、零がここに来るまでに倒した切裂虎は、その全てが、首を斬り飛ばしただけで、それ以外はそのままの状態で残されている。
血抜きは大体済まされているけれど、それでも鮮度のことを考えれば、早めに解体した方が良いのは間違いなかった。
「なら、内も一緒に……」
そんな零に、天照は自分も手伝おうと声を掛けるが、零は軽く手を挙げてそれを制止する。
「いや、こっちは一人で十分だから、気にしなくていいよ」
それだけ言って、零はあっさりと家の外へと出る。
あれだけの大きさと数を解体するのは、それなりに手間のかかることのはずだけれど、零の気遣いを無下にするほど、月詠も野暮じゃない。
それに月詠自身も、自分より長く生きている精霊の話に興味がないわけじゃなかった。
「あらあら、彼にも色々とお話を聞いてみたかったのにー……でも、これはこれでいいかもしれないわね。ちょうど三人でお話したいこともあったことだし」
頬に軽く手を添えて、桜はどこか意味ありげな視線を送って来る。
いったい何の話をするつもりなのだろうか?
月詠は机に置かれた花の茶碗に手を伸ばす。
向かいに座る天照も、桜が入れてくれたお茶を飲んでいるのを見ながら、自分もまた同じようにお茶を喉へと流す。
「あなたたち、彼に恋をしているのね」
「「ッ!」」
それは本当に唐突だった。
いきなり言われたその言葉に、喉を流れていたお茶が肺の方へと流れて咽る。
天照に至っては、文字通りお茶を口から噴き出して机を汚している。
「な! なな! な、なに。なにを、いって……!」
天照は他の誰が見てもわかるほどに顔を赤くにしながら、桜の方を見る。
月詠もまたなんとか咳き込んでいたのを落ち着かせて、桜のことを睨む。
「あら、可愛い。でも、お姉さんの目は誤魔化せないわよー」
そんな自分たちのことを、心の底から微笑ましそうに見ている桜に、何か言い返してやりたいが、すぐには返す言葉は出てこない。
それどころか、どこか楽しんですらいるその視線に、月詠はそれ以上合わせることが出来ずに目を逸らす。
「べ、別に! れいやんことなんか、別になーんも思ってあらへんし! ちょっとだけ興味があっただけやし! ほんまそれだけやし! 恋とか好きとか、別にそんなんあるわけ……」
「あら? じゃあ彼は私がもらおうかしら?」
「…………」
その言葉が聞こえた瞬間、月詠は自分でも気づかない内に持っていた茶碗に力を入れていたことに気がつく。
(……ダメ)
それはほとんど反射的に出てきた思いだった。
自分でも、何でそんなことを思ったのかはわからない。
だけれど、それを考える前に、部屋の中に大きく必死な声が響く。
「! それはダメーーー!」
それなりに広さのある部屋に、天照の声が響く。
一拍の間を置いて、部屋の中には何とも言い難い静寂が満ちる。
時間が経つにつれて、ただでさえ赤かった天照の顔が、さらに真っ赤になって染まっていく。
まるで林檎のようになって、目元も潤んでいるようにすら見える。
「安心して。あなたたちから彼を取ったりなんかしないから」
その言葉が決め手になったのか、天照は恥ずかしさが頂点に達して、顔を手で覆い隠しながら机の上に突っ伏せる。
そんな姉の様子を見届けてから、月詠は改めて桜のことを睨む。
彼女はあくまでも、ほとんど冗談のつもりでそんな言葉を口にしたのかもしれない。
だけれどそれでも、例えそれが冗談であったとしても、月詠はそれを許容することはできなかった。
自分でも何でこんな思いを抱いているのかはわからない。
だけれど、ただ無性に、零が誰かのものになるのは嫌だった。
「そんなに睨まないで。私もちょっと揶揄い過ぎたわ」
しばらく桜のことを睨んでいれば、流石に観念したのか、そんな言葉が返って来る。
月詠も一応はそれで妥協して、もう一度茶碗のお茶を飲もうとして……
「だけどね。いつまでも、今みたいにずっと一緒に居られると思っていたら、いつかきっと後悔することになるわよ」
そんな桜の言葉に、月詠の茶碗を持っていた手が止まる。
「……それはどういう――」
意味なのかを聞こうとして、桜の表情を見て声が止まる。
さっきまでのどこか面白がった笑みはもうどこにもなく、あるのはただ、二五〇〇年も生きてきた精霊としての貫禄。
そして何よりも、心の底から自分たちのことを案じているように、月詠には見えた。
そう、まるで……
「……それは、あなたの経験?」
まるで自分と同じ運命を歩んでほしくないとでも言うかのように。
天照もそんな桜の雰囲気に気づいたのか、はたまたようやく羞恥心から回復したのか顔を上げる。
「そうね…………昔、私もあなたたちと同じように、人間の男性に恋をしていたわ。もう六〇〇年も前の事だけど、今でもよく覚えているわ」
桜はそう言って、昔の懐かしい記憶を思い出すかのように言葉を続ける。
「最初は、あの人がこの大陸に来て……いいえ、この世界に来て初めて会ったのがきっかけだったわね」
「それって……」
桜の言葉に、最初に反応したのは天照だった。
今の発言から考えれば、“あの人”というのは、最初からこの世界に居たわけではないということになる。
それはつまり……
「そうよ。あの人は、零くんと同じ渡り人だったの。そういう意味だと、私たちの恋は似ているかもしれないわね」
つまりはそういうことだ。
零は桜に、自分が渡り人であるということを話していたわけではないけれど、別にそれを見破ったからと言って、驚くようなことでもない。
渡り人が、皆共通して持っている聖痕。
まるで内に秘めた魂が、体に焼き付けたかのようなその痣は、魔力的に特殊なものになっており、それを魔力操作に長けた精霊が見抜けないはずはない。
「初めは、近くの町に案内するだけのつもりだったんだけどねー。色々あって、一緒に過ごすようになって、気づいた時には、もうあの人に惹かれていた。九〇〇年も世界を見て、もう私を満たしてくれるものなんてないと思っていたのに」
九〇〇年という歳月が、いったいどれほどの意味を持っているのか、今の月詠にはわからない。
だがそれでも、当時の桜がどんな思いでいたのかは、今の彼女の表情を見ればなんとなくわかった。
だけれど次の瞬間には、そんな桜の表情に暗い影が降りる。
「だけど私は、結局あの人に思いを告げることは出来なかった……もちろん、いつだって思いを告げる機会はあったわ。だけど、色々自分に言い訳をして、まだこのままで良いって先延ばしにして、この先もずっと、あの人と一緒に居られることを疑いもしなかった…………そんなこと、あるはずないのにね」
その言葉は、自然と月詠の心に突き刺さる。
まるで、今の自分を見透かされているような気がして。
だけれど、何でそう思ったのかはわからない。
別に月詠は、零のことを好きでもなんでもない。
彼に恋をしているのは、自分ではなく姉の方なのだから。
「あの人が大戦で死んで、私は酷く後悔したわ。なんでもっと早く、この思いを伝えなかったんだろうって。あの人とやりたかったこと、したかったことはたくさんあった。もし私がこの思いを伝えていたら、それはもしかしたら叶っていたかもしれない」
そこで一旦言葉を切って、桜は真っ直ぐと月詠と天照のことを見る。
「だからこれは、私からの忠告よ。もし、彼への強い思いがあるのなら、先延ばしにするのは止めなさい……昔の私みたいに、失ってから気づいても、もう遅いから」
桜の言葉で、部屋の中に沈黙が満ちる。
それがいったいどれだけ続いたのかは月詠にはわからない。
だけれど、そんな沈黙の中で、最初に動いたのは天照だった。
「…………内、やっぱりれいやんのこと、手伝ってくる!」
そう言って、天照は席を立ってすぐに家の外へと飛び出す。
そんな姉の後ろ姿を、月詠はただじっと、見つめていることしかできなかった。
「あら? あなたはいいの?」
天照が家の外へと飛び出してすぐ、桜は月詠に声を掛ける。
「……私はいいわ……別に私は、彼のことが好きってわけでもないのだし……」
声が重い――
まるで鉛を吐き出したかのように、自分の声を重く感じる。
本当は言いたくないことのはずなのに、無理やり言わされているかのように、その声は何故かいつものようには出てこなかった。
「嘘ね」
そんな月詠に、桜ははっきりとそれが嘘だと言い切る。
だけれど今日会ったばかりの赤の他人に、そんなことを言われて、面白い気分になれるはずがない。
「……何言って――」
「だったらどうして……あなたはそんな顔をしているの?」
「…………え?」
桜の言葉に、月詠は自分の頬に手を添える。
だけれどそれだけで、自分の表情がどうなっているかなんてわかるはずがない。
ただわかったのは、自分の頬に、いつもよりも力が入っているということだけだ。
「私はあなたにも、忠告をしたつもりなのよ」
真っ直ぐと自分を見てくる桜に、月詠は目を合わせることが出来ずに顔を逸らす。
これ以上、彼女のことを見てしまったら……
これ以上、彼女の言葉を受け入れてしまったら……
もうこれ以上……仮面を被り続けるができそうになかったから。
「……私は…………零には、姉さんがいるもの」
そう。
零にはもう、あの明るくて優しくてお転婆で、まるで太陽みたいな、姉の天照がいる。
今更自分が出て行ったところで、ただ混乱するだけなのは目に見えている。
「……だからあなたは、彼を諦めるの?」
「……諦めるって……別に私は――!」
「いつまで自分に嘘をついているつもり?」
「!……」
再び言われた「嘘」という言葉に、月詠はそれ以上口が開けずに押し黙る。
「私もね。あなたが納得してのことなら、これ以上はもう何も言わないわ。だけど、今のあなたは、とてもそうは見えないわ」
「…………あなたに、何がわかるっていうの?」
わかるはずがない。
いくら長く生きているからと言って、今の月詠の気持ちがわかるはずがない。
「私は!――」
「れいやん!」
「!」
その時、月詠たちがいる部屋の外、扉を一枚挟んだ先から、彼の名前が聞こえて来る。
「ん? どうした?」
そしてその当人の声も、扉のすぐ向こうから聞こえて来る。
いや寧ろ、彼の声の方が扉の近くから聞こえて来る。
天照が外へ出たのはついさっきのはずなのに、なんでこんなにも早く戻ってくるのか?
月詠がそんなことを考えている間にも、状況は絶え間なく動いて行く。
「あ、あのな! えっと、そのー、えーっと……」
零を呼び止めた天照の声が、しどろもどろになりながらも確かに、言葉を紡いでいる。
そして今から天照が何をするつもりなのかは、妹の自分でなくても容易に想像がついた。
(……やめて……)
せめてもっと離れた場所、自分の耳に聞こえない場所でしてくれれば、月詠だって後に聞かされても十分に納得することが出来たのかもしれない。
だけれど、よりにもよって……
「内! 初めて会った時から、れいやんのこと!――」
「ッ!」
それ以上の言葉は、聞きたくなかった。
月詠は慌てて席を立ち、霊体になってその場から離れるようにして逃げる。
そう、逃げるのだ。
掘り起こされた自分の感情を、もう一度埋め直すために。
今の月詠には、その時間が必要だった。
さて、時が過ぎるのも早いもので、今年もいよいよあと僅か。
ここまで本作『世界を渡りし者たち』をお読みくださいありがとうございます。
来年もまた、本作を楽しく読んで頂ければ幸いです。
また、この機会にブックマークや感想などで評価していただければ嬉しく思います。
それでは皆様、良いお年を。




