第十四話 魔境に住まう者たち
□■神楽零
その日、〈天竜山〉に来てから三日目の朝は生憎の天気に見舞われたが、その昼過ぎには雨は快晴へと変わり、零は天照と月詠を伴って、町の外へとやって来ていた。
「さて、じゃあ行こうか」
街道から外れて、人目につかなくなったところで、零は天照と月詠に声を掛ける。
二人は軽く頷いて霊体となり、零の体の中へと入って行く。
少し前までは多少の違和感があったのだが、今となっては大分慣れて来たものだ。
(行くぞ)
零は《重力操作》を発動させて、体を宙へと浮かせると、そのまま山頂へと向かって飛び立つ。
目指すのは〈天竜山〉の中腹。
討伐対象である、切裂虎が生息している地域だ。
昨日で大体、魔境での狩りがどんなものなのかがわかった以上、これ以上時間を持て余す必要もない。
『今日で任務も終わりするんやよなー』
(あぁ。無事に見つけられたらな)
内側から聞こえて来る天照の声に答えながらも、零は昨日通った森や草原を抜けて、あっという間に山の中腹へと到着する。
ここまで来れば、山の草木はまばらとなり、岩肌が目立つ光景が広がり始める。
(さて、すんなりと見つかればいいんだけどな)
内心でそんなことを思いながら、零は軽く目を閉じて《空間把握》に意識を集中させる。
さざ波の音を聞き取るかの如く、何か動いている気配がないかと探る。
すると、ものの数秒も経たずに、零はそれらしき反応を見つけ出す。
『見つけたん?』
(あぁ。こっちだな)
見つけた反応に従って、そのまま空を飛んでいくと、その先に白と灰色の縞々模様を持った虎の姿が目に入った。
(案外すんなり見つかったな)
眼下で仕留めた獲物を食している切裂虎の様子を眺めながら、零は内心でポツリを呟く。
『そうね。でも零の探知範囲って、結構広いのだし、こんなものじゃないかしら』
内側から聞こえて来る月詠の声に、それもそうかと納得しながら、零は改めて食事をしている切裂虎の様子を眺める。
幸いというべきか、零は空の上におり、切裂虎は食事に夢中であるため、こちらに気づいた様子はない。
(さて、どうやって倒そうかねぇ)
内心でそんなことを呟いてはみるが、既に切裂虎の討伐方法は半ば決まっているようなものだ。
切裂虎。
ここ〈天竜山〉において、生態系の頂点に位置する一級魔獣であり、口の中に生えた歯や、口の外まで生えた犬歯、爪、毛の一本一本までを超振動させ、触れたあらゆるものを切り裂く。
その威力は岩をも切り裂くほどであり、切裂虎の前ではあらゆる防具は無為と化す。
当然、刀で攻撃しようものなら、毛による振動で傷つくことは必至であり、零であっても、迂闊に刀を向けることはできない。
(紺青金なら、そんな心配する必要はないんだろうけどなぁ)
この世界最高峰の金属のことが頭を過るが、無いものねだりをしたところで意味はない。
刀を使わなくても、零には獲物を仕留める手段がいくらでもあるのだから。
零は《空間斬撃》を放つために手刀を構える。
本来ならこんな動作はいらないのだが、魔法を発動するための想像の補完という意味では、体の動作は有効な手段ではあるのだ。
「……へぇ」
《空間斬撃》を放つ寸前、零は《未来視》で切裂虎が咄嗟にその場から飛び退く未来を見る。
それが偶然か、はたまた零から僅かに漏れ出た殺気を感じ取ったのかはわからないが、案外野生の感というものは侮れないのかもしれない。
「けど残念」
零は軽く軌道修正を加えてから《空間斬撃》を放つ。
《未来視》で飛び退いた先がわかるのだから、そこに狙いを修正することなどどうということはない。
斬撃は現実に飛び退いた切裂虎に吸い込まれるように進んでいき、寸分違わずその首を斬り落とす。
(まずは一体)
首が無くなった切裂虎が倒れたのを確認して、零は地上から切裂虎を《重力操作》で引っ張り上げる。
それからまた目を閉じて《空間把握》に意識を集中させる。
だが不意にその最中、眼下に広がる地上に、一体の人型の岩が姿を現す。
(ゴーレム? いや、この世界では岩の子と言うんだったか?)
実際に目を開けてその姿を確認して、零はこの世界で得られた知識から、その存在のことについて引っ張り出す。
岩の子というのは、岩そのものに魂が宿った存在で、核やそういったものはなく、純粋にその体は岩だけで構成されている。
因みに岩以外にも、水や土などある程度塊になるものには魂が宿り、それらは水の子や土の子などと呼ばれている。
『大方、私たちの魔力に引かれて来たんでしょうね』
彼らは基本的に、生物が持っているような五感の感覚器官は存在しない。
だが第六感とも言える魔力を感じる感覚は、魂ある者として当然持っており、彼らはそれによって生命の存在を知覚している。
そしてこの世界の生命なら誰もが持っている、より上位の存在へと至りたいという欲求に従って、彼らは日々糧となる獲物を探して、魔境をさ迷っているのだ。
(……ちょっと倒してみるか)
本来、岩の子には弱点と呼ばれるような部位はなく、殺し尽くすには、その魂が維持できなくなるまでに、依り代である体を木端微塵に砕く必要があり、非常に倒しづらい相手とされている。
だが零はふと、そんな岩の子を効率的に倒す方法を思いついて《重力操作》を発動させる。
星の重力を失った岩の子は、星の遠心力によって空高くへと舞い上がり、数千メートルも上がったところで魔法を解除すれば、今度は重力に従って地面へと落下していく。
いくら魔力で強化されていようと、岩がそれだけの高さから落ちればどうなるか……
案の定、岩の子は衝撃によって木端微塵に砕け、それ以上動くようなことはなかった。
(持って帰ってもいいけど、あんま使い道ないんだよなぁ)
岩の子の素材というのは、魔獣と同じで魔力が宿っており、一般的にはそれなりに使い道はあるのだが、残念ながら零にはその当てがなかった。
もちろん、〈冒険者管理局〉に売ることも出来るが、それだけのために持って帰るのは邪魔でしかない。
結局、零は砕けた岩の子をそのままにして、切裂虎の捜索を続けて討伐していく。
それからは特にこれといった出来事もなく、零は討伐目標数の切裂虎の討伐を完了させる。
「さて、これで任務も完了ってことになるんだが……このまま帰るっていうのもなぁ」
想像以上に任務が呆気なく終わってしまったために、零はこれからどうしようかと考える。
時間はもう日が傾きかけた夕方。
このまま町へと戻って夕食を食べるというのも悪くはないのだが、せっかくここまで来たのにという思いがないわけではない。
そこでふと、零は雲が広がっている〈天竜山〉の山頂へと目を向ける。
「竜が住む山、ねぇ」
〈天竜山〉という名前の由来ともなった竜。
実際にその存在を確かめたという話は聞いたことがないが、それでもいるという逸話は残されている。
もちろん架空の存在としての竜やドラゴンは、創作で何度か見たことがあるが、本物を見たことは一度もない。
ならば……
『……零?』
月詠の伺うような声に、零は若干口角を上げながら答える。
(なぁ、ちょっと行ってみないか?)
零が内心でそんなことを呟けば、内側からはわかりやすく二種類の返事が返って来る。
『ええんやない? 内も竜さん見てみたいしなー!』
『私は反対。いくらなんでも危険すぎるわよ』
天照は割と乗り気なのだが、月詠からは反対の意見が上がって来る。
確かに竜と言えば、この世界においては精霊と同じくらいに神聖視されている存在であり、それは魔獣の頂点に君臨するだけの力を持っていることから来ている部分が大きい。
そんな存在を、面白半分で覗きに行こうというのだから、月詠が言う危険についても十分に理解することはできた。
『それに、まだ監視されているでしょ?』
続けて言われた内容に、零もまた内心で頷く。
魔境に入ってから感じるようになった視線。
最初はどこかの魔獣のものかと思っていたのだが、執念に見られている割に気配が一切感じ取れなかった。
そうなれば自ずと、見ているのは“誰か”ということになり、この遠征そのものを考えれば、監視している勢力がどこなのか、今のところ一つしか思いつかなかった。
(まぁ、そっちに関しては問題ないだろ。それに俺は別に、竜に喧嘩を売りに行くわけじゃないしな)
もしも竜に戦いを挑むようなことをすれば、色々な意味で問題になるだろうが、ただ覗くだけなら、そこまで神経質になる必要はないというのが、零の考えだ。
戦いなるならともかく、逃げるだけなら、零には竜相手でもいくらでも手段があるのだから。
『仮にそうだとしても、相手は竜よ。零の力なら死ぬことはないかもしれないけど、それでも万が一ってこともあるでしょ?』
それでもなお心配する月詠に、今度は姉の方が口を開く。
『つくよんは心配性やなー。大丈夫やえ。れいやんには内らがついとるんやから、内らが一緒なら何でもできる。今までずっとそうやって来たやろ?』
天照の言葉に、零の中で沈黙が満たされるのだが、先に折れたのは月詠の方だった。
『…………はぁ、わかったわよ。行けばいいんでしょ』
『ふふーん! ありがとうなー! つくよん大好きー!』
内側でじゃれつき始めたであろう二人のことは放っておいて、零は再び《重力操作》を使って宙へと浮かぶ。
「さて、なら行くとするか」
目指すのは〈天竜山〉の山頂。
謎に包まれた笠雲のさらに先。
そこに住むと云われる竜の姿を見るために、零は山頂を隠す笠雲の中へと入って行く。
『ん?』
(? どうした?)
するとすぐに、内側から天照の疑問を持ったような声が聞こえて来る。
『んー……いやな。なんやこの霧、ちょっと変な感じがするというか……』
歯切れの悪い天照の説明に、今度は月詠の方から補足が入って来る。
『多分だけど、精神的に何かしらの干渉を受けているわね。この感じだと、方向感覚を狂わせる、といったところかしら』
(……影響は?)
『それなら大丈夫よ。零ほどの魔力であれば、それほど気にしなくてもいいわ』
『せやけど、あんま嬉しいもんでもあらへんから、早めに突っ切った方がええやろーなー』
(了解)
二人の忠告に従って、零はそのまま速度を上げて雲の中を突っ切っていく。
しばらくして視界が開けると、目の前には清々しいほどに青い空と、大きく口を開けた火口部が広がっていた。
「抜けたな」
零は火口の端へと降り立ち、周りに脅威となるものがないことを確認すると、それを見計らっていたかのように天照と月詠が実体化してくる。
「竜さんはどこやろうなー?」
そう言って、天照はおでこに手を当てて帽子の鍔みたいにしながら、火口の中を覗き込む。
零と月詠も、天照に釣られて火口の中を覗き込む。
中はそれなりに深くなっているのか、底の方まで見ることはできない。
だがそれでも、さらに奥を覗き込もうとして……
「「!」」
「! 誰だ!」
天照と月詠に続いて、零もまた後ろに振り返って叫ぶ。
すると、何もないところから光の粒子が現れ、寄り集まり、次第に人の形を取っていく。
まるで、天照と月詠がこの世界に実体化する時と同じように。
そして現れたのは、桜色の髪に緑色の瞳を宿した、どこかほんわかした雰囲気が漂う女性だった。
「あらあら……驚かせてしまったかしら」
驚くも何も、驚かない方が寧ろ不自然というものだろう。
目の前にいる存在は、間違いなく特級魔戦士である零と同格の力を持っていることは間違いないのだから。
「そんなに警戒しなくても大丈夫よー。私は桜。もし良かったら、私の家でお茶でもどうかしら?」
そう言って、目の前の精霊は、零たちを自分のお茶会へ招待するのだった。




