第七話 戸惑う気持ち
□■神楽零
今零の目の前には、いつもと雰囲気の違った月詠がいる。
焦げ茶色の髪は綺麗に纏め上げられており、普段は見せないスラッとしたうなじが、その姿を露にしている。
加えて、普段は魔力で形作った十二単に似た服を身に纏っているのだが、今日は珍しく城で渡された浴衣を着ている。
ただいつもよりも生地が薄いため、彼女の魅力的な容姿の線が如実に浮かび上がっている。
湯だった肌は所々で赤く火照っており、まだ残っている湯気の残照が、より彼女の色っぽさを引き立てている。
何が言いたいかと言えば、普段は見せない月詠の姿に、零はしばしの間見惚れていたのである。
「あー……そっちも今上がったところか?」
「え!? えぇ、そうね」
一先ず声を掛けてみれば、何故か少しだけ動揺したように目を逸らされる。
横に流れた前髪を弄ろうとしたのか、顔の横に持ってきたその手は、髪が纏められているため空を切る。
「そういえば、天照はどうしたんだ? 一人なのは珍しいな」
ふと周りを見渡してみれば、普段は一緒にいるはずの天照の姿が見当たらないことに気がつく。
正直、二人が一緒じゃないのはかなり珍しい。
「…………姉さんは先に上がっていったわ。浴場で少しはしゃぎ過ぎたみたい」
「あぁ……何となく想像はできるな」
零はあのお転婆娘の行いを想像しながら、部屋へと戻るために廊下を歩き始める。
月詠もまた零の隣を歩きながら、一緒にそれぞれの部屋へと向かっていく。
「何と言うか、新鮮だな。お前がそういうのを着ていると。普段はずっと同じ格好だからな」
零は横目で月詠の姿を眺めながら、改めていつもと違った容姿に見入ってしまう。
普段は青と白を基調とした服なのだが、今の月詠は紺の生地に月や雲などがあしらわれた浴衣を着ている。
その模様は、まさに月詠のためにあしらわれたと言っても過言ではないようなものだろう。
「まぁそうね…………変かしら」
月詠は袖口を掴んで、零に浴衣を見せるように腕を広げる。
「いや、寧ろ似合ってると思うぞ」
「……ありがとう」
零が素直な感想を口にすれば、月詠は嬉しそうに答えながらも、恥ずかしそうに口元に袖を添えて、顔を逸らしてしまう。
どうやら恥ずかしい時の仕草は、姉妹揃って同じであるらしい。
「あなたもよく似合っているわよ」
「……それはどうも」
因みに、零も今は城から貸し出された浴衣を着ている。
温泉が湧く領地を治めているだけはあるのか、それなりに浴衣の種類も豊富に揃っており、その中から零は、無難に藍色の地味目の浴衣を選んで着ている。
似合わないとは思っていないが、どちらかと言えば普通だろう。
(そう言えば……)
そこでふと、零はこの場にいない天照のことを思い浮かべる。
彼女もまた自分の浴衣を選んでいたはずであり、それがどんな見栄えになったのか、少しだけ興味があった。
「彼奴はどんな浴衣を来てるんだろうな?」
何となしに天照のことを呟いてみれば、何故か少しだけ漂う空気がスーッと冷えたように感じる。
「……確か、赤い布に菊が織られた浴衣だったはずだけど……気になるの?」
「まぁな。聞いた限りだと、それなりに似合ってそうではあるな。彼奴は赤が良く似合う」
「……そうね。姉さんは赤が似合うわ」
「…………」
やはりさっきまでの和やかさが、月詠から抜け落ちているような気がする。
特に変なことを言ってしまった自覚はないのだが……
「ねぇ」
「?」
もう少しで部屋の前に着くというところで、月詠は立ち止まって零に声を掛ける。
「あなたは姉さんのこと、どう思ってるの?」
まるで何かを押し殺すような表情をしながら、月詠は零にそんなことを聞いてきたのだった。
□■月詠
言った瞬間に月詠は、自分でも「何でこんなことを聞いてしまったのだろう」と激しく動揺する。
ただ月詠は、零と一緒にお互いの浴衣を褒め合っていただけなのに、そこで天照のことが出てきた瞬間、自分でもわからないほど、零の気持ちを聞かずにはいられなくなってしまった。
「『どう?』って言うと?」
零はまるで確認するかのように、月詠に聞き返してくる。
本当はわかっているはずなのに、それでも自分に言わせようとしている零のことを、月詠は思わず睨み返してしまう。
だが一度出てしまった言葉は、もう二度となかったことには出来なくて、それでももう一度はっきりと言い直すこともできなくて、月詠はただ、曖昧に答えることしかできなかった。
「……気づいているんでしょ?」
「……人間観察には自信がある方だ。小さい頃から鍛えられたからな」
零はそう言うと、再び廊下を歩き始める。
月詠も置いて行かれないように、隣について歩く。
「……ただまぁ、そのほとんどは悪意を見抜くためのものであって、好意を見抜くのはあまり得意じゃないんだけどな」
言外に自分の推察は間違っているかもしれないと言ってはいるが、そんな心配をしなくても、天照が零に好意を抱いていることは間違いない。
「姉さんのことは私が保証してあげるわ。で? どうなの?」
「……そうだねぇ……」
零は軽く天井を仰ぎながら、少し考える素振りを見せてから、再びその口を開く。
「正直。今はまだ、何とも言えないな」
「……そうなの?」
少し意外な答えに、月詠は零に向かって問い返してしまう。
零ならもっとはっきりした答えが返ってくると思っていたのに。
「あぁ。今の俺に、彼奴の気持ちに応えられる余裕はないよ」
そう言った零の横顔は、どこか自嘲しているように笑っていて、その姿はいつもよりも弱々しく、少しだけ幼いように見えた。
「…………」
そんな零の姿に、月詠はただ、彼のことを支えてあげたいと思った。
別に何かすることを思いついたわけではないけれど、ただ彼の傍にいて、彼の力になりたいと思った。
契約なんか関係ない、一人の……
(あれ?)
そして同時に思ってしまった。
まだ零が、天照の気持ちに応えるつもりがなくて……“本当に良かった”って。
(なんで今、私……)
なんで自分が、そんなことを思ってしまったのかがわからない。
確かに零と天照の関係は、月詠としては羨ましいと思っているのは事実だ。
だけれど、それとこれとでは話が別で、姉の祝福は、本来なら喜ぶべきはずものだ。
だというのに、まるで二人が結ばれないことを喜んでいるかのようで……
月詠はそんな自分の気持ちが……胸の奥で渦巻くものが何なのかがわからなかった。
「ところで。なんでいきなりそんなこと聞いてきたんだ?」
「!」
月詠が自分の感情に戸惑っていると、零はふとそんなことを聞いてくる。
正直、なんで聞いたのかなんて言われても、月詠自身にもわからないのだから、答えようがあるはずもない。
「……なんとなくよ。ただ少し気になっただけ」
そう言って、月詠は零から顔を逸らす。
どうしてかはわからないけれど、何となく今の顔を、零に見せたくなかった。
「……まぁいいが。心配しなくても、お前の姉を取ったりなんかしないよ」
「…………」
姉が取られてしまう。
その言葉に、月詠はまたその足を止めてしまう。
確かにそれは、零が天照の気持ちを受け入れた時に、訪れるかもしれない未来ではあるけれど、月詠が不安に思っていることとは少しだけ違うような気がした。
寧ろ、月詠が心配しているのは……
「……違う……私は……」
「?」
「…………何でもないわ」
「……そうか」
月詠は零を先に行かせて、後を追うようにして部屋へと向かう。
その間も自分の感情に整理がつけられなくて、あっという間に零の部屋の前へとやって来ていた。
「あ! れいやん、お帰りー!」
零が部屋の扉を開けると、天照が寝台の上で寝転がりながら寛いでいる所だった。
「お!……つくよんも一緒みたいやなー」
「……なんで俺の部屋にいる」
零は自分の部屋に勝手に上がり込んでいる天照に、目を細めながら睨み返す。
「えー! 別にええやないかー! 別に減るもんでもあらへんし―。内一人で部屋にいても暇なんやもーん」
「俺の部屋に居たら暇ではないと?」
零は表面上では不機嫌そうに振舞いながらも、どこかしょうがなさそうに部屋へと入って、天照との会話に興じ始める。
月詠も釣られて部屋の中へと入るが、さっきまでのこともあって、月詠の足は入ってすぐのところで止まってしまう。
そこから部屋の中を見渡してみれば、楽しそうにしている二人の様子がよく見えた。
構ってもらいたそうに、色々と話題を振って話しかけている天照に、それを面倒そうにしながらも、何だかんだと、ちゃんと受け答えしている零。
どこか噛みあっていない二人だけれど、どこか気のあっている二人。
それは数多ある関係の中で、一つの形であるように見えた。
(やっぱり、二人はお似合いね)
二人の様子を眺めていれば、自然とそんな感想が湧いてくる。
そこに月詠の入る余地はなくて、そのことを思うと、何故か胸の奥が押し潰されるように苦しくなって……
「――つくよん?」
「え!? 何? どうしたの?」
急に自分の名前が呼ばれて、月詠は勢いよく顔を上げる。
「『どうしたの?』じゃあらへんよー。つくよん、呼んでも返事せーへんのやもん」
「……ごめんなさいね。ちょっとのぼせちゃったみたいだから、先に部屋へ戻って休んでいるわね」
「あっ! だったら内も――」
「大丈夫、大したことないから。また後でね」
「あ……」
月詠はそのまま逃げるようにして、零の部屋から飛び出して、自分の部屋へと戻る。
そのまま布団の中に潜り込んで、さっきまでの出来事を忘れてくれるように願いながら、月詠は静かな眠りへと落ちて行った。
(何やってるんだろう。私……)




